3.ミンク
ピピ、ピピ。
耳に痛い音。
銀色の髪が頬に落ちるのを感じながら少女は寝返りをうつ。
隣に青年の姿はない。
そのまま無造作に手を伸ばして、目覚ましを止めると大きな伸びをする。
また朝早く出勤したのかな。
昨夜のイライラを思い出す。
早朝、多分シンカが出かける前にキスしてくれたのだろう、ふんわりとしたユンイラの香りの記憶がある。彼の体内のユンイラは独特な甘い香りをしていて、抱きしめられたりすると香る。
「また、寝てないのかな。」
ポツリと、つぶやく。
枕が冷たいのでなんとなく分かる。
そのひんやりした感触に頬を当て、ため息をつく。
シンカが私を大切にしてくれる分、私だって大切にしたいのに。心配なのに。
「もうっ!」
枕に八つ当たりしても仕方ない。起き上がると今日のことを考える。大学で受ける講義は四つ、夕方「惑星の歴史」研究会のサークルにも見学に行くつもりだ。
ミンクが大学に通うようになって、一番楽しいのは昼食の時間だった。仲良しになった女の子たち四人とカフェテリアで好きなものを食べる。おしゃべりする。
みんなはミンクの知らないことをたくさん知っている。流行の音楽や俳優、大学の先輩のこと、恋愛の事。ミンクはつい二年前まで自分の住む惑星以外に宇宙があり惑星があり、そこに違う種類の人がいるなど知りもしなかった。
このどうしようもなく足りない知識はおっとりした話し方とともに好評なようだ。世間知らずのお嬢様というレッテルは便利だ。
反論してかんぐられることを思えば、それはそれでいい。
今日もランチのパスタをほお張るミンクを、アレクトラがからかう。
「ねえ、ミンクの彼、どんな人なの?教えてよ。」
「いいなぁ!」
同じ講義をとることにしたシェデスルースもジュースを飲みながらミンクを見つめる。
少しむせながら、ミンクは頬を紅くする。
「私、てっきりミンクは奥手だと思ってた。だって、すごいお嬢様だし、世間知らずだし」
ミンクの銀の髪に触れるアレクトラ。
「そんなことないよ」
「それって、奥手じゃないってこと?」
「え?」
「キャー。可愛い顔して、案外経験豊富だったりして。語ってよ、語って!どんな人と付き合ってきたの?」
「もう!ないってばそんなの」
サラダのリーフをつつきながら、ミンクは口を尖らす。
口に入れようとしたそれを横から伸びた手がミンクの手ごと奪う。
「キャー!やだ、先輩」
シェデスが面白そうに笑い転げる。
サラダを食べられて、ミンクは大きな瞳をさらに大きくさせて、淡い金髪の青年を見つめた。すぐ背後に立った青年は気持ち悪いくらい近い。
「もう一口」
ミンクの肩に手をおき、右手は白い小さな手とフォークをつかんだまま、青年はサラダをつまむ。先輩、クーナ・キトラ・ベルの顔が間近にあった。
「やだ、クーナ先輩」
ミンクが顔をしかめるとするりとさりげなく距離をとり笑う。
「アレクトラ、今日の歓迎会、来てくれるんだろ?みんな、期待してるからさ」
涼やかな笑みを浮かべる青年にアレクトラは頬を染めて頷いている。
ミンクはこの先輩が苦手だった。
シンカより一回り大きい体格、高い鼻、笑うと必ずウインクになるくせ。誰にでもなれなれしく触れる態度。
緊張感のないすべてが見ていて落ち着かない。
信頼できない気がしていた。
アレクトラは初めて会ったときからこの先輩のことを気に入っている。恋しているのかもしれない。ミンクにはその趣味はよく分からない。
夕方からのサークルの見学に一抹の不安を覚える。アレクトラに誘われてこの先輩のいるサークルにも顔を出す予定なのだ。
クーナは去り際にまたウインクしてみせる。喜ぶ女の子たち。
ミンクは手に持ったままのフォークをそっと置いた。
先輩が口をつけたそれ。食べる気分ではなくなった。
夕刻、日差しはまだ高いが、午後の講義が終わったために時間をもてあました学生たちが中庭やカフェテリア、隙間さえあれば座り話し込んでいる。
そんな中を縫うように、ミンクとアレクトラは駐車スペースに急ぐ。
大学構内は車の乗り入れを禁じられているために、敷地の外れに学生専用の駐車スペースがある。クーナ先輩の車もそこに置かれていた。数台に分かれて目的の会場へと向かうらしい。
「先輩、どこに行くんですか」
アレクトラが後ろのシートから尋ねる。
車は音もなく静かに道路を進む。新入生の歓迎会だとかで、大学の外へ向かっている。
ミンクは耳を済ませながらも流れる街路樹の紅葉に目を奪われる。
「今日はちょっと特別なんだ。滅多に行けないところに案内してやるよ。」
クーナは運転しながら、後ろに小さくウインクする。
車はふっと高度を上げ、最上層の高速に乗る。
空を飛ぶ車、自家用小型飛行艇は、地上十五メートルから五メートル間隔で決められた三層の路線に沿って走る。上に行くほど高速で、つまり、遠くへ行くのにはこの第三層に乗るのだ。
急に風景が早く流れるようになって、ミンクは見ているのがつらくなる。前を見る。助手席のもう一人の先輩スード・キエラが、飲み物をくれた。
「ありがとう。」
にっこり笑うミンク。口数の少ないこの先輩はいい人だとミンクは思う。
ミンクの笑みに少し照れたように視線をそらし、座りなおすとクーナに小さく肘で疲れてからかわれていた。
「ねえ、先輩、ここ、地下街じゃない?」
空挺の動きに、アレクトラが緊張した声を出した。
「え?地下街?」
ミンクも外を見る。
「大丈夫だよ。俺たちよくくるんだぜ。知り合いがいるんだ。」
自慢下に、クーナ先輩が笑った。
後ろについてくる、お友達の車を確認して、ミンクは、不安な気持ちを押さえつける。
「初めてだろ?」
不安そうなミンクに気付いて、クーナが声をかける。
「うん。」
「俺たちのそばを離れるなよ。」
アレクトラは、そんなせりふにも、感動しているようだ。嬉しそうに頬を赤くしている。
「はーい。」
アレクトラが、元気に返事する。
案内された場所は、薄暗い、町のバー。
降り立った大学生十名ほどが、わいわいと止まらない会話とともに、静まった店に入っていく。
店内は、外見ほど暗くなく、汚くもなかった。入ると左側にくるみ材のカウンターがある。襟のあるシャツに黒い皮のベストを着た男が笑顔で迎えた。
「こんばんは。今日はまた大勢ね。」
長い金髪を腰まで伸ばした、背の高い女の人が、クーナに話し掛けた。
「この間言っただろ。新入生の歓迎会なんだ。ここは、大学の連中には刺激的だからさ。いい勉強になると思って。」
例のウインクで返す先輩。アレクトラは感心したように店内を見渡している。
ミンクは緊張したままだ。こんなところに来たことをシンカに知られたら怒られそうだった。
惑星リュードにいたときから、こういうところで守ってくれたのは常にシンカだった。惑星リュードは未開惑星。文明のレベルも低い上、治安も悪かった。だからミンクはこういう場所の恐さも知っている。
だって、私には何の力もない。
クーナたち大学の先輩がいざという時に頼りになるとは思えない。護身用のレーザーくらいは持っているのだろうけど、それを使うことの意味を知っているかどうか。
大学に通うのに、護身用の何かしらを持ったほうがいいかどうか迷ったミンクにシンカは言った。
「武器を持つっていうのは、それを手にしたときに覚悟が必要だよ。相手を傷つけること、自分が傷つくこと。小さなナイフ一つだって手にもてば、相手は切りつけられる事を思う。同時にお前に切りつけてもいいって考えるんだ。だから、その勇気がないなら持たないほうがいいよ。」
だから、ミンクは何も持っていない。それが、一番安全なのだと思った。
先輩に促されて座る。
飲み物が出された頃、店の奥から大柄な黒いスーツの男がクーナを呼んだ。
大柄な男たち数人と何か話をしながらクーナはミンクたちのほうを指差す。その様子を見ていたミンクと、クーナの目が合った。彼は慌てて、指していた手を下ろし男たちと奥に消える。
ミンクはいやな予感がしてきた。
ミンクの正体は知らないにしろ、ここに呼ばれた女の子たちはみんな、政府関係者の子女ばかりだ。そういえば、そうだ。偶然にしては、少しおかしい。
「さ、ミンクも。乾杯よ。」
アレクトラが楽しそうに、ミンクの手に淡いピンクのカクテルの入ったグラスを持たせる。
「クーナ先輩がいないよ。」
「ほんと。どこいっちゃったんだろ。」
「俺が見てくるよ。」
正面に座っていたスード先輩が、奥に消える。
ミンクはまわりに聞こえないように、そっとアレクトラにささやく。
「ねえ、なんだか恐いよ。帰ろうよ」
「やあねえ、大丈夫よ。ほんとにお嬢様なんだから。少しは冒険もしてみなくちゃ駄目よ。」
その内容がミンクの知っている年上の女性、セイ・リンがよく言うことに似ていた。考えすぎかな、と迷う。
セイ・リンにはことあるごとに、シンカから離れて自立するようにと勧められている。自分のために生きなさい、と。そのために少し勇気が必要なのかもしれない。
大学に入ったのも、そんな理由があった。




