第五話 Mr.ファントム①
シルフィング朝メーラル王国が国王、ヨアキム二世。
若くして王位につき、自らの国を強大な国家へと押し上げようとする彼の王は、憤激していた。
「……逃がした、だと?」
「はい。数の上では非常に優位だったのですが……途中から乱入して来た二人に邪魔をされまして」
「たった二人にか!? 何と言う体たらくだ! そこまで情けないとは思わなかったぞ!?」
取り乱し、言っても仕方ない事は頭で分かって居ながらも伝令の兵士をどやしつける。しかし彼としては、その報告が余りにも馬鹿げて居て、詰まらない冗談でも言われているのではないかと思ってしまうくらいだ。
何故なら、捕捉して手の者を差し向けたエヴェリーナには、供の者と思しき四人が居ただけ。そこに二人邪魔が入ったからと言ってこちらの縄から逃げ果せられるとは露ほどもの思わない。
寧ろそんな芸当が出来る者が居るとするのなら、化け物染みていて色々と馬鹿らしくなってしまう。
「貴様ら、まさか手を抜いたのか?」
「滅相も御座いません! そのような事は決して……!」
「お言葉ですが陛下、私からも捕捉を一つ」
大広間の扉を開き、冷静な口調で姿を現した一人の人物に、その場の誰もが視線を向けた。
だが、その乱入者は顔面全てを覆う黒い仮面を身に着け、外套も纏っているせいで体格の程も知る事が出来ない。
男か女かすらも分からなかったのである。
並み居る貴族たちの中にはその人物を見て露骨に敵意の視線などを向ける者も居たが、当人はどこ吹く風と言った様子。
そのまま王の下へと一直線に歩いて行き、跪いている伝令の少し前へ出て、同じように膝をついた。
「……ルクスか。お前もエヴェリーナの捕縛に出ていたな。そちまで居ながら何と言うザマだ?」
「面目次第も御座いませぬ。しかし、一つ弁解を許してくださいますなら、あの時の乱入者は二柱とも精霊でございました。それもかなり高位のものと見受けられ、当然ですが多くの者は歯が立たず」
「精霊? 我が国に王族にすら歯向かうその様な不届きな存在が居たと言うのか? 国土に居る大体の精霊は先祖が調伏するか封印するか……或いは消滅させたはずだが?」
「国外の精霊に御座います。名は、ユピテルとサトゥルヌス。恐らくこの二柱以外にも、この国へは幾らか精霊が紛れ込んでいる事かと」
ルクスと呼ばれた彼の言葉で、それまでの空気が一変する。標的を捕縛し損ねた者達を情けないと嘲るような空気まであったと言うのに、途端に息を呑む気配が伝わって来たのだ。
「嘘ではあるまいな? 本当にその精霊だと?」
「ええ。御存じでしょう? ユピテルの伝説を」
「白儿に味方して、太古の昔に封印された精霊だな。それが何故今頃になって出て来る?」
王の疑問も尤もだった。彼以外にも、整列する家臣らですら同様の気持ちであったに違いない。
そもそも千年以上昔の伝承で、しかもここから白儿が生活していた地までは酷く遠い。現地の人以上に実在すら怪しいと睨んでおり、与太話の類と見做す色が濃いのだから。
「実は少し前、あの大精霊の封印が解かれました。私どもの方としても努力はしたのですが……甲斐なく」
「封印が解かれた!? そもそもあの大精霊の封印場所はとうの昔に忘れ去られた筈では……!」
「忘れていない者が居たのですよ。彼らの目的はその悪魔、ユピテルの復活。そして世界を掌握する事。彼らがここに居るのも、そのために布石でございましょう」
本当かどうかを調べる術は、少なくとも今すぐそれを確かめる術は持ち合わせていない。それ故にルクスの言葉を即座に嘘と断じる事は出来なかった。
信じられない気持ちで一杯だが、現にその者達は追手から逃げ延びている。その実力が本物だとすれば、伝説との整合性が取れない訳では無いのだ。
「私どもの組織、神饗の情報網を信頼して頂けませんか? 私自身が確認した事でもあるので、非常に確度の高い話でございます」
「いや、私としてもお前達を信じない訳では無いのだが……如何せん内容がな。些か突拍子もない」
「完全に信じて下さらなくとも結構に御座います。それよりも耳寄りな情報を、私どもは掴んでおりますので」
恐らく素顔が見えて居たら口端が吊り上げられているであろうルクスの言葉に、誰もが怪訝そうな顔をした。
目の前のこの男か女かも分からぬ彼が、この上更に一体どのような情報を持って来たのか。この場に居て気にならない者はいなかった。それが例え、神饗や構成員であるルクスを気に食わないと思っていたとしても、である。
「メルクリウス商店の主が経営している、王都内の宿屋へ向かって下さい。今も変わって居なければ、エヴェリーナを含め反逆者や精霊が多く居る筈です」
「何だと? それは確かか?」
「気になるのでしたら是非人を差し向けて下さい。私どももお手伝い致します。実際に派遣すれば分かる事ですから」
既に逃げ去ったエヴェリーナらの消息は杳として知れない。あれだけ都市内で暴れ回って置きながら不自然な事であった。
故にそうも具体的な候補まで挙げられては確かめない訳にも行かず、例えルクスが嘘だと言っても王としては人を指し向けるつもりであった。
ただ、この国の王として君臨するヨアキム二世としてはどうしても解せない事があった。
「……どこからどのようにして手に入れたの情報だ? 王の私すら知らないと言うのに」
「とてもありがたい情報提供者が居るのですよ。何処から情報が洩れるかも分からないので、迂闊な事は言えませぬが」
「どうしても明かせないと?」
「ええ。固く言い含められております。我らの主人様は非常に働き者ですので」
王としても、彼らの頂点に立つ者が主人である事は知っている。しかしその正体は全く知らないし、彼の本当の目的も知らない。
表向きは世界の平和の為と言って近付いて来たが、彼らが有能であると判断した為に利用しているに過ぎないのだ。
そもそも、靈儿ではない組織である。彼からすれば信頼どころか内心では対等な関係とすら思ってはいないのである。
ただ、得体の知れなさ故に過干渉はしないし、こちらもさせない。何度か探りを入れた事もあったが、密偵が無事に帰還する事は一度も無かった。
一つの計画は共に進めているが、利害が一致しているに過ぎないし、深入りすべきではないとの彼の為政者としての勘が告げていた。
「……そうか、ならそれ以上の詮索は止そう。マウリッツ、そこのルクスと共に兵士を貸し与える。逃がすなよ?」
「ははっ!」
その力強い返事と共に群臣の中から進み出る、大柄な男。靈儿を表す点としては尖った耳程度しかなく、その体格は豪奢な生活を送る周辺国家の怠惰な貴族と何ら変わっていなかった。
一昔前であれば嘲笑の一つでも向けられたであろうが、しかし今は彼のような領主や部族の長が徐々に増えつつある。
貴族などの義務を背負う者を優遇する向きが生まれつつあるため、批判する者は古株か先祖代々きつく言い含められた者のみになって来ていた。
「王国を絶対強者の地位にのし上げる為に必要なのだ。頼んだぞ」
「ええ、承りましたとも」
王から声を掛けられ、今一度深く頭を下げたルクスは、立ち上がると退出して行く。
背後からは僻みのような視線が向けられているのが分かったが、その程度ではもはや何を思う事もない。
暗愚な者の嫉妬であると嘲笑すらしてやりたいくらいだった。
「……所詮は定命の者。人種を問わず愚かだな、人は」
部隊の編制の為にマウリッツとは大広間の扉前で分かれ、廊下を歩く。
そんな中、誰にも聞こえない声で呟いたその言葉は、彼の考えをとてもよく表していたのだった。
◆◇◆
「外の様子は?」
「駄目ね。昨日の今日で完全に指名手配されて居るわ。ユピテルとサトゥルヌスと……そこの四人。特徴からいってまず見つかれば通報が行く」
「そうですか。御苦労です、ミネルワ」
「この程度、どうってこと無いわ。元の種族的にも丁度良いし」
そう言いながら度数の低い麦酒を煽るのは、靈儿の容貌をした華奢な女性だった。しかし決して意志まで弱そうには見えず、寧ろ心は強そうに見えるくらいだ。
携行している武装が弓である点は、何処となく少し前に別行動となった后羿を彷彿とさせる。
もっとも、その性格は全くと言って良いほど違うのでそんなに印象が被る事もないのだが。
「メルクリウスさん、本当にここって大丈夫なんでしょうね? 見つからないって言い切っていましたけど」
「ええ。ここに居るのは口の堅いものばかりですから。流石にここで情報を漏洩すると言う事は、この中に裏切り者が居ると告げるも同義ですよ」
「……それもそうですけどね」
リュウさんは心配性に過ぎると言われ、しかしそれでも尚、彼は相好を崩しはしなかった。それどころかこの一階部分の酒場を見回し、そこで談笑する精霊たちに目を配っているくらいだ。
「そんなに気になりますか、ユピテルとサトゥルヌスが?」
「……何の事でしょう?」
「惚けなくとも結構です。最初にこの酒場を訊ねた際、明らかにお二人共が彼らを警戒していたでは無いですか」
そう言って笑うメルクリウスの指摘は、的を射ていた。過たず中心を射抜いていたのである。
それには思わずリュウも苦笑する気配を見せ、それまで硬かった表情にほんのり柔らかみが生まれていた。
ただし、相変わらずここの空気は重苦しいままだったのだが。
「あの二柱が裏切るとは私は思いませんし、想像も付きません。ユピテルはここ暫く封印されていましたが、サトゥルヌスとも付き合いは古いのです。そこまで気を張る必要はありませんよ」
「それを決めるのは僕ら自身なんですよ。幾らメルクリウスさんから彼らの弁護を貰ったとして、それで簡単に従う訳にも行かないのです」
「そうですか……あの二柱が警戒されている気がしたからこそ、私はあなた方の救援に差し向けたのですが、何か気に入らない事でも?」
「いえ、そう言う訳じゃあないんですけどね」
寧ろ行動だけ見れば十分信じるに足る精霊である。どちらも誠意があり、信念があり、裏表など無いようにしか思えない。
俺だけでなくリュウもまた、本当にあの二柱のどちらかが神饗の首魁なのか、分からなくなってきている節もあるのだ。
「あの時は冗談めかして言っていましたが、何やら込み入った事情がありそうですね。ま、話せとは言いません。話す気になったら話して貰えればそれで」
「そうですね……ですが、話して良いと思ったら必ず理由は話させて頂きますよ。そこだけは保証します」
「果たしてそれがいつになるか……無理強いはしないと言った手前気長に待ちましょう。精霊に定められた寿命など在りませんから」
それだけ言うとこの事についての話題は終わったと判断したのか、そこから続けてメルクリウスは話をする。
先程まで笑みは消え、真剣な表情でこちらを見ているのだ。
「今回の件でこの都市に……いや恐らく王国中枢に神饗の魔手が伸びているのは決定的となりました。リュウさん、あなた方もあの組織とは敵対しているのでしょう? 討伐でもしますか?」
「斯く言うメルクリウスさんも……その気ですか? けれども、折角ですが協力はご遠慮願いたい。理由は先程の通りと言う事で」
一度終わりにしたと思った議論だが、そもそもの根底に根差すものであるが故にここでもまた蒸し返されてしまう。思わずと言った様子で苦笑を浮かべたメルクリウスは、後頭部を掻きながら言うのだった。
「参りましたな。そこまで警戒されていてはお手上げですよ。しかし、明らかにこの世界の秩序そのものを揺るがしかねないあの組織は、絶対に潰すべきだとお考えでしょう?」
「互いに邪魔をしない程度の連携が出来ればそれで十分かと思いますが。それに自分で言うのも何ですが、僕は強い。早々やられはしませんよ」
「お連れ様がそうとは限らないでしょう?」
余裕を見せる態度のリュウに対し、メルクリウスは周囲へと視線を向けていた。
彼が順繰りに目を向ける先に居るのは、シグ、レメディアに、エヴェリーナ、二日酔いの酷いスヴェン、そしてリュウの横に座る俺。
遠回しに実力が不安だと告げられているのである。普通ならその言い草に不満の一つでも抱きそうなものだが、生憎そう言った事には散々遭遇して来たし、言われて来た。
今更それだけで気分を害する事もなかったのである。もっとも、他の面子にこの遣り取りが聞こえて居たらシグやエヴェリーナ辺りは嫌な顔くらいはしそうであるが。
何にせよ、今ここでは協力を積極的に提案するメルクリウスと、助けられて匿われた状態であるにもかかわらず助力を拒む俺達と言う奇妙な構図が出来上がっていた。
このままでは議論は平行線のまま、全く埒が明かないと思ったその時。
『……ッ!』
この場に居たメルクリウスを始めとした精霊達が、一斉に身構えた。同様にリュウも立ち上がって身構えており、俺を始めとした凡人四人は見事に取り残される形となる。
突然の切り替えに俺達の脳は処理が追い付かず、困った様に周囲を見渡していると、飛んで来るのはリュウからの注意。
「――伏せて」
たったそれだけの短い指示だったが、俺やスヴェンたちも即座に体を動かしていた。
よく説明されなくとも分かるのだ。たった今さっきから、何か不穏な事が始まろうとしているのだと。
もしもの時に備えて体内で魔力を練り、そして呼吸すらも最小限に抑えて机の下から周囲を確認していた。
そして、“その時”は訪れる。
唐突に凄まじい音が入り口側からしたと思えば、それが通りに面した壁諸共吹き飛ばされたのだ。
「んな――っ!?」
リュウの指示通り伏せていたから良かったものの、もしも呑気に椅子へ腰掛けて居たら、吹き飛ばされた壁の破片が体に突き刺さっていてもおかしくなかった。
「エヴェリーナ・エリクスドッテルを差し出せ! さもなくばこの場に居る者を全て殺すぞ!」
「差し出したって全部消す気だろうによく言うよ」
一人、馬に跨った肥満体の男が居丈高に通牒を突き付けるが、それに対してリュウの反応は冷ややかなものだった。
ともすればその場に居合わせたメルクリウスら精霊の態度すらも、同様だったくらいだ。
「エヴェリーナ、アイツ誰だか知ってる?」
「……マウリッツ・ウツソン。東帝国国境に近い、貴族の当主よ」
「見るからに東帝国の貴族と変わらないと言うか、何と言うか……」
少し離れた所からそんな遣り取りが聞こえたが、確かにあの貴族には豪勢な生活をして居る形跡が見られる。
豚とすら形容されるプブリコラには及ばないが、それでも十分に肥満であったのだ。そのせいか、若干彼を乗せている馬が疲れているように見えなくもない。
「メルクリウスさん、貴方は先程仰ったな。僕らがここに居るとの情報が洩れるとは考え辛い。もしそうなら裏切り者が居る、と」
「……ええ。悲しい事に、これを見る限りその確率が非常に高そうですね。残念です」
「もしや貴方自身が情報を変えらに伝えたのでは?」
何処に伝えたかは聞くまでもない。こうして多くの靈儿の兵士が居る辺り、それ以上明言する必要は無かった。
しかし、俺もリュウもメルクリウスを始めとした精霊全員が裏切ったと思っていたのに、状況は想定外の方向へと転がって行く。
「返答無しと言うのなら、残念だ。殲滅する!」
その宣言と共に、靈儿達による攻撃が開始されたのだから。
そこには容赦など微塵もなく、リュウもメルクリウスらにも、平等に攻撃が殺到して行く。伏せているのと土煙等々で部隊の全容は見えないが、かなりの数が揃えられているのだろう。
単純に逃げるだけでも、自分に力では不可能とすら思えてしまえる程だった。
「彼は……この場の全員を敵視している?」
「だから言ったでしょう? 私と彼らに繋がりは無いと!」
「そうよ。私らがアンタらを裏切って利益なんて一つも得られないからな。残るのは後味の悪さだけ」
各々飛んで来る魔法を防ぎながら、リュウが考え込む素振りを見せれば、ここぞと言わんばかりにメルクリウスとミネルワが念を押すように声を上げていた。その他の精霊達は距離が離れているせいで遣り取りが聞こえないのか、時折視線を向けた後は攻撃を受け止める事に徹していた。
「このままでは埒が明きません。リュウさん、否が応でも共闘して貰いますよ?」
「……分かりました。この状況では四の五も言っていられませんしね。ほら皆、伏せてないでそろそろ立って」
そう言われては立ち上がらない訳にも行かず、俺を始めとして皆がぞろぞろと立ち上がって行く。その中でスヴェン只一人、二日酔いの影響で顔色が悪かったが、これはもう仕方ない。水を飲んで排出でもさせない限り意味は無いし、それはすぐに終わるものでも無いのだから。
「飲み過ぎたお前が悪いんだぞ」
「……そんなん分かってるよ」
非常に調子が悪そうではあるものの、リュウが言う通り四の五の言ってはいられない。誰もが不安を抱かない訳では無いのだが、もう動くしかなかった。
各々魔力を練り、魔法として攻撃を飛ばしていく。接近して蹴散らせれば一番楽なのだが、如何せん数も多い為に近付く前に蜂の巣にでもされてしまいそうだった。
スヴェンが土魔法で盾を作り、その隙間から俺達は攻撃して行く。出来ればスヴェンも盾を作るだけでなく時々攻撃も入れて欲しいのだが、無理をするとこの場でまた吐いてしまいそうだ。
こんな所で汚い光景を好き好んでみたいとも思わず、何も言わず放置するに留めた。
だが、そんな時。
「この程度で俺が止められるかよっ!」
「折角の酒が台無しになったんじゃ! ここでその弁償、して貰うぞ!」
吠える様な野太い声が二つ、聞こえたと思ったら、敵の隊列の一部が吹き飛んだ。
一体誰の仕業かと即座にその方へ目を向ければ、そこには呵々大笑する金髪金眼の精霊の姿。恐らくユピテルだろうが、やはり見分けを付けるのが難しい。
そして、そんな彼によって開けられた攻撃の穴を衝くように、樽ほどの大きさを持つ鎚を担いだ寸胴の男が突撃していた。
「そら吹っ飛べぇぇぇええぃ!!!」
慌てた様に他の兵士が魔法を放つのだが、盾代わりに突き出された鎚の頭がそれら攻撃を受け付ける気配はない。
その化け物染みた突撃で誰もの注目を引くのは、剛儿の精霊であるウルカヌス。
おまけに、その突撃を援護する様に精霊達の攻撃も一層激しくなっていたのである。
「私達を裏切った精霊は……この程度で私達をどうにか出来るとでも思っていたのでしょうか?」
少し背筋がヒヤッとする呟きをしながら、メルクリウスの魔法と思しきものが展開され、飛来する魔法攻撃がまるで塵の様に消えて行く。
先程から何度も目にしているが、その原理も全く分からないそれには、敵も怯えすら隠そうともしない。
「くそ……何なのだ、このバケモノどもは!? たった十人程度の人数で何故ここまで戦える!?」
「……だから私はもう少し待てと言ったのだ」
ユピテルらを筆頭として馬鹿げた魔法の連発、そして巨大な鎚を持ったウルカヌスによる突撃、攪乱。
既に戦列が崩壊しつつある中で、指揮官であろうマウリッツは憤激と驚きを隠そうともせず、叫ぶ。
だがそんな彼の背後から現れたのは、ルクス。
タルクイニ市近郊や、昨日遭遇した時とも全く変わった様子の無い姿をした彼は、その左右にエクバソスら見慣れた顔を揃えていた。
「こ、この人数さで制圧出来ないと思う事の方が馬鹿げている! ルクス、貴様! 何か妨害でもしたか!?」
「まさか、そんな訳ないだろう。全ては貴様が無能故だ。精霊の実力を甘く見たな。……お前ら、尻拭いた。行け」
その言葉が合図となって、エクバソスらは一斉に飛び出す。
もはや靈儿兵の中で魔法攻撃を継続出来るものは碌に居らず、居たとしても突入しているウルカヌスによって順次潰走させられている。
その為、後ろから撃たれる恐れも少なく、今度は神饗が襲い掛かって来る事となるのである。
しかも、昨日相手した構成員より、腕の立つ者が多い。連携も強化されていて、隙が少ない。
「この……!」
「甘いんだよ! 今日ココでお前らを仕留める為に、俺らは戦力を選りすぐったんだからな!」
「ちっ……またお前か!」
鋭爪を煌めかせ、襲い掛かって来るのは人の形をした狼。狼人族のエクバソス。
その攻撃の鋭さは相変わらずで、また攻撃も重い。だがこれまでの道中リュウに鍛えられていた事もあって、以前より感じる重圧は少なかった。
「何だ? 小生意気にも腕上げたのか!?」
「ちげーよ。お前が弱くなってんだ」
「言ってくれんじゃねえか! 所詮口だけのクソガキが!」
突き出した穂先を彼の手が掴み、それによって動きの自由を一瞬奪われる。そこを好機として攻撃を仕掛けて来るのだが、その前に俺の左手が短剣を抜き放つ方が早かった。
逆手に引き抜いたそれでエクバソスの首筋を斬り付けるのだが、間一髪獣の目で見切ったらしい。幾らかの毛を切り飛ばしただけで終わってしまった。
「ちょこまか避けてんじゃねえよ」
「調子乗んな雑魚が……!」
挑発し過ぎたせいか、繰り出される攻撃は動きがやや雑に、そして更に重さを増す。身体強化術を用いているとは言え、絶対的な体重の問題で攻撃角度によっては吹き飛ばされてしまいそうなくらいだ。
多少なりは冷静さを失わせる事に成功しても、今の自分ではそれ以上に欠点の方が多いらしい。
苦々しい気持ちになりながら何とか距離を取ろうとしていると、それを援護する様に飛んで来るのが無数の蔦だった。
まるで意思がある様に群がってやって来るそれは、エクバソスの行動を阻害するように巻き付いて行く。このまま束になって巻き付いて行けば、行動を完全に封じる事も出来るかと思ったのだが。
「この魔法……ああ、お前タルクイニに居た雌ガキだな?」
「だから何さ! 言っておくけど、私だってあの時とは違うんだからね!」
「健気だな。ま、そんなのは俺に関係無いけどよ!」
その瞬間、エクバソスの姿は掻き消えた――いや、地面を蹴ったのだ。以前は、そんな彼の機動によって見事にその姿を見失った事が何度もあった。
しかし今は、全く見切れない訳でも無い。
「そう何度も同じ手は食わねえよ!」
「……!」
左。即座に判断して、左手に持っていた短剣を投擲する。案の定そこに居たエクバソスは意表を衝くように投げ付けられた短剣に反応が遅れ、右肩の皮膚を削っていた。
今は転装のせいで怪我の具合も見えないが、地面に垂れる赤黒いものを見るに傷を負わせたのは間違いない。
「良い気になるなよ」
「今まで俺を嬲って良い気になって来たのはお前の方だろうが!」
血走った目で強く睨みつけて来る彼へ、槍を構えながら踏み込む。このまま一気に畳みかけて決着をつけてしまおう。
そう思ったのだが。
「待ってラウ君!」
「――ッ!?」
突然飛んで来たレメディアの制止に、思わず急制動を掛けていた。だが、それを好機を逸してしまったと後悔する訳では無く、寧ろ立ち止まれたことに安堵した。
何故なら足元を、銀色の煌めきが横切っていたから。
「……相変わらずコソコソと!」
「悪いな、少年。私はこう言った戦い方しか出来ないのだ。さて、折角腕を上げたところ申し訳ないが……この辺でそろそろ捕まって貰うぞ。主人様の為にも、な」
音もなく、瞬間移動の様に姿を現すのは、ペイラス。厄介な空間魔法の使い手であり、その特徴を用いた奇襲攻撃を多用する。
初見であればその対応は非常に難しい為、事実俺は見事に一度破れている。今でも、エクバソスと並んで確実に勝てるとは思えない人物の一人だ。
そんな血色の悪い長身の男を睨み付けながら、俺は問う。
「その主人ってのは、今もこの場に居る訳?」
「さあな。その正体は私達も知らん。知っているのは極僅か……この場ではルクス様くらいだろう」
「あ、そう。アンタも意外と使えねえな」
「……一丁前に挑発するようになったか。エクバソスへ一太刀入れたのも偶然では無さそうだな。だがまだ甘い。掛かって来い、たかだか数か月の研鑽でどうにか出来る程、私達は柔では無いのだ」
そこに滲んでいたのは、確かな自信。幾ら攻撃を受けようとも負けはしないという確信すら持っている様であった。
ただ、エクバソスとペイラスの戦闘スタイルからして基本傷付くのは前者であり、それを理解してかエクバソスが不機嫌そうな顔をしていたのだった。
しかし、いざレメディアと俺で彼ら二人と戦おうとした時に、そこへ割って入るリュウの声。
「残念だけど、僕らは君らと遊んでいる暇はないんだ。用事があるんでね」
いつの間にか俺達の後ろに立っていた彼は、肩へ手を乗せるとついて来いという様に軽く引っ張って来る。
それに、何の事だか分からないながらも二人揃って従えば、当然背後でエクバソスらが動き出す訳で。
「何のつもりだ!? 背を向けられてすごすご見逃すと思うんじゃねえぞ!」
「エクバソス、殺すな。ここで奴らを捕えるようにとの、ルクス様からの命令なのだ!」
「――悪いがここから先は行かせん」
追撃を掛ける素振りを見せた二人を遮る様に、サトゥルヌスがその姿を見せる。見れば他の精霊達も一対多数で神饗の構成員相手に渡り合っていた。
まるで児戯の様に平然と無数の敵を相手に出来るその技量は、驚嘆に値する。そんな内心を見透かしてか、メルクリウスが細くするように教えてくれたのだった。
「昨日も言いましたが、私達精霊の実力は確かです。ああ、適当に良い時間まで相手した所で散るでしょうから、撃破される心配は無用ですよ」
「下手をすればこのまま壊滅させそうな勢いですけど」
「そう言った油断は禁物です。どこかで隙を衝かれて封印される危険もある訳ですからね」
メルクリウスはまるで雑談するような調子で居る中、リュウに導かれるままその場へ行けば、そこにはシグ、スヴェン、エヴェリーナが居るのだった。
今から一体何が始まるのかとリュウを見遣れば、彼は真剣な表情でエヴェリーナに一瞥をくれていた。
「念の為もう一度訊くけれど、魔力は大丈夫なんだね?」
「問題ないわ。いつでも行ける」
「分かった。それじゃあ向かおう。場所は王宮だ」
出し抜けに告げられたその言葉に、何も聞かされていなかった俺達は抗議する。
「王宮って……何でいきなり!? 逃げた方が良いでしょ、明らかに!」
「東帝国の時もそうだったけれど、恐らくあの王宮の下には神饗の施設が作られている筈だ。君達がやられたみたいに、人の魂を奪う魂喰も行われて居るかもしれない。早急に破壊する必要があるんだ」
他にも色々と話すべきことはあるのだろうが、今はそんな悠長な事を言っても居られないと思ったのか、リュウはそれ以上答えてくれる事はなかった。
代わりにエヴェリーナを見て言うのだ。
「始めてくれ」
「……分かった」
俺達もいよいよ抗議するだけ無駄と判断し、各々エヴェリーナの肩に触れる。彼女の魔法で、一気に目的地へと向かおうという算段なのだろう。
それを見送るメルクリウスは、いつになく真剣な表情で言っていた。
「今回は私の不手際でこのような事態になってしまい、申し訳ありません。差し支えなければ、最後にあなた方が私達を信用して下さらなかった理由も教えて貰いたいのですが……」
「ええ、構いませんよ」
「……本当ですか?」
駄目で元々のつもりで頼んだのだろう。あっさりとした調子で返って来たリュウの言葉に、彼は珍しく驚いた表情を見せていた。
そこには一体どういった風の吹き回しなのかと問い掛けている心情がありありと窺えて、それを見たリュウは少し満足げに笑う。言いようにやり込められた事をまだ少し根に持っていたのだろう。
「一泡くらいは吹かせられましたか?」
「ええ、流石にびっくりさせられましたね」
そう語るメルクリウスは苦笑を浮かべるが、しかしそこまで気分を害した様子もない。対してリュウは、今一度表情を引き締めると言っていた。
「僕がメルクリウスさん達を信じられなかったのは、何度も言うようにあの場に主人と同じ顔を持つ精霊が二柱いたからですよ。こうして何度も同じ事を申し上げているのです、僕の言いたいことも、よく分かるでしょう?」
「……それは」
「今あなたが浮かべている想像に恐らく間違いはないでしょう。今まで遣り取りをして来て、メルクリウスさんだけなら問題なさそうと判断してこの事を改めて伝えておきました。くれぐれもお気をつけて」
「分かりました、ご忠告感謝します」
昨日、ユピテルとサトゥルヌスに救われた際にこの事を言ったとしても、きっとメルクリウスすら真面に取り合おうとはしなかっただろう。
だが今は違う。精霊達の中に密告者が、内通者が居る可能性が俄かに高くなって来ているのだから。
故に一度だけ強く頷くメルクリウスも、リュウのそこの言葉に説得力を感じていたらしい。
「では、また会いましょう」
「ええ。再会出来る事を祈っています」
リュウとメルクリウスの間で交わされたその遣り取りを最後に、俺達が目にする周囲の景色は一変していたのだった。
◆◇◆




