2.地下街4
「大丈夫ですよ。エトロさん、決勝進出おめでとうございます。」
「ああ。」
「次号の特集で、地下街について掲載の予定なんです。この街にも、再開発の話がありますが、どうお考えですか?」
「そんなこと、俺に聞くことじゃねえだろ。」
ちらりと、シンカを上から睨んだ。
「エトロさん、ご自身もこの街で大変な思いをされてきていますよね。」
「お前、名前は?」
アドが、立ち止まった。
「僕、ファルム・シ・デアストル。ルーって呼んでください。」
ゴーグルを取って、にっこり笑う青年を、アドは改めて睨みつけた。
(なんだ、子供じゃないか。事あるごとに俺の生い立ちやら子供時代やらの悲劇を聞きたがる。美談に仕立てるたり、こきおろしたり、様々だ。この特権階級のお坊ちゃまもそういう類か。)
「この街が好きですか?」
アドは、青年の金色の髪をつかんだ。
ぐいと押さえつけると青年は仰ぎ見る形になってよろめく。大きな目でアドを見ている。表情は変わらない。
「お前、馬鹿か?」
「この街の再開発をPRしていただけることを条件に、あなたに援助したいというスポンサーがあるんですが。」
アドの大きな手をゆっくり、額から離すとシンカはにっこり笑った。
「スポンサーなら、ある。」
大男は再び前を見て歩き始めた。
「本当に、今のでいいのか、考えてみたほうがいいですよ。俺は、反対です。」
「お前、なにを知ってる!」
つかみかかるアドの手を、するりとかわして、離れる。アドが一歩前に出れば、一歩下がる。
アドは気付いた。
(こいつ、間の取り方を知っている。何か格闘技をかじったのか。)
「アド、迦葉はよくないよ。」
若き格闘家が目を見開いた。淡いグリーンの瞳に、試合のときのような火が点る。
無言のまま、本気の後ろ回しげり。
シンカは身を沈めてよける。
すばやい膝蹴りがシンカの腹に入る。両手でかろうじてガードしたものの、勢いで後ろに吹っ飛ぶ。
転がりざまに路上の消火栓にぶつかる。
「って。」
したたか、二の腕を打って、シンカは目の前の大男を見上げた。
「お前、なにを知っているのか知らないが、滅多なこというなよ。痛い目見たくなかったら、さっさと上に帰れよ。」
「さすがだな。かなわないや。」
腕を押さえたまま、金髪の青年は立ち上がる。
「あんたは、この街の誰より、いい目をしていると思うんだ。だから、迦葉からは手を引いてほしいんだ。」
迦葉。それは、ブールプールの地下組織の名だ。各地のレジスタンスを操り、暴動を起しかけたこともある。その正体は分かっていないが、資金が潤沢な様子から、特権階級の何がしかの力がかかっていると思われている。危険な組織だ。レクトも手を焼いている。
この街に、迦葉の匂いがあるために、ジンロは連れてきてくれないのだ。シンカには分かっていた。
「お前には関係ない。」
「そんなことないよ。俺は、あんたに必要なスポンサーをつけることができる。今、あんたはこの街の子供たちの憧れだ。何の躊躇もなく大人にナイフを突きつける子供でも、あんたには微笑むんだ。そんな才能を、援助するところはいくらでもある。俺はそれを知ってる。このまま、あんたが迦葉に使われたら、どんなことになるかも。放っておけないんだ。俺、あんたのファイト、好きだし。」
アドは、目の前の青年を見つめる。
(なんだ、こいつ。傷一つないきれいな顔して、まだ、十六、七歳か。こんな子供がどうして、迦葉のことをそんなふうに話す?)
「お前みたいな子供を信用できるか。」
背を向ける若き格闘家。
「また、来るよ!俺の名前、ルーだ。覚えておいてくれよ!」
シンカは大きな背に声をかけた。
そろそろ戻らないと夜が明けてしまう。
少しまだ腫れている腕をさすりながら、シンカは帰りを急いだ。
こんなとき、この体質はとても便利だ。たいていの怪我はすぐに治る。痛みだけはしばらく残るが、政府の誰かにばれる心配もない。
シンカはその体内に「ユンイラ」という植物の成分をもっている。ユンイラは、惑星リュードにのみ存在し、リュードの住人には傷薬や大気の毒素から体を守る薬として使用されていた。免疫に対して何らかの効果があるらしく、現在でも帝国研究所で研究が続けられている。
シンカはその遺伝子を組み込まれて生まれている。半分植物の性質を備えていて、血液中にユンイラを持っているからすぐに治る。
人ではない、という見方もある。そうかもしれない。
目の前ですっと消える擦り傷を見れば、本人ですらそう思う。たまたま、こうして普通の人間のように生きているが、今後どうなるかなんて研究者もシンカ本人も知らない。
彼を生み出した母親が亡くなった一年前には、シンカにはミンク以外、何も残されていなかった。
けれど今は違う。仲間がいて、大切な物事がたくさんある。やるべきことが、彼を必要とすることが。
だから少しくらい大変だろうと、眠る時間がなかろうと大丈夫。
そっと、静まり返った政府ビル内を歩く。最上階の部屋に入ると、ちょうど、朝日が執務室に差し込んだ。彼が皇帝になることを決めたときにも、こんな蒼く白い光を浴びた。
カラーレンズを外すと、ぎゅっと強く目をつぶる。
開いた瞳には、深く蒼い光がたたえられている。