彼女によると、女の子は遊んでくれるお兄ちゃんが好きらしい
「こんにちは」
水面を覗き込んでいたボクたちに不意に声をかけてきたのは、就学前の女の子を連れた美しい女性だった。
「こんにちは」
ボクとタクトはちょっと照れながら、突然現れた美しい人とその娘にぎこちなく挨拶を返した。
「よく降りましたね」
「ホントです。二日間閉じ込められて、この子が飽きちゃって……」
照れ隠しにタクトの頭を撫でながら社交辞令を返していると、その手をタクトが引っ張った。
「あの子…… あの子……」
タクトが小さくボクに呟きかける。昨日見かけたピンクの傘の子だと言いたいのだろう。確かに、目の前の子は透明の雨合羽に、今は畳んだピンク色の傘を右手に持っている。
「ん? ボクどうかした?」
優しく語り掛ける美しい人にタクトは耳朶まで赤くして、それ以上は言い出せないようだった。
「いえ、昨日の雷のあとでしたか、そのピンクの傘をさして、おふたりが歩いてらっしゃっるところをお見かけしたものですから」
そう言って、ボクは幼子に微笑みかけた。
「あっ、あの時ですか? そうなんです。バスを降りたらまだ雨が降ってて。車でも拾おうと思ったんですが、この子が新しい傘を差して歩くと言って…… どこかですれ違ったりしました?」
美しい人は優しい笑顔で幼子の顔とボクの顔を交互に見つめた。話の内容がわかるのか、その子はボクに真新しいピンクの傘を掲げてニコリと微笑んだ。
「ボクたちはここの家に遊びに来てて、家の中から偶然お見かけしたんです」
「そうなんですか。めぐちゃん、お兄ちゃんたちがめぐちゃん見てたんだって」
「見てたの?」
幼子は物怖じすることなくタクトに話しかけた。その子は小学三年生にとっても十分幼いだろうに、甥っ子はさらに真っ赤になって俯いてしまった。
「ほら、タクト、挨拶しなきゃ。これからこの子の絵も描くんだろ? よろしくどうぞ、って挨拶するもんだよ」
「絵を? めぐちゃん、良かったね。めぐちゃんこそ、どうぞよろしく、ね」
美しい人は、綺麗なその笑顔を今度は甥っ子に向けた。
「どうぞよろしく」
美しい人の言葉を真似て、幼子もぺこりと頭を下げる。その姿はとても愛らしく、文字通りかわいいお人形さんのようだった。だからボクはこの美しい人とかわいい幼子とこのまま別れがたく、自分には何の権限もないことを忘れ、ふたりを屋敷に誘っていた。
「まだこちらにいらっしゃいますか? もしお子さんが退屈されるようでしたら、ボクたちも今週末まではここにいる予定ですから、遊びにいらしてください。あっ…… 友人の持ち物ですけど、よろしかったら…… 」
「ありがとうございます」
勢いで誘ったものの、そんなことにハイハイ乗ってくるような女性にも思えず、ボクは誘ったこと自体を恥ずかしく思いながら、ではまたお会いしたら、というような曖昧な言葉で誤魔化した。だが、美しい人は優しく微笑んで頷いてくれたようにも見えた。
「めぐちゃん、暗くなるからそろそろ帰ろうか?」
美しい人が幼子を促した。幼子は可愛い手を胸元で小さく振って甥っ子に別れを告げる。彼も照れながら、またね、と手を降った。
「さようなら。お兄ちゃんもさようなら」
「さようなら。バイバイ、めぐちゃん。またね」
幼子はボクの呼びかけに素直な笑顔でコクリと頷いた。
美しい人と幼子は橋を渡り、保養所の方角に歩いて行った。ボクと甥っ子は、屋敷に向かう途中で足を止め、ふたりの後ろ姿を見送った。ふたりも何度かこちらを振り返り、その都度小さく手を振り、やがて保養所の敷地に消えていった。
「タクト、これでしっかり女の子の絵が描けるな」
「傘を描くんだからあの子は関係ないです」
小学生は照れ臭そうに足元の小石を蹴った。その石がポチャリと音を立てて川面に沈んだ。
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「へえ~、かわいい子だったんだ」
「お~、かわいいのなんのって、あれこそフランス人形のような、という形容詞がふさわしい」
奈々の作ったローストビーフを食べながら、ボクは偶然の出会いを彼女に話して聞かせた。ついでに、思わず遊びに来ないか、などと誘ってしまったことも打ち明けておいた。あくまで、可愛い少女をタクトの為に誘ったということで。
「タックン、遊びに来てくれるといいね」
「いや、ボクは別に…… いいです」
こういうところ、小学三年の男子はとても面倒くさい。二年生くらいまでなら男女関係なく裸で遊べるのに、三年生になる頃から急に異性を意識し始めるから、言葉通りに受け止めると大抵見誤る。
「幼稚園くらいの子じゃタクトが一緒に遊ぶには物足りないか?」
「そうです。相手になりません」
なぜかずっと丁寧語で話すタクト。どうやらホントは十二分に意識しているようだ。
「もし遊びに来てくれたら一緒にお絵かきでもするといいんじゃないの? 女の子だし、お兄ちゃんが絵を描いてくれると喜ぶよ。絵じゃなくても一緒に遊んでくれたらきっと嬉しいはずだよ」
「そういうものなの?」
タクトより先にボクが反応してしまった。幼い頃からボクの周囲にはいつも妹の友達がいた気がするが、彼女たちはただ面倒で邪魔な存在にしか思えず、遊び相手になるなど一度も思ったことがなかったからだ。
「乱暴な子じゃなきゃ、遊んでくれるお兄ちゃんは好きだと思うけど」
「乱暴かぁ…… タクトは乱暴ではなさそうだな」
そういうと彼はうんうんと大きく頷いた。ここでアピールしても仕方ないのに。
「まあ、庭で遊んでれば道を通る人にはすぐ気がつくから、タックン、明日はお外でバドミントンでもしよっか」
奈々の誘いにやるやると元気に返事する彼は、やっぱり小学三年生以外の何者でもなかった。
窓の外の薄暗い空に、ひとつふたつ星が瞬いた。明日はきっといい天気になるに違いない。




