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プリンセスと先輩たち

 理純諸美と名乗った先輩に招かれて、菜翠は家庭科室の中に入った。

 とたんに香ばしい匂いが、菜翠の鼻腔をくすぐった。


「ちょうどクッキーを焼いてたのよ。一緒に食べる?」

「あの……他に部員さんはいらっしゃらないのですか?」


 見渡す限り、家庭科室にいるのは菜翠と諸美だけだ。菜翠は物寂しさをおぼえたものだが、諸美はそんな新入部員に優しく微笑んだ。


「星花祭で存分に頑張ってもらったからね。しばらく休ませてあげることにしたのよ。クッキーをつまみながら、料理部のことについてあれこれ話しておきましょう」


 やがてオーブンがチンと音を立て、諸美はミトンをはめた手で焼けたクッキーを取り出した。キッチンペーパーを敷いた皿にそれを盛り付ける。様々な種類のクッキーを作ったらしく、味より先に視覚で楽しめそうだ。


 クッキーをつまみながら、諸美は菜翠の入部届を見つめてつぶやいた。


「へえ……菜翠ちゃんの名前ってこう書くのね。聞いただけじゃわからないかも」

「あはは……よく言われます」

「ところで菜翠ちゃんは、どうして料理部に入ったの?」


 菜翠の心臓が、思わずぴょんと跳ねた。


「そ、それは……」


 さすがに好きな女の子に手料理をご馳走したいとは先輩には言いづらかった。城咲紅葉は女の子どうしの恋もアリと考えている少女だったが、この先輩が彼女と同じとは限らない。

 菜翠は回答をはぐらかし、料理部部長に問いかけた。


「そういうモロミ先輩はどうして料理部に入られたのでしょうか……?」

「誰よりも愛している人を、まずは胃袋から夢中にさせてあげようかと思ってね」

「モロミ先輩のコイビト、ですか……」


 もしかして女の人だったりして? という希望が一瞬、菜翠の中に湧いてきたが、まだわからない。この眼鏡の先輩は雰囲気も体型も異性にモテそうな感じがあるし……。

 菜翠はさらに突っ込んで尋ねてみた。


「えーっと、先輩のコイビトって一体どんな方なんです?」

「ああッ! そう言えばロッカーに引きこもってると言ってすっかり放置してたわ!」

「は、はい……?」


 ナニ、その人? ロッカーに入ってるって、どういうコト……?

 クッキーをつまみながら菜翠の頭はパニックに襲われたが、諸美は席から立ち、部屋の隅にある掃除用具入れのロッカーに駆け寄った。

 そして、ロッカーを開けたとき菜翠は「うわあ!」と悲鳴を上げたものだ。


 人が転がり出てきた!


 冬服に衣替えする前の星花の制服を着た女性が、鈍い音を立てながら家庭科室の床に這いつくばる。諸美に引っ張られて立ち上がった彼女を見て、菜翠はもう一度悲鳴を上げそうになった。


(こ、この人、大丈夫なのかな……?)


 その人は決して不美人ではなかったが、顔色は悪く、目の下のクマがものすごいことになっていた。そのクマが示す通り、ここしばらく眠っていないのだろう。諸美の呼びかけにも頭をぐらぐらさせるだけでまともに応えない。


「あたるさん、クッキーが焼けたわよ。それとも珈琲ができてからのほうがいい?」

「…………んぐ?」


 寝不足の女性の背中を押しながら、諸美は彼女を座らせ、クッキーを差し出す。


「はい、あーん」


 事務的にあたると呼ばれた女性が口を開ける。その中にクッキーが飛び込み、口が閉ざされる。もごもごと口は動いているが、きちんと噛み砕かれているかどうかは疑問だ。


「うう、も、諸美、クンか……」

「あ、やっと元の世界に返ってきた。やっぱり糖分は大事ね。もうすぐコーヒーも出来上がるわ」

「……ありがとう。私のような超絶ゴミ屑のためにそこまでするなんて……」


 なんだかヒガミっぽい人だなあ……と菜翠は思う。何があったかは知らないが、何やらすごく思い詰めているらしい。不意に彼女の瞳から涙が頬を伝ったときには菜翠は焦って諸美に救いを求めた。


「ああ、菜翠ちゃんに紹介しないとね。こちらは架葉かけばあたるさん。文芸部の部長さんになりたてで、小説を書いてるみたいだけど、スランプがひどいらしくてね……。調子が悪いといつもこうなの」

「ううう、どうせ私はクズなんだ……洗濯用洗剤にさえ見捨てられたシャツにこびりついたヨゴレ同然の存在なんだ……」


 そう嘆くと、テーブルに突っ伏して泣き始めてしまった。


 菜翠は居たたまれない気持ちになったが、できることと言えば諸美のクッキーを堪能するぐらいしかなく、その先輩に改めて確認してみた。


「あの、こちらがモロミ先輩のカノジョですか?」

「そうよ。あたるさんの小説の悩みについてはどうにもできないけど、せめて倒れさせないようにしたいからね」

「優しい方なんですね」


 素直に菜翠はそう思った。自分なら、このような取っつきにくい先輩はムリだなあと思ったものだが、もしかしたらレイも彼女と大して変わらないのかもしれない。


 コーヒーメーカーのアラームが鳴り、諸美はさっそく陶器のティーカップに黒色の液体を注ぎ、渋い匂いとともにそれをあたるの前に差し出した。


「はい。あたるさんの好きなコーヒーよ。好みになったか自信はないけど」

「……諸美クンの淹れたコーヒーがまずいわけないだろう。ありがたくいただこう」


 のっそりと頭を起こした架葉先輩は頬に涙の跡を残したまま、湯気の立ったコーヒーに息を吹きかけた。

 猫舌なのか、長時間フーフーしてから一口すすると、不健康な顔色に血が戻ってきたようであった。


「……おいしい。さすが私の好みをよくわかってる」

「うふふ、どういたしまして。高城先生直伝の配分だけど、満足する結果は出せなくて……」

「何を言う。先生は先生だろう。とんでもなくドス黒く死ぬほど苦いのに、後味は素晴らしいときてるのだから」


 それ、ホメてるのかなあ……? その表現を聞くに、スランプから脱するにはまだまだ時間がかかるのではないだろうか。

 呆気に取られる菜翠を尻目に、モロミ先輩が嬉しそうな顔をしている。それなら外野が改めて何かを言うのは無礼というものだ。


 ゴクゴクとコーヒーを飲むあたるに触発され、菜翠もなんだか喉が渇き始めた。申し訳なさそうに諸美に視線を送る。


「わたしと菜翠ちゃんはジュースにしましょう。あのコーヒーを普通の子が飲んだら胃がひっくり返っちゃうわ」

「そ、そうなんですか……」


 どれだけキョーレツなコーヒーなんだろう。その苦いコーヒーをあたるはさらにおかわりをし、諸美は冷蔵庫から取り出した紙パックのりんごジュースに二人分のカップに注いだ。


 喉が潤うと、今さらながら諸美は恋人に新入部員を紹介する。


「あたるさん、彼女は新入部員の筧菜翠ちゃん。漢字は説明が難しいから省略しちゃうわね」

「ふむ……もぐもぐもぐもぐもぐもぐ」


 きちんと聞いているのかどうか怪しい、あたるの反応である。ハムスターのようにクッキーを頬張り、コーヒーでそれを押し込むサマを見ると、作った人に対してシツレイじゃないのかなあと菜翠はいい反応を示さなかった。モロミ先輩はどうも恋は盲目状態らしい。

 諸美もひとまずあたるに構いつけるのを中断して、菜翠を見た。


「菜翠ちゃんも、好きな女の子に美味しいものを食べさせたいのでしょう?」

「は、はい!」


 反射的に肯定してしまった。二人のやり取りを見た以上、もはたためらう必要もない。

 諸美は菜翠のそわそわする態度を見て、すごく嬉しそうだ。


「うふふ、やっぱり。そういう目的で入部する子は多いのよ」

「そ、そうなんですか……」

「でも菜翠ちゃんみたいな可愛い子に手料理を食べさせてもらえて、相手の子は幸せね。ぜひ頑張ってその子の胃袋を支配してちょうだいね」


 イブクロを支配する、か。改めて考えると、レイは筑波家の屋敷でアユさんとかの料理に慣れてるんだよなあ……。もしかして結構グルメだったらどうしよう。


(ボク、レイを喜ばせることができるかな……)


 筑波邸で食べたご馳走の味を思い返すと、ためらいが胸を圧迫してきそうであったが、そこで引き上げてしまったら自分がどうして料理部を訪ねたのかわからなくなってしまう。


(……がんばろう)


 いや、頑張るしかないのかもしれない。

 ボクはレイのために何かすると決めたんだから。


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