『エモノ』
ルームメイトの姿を見たとき、菜翠の心境はきわめて複雑な状態にあった。現れたのが王子サマでなかったというガッカリ感と、意外と可愛らしいルームメイトが来たことへの対抗意識の芽生え。そして、開口一番「動かないで」と告げてきたその彼女と同じ空間で生活できるのかという不安が早くも現れてしまった。
とりあえず、言いつけどおりに菜翠は黙って直立していたが、ルームメイトの少女が近くまでやって来て、無遠慮に甘ロリを眺め出すと、さすがに黙っていられなかった。
「あの、レイさん、だよね……?」
「シッ、静かにして」
声をひそめ、菜翠は息を呑む。静かにした結果、玲は四方八方から菜翠の立ち姿を鑑賞し、最後にしゃがみ込んだ姿勢のまま、彼女の顔をまっすぐ見上げていた。チェック柄のタイツを眺めてから不意に顔を覗き込んできたので、二つの視線は勢いよくかち合うことになった。
「……ッ!?」
背筋がぞわりとする。不快感とは別の、かすかな静電気が神経を撫で上げてくるような、未知の感覚。
(ううっ、今のなに……? すごく、ゾクゾクする……)
あまりにもまっすぐで、純粋すぎる瞳。純度の強すぎる視線に、好奇心があるのは疑いようがないが、子供特有のワクワク感は微塵もうかがえない。興味というよりは『観察』『審査』と言うべきなのかもしれない。菜翠の焦燥が限界まで差し迫ったとき、ようやく玲が視線を外してくれた。
「……決めた」
そう、言い残して。
もっとも、菜翠の疑問は玲の「決めた」以前の状態であった。
「……あの」
「なに?」
「どうしてボクのこと、ジロジロ見てくるの……?」
玲は菜翠と正対しながら、喜怒哀楽の読めない表情のまま口を開く。
「……ダメだから」
「え? なにが……」
「そんなつまらない冗談で玲の気を引こうたってダメなんだから」
「…………」
ルームメイトの突拍子のない発言を理解するのに菜翠は四秒ほど時間を有した。
「……いやいやいや! ボクは別にキミの気を引くつもりはなかったし、そもそも冗談を言ったつもりもないよ!」
「誰かに見せびらかしたいと言わんばかりのカッコしといて、『見ないでください』なんて冗談以外の何物でもないと思うけど?」
「た、確かにその通りかもしれないけど……。でもでも、そこまでまじまじと見られる謂われはないよッ」
「うるさい黙って。『見せたがり』の分際で」
このおデコの少女は、見た目の可憐さに反して相当ハードな性格のようである。さすがに菜翠もムッとして、すましたようすでおデコをテカらせるルームメイトに詰め寄った。
「あのさあ、一体なんなのキミは。ちょっとカワイイからっていい気にならないでよね。誰がどう見たって、カワイイのはボクのほうなんだからさ」
腰に手を当てながら、甘ロリ姿の少女は自分の胸を誇るようにふんぞり返ってみせたが、玲はどこまでもマイペースな少女だった。菜翠の挑発などお構いなしに淡々と語り出す。
「そんなことより、玲はもう決めたんだから」
この少女は先ほどもそのようなことを口にしていた。どういうことだろうと菜翠は内心首を傾げたものだが、次の瞬間、ルームメイトの行動に目を剥くことになる。
「っ!?」
両頬にぬくもりが訪れたと認識したのもつかの間、玲の可愛らしい顔とおデコが至近距離まで迫り、菜翠は反射的に瞳を閉じる。
「んぅッ!」
閉ざされた視界のなか、唇に何かあたたかいものが押しつけられる。その正体をさとったとき、菜翠は驚いて目を見開いたが、それと同時に玲が勢いよく唇をついばんでくる。
「くちゅっ、あむ、ちゅぱ……っ」
「んんっ、んぁ! んうぅう! ……もぉ、なんなの!?」
力を込めて玲の肩を押すと、彼女は案外素直に手と唇を離してくれた。初対面で、しかも女の子どうしでキスをしたというのに、恥じらいを浮かべているのは菜翠一人だけだ。
玲は唇を艶やかに濡らしたまま、やはり平然と菜翠に告げたのだった。
「あなたは今日から、玲の『エモノ』。拒否なんて許さないんだから」
あまりの事態に、菜翠はしばらく言葉もなかった。