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おこづかいプリンセス

 玲の発狂と逃亡は、菜翠の半身を精神的苦痛で冒したものであるが、残りのもう半分まで絶望にいたらしめたのは、次の電話によるものだった。


 筑波玲が桜花寮を去り、星花女子学園にすら来なくなってから数日が経過した。意気消沈ぎみで学校生活を送っていた菜翠は、お昼休みになって携帯電話からバイブレーションを受け取った。お姫サマに憧れる菜翠だが、携帯電話に対してはこだわりはなく、母が格安で買った旧機種のものを使用している。通話ボタンを押すと家庭的な女性の声が流れてきた。


「菜翠、ちょっといい」

「ママ、どうしたの……?」


 菜翠の声に緊張がはしった。筧親子の関係は必ずしも良いとは言えないが、それが菜翠の母親が非情な人間であることを意味するわけではない。むしろ彼女は誰よりも家庭のことを気にかけるタイプで、倹約精神の強い女性でもあった。そのため、ロリータファッションや化粧品にお金をつぎ込む菜翠のことをよく思っていなかった。独り立ちしたときから節制と貯蓄に励んでいた身としては、金遣いの荒い一人娘の将来を憂うのは当然のことである。


 親の心子知らずというべきか、菜翠にとってはママの態度はうとましいだけの存在であり、同時にいつ堪忍袋の緒を切らすか怯えなければならない恐怖の対象でもあったのだ。もっとも、金遣い以外のことで責められることはあまりないから、強引に差し押さえされていないだけ現状はマシというべきかもしれない。


 桜花寮に移ってからは親の重圧に見舞われることもなかったが、いきなり電話してくるなど一体どういうことなのだろう。


 そのママが、わずかに思いつめた口調で告げた。


「おばあちゃんね、入院することになったのよ」

「なんだって!」


 菜翠の全身が衝撃でこわばった。携帯電話を掴む指をかすかに震わせながら、声もまた自然と揺らしながら問いかける。


「だ、ダイジョウブなの……?」

「まあ、ただのギックリ腰だからね。すぐに退院するでしょうけど」


 筧家は現代では珍しい三世帯家族である。菜翠と両親、そして母方の祖母の四人家族だ。そして、その祖母は、菜翠の趣味にとってなくてはならない存在であったのだ。


 祖父が亡くなってから、祖母は孫娘である菜翠のことを人一倍可愛がった。菜翠もまた、可愛がってくれるおばあちゃんのことが大好きであったが、その愛情には若干、不純な思惑も含まれてあった。


 菜翠はよく祖母のお手伝いをしたものだ。そして、そのたびに祖母は菜翠にお駄賃をもらっていた。そのお駄賃の額は子どもにしては多すぎるものであり、そのお金が菜翠の趣味の資金源だったのだ。もらいすぎな件については母が再三注意をしたものだが、お駄賃の減額を了承するかたわらで、おばあちゃんは「ナイショよ」と言ってさらにお札を握りしめさせてくれたのであった。


 そのおばあちゃんが、たとえギックリ腰と言えど入院することになるわけだから菜翠としては心を痛まないわけがない。お駄賃うんぬんを抜きにしても、祖母に対する愛情に偽りはないのだ。それは母親とて同じであろう。


 不安と当惑を胸中に渦巻かせていた菜翠であるが、そのとき母の声がふいに変わった。袋小路に悪童を追いつめたときのような声だ。


「それより、菜翠。あんたこっちに移ってからコッソリおばあちゃんからお金をもらってるんですってね。金額を知っておったまげたわよ」


 菜翠の背筋に見えない氷柱が滑り落ちた。母親の指摘は真実であり、お金の入った茶封筒を星花女子学園の中等部桜花寮名義で毎月送ってくれるのであった。だから、寮に移ってからも菜翠は趣味とお金に関して困ることがなかったのだが……。


「中学生の女の子には過ぎた額と思ってね。おばあちゃんと念入りに話し合った結果、あんたに送るお小遣いを削って家の今後のために使うことにしたから。まったく、うちの母は孫には甘いんだから……」


 最後はほとんど愚痴めいた口調である。もともと、母が娘を桜花寮に入寮させたのは、精神修養だけでなくホイホイお金を渡してしまう祖母と引き離す目的もあったのかもしれないが、これでは目論見もおじゃんであろう。


 そして、減らされたお小遣いの額を聞いて、今まで黙って聞いていた菜翠は耐えきれずに声を荒げた。


「チョット待って! いきなり五分の一に減らされるなんてムリヤリじゃない!」

「普通の中学生は一〇分の一でも多いぐらいよ! あんたのそのフリフリした服やカラフルなカツラとかやめれば余裕で生活できるっての。あんたはお金の使い方が危なっかしいから、ちょっと周りのお友だちにお小遣いどう使ってるか聞いてみなさいよ!」


 さらに憤然と言い返され、再反論の言葉を探しているうちに通話は一方的に切られてしまった。反射的にかけ直そうと思った菜翠であったが、怒りが神経を支配していて議論をまともにおこなえるとは思えず、携帯電話をハンドバッグの中に突っ込んだ。改めて食堂に向かうも不安と苛立ちが頭の中で泡立っている状態だ。


(『やめれば』だって? ボクはソレにすべてをかけてきたのに……!)


 それでも、自分のお金事情に不安を抱いているのは事実であったわけで、母親の意のままにされているのもしゃくではあるが、参考として友人のもとを何名か尋ねて回ることにした。


 その日の放課後、一人目の姿を求めて図書室を訪れると、さっそくお目当ての人物と遭遇した。本を数冊抱えた城咲紅葉じょうさきくれはであった。緩やかな三つ編みと洒落た眼鏡の少女は知性と瀟洒のシンボルのように見え、落ち着いた雰囲気の図書室にふさわしい。


 このときの菜翠は制服姿のままであったが、紅葉はすぐに友人の姿に気づいたらしい。柔らかい笑みを向けた。


「まあ、筧さんじゃないですか。奇遇ですね」


 紅葉の態度は数ヶ月のうちに様変わりしていた。入寮当時のおどおどとしたようすはどこへやら、今やすっかり周囲の空気に順応し、菜翠に対する態度も堂々としたものであった。


「いったん席に戻りましょうか。副島さんもいらっしゃいますので」

「ヒトミもいるんだ?」


 菜翠の声に意外さがともなった。もう一人の友人である副島瞳そえじまひとみは水泳部所属の少女で、悪い言い方をすれば、図書室や本にあまり縁のないように思われた。だが、親友二人が同じ場所にいるのは菜翠としても都合がいい。紅葉にうながされてテーブルに向かうと席の側で瞳が手を振っていた。突如現れた菜翠に対して嬉々とした表情を投げかける。


「おおお、菜翠っちも先生の最新作を見にきたの?」

「センセイ……?」

「副島さん、やめてください。私はそんな大それた存在じゃないんです」


 照れを誤魔化すように言いながら紅葉が席に着く。テーブルには原稿用紙が広げられてあり、綺麗な字がマスの中を飾っていた。どうやら小説を書いていたらしい。そっと内容を覗き見ようとしたとき、瞳が紅葉に対して尊敬の眼差しをきらめかせている。


「まったまたそんなあ。教科書の内容が全部、紅葉っちの小説みたいだったら授業もだいぶ楽しくなってるはずなんだけどなー」


 顔面から羨望のオーラがミルキーウェイのごとく降り注がれるのを、文学少女はオトナの態度で受け入れた。


「さすがに褒めすぎですよ。副島さんだって、水泳部で大活躍と聞いてますが」

「いやあ、顧問があたしに対して将来有望って言ってくれただけだもん」


 言葉は謙虚でも、顔は明らかにまんざらがゼロといったようすである。


「確か、顧問は水垂みすい先生でしたね」

「すいすい先生はいい顧問よー。部員のことをいつも気にかけてくれるし、くたくたになると足裏や太ももや肩やら腰やらまっさーじしてくれるし」

「そ、それはなにより……」


 紅葉の平静がわずかに崩れかけている。声に裏返りの兆しが見られ、ずれてもない眼鏡をくいと直す。菜翠には紅葉の動揺の意味はわからなかったが、このままでばいつまで経っても本題に入れない。やや話の腰を折るようなかたちで、菜翠はお小遣いの話に移った。


 唐突にお小遣いの話を振られて、瞳も紅葉も虚を突かれた顔になったが、別段沈黙するような話題でもない。二人とも快く加わってくれた。


 先に答えたのは瞳であった。


「親に月いくらもらってるかって? あたしは二〇〇〇かなあ」

「そんなんで生活できるの!?」

「で、できるも何も、こうして今あたしは生活してるわけですますし……」


 ずいと身を乗り出されて瞳は気圧されたようすで菜翠を見返した。紅葉が「お静かに」と優しくたしなめてから、水泳部の新星に対して問いかける。


「ちなみに何にお金を使っていますか?」

「うーん、おもにお菓子かなぁ。あとは、いい服とか靴とかあれば買っちゃうけど」


 もっとも、服を買うと言っても菜翠のように高価な服を大量に買うことはまずないようである。その額で不満に感じているようには見えなかった。

 菜翠は今度はもう一人の友人に尋ねてみた。


「クレハはいくらもらってるの?」

「とりあえず、決まってるので言えば月五〇〇円ですね」

「ごひゃく!?」

「ソレこそどうやって生活してるのさ!」


 菜翠どころか瞳まで声と目を大きくさせ、近くにいる利用者から反感の視線を一斉に受けることとなった。紅葉が口元に人差し指を当てながら、萎縮しきっている二人に静寂をうながした。


「お静かに願います。……説明不足でしたが、五〇〇円だけで生活しているわけではないのです。毎年くれる決まった額が五〇〇というだけで、ほしいものがありましたら親の了承を得られればちゃんと買ってもらえるんです。たいてい文房具か書籍ですね」

「なあんだ。そういうことか~。びっくりしたよーもうー紅葉っち!」


 いきなり肩を軽く叩かれて、紅葉は表情の落としどころを見失い、苦笑するにとどめたようだった。


「でも、やっぱり五〇〇円ぽっちじゃイザというときにキビしいんじゃない? お菓子とかジュースとかほしいときあるでしょ」

「寮では水と麦茶はフリーですし、お菓子に関しては部室に大量に用意されているんで、むしろ十分すぎるんですよ」

「紅葉っちって、確か文芸部だっけ……?」

「いえ、茶道部です。いちおう部活動の一環で和菓子も使いますが、先輩方がよくスイーツを買ってくださるので、それをいただきながら駄弁ることが多いですね……」


 紅葉の言葉尻に切なさが滲み出ていた。後にわかったが、彼女は当時、体重と体格に悩まされていたようであり、部活への自粛も考えていたそうである。菜翠からすれば気にするような見た目とは思わないが、とにかく体格より豊かな胸部のほうが目立ってしまっている(水垂先生のはち切れんばかりのおムネには負けるが)。


 二人の回答が終了すると、質問者当人に対して、それぞれの勢いで好奇心を示した。瞳はわかりやすいほどまっすぐに。紅葉はあくまで控えめに。


 菜翠は心臓に緊張をほとばしらせながら、祖母が密かに送ってくれた額を告白した。規格外の金額に二人の友人は常識的な精神を打ちのめされていた。


「それはまた……ものすごい額ですね」

「そだね。毎月そんなにもらえたらスイーツとか食べ放題じゃん」


 実際もらえたら、本気で食べ放題をするつもりだろうか。まあ、スポーツ少女の瞳なら食べたところで泳ぎの燃料になるだけだろうけど、そうはならない菜翠たちからすればお腹も頭も苦しくなる話である。


 とにかく、二人からしてもマトモな金額でないとわかったので、菜翠としてはがっくりと肩を落とすしかなかった。


「やっぱり……こんなにもらうのはヘン……なのかな?」

「いえ、確かに私であれば持て余しそうになりますが……それは筧さんの家の事情ですから」

「そうそう。周りがどう思おうが気にしちゃ駄目なんだって」


 お互いがそれぞれフォローしてくれているが、菜翠の心はすでに黒い森の中をさすらい歩いていた。無理に笑顔をつくって言う。


「ありがとう。……ボク、もう行かなくちゃだから」


 二人の友人の反応を極力見ないようにして菜翠は図書館を後にし、誰もいない桜花寮の自室へと戻った。

 玲がいなくなってから、菜翠は一度もお姫サマに変身していない。甘ロリータに袖を通そうとするも、妙なむなしさにとらわれてしまうのだ。


(レイの大切なものをコワしてしまったボクが、こんなことをしていいんだろうか……?)


 罪悪感が針となって菜翠の心臓を突く。玲の人となりは理解しがたいところがあるが、それでもあのような目に遭わせてしまったことはしのびない。さすがに打ちひしがれた玲をそのままにして趣味に浸れるほど菜翠の神経は図太くない。また、母親からお小遣いの削減を言い渡されたのも冷静に考えてみれば悪い気もしないように思われた。


(やっぱりボクはお金の使い方がおかしかったんだ。人を傷つけちゃったボクがこんなモノで楽しむシカクなんかないんだ。どうせ、お金もなくなるし、いいシオドキなのかもしれない……)


 それでも楽しんでた思い出が未練となって菜翠の心を引きずっており、思わず顔がくしゃくしゃになってしまう。しゃくり上げ、腕で濡れそぼった両眼をこすったとき、またもや携帯電話が鳴り響いた。


 もはや菜翠としては凶兆を告げる存在でしかないシロモノであるが、通話主を確認すると『宇海愛結』とあった。この前電話したときに寮監の電話を通じてでは不便ということで、電話番号を交換したのである。


 さっそくかけてみると、愛結が不安を思わせない声で提案を呼びかけてきた。


「菜翠さん。今度の休みにお嬢様の家に足をお運びいただけないでしょうか」

「えっ! ボクが……レイのおウチに……?」


 言わば何の準備もなしに王子サマの来訪を聞かされたようなものだ。とっさに反応することができず、次の愛結の言葉をボーゼンと聞くことになった。


「お嬢様は菜翠さんに許しを求めておられます。部屋の中でふさぎこんで、ただひたすら『ごめんなさい。ごめんなさい』と泣き叫ぶばかりで……。お手数ではございますが、菜翠さんの方からうかがってはくださいませんでしょうか……?」


 玲のことを気にかけていながら謝りに行かないなんて。菜翠は自分がひどい偽善者になったような気分であったが、それよりも玲のほうがこちらに謝罪しているという事実に菜翠は心を打たれた。


(ボクの方がワルいハズなのに、どうしてレイが? ボクなんかのために謝ってくれるなんて……)


 菜翠は思わず手で口を覆った。嗚咽を押さえるためであったが、その手の甲はすでに熱く細い川が滑り落ちていた。


 声の震えを抑えきれないまま、菜翠はメイドさんの提案を快諾し、予定の詳細を決めて通話を打ち切る。あとは少女どうしの、小さな勇気しだいであった。


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