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彼女はボクの記憶をただすために来たと言った

「わたし? わたしはペキちゃんの記憶をただしてあげるために来たんだよ」


 彼女は確かにそう呟いた。いや、それは声としてボクの耳に届いた言葉ではなかったかもしれない。それに、その時彼女は下を向いてたから、独り言を聞き間違えただけかもしれない。でも、彼女は確かにそう伝えてきた気がするのだ。


『記憶を正す…… いや、糺すかな? ん? 質すか?』


 ボクは心の中で『ただす』と聞こえたその音に当てはめるべき漢字を思い浮かべた。『正す』なら何か記憶違いがあるだけだが、『糾す』や『質す』となると厄介だ。ボクは彼女から糾弾されるべき過去を持ち合わせた卑劣漢ということになる。


 だが自慢じゃないが、ボクは女性に対して卑劣なことなど、過去に一度だってしたことはない。学生時代も、社会人になってからも、無闇に女性に近づくことすらしなかったし、いわゆる…… そういう関係になった女性もたったひとりだ! その子だって、ボクが木っ端微塵に捨てられた訳で、ボクが卑劣なことなど…… どう考えてもない。絶対にない!

 でも、人の恨みをどこで買ってるかわからない世の中だ。今夜、静かに眠るためにも一応確かめておこう……


「ねえ…… ボクたち、どこかで会ってる?」

 不安になったボクは、おずおずと問いかける。


「えっ? 急にどうしたの?」

 見ると、彼女は古い雑誌のクロスワードパズルに夢中になっている。ボクがあれこれ考えていたことなど、まるで関心を払っていなかったようだ。


「それよか、ここわかる?」

 そう言うと彼女はパズルの一部分を指差した。どれどれ?……


 縦のウ ぶ○○○ ヒント︰★猫のタンゴ

 横のウ ぶ○○○ ヒント︰★色の小瓶


「う~ん…… ひらがなに誤魔化されるなぁ。カタカナの『ブ』で考えれば?」

「ブ…… ブサイク猫? ブ…… ブラックな小瓶?…… え〜、他と繋がんない」

「逆だよ、逆。どっちも色」

「ブ?…… ブラック猫? じゃあこっちは…… ブラウン? なにそれ?」

 まるで腑に落ちていないようだったが、彼女は縦に『ブラック』、横に『ブラウン』を入れ、先を続けた。

「それにしても古いなぁ、その雑誌。 一体いつの?」

「おばあちゃんが読んでた雑誌だもん。昭和?」

「字がちっちぇ〜」


 ボクと彼女は互いの顔を見合わせてワハハと笑った。笑って……そのまま見つめ合った。なぜか彼女の瞳から目が離せなくなったのだ。


「ここにもブラウンがある。キミのこと、もっとちゃんと知りたいんだけど」


 昼間は明るいブラウンに見える彼女の瞳は、今はその色の虹彩こうさいが開き、やや淡色の深い闇を覗かせている。その奥はどこまでも果てのない小宇宙を感じさせた。


「いつかわかるよ」

「わかる? それはどういう意味?」


 その問には応えず、彼女は椅子から立ち上がろうとした。ボクは、ボクの気づいていない何かを、やはり彼女が知っているイヤな予感がしてその右手首を咄嗟に捕まえようとした。しかし、彼女は巧みに身を翻し、下瞼の裏を見せてあっかんべーと笑った。その裏瞼の色が淡くキレイなピンク色で、薄暗がりの中にふわっと浮かび上がったものだから、それはもはや血の色というより、何かもっと別の清浄なもののように感じられ、ボクは背筋がゾクゾクするのを感じた。


「もう寝るね。悪いけど、ペキちゃんはその椅子で寝てね。タオルケットはそこに出しといた。夜明け前は冷えると思うから、寒ければそこにある毛布使って。じゃ、オヤスミ」


 そう言い残すと、彼女はペタペタとスリッパの音を立て階段を上った。そしてドアがギイという音を立てて開け閉めされてしまうと、彼女の気配は一切しなくなった。


 ボ~ン、ボン…… 


 もし今、大きな古時計が鳴りでもしたら、ボクはきっと飛び上がってしまっただろう。無音の静寂が部屋を支配した。腕時計を見るといつの間にか午前二時を回っている。半分に欠けた月も建物の裏手に隠れ窓辺の闇が深さを増している。ボクは急に肌寒さを感じた。


 彼女が言うように避暑地の夜は冷える。半袖だと震えるほどだ。水のシャワーを浴びる気にはとてもならない。ボクは彼女が用意してくれたタオルケットを身体に巻きつけ再び椅子に座り、少し乱暴にロッキングチェアを揺らしてみた。椅子が床を軋ませる音だけが室内に響く。


 眠れそうにない。


 ボクは立ち上がって玄関の外に出た。止めた車に戻りエンジンをかけヘッドライトを点してみる。軽いセルモーターの音が、この重い闇夜に立ち向かうにはいかにもか弱く響く。昔、父さんが運転していた直列何気筒とかいう、ただの無駄遣いエンジンが恋しくなる。こんな軽々しいお供じゃ、闇夜のお化けにはとても立ち向かえないよぉ…… そんな独り言を呟きながらエンジンを止め、スゴスゴと玄関に舞い戻る。ボクを気にした彼女が二階から降りてくるものと期待したが、その気配もなし……


 

 仕方なくロッキングチェアに腰掛ける。この中で寝るのはちょっとしんどい。床に毛布を敷いて、その上に寝転がった。

 目を閉じると浅い眠りに一瞬落ちる。だが、すぐに目が冴え戻す。それなら何か考えようとしてみるが、取り留めがないまま今度は睡魔に邪魔される。寝返りを打つと、板張りの床が冷たく痛い。とうとうボクは眠りを諦め、立ち上がって掃き出し窓のカーテンを全開にした。


 闇……


 そこにあるのはただの闇。わずか一枚のガラス窓がその闇と自分を隔てているに過ぎない。もし、()()()()でもいようものなら、瞬時に窓の外から凶暴な右手が伸びてきて、ボクの首根っこを締め上げそうな気がした。


 ボ〜ン、ボン…… 耳の奥で、ありもしない大きな時計の鳴る音が響く。


 朝はまだ遠い…… 

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『もし、それが真実ならボクは……』

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