5.拉致2
「あの、ばか!」
レクトの怒鳴り声に、ミンクは小さくなって震える。
この人、ちょっと苦手。ミンクは既に寝るばかりになって、柔らかなアルパカのカーディガンを羽織っている。
中央政府ビル最上階。そこにミンクが戻ってきた時には既にレクトが居座っていた。シンカがレクトのためにと置いてあるウイスキーがテーブルに置かれている。禁煙のはずなのに、レクトの前には煙草の吸殻が山になっていた。ちょっとムッとしたものの、それを言う勇気はミンクにはない。
電話を切るなり、栗色の髪の男は、つかつかとシンカの執務室に向かった。
「あの」何かあったのだ。
「迦葉に、捕まったらしい」
ミンクも立ち上がる。
「かしょう?」
ちらりと、背後の少女を睨んで、レクトはシンカの机の端末を起動させる。宙に一つ、四角いホログラムの画面が浮かぶ。レクトの操作で、そこには地図のようなものが表示された。
「あの、シンカが捕まったって、その」
「場所は分かった、心配しなくていい。怪我でもしていてみろ、二度と出歩かせないからな」
レクトのつぶやくような言葉に、ミンクは口をぎゅっと閉じる。私の、せいかな。
その時、ミンクの電話が鳴った。
「!」
駆けていって、ソファーの横、飲みかけたココアのカップの隣にあるそれを取る。
「あ、こんばんは」
小さく立ち上がったホログラムは、アレクトラのご両親だ。
「遅い時間にすまないね。アレクトラと一緒かと思ったんだ。連絡が取れなくてね。あの子のいる場所を知っているかい?」
彼女のお父さんが穏やかな表情で言った。横でお母さんが、ミンクの周りにアレクトラの姿を探しているのだろう、視線をあちこちしている。
「ごめんなさい、私は先に帰ってきたので…あの、場所は、その。ナンドゥって言う街で」
[何ですって!]
アレクトラのお母さんが顔色を変えた。
「ごめんなさい、怖いから帰ろうって言ったんだけど…」
「久しぶりだな。ストナーレ」
振り向くとミンクの背後から、レクトがのぞいていた。
[軍務官!これは、あの、いったい…]
「詳細は後だ。情報部が動いてる。必ず助け出すから、安心しろ。エージェントがそちらに向かう。それまでは、間違っても軍警察に通報なんかするな。わかるな?」
[は、はい]
アレクトラのお父さんは、隣に立つ奥さんの肩をぎゅっと抱き寄せて、厳しい表情で頷いた。
通信が切られると、ミンクは頬を膨らめて振り返った。
「アレクトラのご両親に、私のことばれちゃうわ!」
「なんだ?」
「だから、レクトさんがここにいるの、変でしょ!大学では私は普通の女の子なんだから!」
栗色の髪の男は、怪訝な顔をする。
「お前は普通だろうが?」
「!」
どきりとした。
ミンクは頬を赤くした。
やだ。私は、普通だ、普通の女の子なのに。
アレクトラや皆に、シンカのことほめられたりするとどきどきして。自分が特別な気になっていた。やだな。
自由にしたければ、直接送迎の係りの人に言えばいいし、危なくないところならシンカだって反対しない。自分でどこまで出来るかやってみなきゃ分からないのに、窮屈だって決め付けて…。シンカに反抗したり、ジンロさんに八つ当たりして。
恥ずかしい。
そういうの、見抜かれちゃったのかな。
ミンクはレクトをちらりと見つめた。
男は自分の携帯でどこかに電話している。くわえた煙草の灰が床に落ちるのにも気付かない。
「ああ、資源庁事務官の娘だ。迦葉から何かあるかもしれん、例の情報どおり手配しておけ。それから、エージェントを一人事務官の公邸へ。ナンドゥに五人だ。詳しい座標は今送る」
そのまま誰かと何か話しながら、エントランスに向かう。
「あの、シンカは?」
ちらりと視線をよこしたが、レクトは何も言わずに出て行った。
軍務官が皇帝の執務室から出ると、ユージンが「お休みなさい。」と声をかける。
レクトは、電話を片手に、軽く視線を向けると、急ぎ足でエレベーターに乗り込む。
その様子が、ユージンの印象に残る。
電話の相手は、情報部長官のようだ。
何か、あったのだろうか。
ユージンは、デスクに戻ると、そっとコンピューターの電源を入れる。ログインは、文政官のIDだ。陛下の現在地を検索することができるのだ。皇帝陛下の腕にはめられている認証用のリングに、特殊な発信装置がついているらしい。いつか、シンカが黙って出かけたときに、文政官に泣きついて教えてもらったものだ。モニターに映し出された地図は、先ほどレクトが眺めていたものと同じだ。
それはもちろん違法だ。しかし、美しい彼女が皇帝陛下の認識番号と信号の周波数、侵入のためのID、パスワードを入手するために、大臣の一人に取り入るなど簡単なことだった。
「陛下」
おかしなところにいる。
この地域はレッドゾーンで、ユージンにとっては未開惑星と同じだ。
美しく整えた眉をひそませる。こんな場所に陛下が好んでいくはずはない。何か強制的な圧力によってそこにいる。誘拐?
肌があわ立つ。不安が押し寄せる。
軍務官はなにも言わなかったが、秘書官として陛下が誘拐されたことに気付きもしなかった自分が悔しい。
いても立ってもいられなくなる。