第十話 光の下で
老人がいるそこだけに光が当たっている。
暗い部屋の真ん中に茣蓙が敷かれ、細い、老人の身体が座っている。肩から伸びるコードは天井から吊るされた金属の複腕に繋がり、顔は垂れ布がかぶせられ見えない。
「よくぞ、おいでくださいました。あなた方を歓迎します」
俺は腹部から分厚い資料を取り出す。
「歓迎せんでいいから、このアンケートに答えろ」
「はい、答えさせていただきます」
天井からするすると金属の棒が降りて来る。その先には金具がついていた。それに俺は書類を挟み込む。
老人は書類を持つために最適化した腕を引いて、ペンを持つために最適化した腕で記入していく。
「お暇でしょう。どうぞお部屋でおくつろぎください」
案内役が影から現れる。ついていくと次元が歪む感覚がして長い廊下に出た。進む。
前を歩いていた案内役が立ち止まって、俺を先へ促した。その先は底なしの穴かも知れないが、俺は臆せず進む。
いつの間にか明るいロビーに立っていた。
アイとシュウが心配そうな顔で俺を見ている。
「なんてことはない。渡したぞ」
俺は二人を伴って歩く。
俺が書類を渡した老人は顕如であった。息子の教如ではないあたり、因縁のある者だけがこの時代に転生してきたわけではないらしい。
本願寺はかつて織田に圧力をかけていた包囲網の一端であり、俺が毛利水軍と戦うきっかけとなったものである。それも俺が艦になる前、遠い過去の話だ。
俺たちはベーリング海峡の宗教施設、ネオ本願寺の調査に来ていた。
無論、仕事である。
蓮の間と名付けられた客間は洋室で、清潔に整えられていた。ベッドは四つある。
「じゃあ、こっちは見張っておくから」
シュウは言った。手にはゴム弾の拳銃が握られている。アイも窓際に貼りついた。
俺はベッドに転がり、目を閉じて、行動を開始した。
アンケートは表向きの手続きでしかない。
意識を研ぎ澄まして、仮想身体を構築し、ネットワークに侵入する。このやり方はアルテミスが残したマニュアルにあった。
星の間を光る糸が渡っている。俺はそれに触れないように空間を飛ぶ。こちらの地上も黒い海に覆われていた。穏やかな波が光を反射している。
飛びながら、別口で目的のデータを検索する。いくつかの語句で検索して怪しいものが無いか探す。
視界にその糸が見えた。やけに太い一本。よく見れば複数の個所から撚り集まって縄になっている。この仮想現実の視界では、その糸の数はアクセス回数の多さを示している。
『見つけた』
俺は言葉を記録し、その星へと近づく。
仮想身体が星に吸い込まれる。
廊下に出た。鉄の壁は無機質で、異臭が充満している。仮想身体に嗅覚はないので共感覚だろう。
道の先には扉があった。扉の中心で光る円盤には文字が表示され、暗証を求めている。
俺は腕を伸ばす。指先が細かく分裂し円盤に取り付く。指紋の跡、鍵盤のすり減り、鍵穴から逆算して鍵を探す。
tenshou08。
鍵が開いた。
『やれやれ』
扉の向こうは案の定、巨大な兵器倉庫となっていた。
トラックの荷台に整列して刺さっているのは核ミサイルだろう。それが四百発。
俺は視界を記録する。証拠は同時にヒマラヤへ送られている。
不意に頭痛がした。それから、声がする。
「なぜ、ここに居られるのですか」
顕如が姿を現す。倉庫の中央、ミサイルの間に光が当たってそこに干からびた老人が座っている。
老人の声には何の感情も含まれていなかった。俺は通信に割り込んできた顕如に答える。
「こっちが本来の目的だ。軍事力を調査しに来た」
「世をおびやかす魔王もおりませんし、補給も己たちで賄えております。我々はもう戦をする気はありません」
「これだけのミサイルを置いて、よく言えたものだな」
俺は仮想現実から離脱しようとする。しかし、エラーが発生してなぜか戻れない。
「仏の導きを」
ぱん、と破裂音がした。俺は客間を検索する。蓮の間の監視カメラに繋がってシュウたちの様子が見えた。僧兵とシュウが応戦している。
「ずいぶんな導きだな」
「私の指示ではありません」
「そういうことにしてやろう」
ベッドに横たわった端末からガスが噴射される。緊急プログラムが作動したのだ。シュウはアイを抱えて窓から飛び出した。
「窒素ガスですか」
「俺の指示ではない。俺の意識が一定時間戻らんから、こうなった」
当てつけのように返した。しかし、顕如の声には動揺も怒りもない。
「観念しろ。連合国の艦隊がこちらへ向かっている。お前も消し炭にはなりたくないだろう」
庭の監視カメラと繋がった。
アイの様子がおかしい。彼女の銀色の四肢がばらばらに動いて、シュウを弾き飛ばした。
『アイ! どうしたんだ!』
『わかんないわかんない、逃げて、逃げて!』
どうやらアイの義肢がハッキングされている。操り人形のように動いてシュウを攻撃している。
「うちの機関長を返してもらう」
「改宗はアイさん自身の意志です。私は彼女の意志を尊重します」
俺は苦虫を嚙み潰した気分で、アイの身体の制御を取り戻せないかと試行する。
「これもまた、仏の導きなれば」
顕如が呟いた。兵器倉庫の床がせり上がっている。天井が開いて空の光が見えた。
「使う気か」
「ええ」
「これだけをぶちかませば、地上が蒸発しかねん。人類は滅ぶぞ」
「かまいませぬ。この世は既に末法なれば」
俺は走った。トラックの機構を止めに。
「仏の導きを」
頭痛。
視界が歪む。客間の天井が見えて俺は跳び起きた。奴の力で強制的に端末へ戻されたらしい。
「アイ!」
俺は窓から飛び出す。壁に貼り付いた彼女を抱きかかえて、シュウと俺は走った。
「何が起こったんだ、九鬼」
「後で話す。逃げるぞ」
暴れるアイを抱きかかえたまま、俺たちはウルフ・ムーンへと走った。
僧兵が邪魔をする。シュウが拳銃で応戦する。
「駄目だ、間に合わない」
俺は呟く。
光。
空が光っていた。
発射された核ミサイルが、ネオ本願寺の真上で撃ち落とされているのだ。
「シュウ! アイ!」
二人を身体で覆った。しかし、小さな身体では限界があった。
アルテミスがマニュアルを残した意味を考えていた。元々人間の魂である俺には助かったが、彼女(で、いいのだろうか。AIの性別はわからない)にとってどのような意味を持つのか、俺には理解が及ばない。
あるいは、アルテミスが俺を呼んだのかも知れない。
なんのために。
こんなことをさせるためにか。
四百発の核ミサイルはすべて発射されなかった。
包囲した連合艦隊はネオ本願寺を消し炭にすることはなく、白兵戦で僧兵たちを掃討していった。顕如は亡くなっていた。寿命だ。
俺たちはウルフ・ムーンに帰還した。
「すまなかった……本当に、すまなかった」
謝った。仕事を受けたのは俺だ。シュウとアイの身体を抱きしめて、俺は何度も謝った。バイタルチェックが緊急信号を発している。重大な被爆。艦内に残っていたリ・チョウはおろおろするばかりで、声を発せない。
「なあ、九鬼」
シュウの手が、端末の頭を撫でた。アイがその上に手を重ねる。
「宇宙へ行ってくれ」