プロローグ
本作は元々投稿していた作品のリメイクです。
元の作品よりも読みやすく、且つ不自然さの無いものを目指して執筆していきたいと思っています。
ただ、それでも拙く粗の目立つ文章ではありますが、それでも最後までお付き合い頂けると幸いです。
空一杯に広がる、青一色。
晴天の下で木の葉が揺れ、背の低い草を新緑の匂いを孕んだ風が優しく撫でる。
遠くに望むは白い化粧をした山々が連なり、はるか上空からは燦々と日光が降り注いでいた。
そんな中、不意に吹いた一際強い風が数多の草木から色鮮やかな花弁を攫い、空に彩りを加えていく。
それらが織り成す長閑な、まさに牧歌的な景色。
見る者が見れば思わず足を止め、暫く魅入ってしまいそうなその景色は――しかし、唐突に鳴り響いた爆音によって終わりを告げられる。
その爆音と同時に、突如として発生するのは砂煙、そして続く激しい剣戟の音。
時折火花を散らして甲高く、力強く打ち鳴らされる二本の得物は、剣と刀。
前者を持つ者は暗褐色の外套を纏い、一方で後者を持つ者は薄鈍色の外套を纏っていた。
「貴様ッ、邪魔をするな!」
「嫌だね。 意地でも邪魔するよ」
忌々しそうに吐き捨てる前者に言い返しながら、後者が目にも留まらぬ速さで、刀による突きを繰り出す。
だが、その動きは見切られていたのだろう、特に苦もない様子で剣を持つ彼は鎬で受け流していた。
「っ!?」
そのどちらもが意匠は異なれど仮面を着けており、その表情が窺えることは無い。
それでも、互いに油断も余裕も無い事は確かな様で、仮面から覗く両者の目には、一分の隙も窺えなかった。
刺突、薙ぎ払い、斬り上げ、斬り下ろし……。
尚も激しく交わされる剣戟は、しかし二人が距離を取った事で唐突に終止する。
だが、互いに得物の範囲外にあると言うのに、彼らに一息ついた気配は微塵もなく、それぞれが相手の一挙手一投足に注意を払いながら見合っていた。
「ドミヌス……君は自分がやった事の重大さを分かっているのかい?」
「それはこちらの台詞だ。貴様ら人間は今まで行ってきた事の重大さを分かっているのかな?」
「……? 君が何を狙い、欲しているのかは知らないけれど、全く関係ない何処かを巻き込むのは幾らなんでもやり過ぎだよ。何より、危険すぎる」
その遣り取りだけでは、具体的に何をしたのかは分からない。だが、とある物事に全く何も感じていないらしい暗褐色の外套を纏った人物――ドミヌスに、もう一方は刀の切っ先を向けて睨み据えた。
それでも動じないドミヌスの姿に、相対する彼は苛立ちを募らせたのか、先程よりも殺気の籠った声で更に話を続ける。
「どんな目的であれ、君がいま持っているそれは、少なくとも自分勝手に奪ったり、持ち運んだり、弄んだりして良いものじゃあないんだ。他所から強引に持って来たものっていうのは、必ずどこかで歪を生む。そうなった時には、君はどう責任を取るつもりだ?」
「責任? 馬鹿を言え。それら如き、私の宿願が果たされれば万事解決する。第一、たかだか人間が幾ら不幸になろうと構わんのだよ。それらは全て、貴様らの傲慢によって吊り上げられた対価なのだから」
そう言ってドミヌスは黒い仮面の下で笑う気配を見せながら、手に持つ剣を発光させた。
すると、そのぼやけた輪郭が次第に長い棒状に伸長して行き、そしてその先端部は三日月のような突起物が形成される。
柄の長さは剣よりも明らかに長く短槍と同程度、先端部の近くから横へ飛び出た突起物と、ドミヌス自身の装いも相俟って、その姿はまるで死神の様であった。
しかしそんな不気味な光景を前にしても、それに相対する人物は、白い仮面から覗く紅眼を僅かばかり細めるのみ。
「大鎌……中々面倒な武器を使うじゃあないか」
「貴様の使うその剣も相当に厄介だ。耐久性と切れ味は勿論だが、何かが施されているな?」
「ご名答。けれど、具体的な効果については明言を避けさせてもらうよ」
ドミヌスの、その殺気の籠った金眼もまるでそよ風の如く、大して気にした様子もない鈍色の外套を纏う彼は、血の様に紅く煌めく刀を今度は正眼に構えた。
対するドミヌスも、その構えと気迫が只ならぬものと察したのだろう、大鎌の柄を両手で持ち、槍と同様に備え付けられた穂先を眼前の人物へ向けた。
「貴様、名乗れ。私の名を知っておきながら、そちらが名乗らないと言うのは些か不平等だ」
「名前って……そう言う君は明らかに偽名じゃあないか。“主人”なんて気取った名前を、よくまぁ臆面もなく名乗れるよね」
「ここで本名を名乗る程、私は浅慮ではないのだよ」
「……なるほど、だから君はそんな怪しさ満点の恰好をしているのか。浅慮じゃあないから、そんな怪しさ満点の恰好が出来る、と」
皮肉る様に、彼は語る。
だが、その様に挑発されてドミヌスが黙っている訳もなく。
「それは貴様も同じだ。その外套の下は見た事も無い服装だが、異国の衣服であればさぞ目立つだろうな?」
「旅人って言えばある程度どうにかなるけれどね」
互いに、一定の距離を保ったまま反時計回りにゆっくりと回り始め、そして隙を窺う。
常人であるなら文字通り息が詰まる程ピリピリとした空気の中で、彼らはそれでもそれぞれ相手を揺さぶり、注意に隙を生ませるために話を続ける。
「……僕としても名乗った所で問題はないのだけれどさ。そんなに聞きたいの、僕の名前が?」
「不平等だと言っただろう? 何より、人間風情が偽名とは言え私の名を一方的に知っている事が気に食わん」
「それはまた随分と傲慢な言い分だ。でも良いよ、じゃあ特別に名乗ってあげる。僕はリュウって言うんだ。宜しく」
自尊心の高そうなドミヌスの神経を逆撫でするかの如く、リュウと名乗った人物は如何にも上から目線の言葉を選んでいた。
果たしてそれにドミヌスがどの様な反応をしたのかについては、彼が黒い仮面のせいで窺えない。
それどころか、一切余計な動きをしなかったのだ。
故に、彼がこの時一体何を思ったのかを正確に推し量れる者は居らず、ただ当の本人のみがその感情を正確に知り得る事が出来よう。
それでも、リュウが挑発的な口を聞いてからと言うもの一切言葉を発さなくなり、ひたすら無言で相手の隙を窺っているらしいドミヌスは、いよいよ以って余裕のある感情で居られなくなったらしい。
互いに言葉が交わされる雰囲気はもはや微塵もなく、遠くから場違いな鳥の囀りが聞こえるだけ。
不意に、ふわりと何処からともなく吹いてきた風が辺りを撫で、リュウとドミヌスの外套がそれに煽られて靡く。
しかしそれでも尚、両者はピクリとも動かない。
「............」
いや、実際にはジリジリと僅かばかり互いに距離を詰めているのだが、果たしてそれに気付ける者はどれほどいるだろうか。
それぞれが相手を確実に仕留める必殺の間合いを探り、その隙を、距離を測っているのだ。
呼吸している暇など無い、瞬きなど以ての外。
気が緩んだ、隙となったその瞬間には自分の命が容易く刈り取られる。
重苦しく、息苦しい空気はどれほど風が吹こうとも霧散する事は無く、そこに在り続けるのだ。
「「……」」
それから、果たしてどれほどの時間が経っただろうか。
――固まっていた空気が、鋭い一閃によって切り裂かれる。
「くっ……やるね! 間合いの真剣勝負じゃあやっぱり僕が不利かな。武器云々以前に、練度が違う」
如何にも間一髪、長柄武器たる大鎌の間合いから逃れたのだろう。リュウの纏う薄鈍色の外套には僅かながら、しかしハッキリと鋭い切り傷が付けられていた。
「それはこちらのセリフだな。所詮人の身でありながら、私渾身の一振りを躱して見せるとは……先程から思っていたが、貴様は“何”だ?」
互いに一足一刀の間から離れ、仕切り直し、構え直す中でドミヌスは大鎌を腰だめに構えながら、問いを発する。
彼のその鋭い眼光は、相対するリュウがその身に宿す何かを探っている様だった。
だが、それに対してリュウは具体的に何かを答える訳でもなく、徐に口を開いた。
「……やっぱり、伊達に悠久の時を生きて来た訳じゃあないよね」
何処までも面倒な存在だと、圧倒的な年長者を前にしてリュウは不遜な呟きを漏らす。
そしてそれには当然、ドミヌスも少しばかり不機嫌さを滲ませながらそちらを睨みつけていた。
「無礼だな、人間。精々百年もそこら程度しか生きられぬ存在だというのに、私について語らないで貰いたい」
「無礼? はは、何を言っているのかな、君は? 先に礼を失したのはそっちの方だろうに。土足で人間の領域に踏み込んで、挙句の果てには余所にも迷惑を掛けて置きながら、無礼云々を語る資格があると思っているのかい?」
「面白い事を言う。そもそも、土足でこちらに踏み込んで来たのは貴様ら人間の方だ。毛の少ない猿の分際で、何をほざく?」
何か文句でもあるのかと、その目に嘲りの色を見せたドミヌスはリュウを見る、が。
「……!」
彼の瞳に浮かんでいたその嘲りは、次の瞬間には全く消え去っていた。その代わりに、彼の目には新たな光景が写り込む。
それは、だらりと構えを解いたリュウと、その周囲を浮遊する幾つもの白い球体。
大きさは拳ほどだろうか。薄っすらと白く発光するその球体の数は、どう見ても十や二十ではきかない規模のもの。
ざっと見積もっても、その数は優に五十を超えていた。
「リュウ、貴様……一体どれ程の魔力を持っている?」
「君に答える義理なんて無いだろう? それとも、態々敵へ手の内を明かせと?」
仮面の下から覗くリュウの紅い瞳が、この上なく冷たい色を映し出したその直後――彼の周囲に浮いていた幾つもの白い球体が動き出す。
「傲慢な事ばかり言う君の実力、測らせて貰おう」
その言葉がリュウの口から放たれると同時に。
まるで彼の意志を受けたみたく、目にも留まらぬ速さで白い球体がドミヌスへと殺到したのだ。
「――っ!」
驚異的な、攻撃密度。
殺人的な、火力。
刹那の内に舞い散る土砂と砂煙、そして轟音。
千切れた草花が風に攫われ、何処へと姿を消す。
その間にも白き弾丸はドミヌスが居るであろう場所へ殺到し続け、尚も轟音を響かせながら土煙を尚も巻き上げていた。
「これで終わってくれれば、それに越した事は無いのだけれど……」
けたたましい音が地面を揺らし、鳴り止まない轟音に、堪らず飛び去る遠方の鳥たちを視界に捉えながら、リュウは望み薄な願望を口にする。
そして、それから数秒。
漸く、白い球体が撃ち止めとなり、派手に上がっていた土煙が晴れた時。
「……」
そこには大鎌を片手に持った、無傷のドミヌスが立っていた。
一歩たりとも動いている様子が窺えない事実を前に、リュウは無骨な白い仮面の下で苦笑する。
「この程度じゃあ倒せないとは思っていたけれど……まさかの無傷。本当にどうなっているんだ?」
油断なく、その刀を正眼に構えて切っ先を相手へ向けながら、リュウは苦々しく吐き捨てる様に呟く。
すると、それをその優れた聴力で聞きつけたのだろう、ドミヌスは右手に持った大鎌を肩に担ぎながら負けじと言い返す。
「厄介なのは貴様だ。魔力の量も然ることながら、その練度は何だ? “白魔法”を、人の身でここまで容易く御すなど久し振りに見た」
「お褒めに預かり光栄だね」
そう言って仮面の下で笑いながら、リュウは再度自身の周囲へ無数の白い球を浮かせる。
一方、その様子を前にしたドミヌスは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけで、特に慌てる様子も無い。
「ところでリュウ、貴様は人が憎くは無いのかね?」
「……藪から棒に何さ? 勿論、僕にだって憎い人は居るけれど、だからって人間そのものを見限っちゃあいないよ。君と違ってね」
「そうか。貴様もアイツと同類なら或いは……と思ったのだが、残念だよ」
本当に、心の底から失望したという様に、ドミヌスは溜息を吐くと担いでいた大鎌を両手で構え直す。
そして、いつでも対象を両断できるようにその双眸を彼に向けていた。
「さて、そうと分かればもはや加減の余地はない。リュウ、余裕を見せるのは勝手だが、その程度の攻撃をもう一度したところで私に勝てるとでも思っているのかね?」
「……はて、それはどうかな?」
そう言うと、リュウは周囲に続々と白い球体を現出させ、もう一度白い弾丸達をそちらへ殺到させていた。
だが、二度目となったその攻撃を、つい先程防ぎ切ったドミヌスが真面に喰らう筈も無く。
「温いッ! それでは私を倒せんよ!」
躱し、斬り、叩き落とす。
素早い体捌きと、習熟しきった大鎌の扱いによって、殺到する球体は彼に一発も当たる事無く減って行く。
まさに目にも留まらぬとはこの事、と言わんばかりにリュウの攻撃を捌くドミヌスだった、が。
「――悪いねドミヌス。僕の、勝ちだ」
「!?」
しまったと思った時には、既に遅し。
僅かな意識の隙間を縫って、ドミヌスの背後に回り込んだリュウが、その紅刀を煌めかせていたのだから。
「やられた」とドミヌスが悟った時には、防御など間に合わず、ただ必死にその身を捩るだけ。
致命傷を避ける為に、ほんの僅かでも刀の間合いから逃れる為に、ドミヌスは彼の持てる力を以って躱そうとしていたのだ。
――当たるな、間に合え。
「っ!!」
自身の金眼に映りこむ紅の刀身から、この身だけを逃れさせる事を考えて。
そんな彼の執念が通じたのだろうか、リュウの振るう紅刃はドミヌス自身の体に当たる事は無く、ただその服飾を切り裂いて終わった。
だがその結果を前にして彼が安堵したかと思えばそうでも無く。斬り飛ばされた一つの円形装飾品を見て、彼は愕然としたのだった。
「僕の勝ちだ」
「な――ッ!!」
慌てて宙を舞うそれを掴もうとしたドミヌスだったが、それよりも早くリュウの紅刀によって真っ二つにされ、別たれたそれらが太陽に照らされながら地面へゆっくりと落ちていく。
それぞれ欠片の大きさは拳の半分も無いものの、メダルのようであるそれには、複雑な紋様が刻まれていた。
そして、ドミヌスがその物体が修復不能であると認識した瞬間、危機を逃れた筈である彼の瞳が如何にも苦々しい、と言う気持ちを浮かばせ。
対するリュウはと言えば、ドミヌス本人を寸での所で斬りそこなったと言うのに、寧ろ満足そうな雰囲気を漂わせ。
それから、一拍置き。
別たれた装飾品は、それぞれ眩いばかりに発光した。
リュウによって切断されたそれらから出た光はまるで打ち上げ花火の様に、上空へと飛び上がったのだ。
そんな光景を前に、ドミヌスは半ば呆然としたように叫ぶ。
「……お、のれ! 私の、私の集めたモノが!!」
「はは、何を言っているんだい、あれは君のじゃあないだろう? 奪い取ったモノなんだからさ」
致命的な隙を晒さぬように互いに距離を取りながら、打ち上がった光を見上げる二人から出た言葉は、片や悲しく、片や冷たく。
太陽の明るさをも凌ぐかと思わせる程のその光は、三秒、四秒と空を上がり続けると何条もの光に分裂し、大空へと四散していった。
そうして、強烈な光が消えてからどれ程の時間が経っただろうか。
ざわりと吹いた心地よい風がドミヌスを自失から気付かせたようで、黒い仮面から覗く血走った金眼は憎しみの色を込めながら、眼前に立つ人物を捉えていた。
「残念だったね、ドミヌス?」
「……貴様ぁっ!」
「そんな怖い眼をしないでくれよ。元はと言えば、君が悪いんだ。あれらを元の世界に還せるとは思えないけれど、誰かに弄ばれるよりはマシかもしれないよね?」
何か間違っている事でもあるだろうかと、リュウはその肩を竦め、続けてドミヌスを煽る様にこう言っていた。
「わざわざ異世界へ行ったのに……無駄足ご苦労様、ドミヌスさん?」
「殺す……お前を、お前を嬲り殺してやるッ!」
何処までも晴れたとある世界の、とある場所で、一つの怒号を合図にして、剣戟の協奏が再開されたのだった。