第四話 100% (hundred percent)③
「……中々凄かったね、精霊達の宴会って言うのは」
「あそこってメルクリウス商会の運営する酒場らしいです。道理であれだけ平然と飲み食い出来る訳ですよ」
「化け物だったよね、皆。働いている人達の死んだ目が忘れられないや」
未だに背後からは大きな笑い声が聞こえる。因みに、メルクリウスやサトゥルヌスに挨拶をして宴会から退出する直前に見た従業員は、更にその屍の数を増やしていた。
従業員の増援も呼んだらしいが、焼け石に水状態らしい。やってきた増援も即座に死んだ目へと早変わりしていた。
「取り敢えず今日はスヴェン君を寝かせて、僕らも休もう。流石に疲れたよ」
「毒みたいな酒、飲まされてましたもんね」
直後にメルクリウスと一緒になってユピテルに反撃して彼を撃破していたが、何とも恐ろしい事である。
そして今も俺に背負われている金髪の少年、スヴェンは、白目を剥いて訳の分からない事を呟き、呻いていた。
「これ、二日酔い確定だよね」
「翌日碌な事になってない未来は想像できます。桶とか水を用意しておきましょう」
出来れば一緒の部屋にも泊まりたくないが、この際それは仕方ない。吐瀉物が詰まって窒息死となっても寝覚めが悪いので、世話をするほか無いだろう。
その手間を考えて思わず溜息が零れそうになったが、その直前にリュウが話題を転換する。
「そう言えばラウ君、サトゥルヌスさんと話していたけれど、どうだった?」
「どうって言うのは?」
「ユピテルさんとサトゥルヌスさん、どっちの精霊が主人なのかって事だよ。僕自身は時間がなくて話せなかったから、ラウ君の勘にこうして訊いているんじゃあないか」
確かに俺がサトゥルヌスと話している間、リュウはメルクリウスと話していた。どうやらまた際限のない腹の探り合いでも演じていたらしいが、その決着はつかなかったのだろう。
「それで、少しはどっちが怪しいかについて、目星は付いた?」
「……分かりません」
「分からない?」
「話してる内に、訳が分からなくなってきたんです。あのサトゥルヌスって精霊、本気で俺の事を心配してくれているみたいで、しかも仲間思いで。あんな精霊が多くの人を殺すとは思えないんですよ」
ユピテルが本当に封印されて身動きが取れなかったのだとしたら、あの殺人鬼の正体はサトゥルヌスであると言う事になる。
しかし、話した限りでは彼がそうであるとは到底思えなくなってしまった。
寧ろ、彼らとは言葉を交わさない方が良かったかもしれない。何故ならああして話してしまった仲であるが故に、迷いが生じてしまったのだから。
かと言って、ユピテルも話した限りでは凄惨な光景を引き起こす性格を持っているとは到底思えない。
「参ったね、判断が全く付けられないと来たか。そうなると僕らの方が一方的に不利だ。こっちは敵の正体を知らない訳だし」
もしかすれば、あの両者が共犯の可能性は十分に考えられる。或いは、更に新たな候補も出て来るかもしれない。
考えれば考える程に思考は深みへと嵌って行き、簡単には抜け出せなくなってしまう。
「僕としては、ユピテルさんが本当に見動きが取れない様な封印を施されていたのか、実地検分をしたいところだけれど、ここからだと簡単に行ける距離でも無いし」
封印がどの程度のものであるのかによって、ユピテルが犯人の可能性は大きく上下する。
もしも確認に行って、ユピテルの封印が強固であったとするのなら、メルクリウスも嘘を言っていた訳では無く、そしてサトゥルヌスが犯人である可能性が跳ね上がる。
誰が敵で誰が味方かを見極める上で、封印の確認は非常に重要な試金石となるのだ。
「ただ、その封印の痕跡とかが除去されて居たら、結局振り出しに戻ってしまうのだけれど」
「……その時はまあ、諦めるしかないんじゃないですか? 根気よく探すか、もしくは纏めて攻撃するか」
「か、過激だね。そんな事をしたら間違いなく逆に僕らが撃破されるよ。何度も言うけど精霊は強い。やけっぱちじゃあどうにも出来ないからね」
考えがとっ散らかって纏まらず、色々と面倒になって思わず血の気の多い発言が飛び出してしまった。
流石のリュウも苦笑する気配がするあたり、相当滅茶苦茶な事を言ってしまったのだろうなとの自覚は持っていたが、構わない。
「むしゃくしゃして動く事が悪いとは言わないけれど、大抵は碌でも無い結果を生むよ。君の為でもあるんだ、今は慎重にね」
「……分かってますよ」
「よろしい」
釘を刺す様なリュウに渋々従えば、彼は少し楽しそうに頷いていた。
そんな遣り取りをしている間に泊っている宿に辿り着く。
室内で吐かれても面倒なので、宿の裏に運んで行ってそこで吐かせるかと考えていると、通りの向こうから駆け寄って来る影が一つ。
その足取りに迷いは無く、そして一直線にこちらへと向かって来るのだ。
息せき切っている様子からも只事では無さそうだが、何者かと思って目を凝らして見ると。
「……エヴェリーナ?」
赤茶色の髪をした、見覚えのある顔が駆け寄って来ていたのだ。流石に服装は庶民的なものに着替えているので悪目立ちする事は無いだろうが、それでもただ事では無さそうな様子は周囲の目を引いていた。
だが彼女は、周囲の視線など構うものかと言わんばかりに宿の入り口にまでやって来て、そこで膝に手をついて息を整える。
その姿がどうしようも無く不安を掻き立て、焦らせ、思わず彼女と連れだって街に繰り出した二人の消息を訊ねていた。
「おい、どうした? シグとレメディアは?」
「……お願い、助けてっ」
「エヴェリーナ君、落ち着いて。唾で喉の渇きを多少潤してから話すんだ」
俺に訊ねられた事ですぐに答えようとした彼女だったが、しかし咳き込んでしまって痕が続かない。
それを見たリュウが彼女の肩に手を当て忠告すると、エヴェリーナも肩で息をしながら頷いていた。
やがて彼女の呼吸が落ち着いた時。
「もうそろそろ良いかな。話してごらん?」
「……シグとレメディアが、戦ってるの!」
「何でそんな事に?」
「急に私が襲われて……とにかく、早く来て! このままだと二人が……っ!」
事態は急を要する。
相当危機的状況にあると見ても良いのかもしれない。それも、二人には身の危険が迫っている。
「ラウ君、僕は先に行く! スヴェン君を部屋に置いたら来てくれ!」
「了解! エヴェリーナ、方角だけ教えてくれ! 後から行く!」
一体何が起こっているのか。それを確かめるのならば、実際に現地へ行った方が早い。何より、一々事情説明を聞いている暇はないのだ。
後でも出来る事は極力後回しにして、俺達は慌ただしく動き出すのだった。
◆◇◆
人は死ぬ。どれだけ生きても死ぬ。だがその死に方は千差万別で、特に満足の行った顔で死んでいく者は特に少なかった。
貧困による寒さで。貧困に依る飢えで。貧困による病で。貧困であるが故に抜け出せない労働で。
老いも若きも男も女も多くの者が野垂れ死に、その痩せ細って疲れ切った屍を晒していた。
ある男はそれが、嫌で嫌で仕方が無かった。
母親が死に、死を待つだけの幼子。介助者も居らず、捨てられた老人。必死になって掴み取った金も食物も、貧困に喘ぐ別の者によって奪い取られる。
これらすべては皆、貧困によって引き起こされる。満たされないものが多過ぎる故に発生する。
つまりそれは、為政者が怠慢であるが故に発生する。
何故周りの貴族たちは彼らを救おうとしないのか。この手に持つ権力は何の為にあるのか。豪遊をする為でも無ければ、椅子に座ってふんぞり返る為でも無い筈なのに。
人々から集められた税は、人々に還元されるべきなのに。
そう思った男――アスビョルン・イェルドスソンは、自分の領民だけでも救うべく奔走した。幸いにも彼は貴族であり、それが出来るだけの権力も財源も所有していたのである。
しかし現実は彼が思い描いていたほど優しくは無かった。
周囲の貴族からは嘲笑され、時には面白半分に妨害すらされた。それでもめげずに領民の為と彼は努力を重ね、次第に彼の領内は発展して行った。
だがそれを見て羨むのは他の貴族たち、そして他領の領民だった。
楽な環境へ逃げる為に逃散する農民が増え、周囲の領主の反感を買ったのである。その上、一度に多くの逃亡農民がアスビョルンの領土へ逃げ込んだ為、領内の負担は増大した。
即座に耕地を差し出せれば良いのだが、予想だにしなかった流民の多さに開拓は勿論、土地自体が追い付いていなかったのだ。
慌てて侵入する農民の制限を掛けた時には遅く、既に多くの流民が入ってしまっていた。当然それだけ人が増えれば犯罪も多発し、あちこちで治安が悪化。
もはや彼の領内は途轍もない忙しさに苛まれていた。
だがそんな事を知る由もなければ知りもしない流民は、彼らが勝手に期待していた楽な生活が手に入らない事に腹を立て、更に騒ぎ立てる。
土地を寄越せ、金を寄越せ、食料を寄越せ。
それに便乗する様に元からの領民たちも同様に騒ぎ立てた。農民の流入によって補助の幾つかが削減された事に不満を抱いた結果だった。
流民と住民とで諍いもあったが、やがて不満は領主のアスビョルン一人に向けられるようになってしまっていた。
それを好機と見たらしい周囲の貴族や彼の身内は、あれていると言っても未だ豊かな領内を欲してハイエナの様に群がった。
直接攻撃を加えるのではなく、彼の悪評を積極的に流布し、領主の資質を問い、その座から引き摺り下ろそうとしたのだ。
ただでさえ現状の処理で手いっぱいだった彼にはもはやどうする事も出来ず、とうとう無能の烙印を押されて失脚した。
口封じの為に幾らか刺客が差し向けられたが、それらを全て退け、理不尽な罪に問われる前に彼は領内から、そして国から姿を消した。
民に期待した自分が愚かだった。
彼は当時を振り返って、そう考える様になった。
与えられる事になれ、自分を変えようともせず、何の努力もせず、民は家畜の様に過ごしていたと。
こちらの事など考えもせず、勝手に期待して勝手に失望し、勝手に騒いで、勝手に攻撃してきたのだ。
後に風の噂で元居た領土は後継領主や周辺領主の収奪に遭って急速に寂れたと聞いたが、当然の結果だとしか思わなかった。
民たちが今更幾ら喚こうとも、他者に自分の人生を委ね続けた結果でしかない。自業自得でしかない。
自分の事を自分で決める努力も怠って置きながら、奪われたものを嘆こうとする、惜しもうとするその感性が全く理解出来なかった。
そしてそれは、月日が経っても変わらない。それは民が皆、平穏と豊かさを望んで置きながらも、自立する勇気も気概も持ち合わせていない事を示していた。
人々は相変わらず、家畜だったのだ。
「今更この国に、民に未練など無い……」
パチパチと燃える炉の火を眺めながら、椅子に腰掛けた男は呟く。
何をどうしようとも、変わらない事はもうこの目で確認した。この身を以て体験した。
貴族も王族も、国も民も、もはや無い方が良いのかもしれない。
権力者を頂かず、厳しい自然の中で誰もが慎ましく暮らした方が、万人の為になる筈だ。
そうすれば貧困などと言う概念も、自分勝手な要求も、無くなるのではないかと思えるから。
「……クリアソス様」
「何だ?」
足音共に現れた者に、顔も向けずに応じる。
しかし男はそれがいつもの意対応である事を知っているのか、跪きながら報告を始めた。
「行方が分からなくなっていた例の娘らしき者を見かけました。それと、東帝国が指名手配している元皇女と思しき娘も……」
「シグルティア・ユリオス・アナスタシオス・バシレイア。確か欲している奴がいたな?」
最近加入した者の中に、彼女を手に入れたいと強く主張するものが居た事は、覚えている。色々と印象が強かったのだ。
何せ、彼が一番嫌う類の人間だったので。
しかし組織として加入を認められた以上、害する訳にも行かず、不愉快な気持ちにならない為に無接触を貫いてきた。
「不本意だが、知らせねば煩かろう。あの者にも使いを出せ。本当に元皇女であるか確認する為の面通しの意味でも丁度良い。それと、方々にも声を掛けて置くように。」
「は、畏まりました」
行って良いぞ、と告げられて報告者は即座にその部屋を後にする。
残されたのは椅子に腰掛けた彼一人。
「この国には滅んで貰おうか……主人様の為に」
◆◇◆
場所は、すぐに分かった。
エヴェリーナの指さした方向へと向かっている最中、その方角で大きな爆発があったのだから。
恐らくそこにシグとレメディアが居て、リュウとエヴェリーナも駆け付けているのだろう。
街を散策している途中、彼女たちは突如として襲撃を受けたらしい。その囲みを突破して逃げて来たエヴェリーナの表情は真剣そのもので、どれほど事態が切迫しているのかを何よりも雄弁に物語っていた。
また、酔い潰れたスヴェンを宿に置いて行くのは少し心配だったため、タルクイニ市で彼に商売を教えているメルクリウスに面倒を見てくれるように頼んでから現場へ向かっている次第だ。
もしもメルクリウスが神饗の手の者であったらなら一大事だが、彼に師事しているスヴェンが危害を加えられるとは考え辛かった。
「……!」
また一つ、爆発が巻き起こる。
周辺の市民は驚きも露わに騒ぎ出し、控えていた兵士達が大声を交わしながら音のする方へと駆けて行く。
いつぞやのビュザンティオンでも見た様な光景である。当時の不愉快さが蘇って何とも言えない気持ちになるが、そんな事を考えるのも程々で。
強化した脚力で、彼らよりも早く現場に駆け付けるべく疾駆していた。
特には跳び上がり、ビュザンティオンに比べると背の低い歳の建物の上を走り、より短い距離で目的地を目指す。
そうやって手を尽くして駆け付けた結果、そこではリュウ達と、見覚えのある者達が対峙していたのだった。
「リュウさん!」
「ああ、スヴェン君は?」
「仕方ないんでメルクリウスさんに介助をお願いしときました」
「……それ、大丈夫?」
「今はあの人を信じるしか無いですよ」
人と言うより精霊だが。
少なくとも実力は相当高いので、不測の事態でも十分に対応出来るだろう。
それよりも目下の問題は、対峙する者達にあった。
獰猛な唸り声を漏らす狼人族ことエクバソス、そして彼の横に立つペイラス。その周囲にも見覚えは無いが只者では無さそうな者達が混ざって居り、気が抜けない。
更に最奥には、ルクス。タルクイニ市の近郊で遭遇した、正体不明の魔法を使う人物だった。分かっている事と言えば神饗の構成員で並みならぬ実力を持っている事だけだろう。恐らく、エクバソスやペイラスよりも強い。
こんな所で彼らと戦わなければならないと言うのは、勘弁して欲しいのが本音である。
「アンタら、しつこいぞ?」
「おう、ラウレウスか。牢屋から逃げ出したって聞いた時は驚いたぜ。まさかこの仮面野郎と知り合いとはな」
槍を構えながら睨み付けてやれば、対するエクバソスは不敵に笑い、そしてリュウを睨み付ける。
どうやら何かしらの因縁があるらしく、リュウもまたそれに反応を示していた。
「久し振りだね。僕としても驚いたよ。君、僕が再起不能になるくらいの力で殴り飛ばした筈なのだけれど、何で平気で居られるの?」
「俺様の頑丈さを舐めるなよ! あの程度で沈められて堪るか!」
「言っておくが治ったのはお前の治癒力じゃ無いぞ」
「うっせえ! お前は黙ってろ! あんな奴の世話になったなんざとっとと忘れてえんだよ!」
苦言を呈す訳ではないが捕捉する様に呟いたペイラスに、エクバソスが吠える。推理するに何か色々とあったのだろう。良く分からないが。
「リュウ! 俺をコケにしたお前を、必ずこの手で殺してやる! 逃げられると思うんじゃねえぞ!?」
「大層な事を言っているけれど、何度掛かって来ても同じだよ。君じゃあ僕の相手にはならない」
「……ああそうかよッ!」
直後、エクバソスの姿が掻き消え、鋭利な爪がリュウを襲う。しかしほんの僅かな動きでそれを躱すと、反撃を見舞う。
間髪入れず腹を蹴飛ばされたエクバソスは、苦悶の声を漏らしながらも後退。それと入れ替わる様に多くの神饗構成員が攻撃を掛けて来るのだった。
それに負けじと、こちらもまた迎撃。
炸裂したリュウの白弾がまたも地面に爆発を引き起こし、敵の幾らかを派手に吹き飛ばしていた。
しかし、ルクスが動き出す気配までは無いとは言え、その数は多い。このままではいずれ、誰かしらが隙を衝かれて手傷を負いかねなかった。
「レメディア、シグ、無事かよ?」
「何とかね。けど、私もシグも、魔力の消費が厳しいかな」
「連中、私達で遊んでいる様だったぞ。それを相手にたった一人で渡り合うリュウさんも凄いけどな」
牽制程度に魔法を撃ちながら、彼女らから現状についての説明を受ける。
その内容は概ねエヴェリーナから事前に聞かされていた通りだった。リュウをここまで案内したそんな彼女も魔力と体力を消耗しているらしい。ともすればレメディアとシグよりも疲弊して見える。
だがそれも無理はない。
何故ならリュウが現場へ即座に駆け付けられたのは、彼女の魔法によるところが大きいのだから。
「ラウ君、彼女たちの護衛を頼む! ここは僕が引き受けた!」
「……良いですけど、平気なんですか!?」
「否かどうかで言ったら否だけど、今の君達でどうにか出来る相手でも無いでしょ。援護を時々してくれれば問題無いよ」
魔法で敵を迎撃しながら、彼は器用にも雑談する様な調子で返事をくれる。
そこに余裕が滲んでいる事を感じて、思わず内心でホッとして居たくらいだ。
「随分と舐めた真似をしてくれるじゃねえか!?」
「僕としては大真面目なんだけどね」
「鬱陶しい魔法ばかり使いやがって……っ!」
一瞬で大量の白弾を生成し、斉射によって誰一人として近寄らせない。足を止めてしまえば直撃の危険もある為、エクバソスらは応戦すらも間に合っていない様子だった。
しかも、迂闊に民家へ当たらない様に射角まで調整している辺り、彼の情報処理能力諸々の高さをうかがわせる。
既に周囲の住民は逃げ去った後だろうが、それでも尚配慮を怠らない姿には尊敬の念すら抱けるほどだ。
「……レメディア、連中の目的は?」
「シグちゃんと、エヴェリーナちゃんだと思う。何処かで変装を見破られたみたいで、シラを切っても無駄だったし……ってか、この人達何なの!?」
「以前エヴェリーナに襲い掛かって来た連中のお仲間だ! 俺らとも因縁は浅くねえぞ」
リュウの攻撃を潜り抜けてやって来た敵の一人を白弾で吹き飛ばしながら、周囲へと目を配る。
既にリュウ一人によって大多数の神饗構成員が撃破され、周囲に戦闘不能となって転がっている。残っているのはエクバソスら腕の立つ者ばかりであった。
この調子であれば、隙を衝いて囲みを抜け出すのも難しくは無いと思っていたのだが。
「居たぞ! 反逆者のエヴェリーナだ! 逃がすな! あの青っぽい髪の娘も逃がすなよ!」
ぞろぞろと現れたこの都市を警備する兵士の姿に、誰しも渋い表情を浮かべずには居られなかった。
しかも、街の破壊などお構いなしに攻撃を仕掛けてくる神饗構成員には見向きもせず、俺達にのみ狙いを定めているのだ。
「ここでもグルかよ……!」
「これは流石にヤバいね。もしも切り抜けられたとしても、後々面倒臭い事になる」
神饗とこの都市の警備兵が繋がっている事は、どう見ても明らかだった。ともすればもっと上、都市を統括する貴族らとも癒着していていてもおかしくない。
しかし、そうだとしても解せない事が一つ。
「おいレメディア、何でシグまで狙われてんだ? ここって東帝国領土じゃ無い筈なのに」
「わ、私に訊かれても……国同士で引き渡すとかじゃ無いかな?」
「けど東帝国はメーラル王国と紛争状態だったよな?」
ここが分からない。どう考えたってシグまで狙うメリットは無いのだから。或いは東帝国の元皇女と言うだけで処断する理由になるのかもしれないが、流石に考え辛かった。
東帝国が追放した人物を態々(わざわざ)そこまでして害する必要はないと考えるのが普通だからだ。やるにしても精々嫌がらせくらいのものであろうに、神饗も兵士もシグすら標的としている。
「シグ、お前何かした!?」
「する訳ないだろ! 私をアンタみたいに問題事を起こすような奴と一緒にするな!」
「俺だって好きで起こしてる訳じゃねえよ!」
勝手に周りが起こしているのだ。それで追いかけ回され、逃げ回る羽目になっている。出来れば放っておいて欲しいものを、誰も止めてはくれない。
少し記憶を振り返っただけでも腹が立って来る。
「嫌な事を思い出させるんじゃねえよ」
「勝手に思い出したのはそっちだろうに」
思わず彼女へ文句の一つでもぶつけてみれば、即座に切り返される。まるで発言内容を予知していたかのようなそれに、即応する事が出来なかった。
何より、状況がそれ以上の口論を許してはくれなかったのである。
「見つけたぞシグルティア! 今日こそお前を、僕のモノにしてやる!」
「……げ」
兵士の隙間を掻き分ける様に姿を現したのは、でっぷりと肥え太った一人の男。吹き出物のせいで相変わらずイボガエルような容貌に違いは無く、ただ少しだけ痩せた様に見えなくもない。
しかしそれでも、顎と首の区別が付かなくなるような肉付きはそのままで、いつ見ても近寄りがたさは最大のままだった。
そしてそれを如実に表す様に、彼の周囲の靈儿兵士は顔を顰め、或いは逸らしている。
俺の横に居るシグもまた、これ以上ないほどの嫌悪感も露わに男を見ていた。
「良かったなシグルティア。熱烈なお迎えだぞ。胸に飛び込んでやったらどうだ?」
「絶っっっっっ対に嫌だ」
茶化す様に言ってやれば、目からハイライトの消えた姿で拒絶の意を示してくる。想像しただけでも身の毛がよだつ、とでも言いたいのだろうか。何にせよ彼女の本気度が窺い知れるものだった。
「ラウ君、あの人誰? 知り合い?」
「ああ、ビュザンティオンで遭遇した変態だ。名前……何だっけ?」
「プトレマイオス・ザカリアス。教皇の息子であの時は司教だったけど、ここに居るって事は失脚したんだろうな。人生からも失脚して欲しいものだが」
特に興味もないので名前も覚えていない。取り敢えず、結界を用いた魔法を使う事くらいしか覚えていない。
代わりにシグが答えてくれたが、そこには嫌悪感しか滲んでおらず、それに同情する様にレメディアとエヴェリーナも遠い眼をしていた。
「まだ年齢が一桁の時から付け狙われ、裏で求婚され続けてな……聖職者だと言うのに、あるまじき事ばかりするのだ、あの男は」
「シグちゃん、苦労したんだね」
「東帝国は嫌いだけど、私も女としてシグには同情するよ……」
「いや駄弁って無いで応戦手伝えよ!? どう考えても危機的状況なんだが!?」
増援として駆け付けたこの都市をし警備する兵士達は、いずれも靈儿なのだ。彼らの国の彼らの首都であるのだからそれで当然なのだが、総じて靈儿は魔法に長ける。
それはつまり兵士の多くが魔法を使るという事に他ならず、ただの人間の兵士よりもその脅威度は遥かに高かったのである。
「エヴェリーナ、魔力はどれくらい回復した!?」
「ま、まだそんなに……」
「流石に厳しいか」
彼女の魔法であればこの場から離脱する事も不可能ではない。追手を振り切る事は不可能だろうが、この囲みを抜け出せない訳では無いのだ。
だが如何せん、彼女は一旦ここから離脱して救難要請を出し、そして戻って来ている為、その消耗は大きい。
下手に魔法を使わせようものなら、倒れてしまう危険すらあった。
しかし、この状況ではリュウや俺だけならともかく、消耗した彼女達を守り切れる保証もない。ジリ貧となってしまっていたのである。
「リュウさん、周りの被害とか気にしてる場合じゃないですよ!?」
「……仕方ない、か」
苦々しさを表すみたいに口が歪むが、背に腹は代えられない。俺もリュウも、この段階で周囲の建物を壊さないようにする配慮は止めた。そもそも神饗や兵士が破壊も辞さず攻撃してくる時点で意味も無かったのだ。
だがそれでも尚、敵はしつこかった。
相手も魔法を使って攻撃や防御をして来るため、一定以上の数を削った後は一向に数も減らない。
漸く倒したと思っても焼け石に水。強者はまだまだ控えているのだから。
明らかに自分よりも練度で勝る魔導士の攻撃を、魔力の盾で受け止め応戦するが、やはり簡単に避けられるか受け止められてしまう。
消耗したシグやレメディアに至ってはもう防戦一方であった。
先の見えない状況で、何度とも知れない悪態を吐いていた、その時。
不意に視界へ二人の影が割って入る。
「何か騒がしいなと思えば……お前らこんな所で何してんだ?」
「ゆ、ユピテル、さんと……サトゥルヌスさん?」
「おう。困り事だろ? これも折角だ、助けてやるよ」
「そう言う事だ。大人しく助けられていろ」
繰り出される無数の魔法攻撃が、彼らには届く前に弾かれていた。
その異常な事態に神饗や兵士らは目に見えて狼狽えていた。だが魔法が通用しないとなれば、驚かない方がおかしいと言うものだろう。
リュウですらもその光景を見て、仮面の下から覗く紅い眼を見開いていたのだから。
「何故僕らの味方を?」
「ただの自己満足だ。お前もラウレウスの小僧と同じ白儿だろ? かつて守れなかった分、今を生きて居る奴くらいは守ってやらないとな」
答えているのはユピテルか、はたまたサトゥルヌスか。容姿に違いが無いせいで判別がつきにくいが、やや落ち着いた雰囲気から察するに後者だろう。
「お前ら、俺達を警戒してただろ? 何となく分かるんだぜ? だから、こうして動いてるってのもあるけどな」
「気付いていましたか……」
精霊を舐めるなと、ユピテルが笑いながら言うのだが、内心を見抜かれていたらしいリュウの口元は苦笑と表現するのが相応しかった。
どうやら少し悔しいらしい。メルクリウスの時もそうだったが、意外と負けず嫌いなのかもしれない。
「増援は俺達二人だが、まあ安心しろ。この程度ならどうと言う事もない」
「大船に乗った気で居ると良いぜ!」
サトゥルヌスに続いて笑顔で言い切るユピテルの顔は、まだほんのり赤く、そして吐息が猛烈に酒臭かった。
この調子で大丈夫なのかと思わずには居られなかったが、リュウが言うにはこの二柱は古株の精霊であるらしい。
彼はもう自分の出番が無いとでも考えたか、抜いていた刀を納め、その二柱の精霊の背中を見ていたのだった。
「ラウ君、後は彼らの言う通り任せよう。背後からの攻撃にだけ注意すれば良いと思うから」
「けど……」
「大丈夫。彼らは今ここで裏切る真似をするとは思えない。まだ白か黒かははっきりしないけれど、そこだけは僕も保証するよ」
時折飛んで来る魔法攻撃を容易く魔力の盾で防ぎながら、彼はそう言い切っていた。
レメディア達に至っては集中と体力と魔力の限界だったのか、その場でへたり込んでしまっている。この様子だとその消耗の割合いは相当なものなのだろう。
どの道これでは、精霊が裏切ってしまえばどうしようも無さそうであった。逃げる事など、なお無理。
裏切られたら裏切られたで、そこまでである。
リュウの言う通り、彼ら二柱にこの後の事は委ねるしかなかったのであった。
◆◇◆




