南田さんと東君
南田さんと東君
ぼんやりと携帯を見ていた男の前に、いや正確にはうつむいていたのに、顔が横から入ってきた。顔がいきなりだ。
「お。やっぱり、東だ!」
「おお!南田!なにやってんだ?こんなところで。」
男は目を丸くした。
「ここにきて、買い物をしない女はいないわよ。」
南田は、そういって袋を大量に持ち上げて見せた。カラフルなバーゲンの袋がたくさんある。
「そっちこそ、誰かと待ち合わせ?」
「いや……。彼女に置いて行かれた。」
「はぁ?」
「これでよし!」
南田は携帯をメール送信したついでに、電源を切って鞄にしまった。その思いっきりさに、オレは目を丸くした。
「よしって、いいのか?返事とか。」
「いい。こっちの方が大事。」
俺はつい笑ってしまった。南田のこういうところは昔から変わらない。俺の言葉を聞くなり、「飲みに行くよ!」と強引に近くの居酒屋まで俺をひっぱってきた。
学生時代、彼女のあだ名は台風南田。小さな体でどこから出てくるのか、エネルギッシュだ。強引でいろいろかき回していくが、基本、嫌われていなかったのは、性格の明るさとさっぱりさが理由だろう。
ビールと自分の飲む分と適当なつまみをさっさと注文する。
「旦那さんは元気?」
南田の旦那は会社の同僚だった相手らしい。転職してすぐに結婚式の案内状が来たことに目を丸くした記憶がある。出会って一年もたっていなかったらしい。
「一応。最近太ってきて、おなか周りは膨れてきたけど。」
文句を言いつつも、南田は幸せそうに笑った。
「で、彼女に置いて行かれたって何?しかも、バーゲン売り場で。」
あっさりと彼女は本題に入った。
「いや、バーゲン売り場でってことはないんだけど、たまたまゆっくり歩いていたら、あそこだったんだ。」
「喧嘩でもしたの?」
「ケンカっていうか……南田はさ、結構急に結婚を決めたろ?子供もいないのに。」「まって?子供が先が普通、じゃないからね?」
「わかってるよ。だけど、ホントに急だったろう。後悔とかしてない?」
「なんで?急だったから?」
「いや、その。ホントにこの人でいいのかなぁーとか、もっといい人がいたんじゃないかなーとか。」
「そりゃ、ほかの女に目移りしたら、彼女に置いて行かれるはずよね。」
南田はきっぱりと言った。彼女に遠慮という文字はない。いや、これも長年の友人関係のせいか。なんせ、中学も高校も一緒だったんだから、遠慮なんてあるわけがない。
「ちがう、オレがじゃない。」
しゃっべり出したところ、南田は手を伸ばして止めた。
「待った、酒が来た。」
「ん?」
振り返ると、ビールと彼女の頼んだレモンサワーがやってくる。
「お待たせしましたー。」
店員はそう言って、飲み物を置いていった。
「じゃ、思わぬ再会にカンパイ。」
南田はそう言ってグラスを上げた。
「はいはい。カンパイ。」
カチッと音が鳴った。南田はさっさと話を戻した。
「で?彼女の方が、目移りしていたの?そうなら、東が置いて行かれたんだって表現は変じゃない?」
「いや、彼女がそうしたわけじゃなくって。……オレの彼女、若いんだ。十コ少々。」
「確かに若いね。どこで、って会社以外で出会うところなんてないか。社内恋愛なんて隠すのが大変なのに、しかもそんなに若い子が黙って付き合ってくれるなんて、いいじゃない。文句なんて言えないでしょ。」
「だろう?別に文句があるんじゃないだ。ただ急に、いや、五日か三日くらい前だったかな実は彼女と待ち合わせした駅で彼女が若い奴と話しているのを偶然に見たんだ。そいつは、彼女と同級生らしいんだけど、なんかそれを見てたら、急に自信が失せたんだよね。」
オレは正直に言った。南田が男だったら、絶対にこんなことは言わないだろう。
「彼女にはもっと若くてハンサムな人が合うんじゃないか?自分はふさわしくないかもしれないって?あんた、馬鹿?」
酒と一緒にきた、きゅうりの漬物をポリポリ食べつつ、南田が言う。
「そ、そこまで言うか?」
「言うわよ。」
「玲子。」
「はい?」
彼女はちょっと微笑む。
「あのさ。あのー。しばらく、会うの、やめてみないか?」
「は?」
「その。別に君が嫌いになったわけじゃないんだ。ただそのちょっと距離を置きたいって言うか。」
彼女の顔がこわばる。
「ほかに好きな人ができたの?」
「違うよ!ただその。君にはもっと若い人が合うんじゃないかなと思って。その。こんなオジサンじゃなくて。もっといろんな人を見たほうがいいかも。デートとかもさ、もっと、こう……。」
「……わかった。」
「え?」
「じゃあ、私はあなたよりも素敵な若い人を見つけるまで、あなたとは会わないことにするわ。じゃ、デートをする相手を探すから、ここで、さようなら。」
彼女はさっさと去って行った。
「追いかけなかったの?」
南田はあきれたように言う。それでもから揚げを食べる手は止まらない。
「いやだって、オレが言い出したことだしさ。」
「でも、彼女に置いて行かれて落ち込んでいるんでしょ?」
「まさか、彼女があんなにあっさりそうするとは思わなかったんだ。」
南田はため息をついてまた言った。
「あんた、馬鹿でしょ。自分が好きな女性に他の男性と合わせる機会を与えてどうするのよ?ううん、そんな必要はないわ、東が一番だから!って彼女が言うと思ったんでしょ。馬鹿ねー。でもって、あんたはそれを取り消せないわけよ。言い出したんだからね?」
オレはため息をついた。
「そんなにきっぱり言わなくても、わかってるよ。」
「いーや、東はわかってないな。これから、しばらくは悩みまくりな日々が続くんだってね。はい、携帯出して。」
「なんだ?」
「携帯番号とアドレス交換するのよ。男女のもつれで殺傷事件とかいやよ。その前に、悩みは放出しておかないとね?さっさと、電話番号言いなさいよ。」
南田は強引に言った。その時、オレはそんなことないさ、と笑ったが、一か月後には南田を呼び出していた。
「まだ、彼女と離れたままだったの?」
南田は違う場所の居酒屋でライムサワーを飲みながら、あきれたように言った。今日は荷物が少ない。
「どうしていいか、わからないんだ。」
オレは正直に言った。今話している相手が南田じゃなかったらきっとずっと一人で悩んで、本当に殺傷事件になるかもしれない、と急に怖くなった。
そして、メール一本で南田はさっさとやってきた。この行動力には感心する。
そうしますと宣言されてから、彼女の玲子は有言実行とでもいうように、今まで一人で食べていた昼食をグループで食べに行くようになった。男も多い。
一人で、もしくは途中で待ち合わせして帰る道も誰かと帰るようになった。オレはそこに入れるわけもない。
こっそり合わせていた休みは完全にバラバラになった。携帯の連絡にも出てくれず、メールに返事たまにはあるが、自分とは会ってはくれない。
実際のところ、完全なお手上げな状態だった。
「なぁ、オレはどうしたらいいんだと思う?」
「それは間違っている。」
南田は枝豆を放り込みながら言った。オレは一瞬、南田が何を言っているのかわからなくなった。
「なにが?」
「どうしたらいいか、ではなく、東がどうしたいか、が問題なの。」
「どうしたいって……彼女と……。」
どうしたい?彼女とよりを戻したい。一緒に帰りたい。一緒に笑いたい。一緒に話をしたり、何か食べたり、一緒に寝たり……。
「結婚、かなぁ。」
「私は嫌。」
オレの思考はちょっと止まった。
「ん?いや、別に、南田と結婚するわけじゃ……。」
「わかってる。そうじゃなくて。」
南田は一口飲んでから、話し出した。
「たとえば、旦那が私にはもっと素敵な人が合うんだろうなぁって思いながら、プロポーズされたら私は怒るって話。じゃあ、手放せよ!って思うもん。要するに、君を幸せにするのは僕だけですから!って自信が欲しいの。それが嘘でもね。こっちだって、旦那にはもっと可愛い子がいたんじゃないか、美人が似合うような気がすると思うわよ?それでも戦わずに、可愛い子に譲りたくないわけ。だから結婚したの。」
「なるほど。」
「将来、どうなるかなんて、誰にもわからない。旦那のほうが浮気するかもしれないし、私のほうに旦那を捨ててまで一緒になりたい人が出るかも。でも、今は旦那を愛しているし、相手にも同じ気持ちでいてほしいの。そこに自信がなくても、あるようなふりしていてほしいの。誰かに渡してもいいや、浮気されても当然だよな、って思いながら、結婚されるのはいやよ。お互いに信用がないとね。」
南田はきっぱりと言った。その言葉にオレはため息をつく。
「どうすればいいんだか。」
「ま、結論は結婚したい、なら、まずは彼女にさっさと謝らないとね。しかも手遅れになる前に。」
「謝る?なんて?え、自信を失ってごめんとか?」
オレがよっぽど情けない顔をしていたのか、南田は笑った。
「別に二回目の告白でもいいんじゃない?最初のときの勇気をもう一回引っ張り出してくるしかないね。」
「うーん。」
頭を抱えたオレに南田は言う。
「たとえば、明日、自分が事故にあいます、分かっていればさっさと彼女と仲直りしたでしょ?たとえば、明日、彼女が事故にあったらどうする?仲直りしておけばよかった、思いを伝えておけばよかったって思い続けながら、これからずっと暮らすことになるのよ?」
「そんな、オーバー……。」
オレは、ふと思い出した。小学生のころ、誰かの葬式に出たことがある。あれは、同級生だったか。大人たちは事故だと話していたのが急に浮かんだ。自分がそうならないとは限らない。
当たり前の毎日が続く保証なんてどこにもないのだ。彼女だって毎日会社に来るとは限らないのだ。黙り込むオレに南田は容赦なく追い打ちをかける。
「ま、でも、もう彼女が心変わりしている可能性もあるけどね。」
「え?」
「こんなに喧嘩に時間がかかるとはね。」
「オレも思わなかった。」
「どうする?明日にでも、ありがとう、東さん。あなたの助言のおかげで素敵な若い、ハンサムな人に出会えました。この人と結婚して幸せな家庭を作りますから!結婚式には来てくださいね!って笑顔で言われたら。」
「ま、まさか。」
そう言いつつも、顔がこわばるのが分かる。
「私、今の東の部下にはなりたくないなー。」
急に南田が言い出した。
「は?」
「会社で部下とか、彼女と親しくしている若い男性陣に当たり散らしたりしてないでしょうね?」
「してないよ!」
と、言い切ったが。
「……たぶん。いや……どうかな?」
だんだん、自信がなくなっていく。
「さっさと、仲直りしなさい!ほかのみんなの迷惑です!誰にも交際が知られてないだろう、なんて短絡的考えですからね!」
南田はきっぱりと言った。
南田と話し合いをしてから三日後。
オレは上司の権限を利用しまくって、やっと彼女と二人になり言った。しかし、素直にいえないのは歳をとったせいだろうか。いや、いくつになっても傷つくのは怖いからだろう。
「そろそろ、若くて素敵な人は見つかったかい?」
彼女の顔がこわばる。
「もうちょっとです。それがなにか?」
おそらく無意識だろう、彼女のセリフがとげとげしい。
もうちょっと?オレも顔が引きつる。しかし、南田の言葉を思い出した。
「同じ人生の結末なら、自分にとって価値のある人やモノと過ごした方がお得でしょ?少なくとも自分はそれで幸せだし。相手のこと?馬鹿ねぇ。自分が幸せだから、他人のことを考えられるのよ。」
オレは玲子から目を離してそっけなく言った。
「へぇ。オレはもうずいぶん前に、若くて素敵な人を見つけたけどね。ずっと好きなんだ。」
「この間の人?」
彼女の声が冷たくなる。
「この間?」
「駅前で、可愛らしい人と歩いてた。三日くらい前。」
「駅前?あー!南田か!ありゃあ、幼馴染だ。」
「ふぅん。」
彼女の口が尖る。それを見て、オレも彼女と彼女の同級生が話していた時はこんな顔だったのだろうと思いだす。それを見て、逆にオレには勇気がわきてきた。彼女はまだオレのことに関心があるのだと。
「なに?なにを、笑ってるの?」
彼女の顔をじっと見ていたせいか、彼女に怪訝な顔をされた。
「いや。オレも君と同級生が会ったのを見たときにそんな顔をしていたのかなぁと思って。」
「そんな顔って?」
それには答えずにオレは言った。
「今度、南田にオレの大事な人を紹介するって言ってあるんだ。いつなら予定が空いてる?南田の方はべつにいつでも平気なことを……。」
彼女が無言で腕の中にすっぽり収まる。オレは久しぶりに彼女をぎゅっと抱きしめた。
明日も彼女がいるとは限らない。明日も幸せとは限らない。明日も平和とは限らない。それでもオレの結末がもう決まっているのなら、今日は幸せに過ごした方がお得だ。
オレはにんまりと笑った。彼女の幸せ?それよりも自分の幸せの方が先だ。自分が幸せでそれが溢れたら、彼女の幸せを考えよう。