あさがえりプリンセス
およそ四ヶ月ぶりです。まだ過去編やってます(滝汗)
筑波邸のお嬢様とメイドさんの秘め事が気になりすぎて、筧菜翠はほとんど寝付くことができなかった。眠気で頭が働かず、朝食のときなど、箸を逆さまに持って玲にたしなめられたほどである。
玲の『お友達』は持ち主の厳粛な選定によって、何とかバスケットに詰め込めるだけの数に絞れたようである。連れてきたテディベアのアンも入れて、玲の手でお持ち帰りされることになるわけだ。ひとりひとりに「ちょっと息苦しいけど我慢してね」と声をかけ、軽く口づけを交わす。部屋に残されたぬいぐるみの子たちにも「ちょっとだけ、お別れなんだから」と優しく呼びかけ、こちらも頭を撫で愛のある接吻をほどこす。
菜翠はルームメイトのぬいぐるみに対する愛情をすべて見ていたわけではない。朝食を摂り終えたせいで眠気がさらに加速して、とてものんびり見守っていられる状況ではなかったし、欠伸を噛み殺そうとしたところで、昨晩の秘め事に携わっていたメイドの宇海愛結に廊下へ呼び出されたのもあった。
菜翠は眠気に一抹の不安を混合させたよう顔で和服のメイドさんと対面すると、愛結はいやに血色のよい表情を浮かべたまま、黒髪に隠れた耳に顔を寄せた。ひそひそ話をするていである。
「……お嬢様との情交をご覧になったのですね」
鼓動が階段を踏み外したときのそれになった。実のところ『ジョーコー』の意味が菜翠にはよくわからなかったし、厳密に言えば見ていたわけでもないが、それでも盗み聞きという後ろ暗い行為をしたことには変わりないのだ。
心身ともに動揺の極致に立たされた菜翠に、愛結はさらにみずみずしい声を注ぎ込ませた。
「ふふっ、別に責めるつもりはございませんわ。ただ……」
愛結のささやきに艶麗さが加わった。
「そのことを知って菜翠さんが何を感じたか、気になるところではありますわねぇ……」
ぞぞ、という触感が菜翠の心臓を這った。愛結の声音は、屋敷のご令嬢にただごとならぬことをされた後の、妙に熱っぽく震えた響きを彷彿とさせた。よくわからないけど、本能が深入りするべきでないと察知し、飛び跳ねるようにして若いメイドの吐息から逃れた。
その愛結が口元に手をやって「まあ」と微笑んでいると、玲が部屋の扉からゆでたまごおデコを覗かせてきた。エモノがいなくなったことに気づいたようだ。
「何してるの菜翠。玲を差し置いてこんな女といちゃついてるなんて」
「イヤ、ボクたちはベツにイチャついてたわけじゃ……」
おデコよりもぎらついた視線に菜翠がうろたえると「こんな女」呼ばわりされた愛結サンがまったく気分を害したようすもなく顔全体を発光させた。
「あぁあ、お嬢サマぁん! この愛結にもっと冷ややかな視線と罵声を浴びせてくださいませええぇええっ!」
ここまでアブないヒトだったかな……と菜翠が唖然としていると、顔だけ覗かせたお嬢様もまたメイドの所望するような表情で『しっしっ』と手を振った。
「愛結のことなんか誰も呼んでないの。玲のエモノをたらすなんて真似したら許さないから」
「うふふ、むろんわかっておりますわ。お嬢様のお心は……うふふふふふ」
「むぅ。あとそれから、残された子たちは愛結がちゃんと手入れして」
愛結は年甲斐もなく元気よく頷きを返した。
「もっちろーん! お嬢様と思いながら、よーくよーく可愛がって差し上げますわっ」
「この子たちにも心があるの! 独りよがりの愛情でお世話しちゃ駄目なんだから」
それから「菜翠っ」と静かだが鋭い声が飛び、その名前の少女は鞭打たれたように声の主のもとへと駆け寄った。愛結は愛結で、後輩のメイドに呼びかけられてこの場を離れることとなった。
玲はこのとき、すでにすべてのぬいぐるみたちのお別れの儀式を済ましていたらしく、菜翠が戻ってくると、ぬいぐるみに視線を向けられるかたちで着替えを始めた。菜翠も借り物のネグリジェから着替えることにした。玲には昨日と違う服が用意されていたが、菜翠は宿泊の予定を聞かされていなかったので、訪れたときの甘ロリの衣装がそのまま物干し用のラックにかけられてあった。どうやって綺麗にしたか不明だが、とにかく生地は傷んでおらず、着心地もまるで新品に袖を通したかのようだった。
着替えと荷造りを終えると、二人は荘厳きわまる和風の屋敷を後にした。何人かのメイドがお見送りしてくれて、新人熱血メイドの安長飛鳥などは元気そうに手を振ってくれた。正門まで送り出した宇海愛結はピンクのウィッグをつけた菜翠に「お嬢様をよろしくお願いいたします」と密かに告げたが、なんとも意味深の響きがこめられているようで菜翠の返答はぎこちなかった。
西海谷駅から空の宮中央駅まで電車に移動し、星花女子学園の桜花寮に帰還するまで特にトラブルはなかった。急の外泊だったから、寮監に届け出は申請していないわけであるが、菜翠の知らないうちに筑波家のメイドが申し立てをしていたらしく、大してお咎めは食らうことはなかった。
寮部屋に着いたときには菜翠の睡魔は限界を迎えており、ロリータファッションのままベッドに転げこむと、すぐさま昨晩の寝不足のツケを払うことになった。
いっぽう、睡眠不足とまるで縁がなさそうな玲はバスケットからアンと、その他お友だちを広々とした空間に解放させると、ひととおりの手入れを終えてから毛布をかぶらずに寝そべっているルームメイトを見た。
「菜翠……」
甘ロリの少女はウィッグを外さないまま寝息を立てていたのだった。後ろ髪を後頭部で押しつぶし、前髪はほどけたひものようにうねらせて少女の寝顔に艶麗な影を投げかけている。
玲は毛布の上に手のひらと膝をつけてルームメイトを見下ろしている。菜翠からは平淡な感情の持ち主と思われがちであったが、その少女が甘ロリの眠り姫を前にして喉と心音を高く鳴らしている。十二歳の彼女にとって一番の緊張がこの瞬間にあるように思われた。
「菜翠……玲の、玲だけの、エモノ……」
ささやくように唱えながら、わずかに震える手をフリルとレースにまみれたエモノの身体に伸ばした。
大好きなぬいぐるみのことも、このときの玲の関心から失われているようだった。大きな焦げ茶色の瞳に危うげな光をちらつかせながら、裾長のスカートをそっとまくり上げた。純白のレースのタイツが膝まであらわになり、大腿部の下半分までさらして止まる。ちょっと肉が付きすぎている感があるが女の子としては非常に魅力的な太ももだ。
玲はぬいぐるみを愛でるときとは別の高揚感を味わっていた。目のくらむような微熱を全身にくすぶらせながら、肌に絡みついたイツワリの髪の毛を払いのけ、ぬいぐるみ少女よりかはガードの堅いおデコに手を這わし、柔らかな唇の下部を指で軽くつまんで、離した。
「誰にも、渡さない……。菜翠、玲だけのエモノ……」
愛結にしたことを、ついに菜翠にもしてやれると思うと、心に熱をまとった乱気流も吹き荒れるというものだ。愛結の狂った性愛の観念をそのまま受け継いだ玲は、メイド同様に乱れる菜翠のようすを思い描いたものだが、同時にまだ早いという予感もおぼえて、玲は暴走寸前の精神をおさえた。まだ早い、というのは玲の心の準備がまだであるという意思表示ともとれるが、そのような弱気を玲が認めるはずがない。
「ふぅ……ひとまずこれで勘弁してあげる。でも、玲はエモノを絶対に離さない……」
玲がベッドを離れた後も、菜翠は物騒なルームメイトの思惑も知らぬようすで睡魔に浸っている。衣類の乱れも、派手な寝相によるものとしか考えないだろう。玲が何も言わない限りは。
そして、玲はルームメイトにもう一つ隠した事実があった。ベッドから下りる直前、遮るものをなくした菜翠の額に玲が唇を落とし、その後、音もなく薄笑いをたたえていたことを。
「……とっても、楽しみ」
それが桜花寮にやってきてからの、初めての彼女の笑顔であった。