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彼女はちょっと心配そうにボクを見た

 翌朝、避暑地はきれいに晴れ上がった。空中の塵や埃がすべて洗い流されたあとの、いつにも増して清澄な空気に満ちている。数日間鳴りを潜めた蝉の鳴き声も心なしか通りが良い。

 だが、二日続いた雨で庭はぬかるんでおり、バドミントンをするには不都合だ。朝早くからラケットを振り回していたタクトだったが、遊ぶのは庭が乾いてからだと奈々に言われ、今はふて腐れた様子で庭の隅をうろついている。


「金網を越えたらだめだからね」


 奈々が何度も声をかける。敷地の境目にある金網は、そのところどころに子供なら十分抜けられそうな綻びがあって、そこを抜けてしまわないか心配しているようだ。確かに、タクトは金網に寄り掛かかって道路の方を眺めたり、足掛かりを見つけてよじ登ろうとするから、見ていて危なっかしい。小学三年の男子だからそれくらいは、と思うものの、金網が時々イヤな軋み音をたてるので、ハッと気になってしまうのだ。


 だが、いつまで経っても現れない少女を待ちくたびれたのか、やがてひとり遊びにも飽きたタクトが、泥だらけになった足で戻って来る。そのままリビングに上がろうとしたものだから、さすがの奈々も珍しく金切り声を上げた。


「もぉ~! タクト! その足!」


 出会った日のランチでは借りてきた猫のように大人しかったタクトも、今ではすっかり奈々に慣れやりたい放題。人見知りでシャイであってもガキはガキ、と思って苦笑いしていると、そのガキが泥だらけの手足には似合わぬことを言い出した。


「あのね、金網のあたりに小さなお花が一杯咲いていたよ。ちっちゃくて青いキレイなお花」

 そんな話をされると奈々も怒りづらいらしい。タクトの足を拭いてやりながら話し相手になってやっている。


「そう。小川のほとりかしら?」

「そう。い~っぱい咲いてた」

「金網の手前も?」

「うん。お庭の中にも少し咲いてたけど、金網の向こう側にもっと咲いてた!」

「じゃあ、女の子にも見せてあげるといいね」

「うん」


 高原に咲く小さく可憐な名もなき花。リビングからはその姿をはっきりとは確認できないが、晴れ上がった陽の下で朝露に濡れた様子がきっと子供心にも美しく映ったのだろう。タクトはその様子を画用紙に描き加えたようだった。



 午後になると陽射しは一段と強まり、地上に残った雨の余韻をことごとく蹴散らした。庭のぬかるみも取れ始め、タクトの踏み荒らした跡を固め出す。蝉しぐれは一層賑々しく、避暑地の穏やかな昼下がりを気怠くさせた。



「あっ!」


 大人しく絵の続きを描いていたタクトが、突然声をあげて立ち上がる。そのまま走って玄関に向かうと、大人用のサンダルをつっかけて外に飛び出した。そして、ものの一分で戻ってきたかと思うと、奈々が洗って干しておいた運動靴に飛びつき、ちゃんと履くのももどかしげに足を突っ込んでいる。


「遊びに行ってきてもいいでしょ?」

「どこへ?」

「道路に昨日の女の子がいるから。お外で遊んでくる!」


 もはや良いも悪いも聞くつもりがない。言うだけ言うとタクトは玄関を飛び出した。


「大丈夫?」


 奈々がちょっと心配そうにボクを見る。ボクは、昨日の美しい人の顔を思い出し、見てくると腰を上げる。すると、奈々は一足先にタクトを追って玄関を出て行った。

 遅れてボクが顔を出すと、敷地の入り口のあたりにあの美しい人と幼子がこっちを向いて立っている。ふたりとも幅広の白い帽子を被っていて、いかにもこの避暑地に似つかわしい母娘の風情だった。


「こんにちは。少しお兄ちゃんに遊んでもらってもいいですか? 私が傍にいますから」


 美しい人は澄んだ声で挨拶した。奈々がふたりに駆け寄り、屋敷に入るよう勧めているようだが、美しい人は角度のいいお辞儀をしてそれをやんわり断っている。奈々も無理強いまでするつもりはないらしく、その場所で三人を見送った。


「保養所の庭で遊ばせていいか、って言われたからお願いします、って言っておいた。よかった?」

「いきなりで人の屋敷には入りにくいもんだよ」


 ボクはもう少し美しい人のことを知りたいとは思ったものの、奈々とふたりで過ごす時間も貴重な気がしてそのままにすることにした。


 リビングから三人の姿が見える。道端にしゃがみ込むふたりを美しい人はただそっと見守っている。ああしなさい、こうしなさい、なんてこと、あの人は言ったこともないんだろうな、などと思って眺めた。


 やがて、三人の姿は川の橋を越えて木立の向こう側に消えた。


 甥っ子がいない庭ではブランコが静かに風に揺れている。庭の奥に目を凝らすと、タクトが言っていた青く小さな花が群生しているようにも見える。

 その向こう側に水面が煌めいている。雨は上がったが水量にさほどの変化はないようだ。

 隣のロッキングチェアでは奈々が小首を傾げて寝息を立て始めた。ボクも読みかけの文字を追うのを止め目を閉じる。聞き馴染みのないセミが鳴く。穏やかな風がカーテンを揺らす。そのうち、ボクも…… 眠りに落ちた。。。

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『もし、それが真実ならボクは……』

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