ぬいぐるみプリンセス
あまりの出来事に立ち尽くしていた菜翠であったが、さらにあんまりな現実に気がついて全身をよろめかせた。
(も、もももしかして、ボクあの子にファーストキス奪われちゃった……!?)
まだ見ぬ王子サマのためにとっておいた初めてのソレを、おデコのルームメイトは無表情かつ無遠慮に奪ったというのか! 憤りよりも先に喪失感が遙かに上回り、菜翠は無意識に肩を落としていた。
その一方で、強引に口づけを交わしたルームメイトは、相手の少女のことなどすっかり忘れ去ったようすで、そっぽを向きながら持ってきた私物の荷解きを始めていた。
このとき菜翠は初めて気がついたのだが、玲は学生鞄だけでなく、籐編みのカゴも持ち込んでいたのであった。菜翠のトランクほどではないが、それでも十分に目立つシロモノだ。
玲は淡々と、その中にあったものを床に並べ始めた。
「…………」
菜翠は黙然としながら玲の行動を見つめた。彼女が取り出したのは、動物の姿をかたどったぬいぐるみであり、バスケットのカゴに無理矢理押し込まれていたらしくて、ややくたびれたようすだ。そのぬいぐるみが、全部で九体。審美眼にうるさい菜翠からして見ても、かなり可愛らしく、甘ロリの格好で抱き上げても十分サマになるくらいの品があった。
玲はそのぬいぐるみたちに向かって、いたわるように声をかけていた。
「みんな、お疲れさま。狭いところにぎゅうぎゅうで大変だったでしょ。ゆっくり休むといいわ」
ぬいぐるみに話しかけることは幼少期に菜翠もやってきたことだし、成人女性でさえもぬいぐるみに向かって愚痴をこぼすという話は聞いたことがある。ただ、(やはり他の少女より感情は乏しいものの)玲の口調が自分と対話するときよりも遙かに人間味がある点に、菜翠はいい感情を抱かなかった。
玲はさらに学生鞄からブラシを取り出して、ぬいぐるみの一つであるテディベアのお手入れを始めた。毛づくろいをしながら、他のぬいぐるみにも話しかける。
「ありがとうねアン、みんなの面倒を見てくれて。あら、クー。よく見たらかなり汚れているじゃない。後で念入りに洗っておかないと。……えっ、どうしたのメイ? まさか、出てきたばかりなのに、もうしたいの……? ダメよ。ネネがいないからって他の子を手当たり次第おそったら。もお、しょうがないから玲が相手してあげる……」
矢継ぎ早に繰り広げられる会話の壁打ちの内容を、菜翠は半分も理解できなかった。アンやらクーやらはどうやらぬいぐるみの名前らしい。ぬいぐるみの世話としては玲のそれは愛着としては度の過ぎたもののように思われた。
玲はテディベアの毛づくろいを中断し、今度は黒猫のぬいぐるみを持ち上げた。そして、次の玲の行動に、菜翠のファーストキスの衝撃は一気に吹き飛んでしまった。
「…………ふぇっ!?」
「ちゅっ、あむっ……ホントにもう、メイはしょうがない子なんだから……っ」
玲が黒猫のぬいぐるみにキスをしている。口ではなく、胸に。それも何度も。ぬいぐるみの造形は実際の猫によく似せてあり、しなやかな腰つきとくびれの再現が見事だ。猫の中ではかなりの美形であるに違いない。むろん、菜翠のような美少女ほどのエロティシズムはないが、それでも玲の奇行を許容する理由にはならない。
玲の奇行はそれだけではなかった。胸へのキスを済ますと、今度はシュッとした後ろ両脚の間に手を添えて、そして、股部をこすり始める。えっちな知識はキスぐらいしか知らない菜翠であるが、これが決してやってはイケナイことであることぐらいは容易に想像はついた。
「ちょ、ちょっとちょっと何してるのー!?」
ついにたまりかねて菜翠は口を挟んだ。絶賛さすさす中の玲は甘ロリのルームメイトの悲鳴にうんざりしたように振り返る。
「何よ。ウルサイわね。エモノのくせに」
「いやだから、ぬいぐるみ相手に何オカシイことやってるわけ!?」
「メイはおマセだから。こういうこと、したりされたりするのが大好きなの」
「いやいや! おマセとかそういう次元じゃないでしょコレはあっ!? それにそもそも、したりって……い、一体ダレに……」
「誰って、メイの彼女であるネネに決まってるでしょ。もっとも、今はいないから玲が代わりをすることになるけど」
数秒後、かぐわしい絵面が脳裏に襲いかかり、菜翠の神経は狼狽の極致に立たされた。
「か、代わりって、あのクロネコさんがされてたことを……レイさんがするの!?」
「黒猫じゃなくてメイ。とにかく、あの子は欲求不満だから、誰かがそれを静めてあげなくちゃならないの。他の姉妹たちじゃ荷が重すぎるから」
菜翠の顔は真っ赤になった。それってつまり、おむねにちゅーやおまたさすさすを玲が自分のかただでやるって言うこと!? ぬいぐるみ相手でもあれだけ恥ずかしかったのに……。
フットーしそうな脳みその中、玲の口調にも変化が訪れていた。
「わかったなら、さっさと出てって。さすがにメイも恥ずかしいって、言ってるんだから」
声がうわずっているのは他ならぬ玲のほうだった。あ、やっぱり恥ずかしいんだ。だったら最初からしなきゃいいのに……と菜翠はのんびり感心して、それからある事実をさとって愕然とする。まさか、クロネコさんと同じ格好をしてあんなことを……?
瞳とおデコの光の鋭さが増して、考えるよりも先に菜翠は大慌てで駆け出していた。『ほうほうの体』という表現がピッタリのようで自分の寮部屋を後にする。