第二話 殺めずの戦
俺は身体を北へと進める。
移動中にも資料を読み漁った。この世界には艦島(かんとう、あるいは、ふねじま)という人々の住むコロニーが存在する。複数の艦島が結成し国を形成することもある。我が身体である艦島ウルフ・ムーンは新興国家ムーンパレスの所属であったが先日の戦闘でその特権を失った。
シュウが不安げに俺の目を覗き込んだ。
「ルートを間違えていないか、九鬼。このままだとスクワール本艦島の周遊ルートだぞ」
『いや、合っている』
やがて楼閣が見えてくる。柱があちこちへ張り出した巨大な船はスクワールの本拠地だ。
俺は声を……通信を打った。
『我がウルフ・ムーンの力、御覧頂けただろう』
声が身体に響く。シュウが耳を塞いだ。
通信が返ってくる。
『確かに、わたくしたちの貴重なドローンを壊してくれましたね。この落とし前はどうつけるおつもりで』
高圧的な女の声だった。
俺は続ける。
『スクワールの遊撃手として行動しよう。その代わり得た物資の四割を俸禄として頂く』
シュウが失神した。俺は椅子を動かしてその身体を受け止める。
『わたくしの勘違いならいいのですが、もしかして交渉のつもりでしょうか』
『嫌ならよい。今後も補給のたびにお前の船を襲うだけだ』
『……港を開きます。顔を見て話しましょう』
柱の一部が動いた。船の一部がちょうど俺の身体が入るだけの隙間を開いた。
俺はシュウを起こす。
「はっ、なんだ夢か。アルテミスが乗っ取られてスクワールの軍門に下る夢を見た」
入港を進めながら、端末を用意する。
かつてアルテミスと呼ばれていたこの疑似人格に製作者が用意したのは少女の人形だった。意識を移して整備ポッドから出た俺は、一万世紀ぶりに動かしたかのように、首を回す。
「シュウ、ついてこい」
「夢がまだ続いている」
また眠りこけようとした艦長の手を引いて、俺はウルフ・ムーンを出た。
客室に通された。
「改めまして、わたくしがスクワールの総取締役ベルディングです」
車椅子の上で高圧的な声を発していたのは丸縁眼鏡をかけた小さな子供だった。いや、顔と手に刻まれた皺は年齢を隠せていない。近衛兵を見ても、この身長が彼女たちの普通なのだろう。
「ウルフ・ムーンの艦長シュウ・ビルドです……」
「九鬼大隅守嘉隆である」
シュウに続いて名乗る。ベルディングは怪訝な顔をして首を傾げたが、続けた。
「ウルフ・ムーンを雇いましょう。ただしマージンは三割です」
「えっ」
シュウが目を見開く。ベルディングは指先で眼鏡を上げる。
「あなた方の顔を見て、悪くない面構えだと思いました。この十年、収益率が伸び悩んでいます。今までのやり方ではなく積極策に出るべきだと我々も考えていた所です」
「押し売りも対策が広まればその程度だ。シュウも逃げようとしていたしな」
俺は言いながらシュウを振り返る。ベルディングが不機嫌そうにひじ掛けを爪で叩く。
「その端末を介さなければ、嫌味の一つも言えないようですね」
「いや、その、これは違くて」
「情などどうでもよい。必要なのは利だ。交渉が成立したなら早速、戦といこう。ただし誰も殺めぬ戦だ」
ベルディングが眼鏡を上げる。
「殺めぬ、というと」
俺は答える前に客室を出た。
「品物を見せてもらおうか」
「………」
車椅子を操作して、ベルディングはついてきた。
「ご案内します」
貨物室に通された。そこには部屋いっぱいの木箱が積まれていた。
「魚介の缶詰です。この本艦島で漁獲しライン生産しています」
絡繰りの指で缶をひとつ掴んだ。隅が錆びている。
「質が良くない。いくらで売っている」
「二千ベル」
ベルディングの言葉を受けてシュウが俺に耳打ちする。
(相場の二十倍だよ。魚なんて臭くて誰も食わないのにさ)
「なかなか強気だな。しかし、魚を獲るのも缶に詰めるのも金がかかる。儲けがなければ赤字だ」
「あなたならどうします」
ベルディングがたずねた。
「塩だ」
俺はスクワール本艦島の甲板に広い塩田を作らせた。
「塩はいい。こうして海水を広げておくだけでできてしまう」
畔を歩きながら俺は言った。
「塩工場は赤道下のエレファンツがやってるし質もいい。いまさらここで作ってどうするんだ」
シュウが文句を垂れた。
「塩には塩にしかできないことがある。次は漁港だ。ベルディング」
「ご案内します」
老女は素直に答えて車椅子を走らせた。その後ろをシュウが追いかける。
「どうしてこんなに素直に聴くんです、我々の言葉を」
シュウがたずねる。
「この十年、収益率が伸び悩んでおりましたので前任者は処刑されました。わたくしは改革派です。外の意見は柔軟に取り入れたい」
漁港に辿り着いた。ちょうど漁船が戻って来たところだ。
「おーい、そこのノッポも手伝ってくれ」
「え、僕ですか」
漁師の声に応じてシュウが駆けた。いくつもの滑車に通された網を機械で引くが、途中絡まっている魚は人力で取り出していく。網に絡まっていたイワシやアジがつぎつぎと打ち上げられていく。が、最後に水面が大きく盛り上がった。
巨大なダイオウイカと鯨が絡み合っていた。滑車を吊るしていたクレーンごと動いて床に揚げられる。
「ひええ」
「かつては皆で鯨獲りをしたものだ」
俺は懐かしくなった。防水錆止め加工がされた端末のセンサーで潮の匂いを吸う。
「さて、この魚はどこへ運ぶ」
「近くの缶詰工場です」
ベルディングが答えた。
「開いて塩をまぶせ。工場は潰せ」
俺の言葉に、シュウが首を傾げた。
「そんなことをして何になるんだ?」
「お前は料理はするか」
「専属シェフがいる。といっても、糧食のバリエーションしかないけど」
「まったく呆れるわ」
俺は床に転がっている雑魚を手に取った。
右手首を収納して小刀を出す。魚のえらに突き立てた。
「わっ、うわ、なにしてるんだ」
「自分で魚も捌いたことのない長など笑い種だ」
俺は開いた魚を海水で洗った。活け造りの一切れをシュウに渡す。
「血を抜けば臭みも味も格段に変わる。塩は魚から血と水を抜くのに使う。そのために大量に、ここで、作る必要がある」
「………」
シュウは魚の身をしばらく手のひらに乗せたまま、顔をしかめていたが、やがて口に入れた。
「……おいしい」
「仕事を手伝った褒美だ。味わっておけ」
残りの身も渡して、俺はベルディングをつれて指示を出しに行った。
「今回はエレファンツとやらの塩を使うが、自国の塩ができたらそちらを使う。全てスクワールでやるのだ。出来上がった干物はまずタダで配れ。今まで臭い缶詰を食わせていたのだからな、それくらいやらねば信用は買い戻せん」
「わかりました。友好国の流通に手を回します」
ベルディングと話しながら俺は漁港を歩く。
轟音が鳴った。