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彼女が助手席で眠ってしまったのでボクは……

 岡谷ジャンクションで北へ向かう道を選び次のインターチェンジで高速道を下りると、そこはもうナビに誘導されるしかない見知らぬ道だった。なんとなく記憶しているのは、ビーナスラインに乗っかる前に大きく左にカーブする、ってことだけ。だが、それも子供の頃の後部座席での記憶だからあてにはならない。


「別に急がないし、ゆっくりでいいよ」


 彼女はいたって呑気なもので、助手席に深く身体を沈めると、今度はボクに背を向けてしっかり眠る態勢を取った。そろそろ日付が変わる時刻だし眠くなるのもわかるが、今はちょっと起きててくれてればいいのに。彼女が寝息を立て始めたから、ボクはまたいつかの家族旅行のことを思い出していた。


 あれは……


 山荘と名のついた建物の中庭には左手から右手に小川が横切っていて、手を入れると凍るほど冷たい水がものすごい勢いで流れていた。

 二段ベッドのある部屋に寝泊まりした翌朝、出発までの僅かな時間、ボクと妹はその川に木切れを流して遊んでいた。今から思うとその川幅は大人なら跨げるほどのもので、そもそも川、と呼べるようなものだったかどうかも疑わしいが、雨上がりだったのか、それとも雪解けの時期だったのか、思いのほか水量が多く流れも速い。ボクたちが気まぐれに投じた木切れや葉っぱは勢いよく流れる。その様子になぜかワクワクしてきた妹もボクもその遊びが止められなくなり、しばらくは競い合ってそこらじゅうの木切れを手当たり次第に投げ入れて遊んだ。


 その中庭には古い木製のブランコがあった。支柱は緑色に苔むしている。目ぼしい木切れをあらかた投げ終えてしまい、その遊びにも飽きたボクは、今度はブランコに乗り、立ち漕ぎをしてみせた。妹にはまだそんな芸当はできなかったから、どうだ、と言わんばかりに思いきり漕いでみせるのだが、妹は枯れ葉を見つけてきては、まだ川遊びを続けている。小さな両手にそれぞれ葉っぱを持ち、同時に流しては、こっちが勝ったとか負けたとか、わけのわかんないひとり遊びを続けていた。


 ボッ…… 


 確か、そんな音だったと思う。


 水面を覗き込むように遊んでいた妹が、どうした弾みか川に落ちたのだ。せめて、派手なバシャっと激しい音でもたててくれていれば、ひょっとして山荘に居合わせた大人の誰かが気づいてくれたかもしれないが、妹はそれこそボソッと音もなく姿を消した。そして、ブランコをしているボクの目の前で、水の中をぐるぐる回りながらあっという間に流されてしまったのだ。


 慌ててボクは妹を追いかけた。ブランコから飛び降り、川の流れに沿って山荘の敷地を目いっぱい走った。だが、水の流れはあまりに急で、ボクは全速力で追いかけているのに一向に追いつかない。妹はその間も水中をくるくる回わりながら流される。顔が水面に出たり、また沈んだりしている。一瞬、目が合うと、これまで見たことのない形相で必死にもがいているのがわかる。その恐ろしさに足が竦んでしまうほどだった。


 幸いなことに山荘の敷地と引き込み道路の境目のあたりに柵で囲まれた水だまりがあり、その場所で先に進めなくなった妹の服にボクはようやく手をかけることができた。


『かあさん!』 


 ボクは必死に母さんを呼んだ気がする。父さんも呼んだだろうか。誰か来て! と叫んだ気もする。その時の記憶はここで一旦途切れているので、妹を救出した直後のことは覚えていないけれど、川から引き摺りあげられた妹がおでこから血を流していて、ボクはこのまま死んでしまうんじゃないかと思ったこと、やがて、それこそ引き攣るような大声で彼女が泣きだしたとき、周囲の大人たちがなぜか笑い声になったこと、そのことだけ覚えていて、あとは…… おでこに包帯をした妹と、なにごともなかったかのように白樺湖畔で遊んでいる、今は押し入れの中の家族写真の中の光景しか記憶に残っていない。


……


「ペキちゃん、どこに向かってるの?」


「…… あっ、そうだった。おばあちゃんちってどこだっけ? アハハハ」


 彼女の不意の言葉で呼び覚まされるまで、ボクはこの世界から遊離してしまっていたようだ。


「運転代わる?」


 彼女の言葉はとても意外に響いた。彼女が車を運転するなんて想像もしていなかったし、それはどこか現実離れしたことのように思われたから。


「うん。そうしてくれる……」


 車を路肩に寄せシートベルトを外す。なぜかどっと疲れが出た。


「ひとりで運転させちゃったね。大丈夫? 疲れた?」


「ううん。それは大丈夫なんだけど…… ひょっとして、おばあちゃんち、こっちじゃなかった? それか、行き過ぎ?」


「まだまだ先だよ。今度はペキちゃん、寝てていいからね」


 まだまだ先? この言葉も意外過ぎた。インターチェンジを降りてからずいぶん長いこと走って来た気がするのに…… ボクは本当に疲れていたのかなと、首を回してみた。うん、ちょっと重いや。


 でも、確かに車はビーナスラインを走っている。ここがそのどこかはまるで解らなかったけれど。

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『もし、それが真実ならボクは……』

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