だいかぞくプリンセス
寮部屋に戻るなり玲は床に膝をつき、その床を手のひらでぺしぺしと叩いた。無言で。そこに座りなさい、ということらしい。勢いに呑まれて正座をしてしまうと、剣呑な口調で玲は言うのだった。
「玲のエモノのくせに、ほかの女に尻尾を振るなんて……」
エモノになったおぼえはないんだけど。
可愛い顔を険しくさせる菜翠に気づかぬようすで玲は口を動かし続けた。
「まあ、エモノになったばかりだから躾が行き届いてないのもしょうがないの。それにしても、エモノになってすぐに大した面白くもないものになびくなんて……。少しはリッカの意固地さを見習ってくれなきゃなんだから」
愚痴りながら、いつの間にかバスケットに戻されていたオオカミのぬいぐるみを愛おしげに撫で回す。菜翠は自らの苛立ちが臨界を迎えていることをさとった。自分が侮辱されるだけならともかく、先ほどの玲の発言は、好印象を抱いたばかりの瞳や紅葉のことも馬鹿にしていることになる。そのようなことをするふざけた少女に情状酌量の必要性を菜翠はまったく感じなかった。
「……いい加減にしなよ!」
たまりにたまった憤怒が声帯を揺るがし、激しい勢いのまま、こぶしを床に打ち付ける。
「一体ナニサマのつもりなのさキミは! ボクだけに飽き足らず、ヒトミさんやクレハさんまでも大してオモシロくない呼ばわりして! 言っとくけどさあ、ボクがキミの言うエモノごっこに付き合う理由なんてマッタクないんだからね! ああもう、キミみたいなルームメイトがついたばっかりに、ボクの学校生活はゼツボー的だよ!」
入学初日でゼツボーをキメられるとは、後にして思い返せば笑止きわまりないシロモノではあるのだが、このときは事態の暗澹さをさとったのは確かだ。そして、菜翠の怒りはルームメイトに対して効果があった。玲の表情から余裕と驕慢さが消え、甘ロリ少女に対して初めて怯えの色を見せている。膝の上に置いた手を全身ごと小さく震わせながら蚊の鳴くような声で言った。
「ひっ……! ご、ごめん、なさ……」
弱々しい謝罪が返ってくる。実直な反応に菜翠のほうがかえって戸惑ってしまった。偉そうに屁理屈をこねくり回すかと思いきや、完全に予想外であったのだ。あまりにも弱々しくうつむく玲を見て、居たたまれなさを痛感した菜翠は何とか彼女を慰めようと声をかけた。
「あ……ベツにそこまでヘコますつもりはなかったんだけど……キミがソコまで反省してるというなら、もう怒ったりしないから。……ゴメンね」
ヒトミさんの件といい、ボクって実はカッとなりやすい女の子なのかなあ……と菜翠は自己嫌悪に陥ってしまったが、正直、玲の奇矯な行動は誰にも歓迎されないだろう。ただ、ルームメイトが思ったほど性根の悪い少女ではないとわかった菜翠は、いくらか心をラクにさせて初めて玲に手を差し伸べようと試みた。
「レイ……って呼んでもいいよね? せっかくだからキミのぬいぐるみのコトをいろいろ聞かせてほしいな。そうすれば、ボクがいちいちうるさく聞かなくても済むでしょ?」
オオカミのぬいぐるみをギュッと抱きながら怯えていた玲はようやく気力を取り戻し、菜翠の顔をうかがいながら応えた。
「そう、ね。玲の家族のこと、あなたにも知ってほしいの。エモノ、じゃなくて、えっと、その……」
玲はロコツに困ったように身じろぎし、ここで菜翠はこのルームメイトに名乗りを上げていないことに気づいた。
「そう言えば自己紹介がマダだったね。ボクは筧 菜翠。ナミって呼んでくれていいからね」
「筑波 玲……。そして、この子たちは玲の家族なの」
「家族……?」
玲は頷くと、改めて九体のの並べて説明を始めた。
長女が大きなテディベアの『アン』。
次女がヒョウのぬいぐるみの『ニコル』。
三女が可愛らしいウサギの『ミミ』。
四女が逆ハの字の目をしているキツネの『スー』。
瞳に会う前に、玲がやらしくさすっていた黒ネコが五女の『メイ』。
そしてついさっきまで抱きしめていた灰色オオカミが六女である『リッカ』。
七女は、ここからいきなり鳥類に。白ハトの『ナナ』。
八女、菜翠も思わず飼いたいと思ってしまった柴犬の『ハチコ』。
九女はなんともよちよち感満載の、ひなペンギンの『クー』。
紹介する玲の口調が本調子になるにつれて早くなっていく。
「アンが皆のお姉さんで姉妹のまとめ役。ニコルがお洒落が大好きで一番お金がかかる子。三番目のミミは運動が大好きで、四女のスーが引っ込み思案な性格。黒ネコのメイは家族の中で一番スタイルが良くて、女の子とのスキンシップが大好き。リッカは一匹狼で、ナナはちょっと不思議ちゃん。でも、どっちも本当は家族思いで優しいの。ハチコとクーはまだ幼くて、他の姉妹にくっつきたがる甘えんぼさんなの」
ずいぶんと盛大な女家族である。細かい設定があるんだなあと菜翠は思ったが、設定なんて言ったら機嫌の戻った玲はまたふてくされることだろう。この程度なら寮部屋もたいして狭くならないと安堵しながら、菜翠はさらに会話を進めた。
「家族って姉妹だけ? 両親や、他のオトコのヒトは……?」
「パパは海外勤務、ママは玲。そしてパパ以外の男性はいないの。そんなの不必要ってアユが言ってたから」
「アユって?」
「玲の家のメイド。羽海愛結っていうんだけど」
「そうなんだ。でも……なんで、そんなにイヤそうに言うの?」
玲は可憐な顔に憎々しげな表情をつくった。
「玲、愛結のこと、嫌いなんだから」
「それはそれは……」
わけのわからない返答になってしまった。メイドのアユさんのことは、当然菜翠は知らないわけだが、彼女のせいでこのお嬢サマがネジれた性格になったのかと思うと、気にならずにはいられなかった。
何やら空気が精神的乾燥に満ちあふれつつあったので、菜翠はどうにか話題を変えようと試みた。
「……そ、そう言えば、黒ネコのメイちゃんをじゃれあってた時にネネって名前が出てきたよね?」
「ネズミのネネのこと? あの子はメイの彼女なの。学校でもプライベートでもいつもベタベタらぶらぶ。今日は家族水入らずと考えて連れてこなかったんだけど」
「カノジョって……メイちゃんはオンナノコだよね?」
「そう」
「それなのに、オンナノコのネネちゃんと付き合ってるの?」
「おかしい?」
「オカシイ、って……」
「女性どうしの恋愛は『ばんぶつのせつりにもとづく』って、愛結が言ってたんだから」
またアユさんか。仮に出会えたとしても、正直、尊敬できる自信が菜翠にはあまりなかった。女の子どうしで仲良くなるのはモチロンいいことだと思うが、恋愛となるとちょっとそれは……というのが菜翠の恋愛観なのであった。
(それにしても、キライなメイドのはずなのに、そのヒトのコトバは信じてるんだ……)
菜翠がなんとも言えぬ表情になっていると、玲もため息交じりに言う。
「休みが来たら取りに帰らないといけないの。愛結と会うのはかなり気が引けるけど……」
「へえ、レイのうちかあ。チョット気になるカモ」
「そんなに気になるなら、今度、玲の家に来てもいいんだから」
何気なく言っただけなのに、まさかのお誘いである。菜翠は目を見開いた。思えばまだ入学と入寮の初日である。
「ボクが来ちゃってもいいのかな? たしかにレイのうちはキョーミがあるんだけど……」
「菜翠がついててくれれば、愛結も少しはマシに振舞ってくれるだろうと考えただけなんだから。それに戻ると言っても菜翠にはぬいぐるみを運ぶのを手伝ってほしいだけなんだから。おいしいケーキやココアが出ても、歓迎じゃなくてただのお駄賃代わりなんだから」
大きなテディベア……長女のアンを、まるで顔を隠すように抱きかかえながら玲がもぞもぞと言っている。彼女の表情に気づいていないようすで菜翠は手を打って快諾した。
「いいよ。このチョーシで少しでもレイと親しくなれればいいなと思ってるし。ちなみにぬいぐるみってどれくらい運ぶの?」
玲がアンの頭部から顔をのぞかせながら答えた。
「記憶の限りじゃ48」
「よ……!?」
それは菜翠の想像していた数の五倍以上はあった。しかも『記憶の限り』ということはもっと数の多い可能性だってある。すべてがアンていどの大きさとは限らないだろうが、それほどの数のぬいぐるみなど少女ふたりの手でどうにかなるものではない。
「ちょ、ちょっと待ってよ! いったいぜんたいどうしてそんな数に……」
「近所のおねーさんやこの子たちの友達、あとは行きつけのお花屋さんとか喫茶店のマスターとか、知り合いはたくさんいるんだから。……ごめん、菜翠。こんなにしゃべったの久しぶりだから下で飲み物を買いにいきたいの」
途方に暮れる甘ロリ美少女をよそに、玲はどことなく晴れ晴れとしたようすで(やはり一見すると分かりづらいが)立ち上がって、無情にも部屋を出て行ってしまったのであった。