第四話 クソッタレな貴様らへ ①
「……囲まれた。お前ら、尾行けられたな?」
ミヌキウスからその言葉が発せられて理解された時、その場の空気は一気に張り詰め、辺りの空気は冷え切った。
同時に俺とアウレリウス、ユニウスは怪訝そうな表情で周囲を見渡す。
だが、辺りには人影らしいものは見当たらず、他の二人もそれぞれ各々言葉を発した。
「囲まれている? 馬鹿な、見当たらないぞ?」
「全くだ。お前、一体何を言いだすかと思えば」
「いやマジだ。俺の索敵能力、知らない訳じゃねえだろ?」
首を傾げる二人だったが、彼は尚も警戒の姿勢を崩さずに周囲に目を配り続ける姿に、何も言えず黙り込む。
そして彼の目が留まった一点へ目を向けてみれば、そこには日の光を反射して眩しい光がこちら側を照らしていた。
「今さっき風の流れを使って索敵したんだが、ぐるりと完全に包囲されてる。死角はない、逃げるなら強行突破だな」
「……風魔法って、そこまで分かるんですね」
「はんっ、寧ろここまでしか分からないと言ってくれ。包囲されるまで気付けなかったんだからな」
感心したような呟きに、ミヌキウスは自嘲気味な答えで返す。
そんな訳がないと言ってやりたいところだったが、状況的にはそんな事を言っている余裕はなく、着実に敵は包囲の幅を狭めて居る様だった。
実際、目を凝らせば彼の言う通りに木々の隙間から兵士の姿が見える。
「こりゃ結構な数だな。どこを突破する?」
「なるべく手薄な所が狙い目だが……分かるか、ミヌキウス?」
「数がそこまで多くないから大体どこも手薄だが、さっきから段々包囲が狭まって穴も消えてる」
せわしなく周囲を見渡し、舌を鳴らすミヌキウス。
だが、ここで時間を取っては更に状況を苦しくしてしまうだけである。
「余裕はない! お前らこっちを抜けるぞ!」
より一層、勢いのある風を周囲に纏わせながら、ミヌキウスは一つの方向に向かって駆け出す。
彼に抱えられている俺は当然ながら、残りの二人もその後に続き、同じ場所へ向かって駆け出していた。
すると、木々の隙間から覗く兵士の一人と目があう。
「――来たぞ、標的確認!」
動き出したこちらを視認したのだろう、包囲している兵の一人が声を上げた。
途端に槍の穂先が更に前へ突き出され、木々の隙間から突き出されたそれは槍衾を形成していた。
「雑魚が……手加減すんのも楽じゃねえんだぞ!?」
それを見て今一度舌打ちしたミヌキウスは、手を前に出すと纏っていた風の一部を撃ち出した。
瞬きほどの間に槍衾へ襲い掛かったそれは、しかし兵士を傷つけるのではなく、周囲に生えていた木の幹を深々と切りつける。
そして、殆ど皮一枚を残して切られたそれらの木々は大きく揺れると、時間差でばらばらの方向に倒れ始めたのだ。
「う、うぁぁぁぁぁあっ!?」
「退避ッ!」
「潰されるぞ!」
酷く狼狽した声が前方から湧き上がり、それと共に形成されていた槍衾に乱れが生じる。
段々と穂先があらぬ方向を向き始め、こちらにとって大した脅威となり得なくなったのだ。
「直接手を下さねえで隊列を乱すとか……やるじゃねえか!」
「当たり前だろ、こんな所で捕まってなんざ居られるか!」
喧しい、枝の折れる音を立てて木が倒れていく中、ユニウスにミヌキウスが不敵な笑みを浮かべて叫び返した。
前方では完全に隊列が乱れて道が開き、彼が風の刃で倒木の枝を切り飛ばしてくれたお陰で、三人は拓けたところを全力で駆け抜ける。
そうしてそのまま、完全にその場を駆け抜けて行くかと思われた、その時。
「ッ!」
先頭を走るミヌキウスの前に、一発の火球が着弾した。
それは瞬く間に、おおよそ自然ではあり得ない速度で延焼し、俺達の眼前に炎の壁を造って行く。
慌てて急制動を掛けたミヌキウスは、しかし完全に走っていた勢いを殺さずに抜ける為、炎の中に風を流し込む、が。
「駄目だ、火勢が強すぎる。寧ろ延焼を進めちまうし、この魔力濃度だと……消火してる間もねえな」
「そんなッ!?」
完全に足を止め、何とかならないものかと後ろに居る二人に目を向けるのだが、彼らもまた苦々しい表情で周囲へ視線を走らせており、言うまでも無い様子だった。
そんな俺達の背後では、乱れた筈の陣形が再形成され、再び槍衾を形成してこちらに迫る。
おまけに、彼が木々を倒したお陰で部分的により密集・連携が取りやすくなり、先程よりも強固なそれとなっていたのだ。
前は火。後ろは槍。
完全に包囲されてしまったところへ、不意に居丈高な声が降り注いだ。
「貴様ら、そこな“白儿”はそもそもが領主たる私の資源だ! 大人しく返還せよ! 私の財産を奪うのであれば、貴様に相応の罰を受けて貰うぞ!?」
その声がしたのは、形成された槍衾の更に背後。
騎乗した数人の騎士の内で最も上等な鎧を着た人物であった。
「腐っても貴族だな。魔法が使えるとは聞いてたが、プブリコラの豚野郎……!」
「ホント何度見たって気持ち悪い顔してるよなぁ」
「権利ばかり振り翳すからああやってブクブク肥えたんだろうぜ」
己の権利を主張し、勝ちを確信して愉悦に浸った様な笑みを晒す、醜い男。
そんな人物に、隠さず心底嫌そうな顔を見せるミヌキウス達。
「人の命を散々弄びやがって……!」
税を貪り、飢えて困窮する村人の事など一切顧みないその領主に、俺もまた唾棄するような呟きを漏らしていた。
だが、そんな小さな呟きは当の本人には聞こえて居なかった様で、尚もその肉が弛んだ頬を揺らす。
「当たり前の事であるが領主である私にとって、農奴は所有物である! その原則を知らぬわけではあるまい、狩猟者風情であろうともだ!」
俺をその粘着質な視線で舐め回しながら言葉を放つ彼に、ミヌキウスは俺を抱えたまま、位置取りを他の二人と交換して前へ出る。
「んなもん知ってるよ! けど、返してお前はどうするんだ? コイツを売り払うのか? 殺すのか? 民を守る為に在る筈の権力で、お前は何をする気だ!?」
「うるさいっ! 農奴を売るも買うも領主の自由だ! 所詮平民の貴様らが、貴族である私に指図できる権限があると思うか!?」
その言葉と共に、プブリコラの指先から一発の火球が放たれる。
大きさは拳ほどだったものの、ミヌキウスの足元近くに着弾したそれは驚く程の熱量を以って俺の肌を照らした。
しかし、同様に熱風を肌で感じている筈のミヌキウスには一切の怯えが見て取れず、ただ不敵な笑みを浮かべて唇を舐めていた。
「こんな程度で、魔導士たる俺を止められるとでも思ったのか?」
「止めるのは私ではない。ここに居る、数多の兵士達だ。掛かれ!」
「……他力本願かよ」
自信満々に言い切るプブリコラの言葉に続き兵士達が皆武器を構え、おまけに魔導士らしい者も複数が目に付く。
しかもハッとした時には、アウレリウス目掛けて弓が射られていた。
だが完全な奇襲であった様に思えたそれを、彼は武器も抜かずに簡単に避けてしまう。
「はは、良く躱したな? 流石は上級狩猟者の階級を持っていると聞いただけの事はある。ミヌキウス以外は魔法を扱えない筈だというのにな」
「お褒めに預かり光栄……でも無いんだが、貴方はこれだけの兵士を動員して、領内の負担はどれほどになると考えている?」
「フン、そんなものはどうでも良い。私は領主で、貴族だ。ここに居る兵士達は私が身の安全の為に雇っている傭兵たちなのだ、彼らを養うのが農民であっても不自然ではあるまい?」
「……じゃあお前の傭兵を雇って尚且つ贅沢もする為に、あれだけ税が高かったってのかよ? ふざけやがって!」
貴族だから当然だと言わんばかりの態度に、この口から思わず言葉が飛び出す。
それを見て詰まらなそうに彼が鼻を鳴らすが、そんなことに構わず尚も言葉を続ける。
「お前、ノブレス・オブリージュって言葉を知らねえのかよ!? 領主としての責任と、それに伴って権利が認められるって考えた事ねえのかよ!?」
「ノブレス……? 知らんよ。貴様のような農奴如きが貴族に文句を言うものでは無いぞ。私の苦労を知らずに何を言うか!」
「ほざけ! 苦労してんならどうしてそんなにデブなんだよ!? あの村でアンタと同じくらいの歳の男は、そこまで醜く太っちゃいねえぞ!?」
怒りに任せて、思わずそんな言葉が口を衝いて出ていた。
けれど、やってしまったという気持ちは一切無い。
寧ろ、この世界に生まれ変わってから死んでいった人たちの気持ちを初めて領主にぶつけられたと、幾分スッキリした気持ちになったくらいだ。
しかしそう思ったのは俺だけだったみたいで、実際プブリコラの近くに侍る側近だけでなく、末端の兵士すらも引き攣った顔で俺を見て居た。
もっと言えばミヌキウス達も、である。
「……ラウレウス、そこまで直接的に挑発しなくても良いんだぞ? 流石にあれは」
「え?」
やや震えた、引き攣った笑みを浮かべるミヌキウスと、それに同意するアウレリウスとユニウス。
彼らの反応を見るに、どうやら相当な地雷を踏み抜いたのかもしれない。
貴族相手に農奴が真正面から罵倒したのだから無理も無いのだろうが、正直身分と言うものに慣れ切れていない身としては、これがどのくらいの程度なのか分からない。
そもそも、農民自体が上位者と面と向かって話し合う機会すらないのだから。
「でもよ、ここまではっきり貴族に向かって意見する農奴ってのも珍しいよな。お前、中々面白いじゃん」
「あ、ありがとうございます?」
不意に、いつも通りのヘラっとした態度を取り戻したユニウスが、軽く笑う。
アウレリウスを含め、彼らに俺を責める気配は一向に見られなかった。
けれど、だからこそ分からない。
そこまでの、自身の命を危険に晒してまで助けてくれる義理は彼にとって本来無かった筈だし、それこそ今は他人を切り捨てたって何の問題も無いのだから。
「皆さん、別に無理しなくて良いんですよ? 俺一人の命を守ろうとして三人とも死ぬなんて嫌ですからね」
「馬鹿、こんな所で俺らが死ぬわけねえだろ」
「大体、これだけ貴族様を煽っといて俺らが許される訳もないんだよな。お前は諦めて俺らに助けられろ」
「俺達はレメディア達からラウレウスを助けるように言われてるんだ、依頼を完遂できなかったら狩猟者の沽券に関わる。俺らは、上級狩猟者なんだぜ?」
ミヌキウス、ユニウス、アウレリウス。
彼らから各々の硬い意志の籠った言葉に、胸が熱くなる。
まだまだ、この世界にだって信頼できる人は居るのだと。希望を向けていい人は居るのだと。
「……もう良い、分かった。者共、あの白いガキ以外は殺せ。仮に捕獲したとしても好きに扱って良い。ただし、あのガキは傷付けるな。大事な商品になる筈だ」
「あいよ、了解しましたぜ」
雇い主からの指示を受け、何度か頷いた傭兵隊長らしい人物は、指示を短く復唱すると号令を下す。
――攻撃開始、と。
すると、それに対してミヌキウスもまた叫ぶ。
「っしゃあここが正念場だ! 突破する、お前ら付いて来い!」
「「任せろッ!!」」
片や、百と少し。片や、四。
絶望的と思える戦力差の状況下で、三人の狩猟者達は不敵な笑みを浮かべていた――。




