第八話 血染めの竜宮
「穴は埋めもうした。ここへははじめてでありんすか?」
女は潜水艇を抱えているようだった。
シュウはスピーカーのスイッチを入れる。
『あの、僕らはレアメタルを採掘しに来たんです』
「すみません。あちきにはわからんでありんす」
女は話を聴いているのかいないのか、潜水艇を抱えたまま歩き始めた。
『どこへ持っていくんですか』
『もしや泥棒か!』
リ・チョウが通信に割り込む。
「客人さまは持て成さねばなりませんえ。さ、こちらへ」
女は屋敷に入った。
屋敷の中には大勢の女中が並び、頭を下げていた。
「乙姫様、おかえりなさいませ」
口々に彼女たちは言う。
『偉い奴なのか?』
「まあ、あちきなどつまらん女でありんす」
アイの質問をはぐらかし、乙姫は潜水艇を持ったまま廊下を歩いた。
大広間には御馳走が並んでいた。
「さ、お食べなんし」
潜水艇は座布団の上に乗せられて、刺身を採集ケースに入れられた。
『潜水艇だからなぁ、味などわからん』
『もったいないぞ、あたいも潜ればよかった』
リ・チョウとアイがふてくされる。
「お口にあいましたかえ。それはよかった」
採集ケースが刺身と酒でいっぱいになった頃、先ほどの女中たちが羽衣を伴って踊り始めた。
「このようなお持て成ししかできませんで」
『綺麗だな』
「ありがとうございますえ」
『いや、ちょっと待って、これどういう状況?』
シュウが正気に戻ってたずねた。
「ここはここ。あちきは乙姫でありんす」
『古代の伝承に浦島太郎って物語がある。そこに出て来る竜宮城、海底の楽園だって言いたいのか?』
「客人さまがそう思われるなら、そうなんでしょうなぁ」
会話は噛み合わぬまま、潜水艇は持て成しを受け続けた。
客間の天井をカメラで映しながら、俺たちは話し合った。
『どう思う? 九鬼』
『レアメタルを狙った競合他社かもしれん。油断はできんぞ』
俺は疑っていた。ただの持て成しほど怖いものはない。
『でも、悪い奴にも見えないな』
アイが呟いた。
シュウが潜水艇の腕を組ませて考える。
『本当に、浦島太郎の竜宮城なのかも』
『夢想家だな。まあいい、だとしたらどうなる』
リ・チョウは彼の言葉を促した。
『だとしたら、お土産に玉手箱を貰って、僕らが帰ってくる頃には何百年も時が経ってる』
『だが、ここにいるのは無人潜水艇だ』
『玉手箱を開いたらおじいちゃんになるんだよ』
『鶴になるのではなかったか?』
俺が言った直後、アイがしびれを切らしたように腕をほどいた。
『鶴でもおじいちゃんでもどうでもいい。あたいはここに行きたい! 腹いっぱい食べたい!』
『やめとけよ、水圧で人間なんてぺちゃんこだぞ』
シュウが答えると、アイはしょぼくれた。
『では、乙姫たちは人間ではないと』
俺はたずねた。
『その可能性は高いね』
翌朝。
「もうお帰りになられますの。もっと居てくれてええのに」
乙姫は潜水艇を抱えて、穴のあった場所へと歩いてきた。
『僕らにも仕事があるんです』
『宇宙へ行くためにな』
「しかたありませんえ。ではこれを」
乙姫は黒い漆塗りの箱を、潜水艇に持たせた。
「あちきと思って、大事になさってね」
『はい、絶対に開けません』
「開けてもよろしおすよ」
『開けません』
シュウは固く誓って、潜水艇の掘削機を構えた。空色にペイントされた壁に穴をあける。竜宮城に水が入ってくる。
「最初で最後の客人があなた様でよかった」
乙姫は手を振っていた。
別の海溝でレアメタルの鉱脈を発見し、少しずつ採掘している。
「なあ、あの箱開けないのか」
アイが言った。玉手箱は制御室の隅に置かれている。シュウは無視して作業に没頭している。
「なんだったんだろうな、あれは」
俺は呟く。端末を動かして採取したレアメタルの選定を行っている。
「我にはなんとも。真昼の夢だったとしか思えぬ」
リ・チョウがトレーニングをしながら言う。
採集ケースに入っていた刺身と酒も、怪しい成分は見つからなかった。
「僕らがそう思うなら、そうなんだろうさ。あれは竜宮城だったんだ」
「メシがはいってるならそろそろ腐るぞ。食わないか?」
「おじいちゃんになった頃に開けるさ」
アイはそれを聴いて、玉手箱に近付いた。
「開けるなよ」
俺の言葉に力強く頷いて、アイは蓋を開けた。
怪しい煙などは出なかった。
「なんだい、紙切れが入ってるだけだ」
「ウワッ! あ、開けたのか!?」
気が付いたシュウが椅子から転げ落ちる。
「鶴にはなってない。安心せい」
玉手箱を覗くと、たしかに折りたたまれた書状が一枚入っていた。
アイがそれを広げる。
「読めない……」
「草書体だな。よこせ」
俺は書状の内容を読んで聴かせた。
ここへ来た客人へ、手紙を残します。
この国が海に沈むと解った時、限られた上流階級だけが選定され、シェルターへ避難させられました。
この国は大変な独裁国家でした。間違った物語を書くことも許さなかった。
私は高官でした。多くの作家を取り締まり、処刑していました。
自分の仕事を深く考えたことはありません。そうでなければ狂っていた。
いいえ、既に狂っていたのかも知れません。
私は最後にシェルターへと案内されました。扉がロックされた瞬間、他の人間たちを殺した。
残されたのは私と世話役のガイノイドだけです。
あれだけ秩序を尊びながら、残されたのは欲望に塗れた思想で作られた、機械人形たちとは。
私はガイノイドたちに役割を与え、このシェルター内を楽園にした。
誰も思いつかないような、荒唐無稽な海の底の楽園を作り上げたのです。
ここへ来た客人のあなたへ、ここの血の匂いには耐えがたいことでしょう。
それでも私は、殺してきた作家たちへの、物語への、罪滅ぼしとして、私の物語を紡いだのです。
耐久年数が尽きるその時までに、どうか、楽しんでほしい。
俺は書状を畳んだ。
「にゃ……やっぱり行けなくてよかったな」
アイが呟いた。
潜水艇を抱えた乙姫は、カメラに竜宮城の地面を見せることはなかった。
「水没前の技術が如何ほどか知らんが、シェルターはいずれ気圧が維持できずに潰れるだろう」
リ・チョウはしんみりと呟いた。
シュウは黙って聴いていたが、しばらくして立ち上がり、採掘作業に戻った。
「真実がどうでも、僕らが見たのは竜宮城だった。それでいい」
作業しながら、シュウは言った。
俺は頷いて、玉手箱の蓋を閉じた。