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おしゃぶりプリンセス(後編)

 当人としてはそれほど自慢するものでもなかったが、甘ロリお姫サマの菜翠は健康優良児の一面を持ち合わせていた。特に寝付きに関しては非常によく、毛布に入って目を閉じればそのまま朝まで目を覚ますことがない。幼少期はクリスマスになるごとに「サンタさんに会うんだ!」と意気込んだものだが、結局、桜花寮に入るまでついにそれがかなうことはなかった。


 だからあの夜、玲の奇行をこの目でおさえることができたのは、ほとんど奇跡と言ってもよかったのである。


 目を覚ます直前まで、菜翠は夢を見ていた。「ちこくちこく~!」と、なぜか桜花寮ではなく自宅から全力疾走しており、階段を早足で駆け上がったと思いきや、いつの間にか違う場所に移っていた。このような不条理な場面の切り替えは夢の世界ではよくあることだ。


 菜翠が辿り着いたのは小学校の時に親に連れてってもらった美術館を思わせる空間で、黒塗りの雑踏にまぎれながら、ひとりの少女がぽつねんと立っているのが見えた。


 その少女はどことなく虚ろげな視線で絵画を見つめていたが、菜翠の気配に気づいたのか、こちらのほうを向いて笑いかけた。顔は靄がかかったかのようにハッキリしなかったのに、なぜか虚ろな視線も微笑の波動も菜翠には感じ取ることができたのだ。


 二人はまるで小学生以来の親友のように世間話をかわした。内容はハッキリしないが、少なくともそこはかとないムードを実感しつつある菜翠であったが、そこで夢の世界は途絶えた。水面から一気に顔を上げるように意識を取り戻し、ゆくりとまぶたを開ける。


 目を覚ますには、まだ早すぎる時間であったようだ。カーテンに締め切られた寮部屋は完全な闇に覆われており、いかなるものも見通せないように思われる。だが、その闇の中に乗じてうごめいている人の気配を菜翠は感じ取ることができた。


 というより、これほどの至近距離で気配を感じられなかったら、人として鈍いどころでは済まされないだろう。何しろ、その気配の持ち主は仰向けの菜翠のすぐ上で四つん這いになっていたのだから。


 か細げかつ可憐な息遣いによって正体など知れたようなものだ。その音が意外と近くにあったものだから、菜翠は全身から冷や汗を禁じ得ない。ネグリジェとむき出しの腕を湿らしながら闇の向こうにいる相手を透かし見ようとしたが、圧倒的に光が足りていない。しかたなく、菜翠はあえぐように相手の名を呼ぶのだった。


「レイ……ボクが寝てる間にナニしようとしてたのさ?」

「目を覚ましちゃったの、菜翠」


 特に感情の機微をうかがわせない筑波玲の声だった。察しはついていたとはいえ、菜翠は大きく息を吐いた。緊張で、今まで呼吸を忘れていたのだ。同時に彼女に対して薄気味悪さを感じずにはいられなかった菜翠である。自分が無防備に眠りに落ちている隙を見て、彼女は何をしようとしていたのか。


 闇の中のルームメイトは、玲の疑念に対して潔い態度を示したかのようにみえた。


「玲が何をしてたのか知りたいの? いいわ。教えてあげる……」


 菜翠の右手首が玲の両手によって包まれて、そのまま闇の向こうへ引き寄せられる。なんだか妙に生々しいものに当たってしまい、その正体をさとったとき、菜翠は「うひゃあっ」と小さく悲鳴を上げてしまった。


 手に受けた感触は、同時に二つのことを教えてくれた。一つは自分の右手がどうしようもなく湿っていたこと。そしてもう一つは、その湿った手がダイレクトに玲の柔肌に当たったことである。ほどよく成長したふくらみの片方を、菜翠はとっさに掴んだのだ。


(まさか、レイ、服着てないのーーーーっ!?)


 仰天する菜翠だが、そんな彼女をよそに一糸纏わぬ(と思われる)ルームメイトは、まるで闇の中で見えているような手ほどきで菜翠の手のひらを自分の体躯にまさぐらせていた。


「アハァ……ねえ、見て菜翠。あなたの手が玲の身体をまさぐっているの……ッ」


 マックラでなーんにも見えないんですケド……と間の抜けた思考がよぎったのは、現実逃避のあらわれなのかもしれない。心地よい柔らかさに包まれた感触は、だがその分、菜翠の脳裏に強い危険信号を投げかけており、すんでのところで理性をふん縛らせる。


 生乾きにも似た感触もそうであるが、それ以上に、初めて聞く玲の笑い声が波の心を恐怖に引きつらせた。肌の質感よりも熱く湿り気を帯びた、日常生活で求められるとも思えない、調子外れな笑い声。菜翠は悪寒が背筋にぞわぞわと這い上がるのを感じたが、なぜか同時に心の中で微かな高ぶりをおぼえてしまっている。


 菜翠の焦りはまだまだ終わらない。手が肌から離れたかと思いきや、今度はさらに熱いぬかるみの中に引きずりこまれた。


「ヒッ……!」


 しゃっくりに似た悲鳴とともに、神経が激しい引きつけを起こした。菜翠の右手は玲の口の中で新たなぬめりを生成しており、熱く湿った狭い空間で縦横無尽に舌を這われて、皮膚と心が同時にくすぐったさをおぼえた。


「アハァ、菜翠のお味、とっても美味しいのぉ……もっと菜翠の色んなところをむしゃぶり尽くしたい……」

「ねえ、レイ。オネガイだから、こういうの、もうヤメようよお……。こんなのゼッタイ、オカシイから……」


 ついに泣き言のように菜翠は懇願した。頭がパニックの海に溺れてしまい、泣いてすがる以外に方法が思いつかなかったのである。


 だが、玲のほうはそんな菜翠の願いを狂いかけの笑みで黙殺するのだった。


「おかしくない。玲のすることをおかしいと言うなら、おかしいのはその世界のほうなんだから」


 なかなかミステリアスな口調だが、言っていることは「バカと言うほうがバカなんだから」とあまり変わりないように思われた。


 とにかく、玲は菜翠の言葉を聞くつもりはないようだった。従うどころか、逆に狂的な嗜虐をたぎらせたようで、ほてった裸体を毛布越しに菜翠のネグリジェに押しつけていた。押しつけながら、やらしい水音を立てて菜翠の手を汚していく。


「ヤダ、ヤダ、ヤダぁ……!」


 枕の上で激しく首を振り、菜翠はついにこらえきれなくなってしまった。そのまま泣きじゃくってしまうと、玲のほうもさすがに官能にひたってばかりもいられない。手を離し、肌色の肢体を引き剥がす。


「菜翠……」

「うっ、ぐすっ……イヤだって言ったのにぃ……!」


 恐怖の反動が語尾に力を与えたようであった。暗闇の中でキッと睨みつけたのを視覚以外の理由で玲はさとると、一度ベッドから離れて戻ってきた。濡れた菜翠の手に乾いた布が押し当てられる。どうやら自分で汚した手を自分で綺麗にしてくれているようであった。割と当たり前のことであるが、陳謝するような優しい手の動きに菜翠の怒りも和らいでしまうのであった。菜翠は純粋な少女なのである。


 あらかたさっぱり拭き終えると、玲は残念そうに言うのだった。


「菜翠が嫌がるなら……もうしない……」

「レイ……」

「でも、忘れないで。玲はこれくらい菜翠のことを思ってるってこと。菜翠は玲のエモノなの……誰にも渡さないんだから……」


 狂的な波動を再び滲ませ、暗闇に扮した少女は自分のベッドに帰っていったようだ。衣擦れの音が一切なかったから、裸のまま毛布をかぶったらしい。布団をかぶる音から可愛い寝息に行き着くまでの時間は、ごくわずかだった。


 ルームメイトがあっさり眠りに落ちてしまっても、菜翠のほうはとうてい眠れるはずもなかった。健康優良児としては形無しであるが、安心安全の牙城が崩れ落ちた以上、ぐっすりと寝るなんて恐ろしいにもほどがある。


(ボク……このままレイと一緒にいてダイジョウブなのかな……?)


 神経の細い人の態度というわけでもないだろう。ルームメイトにあのようなことをされた以上、彼女の言葉を簡単に信じることができなかった。彼女を他の寮生のルームメイトとして押しつける勇気もなかったが、微妙な緩急をたもったような関係が今後も続けていられる自信は菜翠にはなかったのだった。


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