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彼女はその問いかけには無言だった

 暗い夜道の行く先を、この車のヘッドライトだけが明るく照らし出している。道の両脇は背の高い木立がずっと続いていて変化に乏しい。

 運転を交代してかなり走った気もするが、進んでいる気がしない。まさか、このまま魔界との結界を越えてしまうのか? なんてことがふと頭をよぎる。ないない、そんな安倍晴明みたいなこと、って笑いがこみ上げる。


「なに笑ってるの?」


 必死に運転しているから気づかないと思ったが、意外にも彼女の視界に入ったらしい。


「ごめんごめん、ちょっとくだらないこと」

「変なの」

 彼女は特に気にする様子もなくしっかり前を向いたまま運転を続けた。


 クセなのだろうか? 運転席のシートを目いっぱい手前に引きハンドルを抱えるように運転をする彼女。そんな格好だと、咄嗟のときハンドルで胸を強打しちゃうよ、って言いたくなるほど。でも、ダッシュボードの淡い灯りに照らされた横顔は特別に美しい。


「なに? そんなにじっと見られると運転しにくいよ」

 そりゃそうかも。だからボクは何か話しかけなきゃ変かなと思い、ついつまんないことを口にしてしまう。


「カメムシって食べたことある?」


 なんとなくバカバカしい話をしたくなったのだ。えぇ〜とか、うそォ〜、みたいな反応を期待していたのかもしれない。

 が、彼女は、特に驚く様子もなく落ち着いて前を見たままだ。


「うん。あるよ。食べたというより口に入った、かな?」

 何でもないことのように彼女は答えた。


「カメムシだよ? わかる? カメムシ。あの強烈なやつ」

「うん、知ってるよ。あの五角形のミドリのやつでしょ?」

「そう! ミドリのあれ! そっかぁ、いるのかぁ……」

「口の中に虫が入るってことはあるよ」

 彼女は()()当たり前のことのように語った。


 ボクは変に安心した。大袈裟に言うと、彼女はボクの存在をちゃんと認めてくれてるんだな、という安心。

 それは、彼女がそんな自虐ネタなんか言わなくてもいいよ、って伝えようとしている気がしたからだ。話題に困ると無意識に出してしまうこの話は、ゲッって顔されるかバカにした笑いが取れはするが、あとで、あ〜ぁ、こんなこと言わなきゃ良かったと後悔することしきりなのだ。それを彼女は普通に反応してくれた。まぁ、話しても平気な予感はしてたんだけど。

 だから、ボクは脚色なしで子供の頃の確かな思い出をそのまま彼女に話した。


「ボクの経験はね、子供の頃、母さんが取り込んだ洗濯物にカメムシが紛れ込んでて、なんだろ? って顔を近づけたら、急に口の中に飛び込んできて、も~の凄い匂いで失神しそうになった経験なんだけどね。キミのは?」

「何だったかなぁ…… 誰かと草むらで遊んでる時だったかなぁ……」

「そっかぁ~…… でもどっちにしても良かった……」

「良かったの?」

「うん、良かった」

「変なの、ペキちゃん」

 彼女の横顔が薄明かりの中で微笑んだ。


 信頼、って言葉が頭に浮かんだ。つまんない話も、彼女には普通に伝わる安心感を得た気がした。だから、ボクはこのまま彼女の綺麗な横顔をじっと眺めていたい気分だったのだが、彼女は窮屈な姿勢のまま運転を続けている。ちょっと気の毒になって、気分ほぐしに何か会話を続けなきゃ、って気になった。


「カメムシってなんであんなに臭いのかね。カメムシ自身は臭くないんだろうか?」

「自分の匂いだから平気でしょ。私は自分の匂いって結構好きかも」

「あ〜、それ言える! 自分の匂いだと許せる感じあるよね。臭くても嗅いじゃう感じ? それって変じゃないでしょ?」

「だって自分のだもん。変だと言われても困るよ」


 カメムシの話だから匂いの話になってもおかしくはない。だから油断したわけではないが、ボクは頭に思い浮かんだ別の匂いの話をつい口に出してしまった。


「ねえ、匂いが近い人とはエッチできない本能があるって知ってた?」

「…… 」


 彼女はその問いかけには無言だった。

 ボクは最近聞きかじったばかりのこんなことを話題にした自分のアホさ加減を恨んだ。

 せっかくここまで仲良くなった彼女に、どうしてここでこんなどうでもいい話をしてしまったんだろう……。


 でも、どう話題を変えればいいのかわからない。結局、ボクは無言で正面を向いているしかなくなった。


 …… 気まずくて長い時間が流れた。


「家族って、同じ匂いがしない?」

 ハンドルを抱えたまま、彼女がようやく口を開いた。


「…… うん」

 ボクはどう反応していいかわからず、曖昧にそれだけ応えた。急に会話が萎み、ボクも彼女も、しばらく黙って暗い夜道の先を見続けた。



「もう着くよ」

 さっきまでとどう景色が変わったかわからない場所で、急に彼女が口を開いた。


「どこまで行っても同じ景色だから、このまま夜の闇に消えちゃうのかと思ったよ」

 無言で夜道を見つめているとそんな気になる。このまま延々車を走らせて、目覚めると部屋に戻ってる、なんて不思議なトリップを続けているような錯覚に陥ったのだ。夢を見ていたのかな……


「どうする? このままおばあちゃんちに行く? たぶんね、すごく埃っぽいと思う。しばらく誰も使っていないはずだから、変な虫とか出てくるかも。平気?」

 だが、彼女は現実的かつ具体的だ。


「う〜ん…… そんなのは別に平気といえば平気だけど……。灯りは点くんでしょ?」

 まさかお化け屋敷、ってこともないよね?


「どうする?」

 彼女が寝ボケたボクに念を押す。どうするもこうするも、他に選択肢は無い気がして、ボクはなんとなく応えた。


「とりあえず行ってみようよ。おばあさんが掃除してくれてるかもしれないし」

「…… 」

 彼女はなぜか俯き加減に口元を緩めると無言で車を走らせた。ボクは妙に気になって彼女に問いかけた。


「遅くなったから迷惑かなぁ」

「大丈夫」

「そう」


 短い会話を交わすうちに、どうしてここだとわかったのか、それが不思議なほど他と区別のつきにくい場所で、彼女はハンドルを右に切った。


 引き込み道路に入ると道は砂利敷きになりタイヤが石を喰む音をたてた。速度を落とし数百メートル進むと、右手に古いロッジ風の屋敷が見えてくる。


「着いたよ」


 エンジンはそのままで、彼女はヘッドライトを建物の玄関に向けてハイビームにした。想像よりずっと年代物のログハウスが浮かび上がる。ボクは彼女に続いて車を下り、砂利を踏みしめる。その確かな大地の感触に、ちょっとホッとする。


 強張った身体を思い切り背伸びして夜空を見上げると満天の星が瞬いている。屋敷の周囲は木立が囲っているようだが、今は闇に沈んでいる。耳を澄ますと、不気味な虫の音とも、耳鳴りともつかぬジーンとした音が耳の奥で幾重にも響き返す。


 気がつくと、灯り一つない古びた屋敷に、彼女が何の躊躇もなく踏み込もうとしている。ボクは車の傍で部屋の明かりが灯るのを待ち、それを確認してから車のエンジンを止めた。


 ヘッドライトを消した瞬間、本物の闇夜に包まれた気がして、ボクは小走りに玄関に向かった。

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『もし、それが真実ならボクは……』

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