第1話 俺、死んでもうたらしい。そんで、生まれ変わったらしい。
目蓋が暖かい。ゆっくりと目を開けると、大きな木々の葉の間から漏れる光に、優しく照らされていた。
ゆっくりと深呼吸をして軋む身体を起こし、周りを見回す。辺り一体全長7mほどはあるのではないかと思われる木々に囲まれていた。見た事も無い光景に圧倒されながら呟く。
「ここ…………どこやねん……」
覚醒し初めに感じたのは、湿った土と木の匂いが鼻腔いっぱいに広がるという違和感だった。そして、目の前に広がっている光景を愕然としながら、今日の出来事を思い出す。
朝11時半に起きた堂島 徹は、慌てて家を飛び出していた。今日は相方の九条 薫との打ち合わせが、なじみの喫茶店であったのだ。
なじみの喫茶店へは、家から駅まで5分で、電車に乗って10分、駅から店まで10分の合計25分の道のりだ。
しかし約束は12時。打ち合わせの日時を決めたのも、場所を決めたのも徹である。さらに集合時間を12時にした理由が朝は寝坊するかもしれないからという理由だ。
普通ならば、遅れると一言いえば怒られはするが、何とかなるだろう。
しかし相手は薫だ。
温厚そうに見え、何事にも慣用そうに見えるがその実、かなり細かい。
約束の時間に1分でも遅れると、帰るのだ。さらに薫が決めた時間ではなく、徹が決めた時間なので、約束の時間までに視界内にいなければ、すぐに帰る可能性もある。
さらに明日はライブがあるため、今日打ち合わせしなければ、あとは本番前の軽い打ち合わせしかない。ゆえに徹は焦っていた。
「なんとか……間に合いそうやなぁ……」
なんとか間に合う時間の電車が到着する前に、駅のホームにたどりついた徹は息を切らしながら呟いた。
駅は家族連れやカップル、休日出勤なのかスーツの人とさまざまな人がいたが、たまに見かけるコスプレをした人は、今日は見当たらなかった。
しかし土曜日なだけあって込んでいるなぁーと、徹はホームの黄色の線ギリギリに立ちながら、向かい側のホームをぼんやりと眺めていた。
しばらくぼんやりと向かい側のホームを眺めていた徹は、「電車が間もなく到着致します。」というアナウンスで意識を戻すと、目の前の空間が歪んで見えた。目が疲れていると感じた、徹は目を擦った。
その時後ろからドンッ!という衝撃をうけ、「うぉ!」と叫びながら前のめりに路線に投げ出されたが、なんとか足から着地した。
「いったー! 誰や押したん!」
と叫びながら振り返った時には、横から衝撃を受け意識を手放していた。
意識を手放す前、自分が立っていた場所に顔は見えなかったが、白いローブを着て、片手に杖らしきものを持った男が立っているのが見えていた。
気持ちを整理してもう一度辺りを見渡す。
木は1本1本が大きく、そして太い。そんな木が視界の端まで続いている。地面は腐葉土の様に柔らかく、湿っている。おそらくここ数日で雨が降ったのだろう。なるほど、ここは……森か! …………
「って、森か! やあれへんがなー! 結局ここどこやねーん! ……ッハ! あかんあかん。分け分からん過ぎて、一人でノリツッコミしてしもた。落ち着かな」
ゆっくりと、深呼吸を2回ほどしたところで、だいぶ落ち着いた徹は、自分の現状を確認する。
1つ、俺は堂島徹。お笑い芸人コンビ『マデザーズ』のボケ担当__よし、ちゃんと覚えてるぞ。
2つ、ここは見知らぬ森の中。__たぶん日本ではない。根拠は木が大きすぎることやな。
3つ、俺は電車に轢かれた。__っていっても現状生きとるから。轢かれてはないんか?
以上の3つから考えられる現状は……
「なにもわからんわー!!!」
徹の声がこだますると同時に、大きな木の影から小型バイクほどの大きさの犬というよりオオカミが、鋭い牙を剥き、口を大きくあけ、吠えながら突進してきた。
徹は咄嗟に横に回転したが、オオカミの爪によって腕を切り裂かれた。
「いっつー。くっそ、なにすんねん…………っ!?」
と呟きながら腕をみるとそこには黒い影の様なものがあった。いや繋がっていた。慌てて自分の両腕、両足、胴体を確認したが、そこには自分の見知った肌色より少し黒めの肌がなく、黒い影の様なものになっていた。
「なんやこれ……もう俺の積んでるCPUでは処理できんで……」
そんなお通夜ムードの空気を読まないオオカミは、獲物を狩る目で徹を睨みつけ獰猛に襲いかかる。
「ちょっ! 待ちーな。死んでまうから! っていっても、もう死んでるんかも……」
うまいことオオカミの突進を避けているが、自分の身体が無くなったことがショックで次第に避ける動きが鈍くなっていく。とその時横からフラッシュライトの何十倍ほどの光量が徹の目を焼いた。
「っ!? なんや! まぶしっ!」
「ガゥ!?」
それはオオカミにも予想外だった様で短い悲鳴をあげていた。さらに連続して「ガゥ」という鳴き声とともに殴打する音が響き、オオカミの鳴き声が止むと同時に音も鳴り止んだ。
視界が徐々に戻り始め、はっきりとは見えないが、現在の状況がおおよそつかめた。徹の前には、横に倒れ消えて行くオオカミと、そのそばでオオカミを見下ろしている人がいた。
「助けてくれたんか? ほな、ありがとう。やな」
少しは警戒しながらも人に会えた安心感から穏やかな口調でそう言った。向こうも敵意は無いように見えた。
しかし、突如その人がこちらに向かって土下座の体勢をとり、地面に頭を打ち付けんが如く……いや打ち付けて……いや何度も打ち付けて「ごめんなさい」と連呼していた。
その光景に唖然とし、思考停止する徹。その間も頭を打ち付けながら謝る人。そんな状況が3分ほど続いた頃、思考を戻した徹が謝り続ける人を止めた。
「ちょっ! もうやめや! わかったから! いやなんも分かって無いけど分かった事にするから! とりあえず状況を教えてくれんか?」
そう言うとその人、いやその女性は、我を取り戻し、上半身だけ起こして、泣きそうなウルウルした瞳で見つめてきた。なにこの人。撫で回したいんですけど。
「落ち着いたか? ほな、話してくれへんか? っと、身元分からん男に喋りかけられんの怖いやろうから、まずは自己紹介やな。俺は堂島徹や」
と内心ドキドキしながら、平静を装いつつ、落ち着いた口調で話しかけると、その女性も正座の状態で話し出した。足いたくないんですか?
「はい、テツさんとお呼びしても? ではこちらも自己紹介からですね。私の名は、テミス=アル=クルト。長いのでクルト、とでも御呼び下されば結構です。」
「確かに長いな、アルテ「テミス=アル=クルトです」」あぁクルトやね。分かった。分かったから近いって。
名前を間違えられて立ってこちらに、食い気味に顔を寄せて来るクルトを落ち着かせて再度座らせ、その正面に自分も座った。
「とりあえずもう一度ちゃんと言わせてもらうわ。ありがとう。助かった」
先ほどは警戒もしており、軽くしてしまった感謝の言葉を、頭を下げて、心の底からの感情を、ストレートに言った。徹は真面目な事はストレートに必要な事だけを言う派だ。
「いえ、お礼はいりません。なぜならあなたを死なせてしまったのは、私の主様の所為なのですから」
「え?」