第五話 Mr.ファントム⑤
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戦局は、エリク達の方が有利であった。
何故なら、相手はクリアソス――アスビョルン以外には、自我の無い只の妖魎であったから。高度な魔法を扱う靈儿貴族からすれば大した事は無かったのである。
一体何の為にこんな継ぎ接ぎをしたのか、全く意図が分からないが、許されざる行為である事は間違いなかった。
「アスビョルン! 私はお前を許さない! 神饗もまた許さない! 同胞を裏切り、そして命を弄んだ罪、必ず報いを受けさせるッ!」
「出来るものならやってみろ! 幾ら手負いとは言え、簡単にやられはしないがな!」
アスビョルン・イェルドスソン。彼はかつて、親友だった。歳の近い貴族同士、その意気が合った。
彼の語る理想はエリクとしても非常に魅力的で、そして理にも適っていたし、貴族が本来あるべき姿である様だった。
だから彼に追従して自身の領内でも同じ事を進めようとしたのだが、当時家督を握っていた父の反対に遭い挫折。
それとは対照的にアスビョルンは若くして家督を継ぎ、時間を追う毎に領土を富ませて行った。その姿が非常に羨ましく、父親にもそれを強く勧めた。だがそれでも、父は頑として認めてくれなかった。
伝統的では無いから。貴族としてそこまでするのはあるまじき態度である。民も領民もこの現状から大きく逸脱してはならない。少なくとも今は出来ないのだと。
当時のエリクにはその父の言葉が理解出来なかったが、やがてその真意を知る事となる。
出る杭は打たれると言う様に、アスビョルンの領土の躍進をして妬ましく、脅威に思った周辺貴族や氏族が妨害に出たのである。
一つの綻びから生じた弱味に多くの貴族が群がり、まだ貴族としては政争の経験も浅かったアスビョルンはすぐに失脚してしまい、残された領土も言いように収奪の的とされた。
止める間も、無かった。アスビョルンの弁護にも回りたかったが。父に止められてどうする事も出来なかった。
何も、出来なかった。
その事がエリクにとって心のしこりとなり、いつまでも、二十年経っても解消された事は一度たりとも無かったのである。
領主となり、周辺領主との関係を整え、不測の事態に備え、ようやく旧友の治世を真似し始めたのも、ここ二十年旧友の消息を探り続けていたのも、しこりが故だった。
そして今日、ここで偶然出会った旧友は、もはや別人と言っても良いほど変わっていた。民を慮る事もなく、己の感情に取りつかれて、縛られて、暴れていた。
「貴様のせいで、一体どれだけの人が犠牲になったと言うのだ!?」
「それは少し違うぞ。仮に私が神饗に入らなかったとしても、違う誰かが同じ仕事を振られていた筈だ。何より、この組織は私が生まれる遥か前より存在している。私へ何を言ったところで意味は無い!」
「それでもだ! 平然とそれを実行できる貴様を、どうして許す事が出来る!?」
鉱物魔法によって幾つもの人形を造り出し、戦わせるが、それらはクリアソスには届かない。その前に割って入るように、妖魎が現れるのだから。
人であった事を示す痕跡を目にする度、それを屠る事に戸惑いと躊躇いを覚えずには居られないが、しかしもうそれらに自我は無い。
言葉にしない謝罪を心で繰り返しながら、その命を奪っていくのだった。
そんな中で、鉱物で出来た人形と組み合う、大型の妖魎。それの姿は人間そのものだったが、体が肥大化しており、よりかつて人であった事を主張している様だった。
「……苦シイ。助ケテ、誰カ……」
「意志でもあると言うのか!?」
「苦シクテ……アア」
自我の無い者ばかりかと言えばそう言う訳ではなく、中には譫言の様に何かを呟く個体も居る。
「コンナノ、嫌ダ……誰カ、俺ヲ殺シテクレ……オ願イ、ダ」
「……ッ!!」
「ア……リ、ガトウ……」
それどころか、自我を取り戻したらしい者まで居る始末。その後味の悪さに、エリクだけでなく他の誰もが顔を顰めていた。
それは少し離れた場所で戦っている少年少女達も同様だ。手当てを受けている紅髪の少年もそれに気付いてか、クリアソスに睨み殺さんばかりの視線を向けていたのである。
「ここまで敵意と殺意を向けられるのは久しぶりだな。エリク、あの小僧が気になるか?」
「あの歳でお前に手傷を負わせる様な奴だ。気にはなるさ」
「なら耳寄りな事を教えてやろう。あの小僧はな、白儿なのだ。嘘では無いぞ」
「だからどうした……そんな馬鹿げた話で!」
「嘘ではないさ。既に組織では情報の伝達が為されていてな。私自身、この都市で初めて見かけたが、すぐに分かった」
クリアソスを庇う様に押し寄せる妖魎を次々に屠りながら、エリクは彼我の距離を縮めて行く。
一歩、二歩、三歩。
一体どれだけの命を弄んだのかと怒鳴り散らしたくなるほど、その妖魎の数は多かった。
「仮にあの少年が何であったとしても、それがどうした!? 彼は間違いなく娘と行動を共にし、そして貴様ら神饗と敵対している! 見ようによっては我らの味方とも取れる彼らを、たったそれだけの理由で攻撃するとでも思ったか!?」
「……良い答えだ。その決意に揺るぎはないか?」
「無論だッ!」
十数体目。赤と青の体液が混ざり合った何とも不気味な継ぎ接ぎだらけの妖魎を斃し、もはや目の前に居るのは旧友だった男のみ。
待ちかねて居た様にクリアソスは右手の短剣を構えるのだが、既に両腕とも紅髪の少年によって斬り付けられて、流血は止まっていない。傷も、決して浅くは無かった。
「ここでアスビョルン・イェルドスソン……いや、クリアソス! 貴様の命、今ここで貰い受ける!」
「逃げも隠れもせん。全力で奪りに来い」
ここまで来たら、今度は己自身の手で決着させるべき。そう考えて、エリクは鉱物で出来た人形に戦わせるのではなく、己の身にそれを纏わせる。
例えるなら鎧のようであるそれは、鈍重そうな見た目に反して魔力による操作補助があるらしく、軽快なものだった。
対するクリアソスは、握った短剣で応戦の構えを見せるのだが、動き出したその瞬間、彼の手から刃物は滑り落ちた。
だがそこに浮かぶ表情は驚きでは無く、満足げな笑みで。
「お前……!?」
「よくやった」
短剣によって紙一重で、エリクから繰り出される攻撃を往なそうとしたのだろうが、得物を取り落とした為それは叶わず。
そして避けるでもなく、クリアソスの腹には鉱物の鎧で覆われた拳が直撃していたのだった。
◆◇◆
避けなかった。結果殴り飛ばされ、瓦礫の転がる宮殿の床を鞠のように大人の体が跳ねていた。
恐らくもう、あの男には勝ち筋が見えて居なかったのだろう。両腕を深く斬られ、もはや剣どころか短剣すらも真面に握れる握力が残って居なかった。
だからあの時、俺が牽制のつもりで放った白弾を避けなかったし、今もエリクによって腹を殴られた。
既に勝負自体は、とうの昔に着いていたのだ。
「ラウ君……」
「応急処置は済んだんだろ? なら俺だって最低限安静にはしとくから、そんな心配するんじゃねえよ」
「絶対だよ? 絶対に乱暴な動きとかしちゃ駄目だからね? 守ってよ?」
「いやだから分かってるって言ってるだろ。俺の親でもあるまいに……」
これでもかと言うくらい念を押してくるレメディアに対し、辟易としながら手をヒラヒラ振ると、立ち上がる。
するとやや血が流れ過ぎたのか、立ち眩みが頭を襲うものの、瞑目してその場から動かずに治まるのを待つ。
下手にここでよろめきを見せてしまったら、間違いなくレメディアは縛り付けてでも俺を絶対安静にさせる筈だ。
どうにかふらつく事もなく耐えると、殴り飛ばされたまま仰向けに倒れている男の下へと歩いて行く。
だが既にその場には先客が駆け付けていて、何事か言葉を交わしていた。
「馬鹿者が……何故こうも不器用な真似しか出来ない!? 他にやりようは無かったのか!?」
「さあな。とにかく私は、この怒りを何かにぶつけたくて仕方が無かったのだ。それは正解不正解の話ではない。こうでもしなければ、とうに自刃か首を括るなりしていただろうな」
「アスビョルン……我が友よ! お前は本当にそれでよかったのか!? こんな所で……こんな死に様で! 間違いなく悪人として王国史に名を刻む事になると言うのに!」
「構わん。もとより私は無一文の地位に転落した者。金だけではない。人望も名誉も尊厳も、全てを無くした男だ。そこに反逆罪が加わったとて、大した事はあるまい?」
自嘲気味に笑うクリアソスだったが、直後に喉の奥から血が溢れ出す。先程腹に受けた一撃で、内臓と骨に相当な損傷が生じたのだろう。
然程医療も進んでいないこの世界では、幾ら手当てした所で助けられる見込みがある様に見えなかった。それに何より、彼自身が応急手当すらも拒んでいるのだから。
「飲め、癒傷薬を……!」
「要らん。もう助からんのは分かり切っているのだ。多少生き永らえたとて、本当に少しだけだ。日没を見る事すらも出来まい」
「何故その様な満足げな顔が出来る!? お前は、自分の目的を果たせなかったのだろう!? 少しは悔しがるか、私に悪態の一つでも吐くのが普通ではないか!?」
そうでなければ責めるに責められない。嫌う事すら出来ないではないかと、エリクは湿った声で怒鳴っていた。
「何故、そんな顔を……ッ!」
「……理由は、簡単だ。お前が二十年以上経っても相変わらず義理堅い奴だったから。そして、捨てたものではない貴族もこの国にはまだ居る事が分かったからな」
僅かに頭を転がして、周囲を見回すクリアソスの視界に映るのは、この場に踏み止まって戦っていた貴族たちの姿だった。
その数は決して多くないが、既に彼らの力によって地下施設から解き放たれた妖魎はほぼ討ち果たされている。
「こうして私が敗けて、国も乗っ取りを回避出来た事を……どこかで嬉しく思う。この国は、そして我が同胞は、まだ貶され従属下に置かれるような柔な存在ではないと、示して貰えたのだ」
「……そうか。私達はお前に、示す事が出来たのか」
「誇れ。貴様は私と言うどうしようもなく自暴自棄になった男に、靈儿の誇りを思い出させてくれたのだから」
「お前を救った程度で誇れる物など在りはしない。自己評価が高すぎるぞ」
「ふふ……手厳しいな」
恐らくクリアソスの腹には相当な痛みが居座っている事だろう。それを堪えるように無理矢理笑った彼は、視線を俺に向けていた。
「小僧、この私を下すとは素晴らしい才覚だな。傷は良いのか?」
「良い訳ねえだろ。応急処置されただけだし痛くて仕方ねえよ。よくもまあやってくれたな。あんなので勝ったと誰が思うかよ」
「油断をしないのは良い事だが、真剣勝負とはそう言うものだ。相討ちと言えば相討ちだったが、私はもう剣を握る筋力もない。筋を断たれてしまったからな。私の完敗だ」
再び薄く笑った彼だったが、喉を血がせり上がって来たのだろう。激しく咳き込み、横向きになって体を丸めていた。
それを心配そうにエリクが見ていたものの、彼ももう分かっているのか声を掛ける事はしなかった。
「わ、私を打ち負かした褒美だ……そこに転がっている剣をくれてやる。鞘は私の腰から勝手に抜き取れ」
「良いのか? 高いモンだろ、これ?」
「物は使ってこそだ。小僧の剣も折れたのだ、代わりがあった方が良いだろう?」
「……そこまで言うなら貰っといてやるよ」
「ははは……どこまでも傲慢な小僧だ。それとも、白儿そのものが図太いのか?」
「図太くなけりゃ、この世界で俺みたいな奴が生き抜けるかよ」
少し離れた場所に転がっていたクリアソスの剣を拾い、そして彼の腰にある鞘も抜き取る。死体漁りをしている様で少し寝ざめが悪くなりそうだが、貰えるのなら貰っておいて損はない。
その間に、今度はクリアソスとアスビョルンの会話が再開されていた。
「例え白儿であったとしても、仲間であると見做すならお前は本当に攻撃を加えないのだな?」
「……さっきの話か。当たり前だ。娘も一緒に居たと言う事は、彼は仲間として行動してくれたのだろう。こうして無事に再会させてくれた彼に、どうして不義理を働ける?」
「それを聞けて……安心した。おい小僧」
「何だよ?」
こちとら無事な左腕一本で剣を鞘に納めていたのだが、怪我を負わせてくれた張本人からまた声を掛けられて、首だけ巡らせるのだった。
それが余りにも鬱陶しいと言った感情が露わになっていたのだろう。苦笑を浮かべるクリアソスは、しかしどこか愉快そうだった。
「少年、お前は私のように腐るなよ。その図太さで生き抜け、真っ直ぐにな」
「急にどうしたんだよ、気持ち悪い。暑苦しくなるような事を言うんじゃねえ」
「お前みたいな小僧に理解を示す見ず知らずの人間もいると言う事だ。そこに居るとち狂った貴族のようにな」
「何だアスビョルン……いきなり俺を貶すな」
そんな言葉を交わし、気の置けない関係である事を説明せずとも教えてくれる、二人の男。
そこに在るのは信頼であり、懐古であり、安堵であった。
だがそんな中、再びクリアソスは喀血する。しかも先程までとは比べ物にならない程に大量で。
「おい、もう喋るな! これ以上は……!」
「煩いぞ、私に指図するな。……聞け、この場に居る貴族どもよ! 神饗のクリアソスでは無く、元王国貴族のアスビョルン・イェルドスソンとしての言葉だ!」
最後の力を振り絞り、彼の腹から出されている張りのある声。それを、暴れていた妖魎を討伐しつくした貴族らは、各々聞いていた。
「靈儿の強みは質実剛健にある! 誰が何と言おうと、ここは譲ってはならない! 必要な時に必要なだけ、つまり過不足を知らなければならないのだ!」
「…………」
「今のこの国はそれが出来ているとは言い難い! このままでは、庸儿共の国家と同じ様に何度も集合離散を繰り返す事になるだろう! だがそれは、我らにとって害悪でしかない! 仲間割れしてしまえば、それでほくそ笑むのは何処だ!?」
「……東帝国」
その場にいる誰もがクリアソス――アスビョルン・イェルドスソンの話に耳を傾ける中、一人の貴族が問い掛けに答えていた。
それは精々呟き程度のものだったが、気温の低く空気が澄んだこの土地では、自然と耳に届く。
そしてそれに勢いを得た様に、彼の演説は朗々として続いて行った。
「そうだ、その通りだ! 我らは同胞を勝手な理屈で組み敷く彼の国を、不俱戴天の仇として来た! 許されざる存在だと! 団結して戦うべき存在だと! 先祖代々、王侯貴族も庶民もなく、戦って来たのだ! 故に富とは、王侯貴族が独占する為にあるのではないッ!」
「その富は来るべき敵に備える為の物であって、決して宮殿を飾り立てる為でも、着飾る為の物でもないのだ! そんなものに使う間があるなら、飢え死に凍え死ぬ民をこの国土から一人たりとも出さぬ様にすべきなのだ! その為に取り立てているのが、税と言うものだろう!?」
「なのに何故だ!? 何故今の我が国は王侯貴族の豪奢な生活を誰も咎めず、剰え阿っている!? 貴様らは一体何を言われて育って来た!? 何を見て育って来た!? 貴様らはこの二十年以上も、一体何をしていたのだ!?」
それは、強い糾弾の言葉。反論を試みようとする若い貴族の姿もあったが、彼らは剣幕に圧されて口を閉ざし、或いは俯いていた。
一方、尚も執念で語り続けるクリアソスの口から流れる血は止めどなく、確実に彼の命を縮めている。
「今この国は、衰微に片足を突っ込んでいる! 現実を碌に見もしなければ知ろうともしない馬鹿者共のせいで! その結果として滅んだ時、貴様らは先祖にどうやって詫びを入れるつもりなのだ!?」
「もう一度言う! このままでは国は滅びる! 滅ぼされる! 要因は外敵だけではない! 内部に集る、寄生虫共によって食い潰されるぞ! それで良いのか!?」
「もしもこのままで良いと思うのなら、今からあの世で行う先祖への申し開きでも考えて置けばいい! だがそうでないと思うなら! 今ここから変えろ! 元に戻せとは言わん、ただ民を思え! 地位に甘えるな!地位に阿るな! 自分達の行動こそが国を救うと心得よッ!」
そう強く言い切って、クリアソスの話は締め括られた。誰もが暫し、それらの言葉に圧倒され、そして固まっている。
その中でいち早く動いたのは、エリクだった。
誰に言われるでもなく両の手を打ち合わせ、拍手を始める。彼の動きが伝染する様に一人、また一人と拍手をする貴族の数は増し、遂には関係無い俺すらも同調圧力のようなものに屈していた。
しかし、クリアソスは致命傷を負った身で声を張り上げ、無理をして語り続けたのだ。当然、反動が出ない筈もなく。
薄い笑顔を浮かべていた彼は出し抜けに何度目かの喀血をし、咳き込んでいた。
「無茶をするのは相変わらずだな……」
「私を止めなかった事、感謝する。言いたい事も言えて、スッキリした。これで思い残す事もない」
「……そうか」
既に顔は土気色で、生気は無い。致命傷を負っていた事と、無茶をした事も合わさって、彼は急速に衰弱していた。
だがこれは、本人自身が望んだ事。我慢してほんの少し生きながらえるより、最期に出来る事を出来るだけやってしまいたかったのだろう。
気付けば拍手が止んで誰もが無言となり、その場は冷たい風が吹くだけ。
力のない穏やかな呼吸と、湿っぽさを含んだ呼吸だけがこの場を支配し、誰もが息を殺して二人を見守っていた。
身動ぎすらせずに、見守っていたのだ。
「…………」
「…………」
やがて二つあった内の一つ、呼吸が止まった。
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