5.拉致3
「あのさ、おっちゃん、ここにずっといるのか?ルーを探しに行かないの?」
「ああ、迎えが来るの待ってる」
「車?」
「そうだ。俺じゃ、ルーの居場所は分からないからな」
「ふうん。な、ルーってエージェントなの?おっちゃんもそうなんだろ?」
「…アドがそう言ってたのか?」
「うん、エージェントってさ、帝国軍なの?軍警察とは違うの?」
「似たようなもんさ」
子供の話を適当に流しながら、ジンロはふと考えていた。
エージェント、そう思われたか。
迦葉が、エージェントを捕まえてすることは、単純だ。
情報を引き出す。殺す。
エージェントは人質にもならないし、長く生かしておくほど、危険が大きくなる。だから、必要な情報さえ手に入れれば、殺す。
「…やばいっすね」
自分の話と全然関係なく、男がつぶやくのを、リトル・アドは見つめた。
ジンロはここでレクトと待ち合わせている。程なく到着するはずだ。何といっても、彼の専用機は速い。
ふと、町並みを見上げた。そういえば、久しぶりに来たのに眺める余裕はなかった。変っていない。
俺はこの子供みたいにいい子じゃなかった。大人なんか誰も信用していなかった。口を利くのも嫌で。ただ、身を守るためには何でもやった。それこそ、今シンカに言えば、信頼を損ねるだろうことをしてきている。
信頼。それを、初めて受けたのはレクトさんにだった。
何の仕事で来ていたのかは知らない。まだ、若かった。学生のうちに軍の情報部に入ったと聞いたから、十代だったろう。同年代だった。
丁度、今のシンカのように迦葉に関わった。取引を持ちかけて、入り込んできた。
あの人は上手かった。二重三重に保険をかけた架空の設定で、当時の幹部どもは見事に騙されていた。俺だって情報部の人間と見抜いたわけではなかった。ただ、俺だけがいつも疑っていた。
それに気付いていたんだろう、最後の取引の前日、レクトさんに呼び出された。二人で話すのは初めてだった。
あの人は、言ったんだ。
「お前が、俺のことを信頼していないのはよく分かる」
「ふん、俺は誰も信じてないっすから」
そう言った俺に、あの人は笑い出した。
「なんだ、じゃあ、とんだ買い被りだったか!」
俺はむかついた。誰も信じてなかったし、誰を殺しても平気だった。
いつも通り気付かれずにナイフを構えていた。
「お前、皇帝陛下を殺せるか」
そう言ったレクトさんはにやりと笑った。その隙のなさに、俺はナイフを投げることが出来ずにいた。そんなことは初めてだった。俺が、人を殺すのに躊躇したことはない。組織内でも絡んでくれば殺す。
「できそうだな。な、お前のこと信頼していいか」
返事に困った。
それが、きっかけだった。
懐かしい。俺は、レクトさんが表立って出来ない裏の仕事を請けた。皇帝陛下の暗殺はしていないが、レクトさんに言われれば喜んでやるだろう。それは、今も変っていない。
別に、命の恩人とか信頼関係とかそういうのではない。ただ、あの人は俺のことを信じている。それだけだ。俺は未だに誰も信じていない。ここでレクトさんに利用されて命を落としても、それはそれでいい。信じてなんかいないからだ。
それでも俺のことを信頼し続けているのは、レクトさんだけだ。
ああ、今はもう一人増えた。生きていればだが。
「おっさん、ルーは、エージェントじゃないよな。なんで、アド、わかんないんだろ」
「何だ、どうしてそう思う?」
子供は、抱えた膝にあごを乗せた。
「ルーは、俺を人質にとられて捕まったんだ。エージェントならそんなの平気だぞ。俺なんて、今日ルーと知り合ったばっかりだし、俺のこと助ける理由なんてない。仕事で来てるのに、そんなやさしいこと、しないと思うんだ。そうだろ?
アドは、ルーを捕まえるために、俺に銃を向けたんだぞ。ずっと、シンユウだと思ってたのに、アドはそうしたんだ。別に俺はそれを恨んだりしない、だってここじゃ普通だから。ちょっと、卑怯だとは思うけどさ。
ルーは違った。間違いなんだ。普通の奴なのに、間違って捕まっちゃったんだ!バカだよ、この街じゃ、ルーみたいに優しいと生きていけないのにさ!」
子供はまた、涙声になっている。
「…そうだな。けど、やさしい奴だから、俺は助けに行くんだぜ」
「!」
少年が、灰色の髪の大きな男を見上げた。
「お前も、助けたいと思っているだろ?」
「俺も行く!」
「そいつはいただけない」
上からの声に二人は見上げた。
「さすが、早かったっすね。レクトさん」
「行くぞ」
「はい」
ジンロは、リトルアドの頭に手を置いて、軽くたたく。
「オレ、ルーのこと好きだ!絶対助けてくれよ!」
少年の声を背中に、二人の大柄な軍人は車に乗り込んだ。
軍務官は、煙草を吸うくせも忘れて、運転している。その切れ長の黒い瞳は険しい。
「アドが迦葉とつながってるとは知らなかったっすよ。シンカは、エージェントと間違えられて捕まったようです。あの子供を人質にとられたようで」
アドと迦葉のつながりは、帝国軍情報部の機密だ。民間軍事組織のミストレイアに所属するジンロが知るはずはなかった。そこを責めても仕方ない。
「ばかが、子供くらいで」
「そこが、いいとこなんすけどね」
冷たく睨みつけられて、ジンロは口を閉じた。怒らせると恐い。
正直、ジンロも、シンカのその心理は分からない。
守るべきものとそうでないもの。それをキッチリ分けているから、強いのだ。何もかもを、守ることなど出来ない。今、シンカのためならあの子供を殺すことだって出来る。
優しい奴は生きていけない。子供の言葉がよみがえる。
ジンロの脳裏に、あの銀河戦準決勝の大会で見せたシンカの笑顔がよぎる。