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悪役令嬢

異世界郵便局の宛先不明課 ~死者の手紙を配るだけの簡単なお仕事,ただし放置すると魔王が湧きます~

作者: くるみ
掲載日:2026/05/06

異世界に転生したら,チート能力で無双できると思っていた.


けれど,私に与えられた能力は,剣でも魔法でも鑑定眼でもなかった.

ステータス画面を開いても,そこにはたった一行しか書かれていない.


【職業:配達員】

【固有技能:宛先不明の声が聞こえる】


地味だ.


あまりにも地味だ.


王都の神殿で目覚めた私は,銀髪の神官にこう告げられた.


「あなたは異界より召喚されし者です.この世界を救うため,どうか郵便局で働いてください」


「世界を救うために?」


「はい」


「郵便局で?」


「はい」


「魔王は?」


「います」


「勇者は?」


「すでにいます」


「私は?」


「郵便局です」


そうして私は,王立郵便局第十三支部,通称「宛先不明課」に配属された.


宛先不明課の仕事は簡単だ.

届かなかった手紙を,届ける.


ただし,普通の手紙ではない.


死者が出した手紙だ.


この世界では,人は死ぬ直前に一通だけ手紙を書くことがある.

紙がなくても,ペンがなくても,声にならなかった言葉が,魔力の残り香として封筒の形になる.


「ごめん」

「ありがとう」

「本当は愛していた」

「逃げろ」

「あの井戸の底を見ろ」

「王は偽物だ」


そういう,生きているうちに届かなかった言葉が,郵便局に集まってくる.


そして,宛先が読めないものだけが,私の机に積まれる.


なぜ私に任されるのか.

理由は単純だった.


私には,封筒の声が聞こえる.


「……寒い」


最初の一通は,そう言った.


私は思わず封筒を落とした.


「しゃべった!」


向かいの席で書類に判を押していた上司が,顔も上げずに言った.


「宛先不明課ではよくあることです」


上司の名前は,ロウ・グレイヴン.

黒髪,黒目,黒手袋.

年齢不詳.

顔はいいが,常に疲れている.

そして,私よりずっと椅子に座るのがうまい.


「封筒の声を聞いて,届け先を推測してください」


「推測って,そんな曖昧な」


「死者の言葉は,だいたい曖昧です」


ロウさんは淡々と言った.


「生きている人間でさえ,自分の気持ちを正確に言えません.死ぬ間際なら,なおさらです」


私は封筒を拾い上げた.

古びた灰色の封筒だ.差出人も宛名もない.

ただ,封蝋だけが赤黒く固まっている.


耳を近づけると,また声がした.


「寒い.でも,あの子には毛布をかけてやれた」


私は顔を上げた.


「子ども宛てでしょうか」


「おそらく」


「でも,誰の子か分かりません」


「だから,聞くのです」


封筒は,ぽつりぽつりと話した.


寒い.

雪.

焼けた村.

小さな手.

青いリボン.

歌.

パンの焦げた匂い.

名前は出てこない.


私は一日かけて記録を調べた.

十年前,北方の村が魔物に襲われ,全滅した事件があった.

ただ一人だけ,青いリボンをつけた女の子が助かっている.


今は王都のパン屋で働いていた.


私は封筒を持って,その店に向かった.


店の奥から出てきた女性は,二十歳くらいだった.

髪を短く切り,腕には小麦粉がついている.

彼女は私の持つ封筒を見た瞬間,息を止めた.


「それ……誰からですか」


私は答えられなかった.


死者の手紙は,差出人を名乗らないことが多い.

名乗るには,後悔が多すぎるからだ.


「おそらく,あなたを守った方からです」


彼女は震える手で封筒を受け取った.


封を開ける.

中には,たった一文だけ書かれていた.


『寒くなかったか』


女性は,その場に座り込んで泣いた.


私は何も言えなかった.

慰めの言葉は,たいてい宛先を間違える.


郵便局に戻ると,ロウさんが言った.


「初配達,お疲れさまでした」


「……これ,世界を救う仕事なんですか?」


「ええ」


「魔王を倒すわけでもないのに?」


ロウさんは,山のような未配達の封筒に目を向けた.


「魔王がなぜ生まれるか,知っていますか」


私は首を横に振った.


「届かなかった言葉が腐るからです」


その答えは,あまりにも静かだった.


「恨み,後悔,謝罪,告白,警告.誰にも届かず,誰にも読まれず,世界の底に溜まっていく.それがある量を超えると,魔王になります」


私は机の上の封筒を見た.

どれも薄く震えていた.


「つまり,魔王って……」


「世界中の未読メッセージです」


最悪だった.


魔王が孤独とか,憎しみとか,呪いから生まれるという話なら聞いたことがある.

でも,未読メッセージから生まれるとは思わなかった.


しかも,なんだか身に覚えがあった.


前世の私は,返信をため込む人間だった.


仕事の連絡は返せた.

請求書も,確認事項も,締切の催促も,反射のように返せた.


けれど,友人からの「大丈夫?」には返せなかった.

母からの「ちゃんと食べてる?」にも返せなかった.

昔の同僚からの「無理してない?」にも返せなかった.


大丈夫ではなかったからだ.


大丈夫ではないと打った瞬間,本当に壊れてしまう気がした.


最後の夜,私はスマホの画面に浮かんだ未読通知を見ながら,床に座っていた.

立ち上がらなければと思った.

水を飲まなければと思った.

誰かに電話しなければと思った.


けれど,指が動かなかった.


翌朝,私は目を覚まさなかった.


この世界で目覚めたとき,最初に思ったのは,「助かった」ではなかった.


「あの返信,どうしよう」だった.


死んでもなお,返していない連絡のことを考えるなんて,ずいぶん情けない.

けれど,たぶん人間は,そういう小さな未完了を抱えたまま死ぬのだと思う.


その日から,私は働いた.


勇者が魔王城へ向かう間,私は村へ行った.

騎士団がドラゴンと戦う間,私は古い墓地を歩いた.

王が戦勝演説をする間,私は地下牢で死んだ囚人の封筒を読んだ.


配達する手紙は,きれいなものばかりではなかった.


『お前を許さない』

『金庫の裏を見ろ』

『私を殺したのは兄です』

『あの子は本当の王女ではない』

『愛していた.でも,一緒にいるべきではなかった』


届けたせいで,人が泣いた.

届けたせいで,家族が壊れた.

届けたせいで,裁判が始まった.

届けたせいで,戦争が止まった.


言葉は薬ではない.

刃物でもある.

でも,腐らせるよりはましだった.


半年後,勇者が魔王城で敗れたという知らせが届いた.


王都は恐慌に陥った.

神殿は新しい勇者を召喚しようとした.

騎士団は最後の防衛線を敷いた.

貴族たちは逃げる準備を始めた.


宛先不明課では,誰も大声を出さなかった.


ただ,その日の夕方,ロウさんが一通の封筒を机の上に置いた.


白い封筒だった.

ところどころ焦げている.

封蝋には,折れた剣の紋章が刻まれていた.


「これは?」


「一人目の勇者の最後の手紙です」


私は息を止めた.


「届けるんですか」


「宛先が読めれば」


封筒は,何も言わなかった.

耳を近づけても,風のような音がするだけだった.


しばらくして,かすかな声が聞こえた.


「……ごめん.間に合わなかった」


それだけだった.


私はロウさんを見た.


「誰宛てですか」


「分かりません」


「家族でしょうか」


「かもしれません」


「恋人?」


「かもしれません」


「この国の人たち?」


「それも,かもしれません」


私は白い封筒を見つめた.


勇者の最後の言葉が,「勝った」でも「逃げろ」でも「助けて」でもなく,「ごめん」だったことが,ひどく胸に残った.


世界を救うために呼ばれた人が,最後に謝って死ぬ.


そんな世界を,どうして救われた世界と呼べるのだろう.


「この手紙は,まだ置いておきましょう」


ロウさんが言った.


「いいんですか」


「急いで届けるには,宛先が広すぎる」


その日の夜,王都に鐘が鳴った.

新しい勇者が召喚された知らせだった.


人々は広場に集まり,神殿を見上げた.

光の柱の中から現れたのは,まだ少年の面影を残した青年だった.


鎧の着方も知らない顔をしていた.

それなのに,人々は彼に向かって叫んだ.


「勇者様!」

「どうか魔王を!」

「今度こそ世界を救ってください!」


私はその声を聞きながら,胸の奥が冷えていくのを感じた.


今度こそ.


その言葉は,二人目の勇者への期待であると同時に,一人目の勇者への忘却だった.


翌朝,宛先不明課に一通の封筒が届いた.


黒い封筒だった.


机に置いた瞬間,部屋の灯りが消えた.

封筒の表面には,宛名がない.

差出人もない.


ただ,封蝋に王冠と角が刻まれていた.


「魔王からですか」


私が聞くと,ロウさんは頷いた.


「おそらく」


封筒は,何も喋らなかった.


私は耳を近づける.

沈黙.

さらに近づける.

まだ沈黙.


けれど,その沈黙の奥に,かすかな音があった.


通知音だ.


前世で聞き慣れた,メッセージアプリの通知音.


ありえない.

この世界にスマホはない.

でも,その音だけは,はっきりと聞こえた.


私は震える手で封を開けた.


中には,紙ではなく,黒い画面のようなものが入っていた.

そこに文字が浮かび上がる.


『既読にならなかった人へ』


息が止まった.


続けて,文章が表示される.


『大丈夫?』


たったそれだけだった.


でも,私は知っていた.

これは,前世で私が最後まで開かなかったメッセージだ.


差出人は,大学時代の友人だった.

何度も連絡をくれたのに,私は返さなかった.

返せなかった.

大丈夫じゃないと認めたら,本当に壊れてしまいそうだったから.


画面の下に,小さな文字が出る.


『この一通を放置したため,あなたの未配達量は基準値を超えました』


「……え?」


さらに文字が続く.


『よって,あなたはこの世界における魔王発生要因の一部です』


私は固まった.


ロウさんが静かに言った.


「やはり,そうでしたか」


「知ってたんですか」


「可能性はありました」


「私が魔王なんですか?」


「正確には,魔王の材料です」


嫌すぎる.


私は椅子に座り込んだ.

配達員として半年働いてきた.

死者の後悔を届けてきた.

世界を救っているつもりだった.


でも,私自身が世界を壊す側でもあった.


黒い封筒が震える.

そこから,無数の声が漏れ始めた.


『どうして返してくれなかったの』

『一言でよかったのに』

『助けてって言ってほしかった』

『まだ怒ってないよ』

『待ってたよ』


それは,責める声ではなかった.

だからこそ,痛かった.


私は黒い画面を見つめた.


『大丈夫?』


その問いに,前世の私は答えられなかった.


今も,大丈夫とは言えない.

異世界に来ても,チートをもらっても,仕事をしても,誰かに感謝されても,私はまだ,大丈夫ではなかった.


だから,初めて正直に返事をした.


「大丈夫じゃなかった」


黒い封筒が,びくりと震えた.


私は画面の向こうにいるはずのない友人に向かって,声を絞り出した.


「……返せなくて,ごめん」


画面に,既読の文字がついた.


その瞬間,王都の空を覆っていた黒い雲が割れた.

遠く,魔王城の方角で,巨大な何かが崩れる音がした.


それは断末魔ではなかった.

誰にも読まれなかった言葉たちが,ようやく封を切られたような,長い長い息だった.


黒い封筒は灰になった.


机の上には,一枚の小さな紙だけが残った.


『返信,遅すぎ』


私は笑って,泣いた.


翌日,新しく召喚された勇者が魔王城から帰ってきた.


「魔王は,私が剣を抜く前に消えました」


彼はまだ鎧の着方にも慣れていない顔で,そう報告した.


人々は勇者を讃えた.

王は盛大な式典を開いた.

神殿は奇跡だと叫んだ.


宛先不明課には,何の勲章も届かなかった.


代わりに,新しい封筒が百二十七通届いた.


私はそれを見て,ため息をついた.


「世界って,全然救われませんね」


ロウさんは判を押しながら言った.


「一度で救われる世界などありません」


「では,どうするんですか」


「今日届くべきものを,今日届けます」


私は机の端に置かれた白い封筒を見た.

一人目の勇者の最後の手紙だ.


焦げた封筒は,まだかすかに震えていた.


「ごめん.間に合わなかった」


その声は,今も宛先を探している.


私はそっと封筒を手に取った.


「ロウさん」


「はい」


「この手紙,私が届けてもいいですか」


ロウさんは少しだけ目を細めた.


「宛先は分かったのですか」


「たぶん」


「誰です」


私は窓の外を見た.

王都では,人々が二人目の勇者の凱旋を祝っている.

誰も一人目の勇者の名前を呼んでいない.

まるで,失敗した勇者など最初からいなかったみたいに.


「この国です」


ロウさんはしばらく黙っていた.

それから,静かに頷いた.


「では,配達を」


私は白い封筒を鞄に入れた.


その日の夕方,王都中央広場には,まだ祝勝の旗が揺れていた.

人々は二人目の勇者を囲み,酒を飲み,歌い,魔王が消えた奇跡を語っていた.


私は広場の真ん中に立った.


誰も私を見ていない.

郵便局の制服を着た配達員など,祝勝会では背景でしかない.


けれど,私は封筒を開けた.


白い光が広場に広がった.


人々の声が止まる.

二人目の勇者が,こちらを振り返る.


封筒から,一人目の勇者の声が流れた.


『ごめん.間に合わなかった』


たった一文だった.


でも,その一文は広場の隅々まで届いた.

酒杯を持つ手が止まり,笑っていた口が閉じ,神官たちが気まずそうに目を伏せた.


私は声を張り上げた.


「一人目の勇者からの手紙です」


誰かが言った.


「一人目……?」


誰かが答えた.


「魔王城で,亡くなった……」


その瞬間,人々のあいだに沈黙が落ちた.


忘れていたわけではない.

忘れたことにしたかったのだ.

世界を救えなかった勇者のことを覚えていると,今ここで笑うことが難しくなるから.


二人目の勇者が,ゆっくりと前に出た.

彼はまだ若く,頼りなく,けれどまっすぐな目をしていた.


「その手紙を,私にも聞かせてください」


「もう,全部です」


「では,届きました」


彼は広場の中央で膝をついた.

そして,魔王城の方角に向かって頭を下げた.


「あなたは,間に合わなかったのではありません.私が間に合ったのは,あなたがそこまで進んでくれたからです」


広場に,静かなざわめきが広がった.


一人目の勇者の封筒が,少しずつ軽くなっていく.


誰かが帽子を脱いだ.

誰かが祈った.

誰かが泣いた.


やがて,王都の鐘が鳴った.

祝勝の鐘ではなかった.

弔いの鐘だった.


白い封筒は,私の手の中で光になって消えた.


私は思った.


届かなかった言葉は,世界を壊す.

でも,届いた言葉は,世界をすぐには救わない.


ただ,世界が壊れた場所を,ここだと教えてくれる.


翌朝,宛先不明課には,また封筒が積まれていた.


私はそのうちの一通を手に取った.

中から,小さな声がした.


『お弁当,机の上』


私は笑った.


世界を救う言葉にしては,あまりにも生活感がある.

けれど,たぶん,こういう言葉こそが世界を支えている.


愛している.

ごめん.

ありがとう.

逃げろ.

生きて.

お弁当,机の上.


私は鞄を肩にかけた.


王都の空は,まだ少し曇っている.

未配達の言葉は,今日もどこかで増えている.

魔王の種は,たぶん完全には消えない.


それでも私は歩き出す.


私は勇者ではない.

聖女でもない.

悪役令嬢でもない.

世界最強でも,王国最弱でもない.


ただの配達員だ.


けれど,届かなかった一言が魔王になる世界なら,

一通の手紙を届けることだって,十分に冒険だと思う.

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