おさわがせのメイド その2
アンを抱きかかえた玲は実に慣れたようすで長く曲がりくねった廊下を歩いている。自分の家だから迷いがないのはある意味当たり前なのだが、菜翠は仮にここが自分の家だとしても、一人で自由に歩き回れる自信はとうていなかった。
一分以上歩いて、玲は磨りガラスのはめ込まれた障子の扉を開けた。どうやらご本人のお部屋らしいが、まず部屋の広さに菜翠は圧倒され、それから床を見て絶句した。正確には一つの壁と接した床面であり、そこに大小さまざまなぬいぐるみが一直線にしきつめられていたのだ。以前、玲はぬいぐるみたる家族の知り合いは「ざっと48」などとのたまっていたが、明らかに「ざっと」が過ぎたもようである。
部屋の角に合わせて学習机が置かれ、その脇に座布団が積まれている。玲はそのうちの二枚を取り出して、床に敷いた。菜翠は膝をついてその上に座り、なおも唖然としたようすでぬいぐるみの大群を見やる。
「スゴい数のぬいぐるみだね……。コレぜんぶ、レイの家族の知り合いなワケ?」
キャスケット帽を脱いだ玲が「そう」とうなずく。菜翠はさらにおそるおそる聞いた。
「まさか、コレぜんぶ寮の部屋に持っていくってワケじゃないよね……?」
「駄目なの?」
心の底から不思議そうに言うので、菜翠はのけぞり、つい非難めいた口調で言い返してしまった。
「ダメに決まってるじゃないか! 寮の部屋はココに比べてずっと狭いんだから! こんなにぬいぐるみを敷きつめられたらボクたち、マトモに生活できないよ!」
「駄目なの……?」
「そんな泣きそうなカオをしてもダメです! だいたい、あの部屋にぎゅうぎゅうにしちゃったら、このコたち息がつまってカワイソウじゃない……」
「……!」
玲の目がオドロキに見開かれる。その発想はなかったと言いたげのようである。長らく沈黙を保っていたが、やがて「ふゅー」と長い息を吐いた。
「……そうかも。菜翠は玲よりこの子たちのことをわかってるみたい」
「いや、ベツにそんなつもりじゃ……」
菜翠はうろたえた。菜翠がこう言ったのは、むしろ自分の都合によるところが大きいのだが、気むずかし屋なルームメイトに素直に感心されてしまうと、かえって言い出しにくくなってしまう。
「じゃあ、菜翠の言うとおり、連れて行く数は絞ることにするの。菜翠にも手伝ってもらうんだから」
「それくらいなら、ベツにいいよ」
菜翠が安請け合いをしたそのとき、扉が突然開いて、一人のメイドがよろめきがちな足取りでやってきたのであった。
「おっと、おじょーさまがた、ちょいと失礼いたしますッスよ」
先ほど紹介されたハチマキのメイド、安長飛鳥であった。よろめいていたのはベツに体調不良でも先輩メイドにこってり絞られて心神喪失状態になったからでもなく、大きなちゃぶ台を一人で運んでいたからであった。見た目からなんとなく察していたが、かなりの力持ちである。
それを部屋の真ん中に「よいしょ」と置くと、お嬢様ふたりに呼びかけたのであった。
「これから師匠がお菓子と飲み物を持ってくるッスから、楽しみに待っててるといいッス」
本来なら、このまま退室するべきなのであるが、飛鳥はそうせず、ふたりのお嬢様を改めてまじまじと見やるのであった。
「……何? 玲の顔に何かついてる?」
「いや~、そう言えば、師匠ご贔屓のおじょーさまを実際見たのは初めてと思ったものッスから。写真なら師匠からイヤと言うほど見せられたッスけど」
玲は反射的に舌打ちしそうになってすんでのところで思いとどまると、同じくらい好奇の目つきで新参のメイドを見上げた。
「愛結が師匠ってどういうこと?」
「お、聞きたいッスか? ちょい話が長くなるッスからできれば座らせてくれるとありがたいッスけど……」
「別にいいの」
「それはおじょーさまのご指示ということでオッケッス?」
「そう」
玲が頷くと、飛鳥は日に焼けた顔に愛嬌のある笑みを浮かべたものである。
「うっしゃっしゃ! おじょーさまのご指示なら、ここで駄弁っててもサボりにゃなりませんッスよね? ついでにお菓子をパクついてもおじょーさまがいいって言うなら問題ないッスよね?」
「構わない。玲もあなたの話に興味ある」
飛鳥が「うっしゃ」と喜びの奇声を上げながら、床の上に直接、あろうことか袴姿で胡座をかき始めた。驚いたのは菜翠だけで、玲はメイドの座り方には興味を示さなかった。
「まずアタシと師匠の出会いから話さなきゃならないッスね。アタシは格闘技を極めるべく各地をめぐってたッスが、空の宮にやってきたとき師匠……愛結さんの姿を見た瞬間、ビビッときたンスよね~」
普通の女性とは明らかにビビッとくるポイントが異なっているようである。初めて出会ったとき、愛結はちょうどオフで、複数の男性に絡まれており、飛鳥は彼女を助けようと駆けつけた。正義感もあるが、一番の理由は、助けてもらったお礼として食事に誘うためであった。そうして何とか食いつないできたわけだが、飛鳥の目論見は外れてしまった。
愛結は実に鮮やかな戦法で男どもを地に這わせたのであった。後に彼女が豪語する『たねなしぶどう』を披露したわけだが、それは飛鳥にとって未知との遭遇であった。突き刺すような殺気も、何とか学べないだろうかと思い、やれやれと溜息を吐く愛結に「弟子にしてください!」と頼み込んだのである。どういう算盤勘定をしたかは不明だが、華麗な武術の達人は放浪人である飛鳥を筑波家のメイドとして迎え入れたのであった。
「……いやー、師匠は人使い荒いッスけど、手料理はおいしいし、手合わせもしてくれるし、なかなか悪くない人ッスよ。今度、おじょーさまとも是非とも手合わせを願いたいッスねー」
このとき、菜翠は驚いてルームメイトを見たものだが、当の玲はメイドの言葉に首を傾げている。
「おかしな話。玲、愛結からそんな手ほどきを受けたおぼえはないの。たぶんぜったい、愛結がでまかせを言ったに決まってるんだから」
「そうなンスか? 師匠、毎日夜な夜なおじょーさまに『ぶつかりげいこ』してるとうかがってたンスけど……」
「夜な夜な……ぶつかりげいこ……」
玲が何か思いついたように飛鳥の言葉の一部を反芻してみせたが、具体的なことは菜翠にも飛鳥にも打ち明けなかった。
「まあ、とにかく、おじょーさまがスゴい方なのはよーくわかりますッスよ。雰囲気が他のコとは明らかに違ってますッスし、そこのお友達もスゴそうッスし……」
そして、ハチマキのメイドは菜翠のほうを見た。だが、その表情はわかりやすいくらいに困惑していた。
「ええーっと、ゆー、じゃぱにーずわーど、のーぷろぶれむッスか?」
甘ロリの少女は飛鳥の言葉にきょとんとなったが、やがて彼女の態度の意味がわかって呆れ果てたものだ。確かに、彼女と出会ってから一言もコトバを交わしていないし、黒髪はウィッグで隠しているわけだが、それにしても……。
(いくらなんでも、外国人とカンチガイするってどうなんだろう……)