おさわがせのメイド
突風のように現れた女性に、菜翠は言葉が出ず、彼女の容姿を眺めるしかなかった。
自分で言うくらいだから、彼女が玲が毛嫌いする宇海愛結で間違いないだろう。いわゆる和風メイドという格好で、袴姿の上にフリルのエプロンを付けている。後ろで結わえた紅茶色の髪の上にヘッドドレスを乗せ、キラキラしい瞳は薄い黒に青みがかかった不思議な色をしていた。年齢は二〇代半ばに見えるが、その割にはずいぶんと落ち着きのない印象だ。
菜翠は隣にいる玲の表情をうかがった。お屋敷のお姫サマは最高レベルまで達しているようで、キャスケット帽がつくる目の陰も心なしか黒みが増しているような気がした。
不機嫌な態度も割と多い玲だが、メイドに向けた声は菜翠が今まで一度も聞いたことのないものであった。
「今日は玲のお友達を引き取りに来ただけなの。愛結と会いたいなんてこれっっっっっぽっちも考えてないんだから」
「ああぁンっ、もう、お嬢様ったらツレないっ❤ でも、ツンツンしたお嬢様が愛結にはとってもたまりませんでしゅわ……ッ!」
幼児退行したような奇声を上げながら、メイド愛結はお嬢様を愛おしげに抱きしめる。ヘッドドレスの頭からハートマークが飛び出るたびに、玲の不快指数が上昇していくのが菜翠にもわかった。どうすればいいのかとっさに判断がつかなかったが、菜翠が行動をおこす前にお嬢様がメイドを勢いよく押しのけていた。
「うるさいしつこい黙れっ。お前なんてケーキとココアを出してくれる以外に期待してないんだから! 今日は二人ぶんよ、間違えないで!」
「うふふ、ふふ、うふふ……! まあ、お嬢様ったら、そのていどのご指示なんて! わたくし、お嬢様のためなら何でもいたす所存でございましたのに……!」
「だったら無駄に玲に絡まないで! それに、隣に玲のお客さん!」
言葉足らずであるが、どうやら挨拶しろと言いたいらしい。それを即座に察した和装のメイドさんは甘ロリータの少女と向き合うと、先ほどとは打って変わったうやうやしさで一礼した。
「玲お嬢様のご学友の方ですのね? お初にお目にかかります。わたくし、玲お嬢様の専属メイドをつとめる宇海愛結と申しますわ」
「あ、筧菜翠……です。よ、よろしくお願いいたしますっ!」
ウイッグを大きく揺らしながら菜翠は頭を下げた。過度に緊張しているのは、先ほどと今との愛結のギャップのせいもあったが、それ以上に玲に熱愛している彼女から「このドロボーネコ」と言われるのではないかと危惧していたからである。
だが、それは菜翠の杞憂で終わったようだ。いちおう大人としてできているのか、業務を優先させたのかは不明だが、筑波家の麗しいメイドは子供を安心させるような笑顔でお嬢様の学友を歓迎した。
「ふふ、そう力まなくとも大丈夫ですわ。お嬢様と仲良くしてくださってるようで、とても嬉しく思いますわ」
「いえ……アユさんに比べたらゼンゼンだと思いますけど……」
とたん、愛結の両眼がネオンのような眩しさを帯び、菜翠は思わずぎょっとなった。気付く余裕もなかったが、締めつけるようにアンを抱えていた玲が「余計なことを……!」と言わんばかりに白い歯をきしませる。
「もっちろんですわっ! わたくしのお嬢様に向けた愛は『おはよう』から『おやすみ』まで、『あけおめ』から『良いお年を』までの心意気でございますもの! いくら菜翠さんがお嬢様と親しくなられたとて、その点だけはわきまえてくださいまし!」
別に彼女と優劣を競うつもりはないし、そもそもルームメイトの反応を見るとメイドさまの心意気がキチンと伝わっているかどうかも疑わしい。玲は憤然となって愛結を突き飛ばそうとし、そうはさせまいと愛結は華麗に身をひるがえす。そのままスキップせんばかりの勢いで屋敷のほうへ引き返すと、袴の後ろ姿を見ながら玲は深いため息をついた。
菜翠は玲に気遣ったような喋り方をした。
「……なんか、スゴいヒトだったね」
気つけするかのように、玲は菜翠のロリータ服の袖を引っ張った。
「あんな女の言葉を間に受けちゃ駄目。玲のエモノは菜翠だけなんだから」
それは、あのハイテンションメイドより評価されているということだろうか。仮にそうだとしても、菜翠としてはルームメイトに好意を持つ以前に、もっと普通のオンナのコでいてくれないかなあと思う日々である。もっとも、菜翠自身も甘ロリとウィッグでお姫サマに変身するという非一般的な趣味の持ち主だから、エラそうに口には出さない。
玲が歩き出したので菜翠も日傘を差しながらそれに続いた。玉砂利を踏む音が澄み切った空気に響き、なんだか家の敷地というより神社の境内を歩いているような気分だった。着いた入り口も大きな旅館のそれを彷彿とさせていた。
おっかなびっくりのようすで菜翠は玄関先でブーツを脱ぎ、丁寧に磨かれた木の板の廊下を歩く。
歩いて十秒もしないうちに、玲の顔が再びしかめられる。その理由が菜翠にもわかった。退散したはずの宇海愛結の姿があったからだ。もっとも、彼女は専属の対象を待ち伏せしていたわけではないようだ。
愛結は別のメイドと話していた。愛結と違い、その相手は見た目の時点で強い個性を発していた。着物の袖をまくり、頭にはヘッドドレスではなく白いハチマキを巻いている。肌は日に焼けており、短く刈り込んだ髪は外国人が『にんじん頭』と揶揄するようなものであった。
二人のメイドたちと距離が空いているのをいいことに、菜翠はそっとお嬢様に尋ねた。
「レイ、あっちのメイドさんはダレ?」
「……玲も知らない。あんな目立つの、いたらさすがに玲が知らないはずないんだから」
だよねえ、と菜翠も同意。足を進めると二人の会話が鮮明に聞こえてきた。
「……本当にたったこれだけの時間で窓掃除を終わらせたといいますの。もしサッシを指でなぞってホコリがついてたら、『お掃除』の極意をその身をもって味わうことになりますけれど」
「へっへっへ、師匠。それじゃまるでイジワルなシュウトメさんッス…………ひいっ!」
「……気安く女性を年配者あつかいするものじゃありませんわ。そんな髪をしてても、飛鳥さんは女の子なのでしょう? 勘違いで『種無しぶどう』にされたくなければ、少しは口を慎みなさいな」
ハチマキのメイドが滑稽なほどに背筋をピンと伸ばすサマを、菜翠は笑い飛ばすことができなかった。菜翠自身、愛結の低く冷たい声音を受けて、心臓と胃が強くもたれるのを感じていたからだ。玲もまた、恐怖をごまかすようにテディベアのアンを強く抱きしめている。
愛結がお嬢様とお客様の存在に気づいて振り向く。がちがちに硬直している二人を見て、とたんに最初のハイテンションのメイドに戻る。
「あぁあぁン、申し訳ありませんお嬢様にお客さまあっっ! もしかして、わたくし、お二人をこわがらせてしまったのですか……っ?」
「アタシ含めて三人っすよ師匠ぉ! 師匠の殺気、ホントマジ、シャレになってないッスから~。……今の師匠もショージキ、別の意味で怖えッスけど……」
最後は小声であるが、ぼそっとした声でも普通の人からすればじゅうぶん大きなものだ。
その声量に玲が顔をしかめながらも愛結に「誰?」と目で問いかけてきたので、過剰に忠実なメイドはうやうやしく腕まくりメイドを紹介した。
「そう言えば、お嬢様の入寮とほとんど入れ違いでしたものね。……彼女は外観、いわばお掃除担当メイドの新人さんである安長飛鳥さん。なぜか私のことを気に入ってて、『師匠』なんて呼んでヒョコヒョコくっついてきますの。不思議ですわねえ、わたくし、ただのうら若きかよわいメイドですのに……」
あの物騒な冷気を見せつけられた後で猫を被られても、菜翠としてはなんとも同意しづらいものがある。
その愛結が甘ったるい声で菜翠を部屋に案内しようと試みたが、お嬢様とべたべたくっつきたいという魂胆が見え見えだったため、玲が勢いよくつっぱねた。後輩の指導も残していたため、愛結もここは強く抵抗はせず、ハチマキをなびかせる新人メイドとともに廊下の分かれ道へ姿を消していったのであった。




