4.アド2
アドのジムでは、数人の男が自主練習とやらを行っていた。
アドの姿を見るなり皆、お帰りなさいと礼儀正しく挨拶した。
リトルは、彼らとも知り合いらしく、男たちに混じって迫る試合の話をしている。
アドに促されて、シンカはジムの二階にある事務所に上がった。さびかけた狭い階段を上る。
そこはやっぱりヤニだらけの曇ったガラスに囲まれて、くすんだ匂いのする、質素な部屋だった。片側に窓が一つだけある。古ぼけた事務机と、椅子、その前に壊れそうなソファーと小さいテーブル。アドが椅子に座ると、シンカは勝手にソファーに腰掛けた。
「で、ルー、お前はなにを俺に言いたいんだ」
椅子の背をぎしぎしときしませて、アドは見下ろすように青年を睨んだ。
シンカは微笑む。
「ある人に頼まれてね。アド、太陽帝国を、スポンサーにしないか」
アドの表情が固まった。
「あ、ごめん、説明不足だな。今、帝国では、この街の再開発を計画しているんだ。そのPR役と、本当に再開発に携わって欲しいんだ」
「俺に何しろってんだ?帝国?バカいうなよ」
アドは太い眉を不機嫌にひそめた。こんな話、してるだけでやばい。迦葉の奴らに知られたら。
せっかく明日の試合、決勝まで来れたのだ、こんな奴に振り回されて、駄目にするわけには行かない。
「アド、今のままじゃ、迦葉にいいように利用されて終わるぞ。迦葉は、お前がチャンピオンになろうと、なんだろうと関係ないんだ。お前の力と、知名度を利用したいだけだ。絶対に後悔する」
膝についた手をあごの前に組んで、じっと見つめるルーの表情は真剣だ。
「ふん、いくらもらえるんだ」
「アド、セトアイラス星のカストロワ大公って、聞いたことあるか?」
アドは首をひねる。知っていた。だが、安易に話に乗らない。調子に合わせるわけには行かない。
「大公は、有望な若者に支援しているって話。帝国も、同じように君に対して支援しようと考えているんだ」
セトアイラス星の惑星元首であるカストロワは、あらゆるジャンルの若者に支援しているという。見返りは一切ない。代わりに、それぞれの目指す分野での、宇宙規模の活躍を求めている。描く夢をかなえられる素質を持った若者を、カストロワは発掘しているのだ。成功した彼らはそのまま、カストロワ大公の政治的影響力となって、あらゆる分野で優位に働いている。
シンカは、そこまでするつもりもないが、アドを支援することで、地下街のイメージ向上、子供たちへの好影響を期待していた。もちろん、実質的なPR活動や、再開発後の町の運営などに、関わってもらう予定だ。
「お前みたいなガキが、何でそんな交渉できるんだよ。本当なのかその話」
「本当だよ」
アドは、睨みつける。
「まだ、分からんな。信用できない」
「信じられたら、協力してくれるのか?」
シンカが穏やかに笑う。
その余裕の表情が、アドには、気に入らない。最初から、聞くだけのつもりだ。心を動かされたわけではない。そんな、甘い話は転がっていない。
過去にも、幾度も信用して辛酸を舐めた経験がある。
アドのジュニアクラスでの優勝賞金やファイトマネーは、当時のマネージャーに持ち逃げされた。ジムの人間にも裏切られた。
対等な契約がなくては、安心できない。試合の契約もマネージャーを持たずに、自分で行うほどだった。文字や契約に関する法的が知識が足りないことにどれほど苦労させられたことか。だが、過去の失敗を繰り返すつもりはなかった。
迦葉とは、対等な契約だ。この地区のマネージャーとやらの指示に従う。代わりに試合に参加するための資金を得る。迦葉が裏切れば、情報を売るだけ。互いに馴れ合う関係でないことが、アドには安心できるのだった。
「簡単に誰かに信じてもらおうなんて、甘いなお前。ま、お前が、政府の犬だってことは、はっきりした。お前の話を聞くとは言ったが、お前に危害を加えないとは言ってないよな」
アドの脅しは、シンカには効かなかった。
「そうだね」
笑う。
そのとき、アドのポケットの携帯が音を立てた。
アドは、取り出して、ルーに背を向けて、立ち上がった。
「ああ、俺だ」
話しながら、部屋を出る。