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6.終息

ぞくりと、寒気を感じて、シンカは目を覚ました。


冷たいコンクリートの床に横たわっていた。低い天井。簡単な照明は、やけに青白い光を投げかける。腕は、縛られていない。足も。先ほど撃たれたところが痛んだ。

撃ったから、動けないと思っているのか。

そっと見回した。

足があった。

見上げると、アドがぼんやりと肘をついて座っていた。


「なんだ、まだこんなとこにいたのか!」

シンカの言葉に、アドはびくりとして立ち上がった。表情を険しくして、足元の青年を軽く蹴った。

「ビックリさせるな!」


「驚いたのこっちだよ!試合今日だろ!こんなこと、してる場合じゃないんじゃないか!」

「お前が、そんなこと気にするなよ」

アドは、再び椅子に座った。

「大体お前が悪いぞ。こんな時に捕まるから、お前のこと俺が見てなきゃならなくなった。今日は皆忙しいんだ。ルー、お前誰なんだよ。お前の腕のリングは、壊れてるらしいし、帝国軍の情報部のリストにもないし。だいたいさ、お前、本当にエージェントなのか?」

「エージェントに見えるのか?」

シンカは、上半身を起こして痛む足をさすった。もう傷はない。それを気付かれないほうが有利か。


「間違い、か。お前、殺されるぞ」

「早く試合行けよ。時間あるのか?」

「まだ、あと二十時間はあるさ」


ふうん、とつぶやいてシンカはよろよろと立ち上がる。空いている椅子に座るとギシと苦しそうに軋んだ。


どこかの倉庫の事務所のようだ。警備用の小さなモニターがいくつも並んで、正面のはめ殺しのガラスの向こうに、中型の貨物用飛行艇が積載作業中だ。作業員が大勢いた。

「何やってんだ?」

見入るシンカにアドは苦い顔を浮かべた。

「さあな。俺なんかには知らされないさ、お前、大人しくしておけよ。殴るのもラクじゃないしな」

「だからさ、止めろよそういう仕事。アドの腕がそんなことに使われるのはもったいないだろ」

シンカは飛行艇の型式、積んでいるものをじっと見つめた。


「な、あれ、やばいな。自爆用だ」

「ああ、テロリストなんだぜ、当たり前さ。お前、何でそんなに緊張感ないんだ、おかしいぞ。まだ十六、七だろ?子供のくせに。…ああ、無鉄砲なだけか」


シンカは聞き流した。一応十九だけど。


「…どこかに、落とすつもりだな…!学生は?おい、あの大学生たち」

アドは目をそらした。

「だから」

「捕まってるのか?」

「俺に聞くな!」

「なんで?」

「だから…」


「やけに仲良しじゃないか?」


クーナが入ってきた。背後には、剥げた小柄な老人。幹部らしく、襟に小さなバッジがついている。黒一色の服に、小さな丸いサングラスをかけている。

「これが、帝国の犬じゃと?」

「はい、店の周りをうろちょろしてまして。あの、ジンロとか言う男と親しいようでした」

クーナが老人の脇に立って、言った。老人はつかつかと近寄ってくる。

アドが立ち上がったのと、シンカが構えたのと同時だった。

「ほ、なかなかの使い手とな。アド、しっかり押さえておけ」

同時に脇にいたアドがシンカの腕をひねり上げた。


がっちり組み付かれて、シンカは動けなくなる。


老人のしわの少ない顔が近づく。

「ふうん。見たことが、あるな」

「ご存知ですか?その、スキャニングしたのですが、通常のエージェントと違ってチップも埋められていませんし、刻印もないようです。リングも壊れています。リストにもなかったので。薬を使う前に確認していただこうと思いましてね」

シンカは黙って睨みつける。

「ジンロといたそうじゃな」

「…」

「あれは元気か」

シンカは眉をひそめる。

「あれを育てたのはわしじゃ。使える奴だったのに、レクト・シンドラに取られてしまった。忌々しい」


レクトがジンロを迦葉から拾ったのか。

俺がアドにしようとしてることと似てるな…。


少し面白いような、悔しいような気分で、シンカは老人を睨んだ。

シンカは冷静だった。


本来は情報部なり軍警察なりがすることだ。シンカに学生を助ける義務はない。皇帝自ら危険を冒すことは、かえって事を複雑にする。だから、自分の仕事でないと判断すれば、手は出さない。

けれど…。


よく言われたよな、レクトに。自分の立場をわきまえろってさ。分かっているんだけど、ここで、一人で逃げてもなぁ。


「薬を。お前、レクトとも親しいのか?」

老人の言葉に背後の男が銀色の細い棒のようなものを取り出す。

自白剤だろう。気分が悪くなるが、シンカには効かないものだった。それが腕に打たれるのをシンカはじっと見つめる。


「答えろ、お前は何者だ?」

無言のシンカに、老人はあごで黒服に指示する。

アドに背後を固められたまま、数発腹を蹴られた。


後まで、痛いんだよな、腹部は。


シンカはそんなことを考えている。まだ、少し迷っていた。

どうする。長引けば危険は増す。

この状況から、学生を助けるところまで出来るのか。


薬が効き始め、少し頭が痛くなってきた。この後、胃がむかむかするんだ。後は耳鳴り。それをしばらく我慢すれば、治まる。医学の知識は、薬の類がどの程度自分に影響するのかを知るために役立っていた。だから、レクトも医師免許を取得することに反対しなかった。


「答えろ。さっさと答えれば痛い思いをしなくて済むぞ」

クーナが笑いながら、髪をつかみ上げる。

「そろそろ、効いてきたんじゃないか?」

シンカはぐったりした、フリをする。


「ふん、時間の問題だな。アド、お前はそろそろ試合だろう、行け。いいか、必ず三ラウンドまでやるんだ。ノックアウトしてはいかん」

老人の言葉に、アドは眉をひそめる。

「試合は、そんな甘いもんじゃないです」

「誰のおかげで試合に出られると思う!言うことを聞け、お前など、言われたとおりにすればいいんだ。勝ってもいいと言われているんだ、喜んでほしいものだ」

「!」一瞬アドが老人に詰め寄る。シンカは、床に転がされた。

「やめろ!アド!試合は仕事だぞ!いうことを聞け!契約を忘れたのか?」

クーナがアドを止めようと前に出る。軽く突き飛ばされて、派手に転んだ。

真っ赤になった学生は、怒鳴り散らした。

「お前なんか組織の捨て玉くらいしか役立たないくせに!皇帝がお前のファンじゃなかったら誰がお前なんかに援助するか!逆らうなら殺すぞ!」

「なんだよ、それ」皇帝がファンじゃなかったら?

シンカが横たわったまま、たまらなくなって尋ねた。


「お?何だ、お前。教えてほしいか?アド、お前も聞くか?お前、この試合にすべてをかけてるってなんかの雑誌で言ってたな」

揶揄するようにクーナが笑う。老人は腕を組んだまま、アドから避けるためだろう黒服の二人の背後に立っている。

「これ聞いても行けるのか?お前、今日の試合の勝者に花束渡すゲスト、誰か知ってるよな」

シンカは目の前のクーナの足首をにらみつけた。


そうだ、俺だ。依頼があって、俺は喜んで受けた。


「いいか?試合の始まる頃に、学生どもをテロリストに仕立ててブールプールのエネルギー変換所を襲わせる。そいつは事前に情報を流してあるからな。そこに軍警察はかかりっきりだ。捕まったテロリストが政府関係者の子女だと知ってメディアが群がる。そう、スタジアムのすぐ近くにも報道の飛行艇が中継のために飛び回るわけだ。その間試合は行われ、優勝者に皇帝が花束を渡す。その時間に合わせて、報道用の飛行艇に化けたアレが、スタジアムのど真ん中に突っ込む。リングには、お前と皇帝。いいだろう?絵になるぜ」

「俺ごと、皇帝を殺すつもりか…」

アドは、握り締めた拳を震わせた。


「嫌なら負ければいい。三ラウンドまで目いっぱい戦って、負けてさっさと逃げてくれば、あるいは生き残れるかもな。おっと、試合に出ないってのは、なしだぜ。何しろお前、この試合で優勝するためなら、何でもやるっていったんだ。命くらいかけろよ」

「卑怯な…」

シンカはつぶやいた。

「うるせえ」

クーナに蹴られそうになって、つい、その足を両手で受け止めた。

「放せよ、このやろう!」

狂犬のように苛立って、クーナは銃を取り出した。わき腹に、一発。


熱い痛みにシンカは目をつぶった。防熱服は伸縮性が必要な部位は脆弱だ。貫通しているだろう。シンカはわき腹の出血を抑えて、うめいた。

「落ち着けクーナ。いずれ殺すにしろ、聞くべきことは聞かねばならん」

「あ、はあ」興奮気味の学生は苦い表情で足元の青年をちらりと見やった。もって、一時間だろう。十分だ。それだけあれば、聞きだせる。

横たわったシンカは、かすむ目でアドの足を見つめていた。


行くな、アド、試合のために命を落とすなんてだめだ。


アドの表情は見えない。


「アド、やめろ、そんなことのために、格闘家になったわけじゃないだろう!そんな試合に出るな!」

アドは、金髪の青年を見下ろした。怪訝な表情。


「だまれよ、殺すぞ」クーナが蹴る。

飛び散る血液が靴についたのが気に入らないのか、クーナはシンカの服に靴をこすりつけた。むせて、青年が血を吐いた。

アドはシンカから目を離す。誰とも、目をあわさずに椅子にかかった上着を取ると歩き出した。


「俺は、…優勝するさ。俺は勝つために戦う。試合はどうせ、いつも命がけだからな」

アドがクーナを押しのけて、部屋を出て行った。

「アド!ばか、…やめろ!」

シンカはまた、蹴られた。わき腹を押さえて、よけようもなく、まともにみぞおちに食らった。


そんなことのために死んで、どうするんだ、何のために…

アド…。


前髪が捕まれた。薬の頭痛と胃の痛み、耳鳴り。それにわき腹。腹を撃たれたのは初めてだった。どの内臓のどこが損傷したのか、などと考えようとはしたものの、すぐにその余裕はなくなった。傷を押さえる手が、震えた。意識を保つのが精一杯だ。


すぐに、傷はふさがる、痛みだけになる。そう、自分を、励ます。


「おい、起きろよ!お前は別のこと、してもらわないとな。死んじまう前に話してもらわないとな」

うっすら開いた瞳に、クーナの淡い金髪の色が映った。


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