彼女は小学三年の男子をやや引き攣った笑顔で迎えた
八月上旬、二回の土日に挟さまれた九連休の夏休みを取った。初日の土曜日、ボクは甥っ子のタクトを迎えにターミナル駅に急ぎ、その間に奈々が子供が喜びそうなピザとかパスタとか、唐揚げやウィンナーを並べたランチを用意することになった。
小学三年生をひとりで電車に乗せるなんて、妹はそう言って甥っ子の小冒険に反対したが、生まれたばかりの娘の世話で休む暇のない彼女にしてみれば、上の息子を誰かに委ねられる九日間は貴重な夏休みになるわけで、我が子の独立心を養うため、という大義名分で自分を納得させ、渋々ながら息子をひとりで送り出すことに同意した。
着替えやら遊び道具は宅配で既に到着済み。予定時刻に現れた小学三年生は小さなリュックを背に飛び跳ねるように改札口を走り抜けてきた。
「お〜、来たな! 小学生」
くしゃくしゃっと頭を撫でる。今どきの小学生らしく、肌も白いし髪の毛もサラサラだ。
「おじちゃん! テント! どこでやる?!」
だが頭の中はやっぱり小学生。電話で話した時からテントでいっぱいらしい。
「そうだなあ。とりあえず今日はおじちゃんちのベランダでやるか?」
「いいよ! お外だよね!」
「ベランダだから一応お外だな」
「やりぃ〜〜! ボクね、友達に自慢したんだ! テントでひとりで寝るんだぞ、何回もだぞ、って言ったらね、ひとり? ほんと? っていうやつがいたから、おじちゃん、写真撮ってよね!」
「ああいいよ。ひとりがいいわけね」
「そう! ボクはお兄ちゃんになったんだし、なんでもひとりでするよ。お風呂もひとりで入る!」
「そりゃ当たり前だな。じゃあ、お掃除もお洗濯もお料理も、全部タクトにやってもらうかな?」
「やるやる! 全部やる! 約束だからね!」
子供の頃のこの前向きな姿勢を、自分は一体どこに置き忘れてしまったんだろう? そんなことを思わせるほど、甥っ子は無邪気で快活だった。
駅からマンションまでの車の中、ボクは夏休みの計画を話して聞かせた。
「ベランダのテントもいいけどさ、ホントのキャンプしない? キャンプもできるし、木でできた大きな二段ベッドにも寝られる。そういうの楽しそうじゃない?」
きっと子供にノーはないと確信していたが、果たして、タクトは車の天井に頭を打ち付けんばかりに飛び跳ねて喜んだ。
「キャッホ~~~ すごいよおじちゃん! テントと二段ベッド! ボクね、なんでも手伝うからね!」
「そりゃ手伝ってもらうけど、手伝ってくれるおねえさんも一緒だから安心しろ」
できるだけサラリと、そんなこと当然だよね、くらいのニュアンスでボクは言葉にしてみた。
「おばあちゃんじゃなく?」
不思議そうな顔がバックミラーに映る。
「おばあちゃんなんかじゃないに決まってるだろ」
子供相手にしてはちょっと吐き出すように言い過ぎた。教育上はよろしくないな。。。
「…… でもおばあちゃんちには行くんでしょ?」
どう回答していいか言葉に詰まった。今の今までこの不都合な予定を忘れていた。母さんに会いに行く、確かにそんな話から始まった計画だった。だが、そんなことはとっくに忘れていたし、今は母さんの顔は忘れておきたい。
「タクトはおばあちゃんのこと好き?」
この問いかけに、しばらく無言だった甥っ子は、やや沈んだ声で答えた。
「…… わかんない」
これも子供に投げかけるべき質問じゃなかった…… この問いかけが、大人たちの微妙な関係を子供にも意識させ、身内に抱くべき当然の情愛を、どこかで躊躇わせてしまうかもしれなかった。母さんから何度も何度も問われ続けた同じような質問に、どう回答していいかわからなかった子供の頃の記憶が蘇りそうになった。
「タクトにとっておばあちゃんはおばあちゃんだよな。好きも嫌いもなかったね」
「うん! おばあちゃんは好き以上だよ!」
子は鎹。それは夫婦にとっての子だけでなく、拗れた母息子にとっての孫や甥ってこともあるのかもしれない。
「了解。じゃあ、おばあちゃんちにも行こう。ドライブだ」
ちょっとくらい顔を出すのもいいだろう。なにしろもう十年近く会ってないんだから。そう軽く考えることにして、まずはこの子と奈々をどううまく引き合わせるかに関心を戻した。
「おじちゃんちにいるおねえさんは、おじちゃんのお友達で仲良しだから。きっとタクトも仲良しになると思うよ」
「うん……」
子供の反応はダイレクトすぎて困ることがある。この反応は明らかにノー、少なくとも気が進まない、というニュアンスを露骨に示していた。
「知らない人がいるとイヤだ?」
「…… う~ん」
甥っ子はボクに似ている。引っ込み思案で人見知り。そんなことを妹が溢していたような……
「でも、すぐに慣れるよ。優しいおねえさんだから。それにキレイだよ」
「…… …… はぃ」
小学三年生にキレイかどうかは関係ないのか…… やれやれ、である。
そうこうしているうちに車はマンションに着く。駅ではあれほどはしゃいでいたのに、すっかり口数が減ってしまった小学生。ボクはもう一度彼の頭を撫でてから部屋に向かった。
小学三年生の頃、見知らぬ大人の女の人に初めて会う気持ちって、どんなだったかなぁ、などと想像するが思い出せもしない。なんとなく緊張している甥っ子の気持ちには、どうやらボクはもうなれないようだ。
「いらっしゃい」
玄関先でボクたちを迎えた奈々は満面の笑みだった。ただ、その笑顔はやや引き攣った感じがしなくもなく、子供に怖いと言われる理由がチラッと頭を掠めた。
でも、その顔も美しかった…… ボクには十分すぎるほど。




