第六話 怪物の歌声
俺は駆けた。アイに向かって。
しかし輝元の刀がそれを阻止する。
「彼女を治させろ、非戦闘員だ」
「第六天魔王の水軍が甘くなったものだな」
たしかに、なにをも犠牲にしてきた頃に比べれば、今の俺は腑抜けているのだろうか。
関係ない。
俺は刀を弾き返し、アイに治療ゲルを散布した。
衝撃。
背骨をやられた。
「浅い」
輝元が呟く。
いや、端末だから、中枢駆動域か。幸い神経コードはやられていない。俺はアイを抱えて跳ぶ。
「抵抗するだけ、その娘は傷を負う。それでいいのか」
輝元は俺に語り掛ける。
この俺に。
九鬼家の三男として生まれた俺は、幼き頃から波切城から見える海を見ていた。切り立った岸壁に打ち付ける波が恐ろしかった。
九つの頃に父を亡くした。家督は浄隆兄が継いだが、そんな長兄も十八の頃に城攻めにあって亡くした。死んでいった父と兄を見て、俺は何をしてでも生き残ることを決めた。社に引っ込んだ光隆兄を置いて俺は織田に取り入り、水軍として敵を殺しまくった。浄隆兄の仇である志摩の地頭共も殺した。胸は晴れなかった。
俺は恐れていたのだ、死ぬことを。あの時まで。
幼い我が子らはあの頃の俺に似ていた。
すぐに怯え、恐れ、傲慢で、浅はかで……
それゆえに、己が捨てて来たものを持っていたがゆえに、命を賭けるに値すると思ったのだ。
「それに、シュウも、だな」
呟く。
「どうかしたか」
輝元は刀を構えたまま、首を傾げた。
「その娘を見捨てろ。殺めろ。お前ならできるはずだ。さすればなんの気兼ねもなく我と戦える」
輝元の言葉に俺は⋯⋯――
シュウは祖父の座を受け継いで、若くして艦島ウルフ・ムーンの艦長となった。
シュウは幼い頃から食べることが好きだったし、女の子も好きだった。
就任したその日に食料をちょろまかし、翌日にバレて住居スペースで大規模な反発運動が起こった。二十人いたガールフレンドからは全員通信をブロックされた。アルテミスも呆れていた。自業自得だからだ。シュウもそれはよくわかっていた。
住人達で精製していた燃料が尽きかけていた頃、スクワールのドローン船に追いかけられた。あの魚の缶詰だけは大の苦手だったからだ。そんな絶体絶命の時に、九鬼はアルテミスの代わりに現れたのだ。
スクワールのドローン船を攻撃した。かと思えばスクワールに取り入った。魚も躊躇なく捌くし、解体されそうになるし、滅茶苦茶をやる。
けれども、楽しかった。
シュウはこれまでの日々を思い出しながら泣いていた。
「助けてくれーっ」
処刑場は海に張り出した場所だった。
中央に立てられた柱にシュウは括りつけられ、銃を構えた男たちが狙っている。
「こんな、こんな情けない自分のままで死にたくない。どうかーっ」
シュウは泣き叫んだ。九鬼が助けにくるまで、そうすることしかできないからだ。
しかし処刑の時は迫っている。
「長官、的が動いてロープが緩んでいます」
「縛り直せ」
銃口が下ろされて、袋を頭に被った刑務官がロープを直しにくる。
シュウは全力で抵抗する。
「いやだーっ」
こうして時間を稼ぐことしかできない。
「処刑時間を大幅に過ぎている。テルモト警視総監は欠席のまま、処刑を決行する」
「やだーっ」
シュウは全力で抵抗する。
銃口が一か所に集中する。
「待て、なんだこの音は」
何か、この世ならざる者が歌っているような、そんな奇妙な歌声だった。
シュウはアルテミスが教えてくれたセイレーンの伝承を思い出す。
――老朽化した船が崩れる時、その軋みが歌声に聴こえることがあります。この船を襲う怪物の伝承と、なにか関わりがあるかと――
処刑場が本体から外れた。
俺は、笑った。これだけは、迷うことはない。
「この娘は殺めぬ、全力で抵抗する。そして、ここから抜け出る」
「では死ね」
床が裂けた。いや、元からそうであったかのように、足場が分解を始めたのだ。
アイの解体技術の本質はナノマシン技術であった。
彼女の手足に棲むナノマシンは増殖型ウイルスを備えてあらゆる機械のOSを破壊し、発熱でコードを発火させるのである。アイに操作している自覚はほとんどなく、ただアイの視界に入ったものに区別なく散布され、アイの破壊の意志に反応して行動する。
ナノマシンを開発したのは紛れもなくアイの両親であり、母体の中に居る時から四肢の無かった彼女のために託されたものだった。無論、今のアイ自身にそれを知るすべはない。
そしてアイの目は一度、管制室の操作パネルを見ていた。
増殖型ウイルスが侵入したことで、緊急装置が発動し艦島が解体されていく。
「おお、なんだ、どうした、これは」
「輝元!」
俺は小刀を振った。奴の足元に向かって。
避けようとして重心を崩し、奴は裂け目に落ちた。
「うおおおおおお、お、はっは、はははは」
裂け目に片腕でぶら下がって、輝元は笑っていた。
「見事だ、わしの首をくれてやってもいい」
奴は刀を離さない。
俺は小刀を納める。
「殺めぬ。貴様は何をしてでも生きろ」
そう伝えて、俺はアイを抱えたまま足場から去った。
「くくくく、はははははっ、はははははははははは……!」
崩れ落ちる壁に、水面に、哄笑が響いた。
牢獄島は崩れ去る。
「し、死ぬかと思った」
浮かぶ柱に掴まってシュウが言った。
「生きていてなによりだ」
その柱に、俺はアイを肩に抱えたまま跳び乗る。シュウが沈んだ。
しばらくして浮かんで来る。
「ぶはっ! 死んだ! 今度こそ死んでた!」
「さっさと水泳訓練をしておくべきだった」
「言ってないで、あの、引き揚げてください」
シュウが心もとない声で言った。俺は彼の腕を掴んで引っ張り上げる。
両肩に少年少女を抱えて、俺は振り返った。
「ほれ、我らが愛しきウルフ・ムーンだ」
解体されていくタイガー・クロウの艦島。その拘束から抜け出したウルフ・ムーンが近付いている所だった。
救助班が小舟を出している。その上に、見覚えのある顔があった。
「虎人間」
「リ・チョウ警視正だ!」
猫の口が大きく開いた。
「タイガー・クロウは解体されたぞ」
「タイガー・クロウは不滅である! 今は、そう、その、緊急避難である!」
呉越同舟。
俺たちは、ウルフ・ムーンに戻った。