表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そしてまた誰もいなくなった-松井浩亮の事件簿-  作者: 水前寺鯉太郎
第二部:松本誘拐殺人事件

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/11

第8話:引き裂かれた正義

第8話:引き裂かれた正義

1

「松井さん、僕はあなたのやり方を信じています。科警研の分析だって、きっと何かに繋がりますよ」

そう言って笑っていたのは、新人の木村刑事だった。松井が韓国から帰任して以来、孤立しがちな彼を慕い、唯一「松井先生」ではなく「松井さん」と呼んで隣を歩いてくれた男だ。木村は、かつての松井が失ってしまった「真っ直ぐな正義感」を、そのまま体現したような青年だった。

その木村が、忽然と姿を消した。

署内での合同捜査会議の最中、「少し資料室へ行ってきます」と言い残したまま、彼は戻ってこなかった。資料室の床には、木村が愛用していたシャープペンシルと、そして——不吉なまでに鮮やかな**「赤いボタン」**が一つ、転がっていた。

2

「木村をどこへやった!」

松井は、誰もいない取調室で叫んだ。犯人から直接電話が来るはずだという確信があったからだ。

果たして、署内の内線電話が鳴った。外部からの転送ではない。警察署内のどこか、別の内線電話からだ。

『……先生。彼の心臓の音、聞いたことがあるかい? とても速くて、壊れそうな音がするよ。』

ボイスチェンジャー越しでも分かる、あの「声帯の歪み」。そして背後で聞こえる、巨大な時計の歯車が回るような——ギィ、ギィ、という金属音。

「木村に手を出すな。望みは何だ。金か、それとも俺の命か!」

『金? そんなものは、あの井戸の中にいくらでも沈んでいる。僕が欲しいのは、君の「絶望」だ。1986年の霧の夜、君が味わったあの味が忘れられなくてね。』

犯人は笑った。

『明日の朝、午前6時15分。松本駅前の広場にある大時計の下に、一人で来い。木村君の「中身」を返してあげるよ。』

3

翌朝、午前6時。松本駅前。

冬の訪れを予感させる冷たい霧が、広場を包んでいた。松井は本部長の制止を振り切り、拳銃だけを懐に忍ばせて、一人で大時計の前に立っていた。

定刻の6時15分。大時計が重厚な鐘の音を鳴らした。

その時、広場の端に止められていた一台の軽トラックの荷台から、何かがドサリと落ちた。

松井は駆け寄った。

そこにいたのは、口をガムテープで塞がれ、全身をロープで縛り上げられた木村だった。彼は生きていた。だが、その目は恐怖で血走り、何かを懸命に訴えようと激しく首を振っている。

「木村! 今助ける!」

松井が木村の縄を解こうとした、その時だった。

木村が着ているコートの胸元に目が止まった。

ボタンがすべて引きちぎられ、代わりに**「爆鳴弦デトネーター」**に繋がったリード線が、いくつもの「赤いボタン」を介して彼の体に縫い付けられていた。

木村は爆弾にされていた。

4

『カチッ。』

広場のスピーカーから、あの電子音が鳴り響いた。

「逃げろ……松井さん、逃げて……!」

ガムテープを自ら引き剥がした木村が、血を吐くような声で叫んだ。

「馬鹿なことを言うな! 解体してやる、俺を信じろ!」

松井の手が震える。かつて韓国で見た、被害者の指爪の間の泥。救えなかったイ・ジヌ。そして今、目の前にある若き同僚の命。

爆弾のタイマーが、非情なデジタル数字を刻む。残り30秒。

その時、霧の向こうから、聞き覚えのあるメロディが聞こえてきた。

ノイズ混じりの、ラジオ体操第一。

「な……なぜ、この曲が……」

松井が硬直した瞬間、木村が最後の手で松井の胸を強く突き飛ばした。

「松井さんは、生きてあいつを捕まえてください! 先生の、あだ名を……返して……!」

「木村ーーー!!!」

激越な爆発音が、松本の朝の静寂を粉々に打ち砕いた。

爆風に吹き飛ばされ、アスファルトを転がる松井の視界に、空から降ってくる「赤い火花」と、そしてバラバラになった「黒いコートの破片」が映った。

炎の中で、松井は見終えた。

霧の向こう側に立つ、一人の男のシルエットを。

男は、あの日韓国の井戸の底にいたあの少年と同じように、静かに、優雅に、ラジオ体操の動きをトレースしていた。

松井浩亮の絶叫は、炎の中に飲み込まれていった。

守るべき仲間を失い、自らの「正義」が再び無残に踏みにじられた時、彼の刑事としての魂は、完全に「復讐鬼」へと変貌を遂げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ