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こころ戦史。  作者: 樹本周幸
第二章『そうの世界』
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『覚醒者と非覚醒者』

───心とはなんだろう。私は思う。触れたくて、守りたくて、でも壊れそうで、怖くて……。

愛しいと思うものに手を伸ばせない時、その痛みをどうすればいいのか、もう誰も教えてくれない。

心って……柔らかくて脆くて、時には自分をも傷つける氷鏡(ひょうきょう)なんだと思う。

それでも私はあなたの心が知りたい───




──────


『京都南更生施設』朝七時のサイレンがけたたましく鳴り響いた。

施設内の三○二号室のネームプレートにはこう記されていた。


神足(こうたり)そう』


施設内で鳴る、朝の目覚ましサイレンより先に、そうは起床していた。特別何かをしていた訳ではない。ただぼんやりと、殺風景な病室のような部屋のベッドに寝転がって時間を潰していただけだ。


「さて、デイルームへ向かうか」


そうは最近独り言が増えたな、等と思いながら制服に着替え、施設内のデイルームへ向かうために自室を出た。そうは隣の部屋、三○一号室の前で少し佇む。


「おはよう。行ってきます、理絵お姉ちゃん」


と普段通りの挨拶をし、通り過ぎた。そうの朝のルーティンだ。

施設はコの字型の三階建てで、グラウンドも有りかなり広い。ただし、施設の外界に繋がる敷地には、高い壁が反り立っている。脱走防止のためだ。

そうの自室はデイルームと同じ三階にある。のんびり歩いて五分程度といった距離だ。


「はよッス」


三室隣の住人室町康二(むろまちこうじ)が声を掛けてきた。そうより二つ年下の十六歳。制服の前ボタンをかなり大きく開け、乳首が見えている。そうは半場呆れ顔で康二に言う。


「おはよ。前から思ってたんだけど、その制服の着こし直したら?」


「これが俺様流なんですよ。それより今日も寒いッスね」

「寒いなら尚更、胸元閉じとけよ」


他愛のない話しをしていたところ、三○八号室の扉が開き、一人の女性…いや、まだ女の子と言った方がしっくりくる。北川千尋(きたがわちひろ)が自室から出てきた。今やこの施設に残っている、ただひとりの女子生徒である。因みに康二と同じ十六歳。

千尋は神秘的な紅い瞳で此方を一瞥すると、何事も無かったようにデイルームへと歩いていった。


「あのクールな感じが良いんですよね~穢れを知らない乙女って感じ」


康二が燥ぐ(はしゃ)。康二は千尋のことが好きだ。さっさと去っていく千尋の後ろ姿を見つめている。

千尋は、この施設で唯一の年頃の女の子だった。大きな二重の瞳はいつもきらきらと揺れ、誰が見ても愛らしい顔立ちをしている。少し小柄な体つきも、その可憐さを際立たせていた。

女気のないこの施設では、彼女に惹かれるのはごく自然なことだった。康二がわざと崩した制服の着こなしをしているのも、結局は千尋の気を引きたい一心からだ。

だが、その千尋は誰ともまともに口をきかず、冷ややかで素っ気ない態度を崩さない。視線に触れようものなら、まるで汚れものでも見るかのような無慈悲な眼差しが返ってくる。


──ただし、昔は違っていた。


『そう君、遊ぼ!』


まだ幼かった頃の千尋は、いつも笑顔を絶やさなかった。ほんの二年前までは、そうに無邪気に懐いていたのだ。

それが嘘のように、ある日を境に急に冷たくなってしまった。

千尋の瞳は紅い。一度は覚醒者だった証だ。非覚醒者が覚醒者になることも、覚醒者が非覚醒者になることも、どちらもある。千尋は元々覚醒者だったが、非覚醒者になり、この施設へ送られてきた。尤も、覚醒者が非覚醒者になる事例は殆どない。


他愛のない話しをしながら、程なくしてそうと康二はデイルームに着いた。


「おはよう」

「おはよ」

「はよッス」


キムこと木村二郎(きむらじろう)とそうと康二は挨拶を交わした。千尋は無視している。キムは遅刻癖があるのに珍しく、既にデイルームに到着していたようだ。

キムはそうと同級生の十八歳だ。いつもぼ~っとしており、性格は天然だ。普段は髪の毛で見えないが、キムの頭には傷痕がある。それは、そうが傭兵訓練のチーム対抗の模擬戦を戦っている時に、敵から狙われたそうを身を呈して守った時の傷だ。そうを庇ってできた傷。普段はぼ~として天然だが、自然体で優しさを持っている男だ。そうの親友でもある。


今、この更生施設に残っている生徒はもう三人だけになった。覚醒者になることができ社会に出た者、成人を迎え傭兵部隊へ入った者、施設内で死んだ者、様々である。親しい人が施設を離れる時、そうは悲しさや羨ましさ、他にも何とも言えない気持ちになったものだ。


そうは産まれて一ヶ月で更生施設に入った。普通、産まれて三日以内に目から血の涙を流し、瞳が紅くなり、(まぶた)を閉じた後に覚醒者へとなる。そうは血の涙が出なかった。覚醒しなかったのだ。


「バンバンバン!」

「うわ~やられた!」


そうが幼子だった頃は、周りの年長者達が無邪気に遊んでくれていたものだ。

そうが施設に入ったばかりの赤子の頃は、施設内生徒数千五百名、様々な役目の教師も百名はいた。赤子から成人間際の生徒達で溢れており、活気があった。施設内がそうの生きる場所であり、唯一知る世界だった。

施設内は教師も生徒も含め、みんな非覚醒者だ。覚醒者はたまに訪れる事もあるが、基本的に覚醒者は非覚醒者との接触を嫌う。


「みんな、おはようございます。朝食の準備できてますよ」


現在の施設には三名の教師しかいない。その内の一人、亀山恵子(かめやまけいこ)が朝食が入ったワゴンを運んできた。亀山先生は、主に生徒の家事や簡単な医療行為を行ってくれる教師だ。顎に大きな黒子がある。


「おはようございます。亀山先生」


皆が挨拶を済ませる。千尋だけは小さく頭を下げるだけだ。

各々ワゴンから朝食の乗ったトレーを取り出す。食パン二つとゆで卵とポテトサラダが今日の朝食だ。


「いただきます!」

「いただきます」

「ッス」

「…いただきます」


そうとキムと康二は相席で朝食をとる。千尋は離れた席でひとりで食べている。

デイルームはかなり広い。施設の収容人数が多かった時期なら、少し狭い程だった。しかし生徒数が三名になった今は、あまりに殺風景で広過ぎる。現在は各教室もほぼ使われておらず、このデイルームを主に、食事や更生プログラムや授業が行われている。

朝食の後は服薬だ。覚醒者に覚醒しやすくなる脳の薬だ。今日も皆、薬を飲んでも覚醒しなかった。


「皆、おはよう」


皆が朝食を済ませた後、二人の男がデイルームへ入って来た。


背は低いが筋肉質で、頭髪が薄くなっている宇治勝(うじまさる)先生と、そうと同じくらいの身長百八十センチ痩せ型体型で、左目に眼帯をしてる石宮賢治(いしみやけんじ)先生が入室してきた。石宮は施設長であり、いわゆる校長のような存在だ。


「おはようございます」


千尋以外の生徒は挨拶を返す。

石宮は顎を上げ、宇治に視線を送った。不遜な態度だが、宇治は石宮の子分のような存在だった。


「本日の授業は、午前九時から十時までデイルームにて歴史の授業。続いて午前十一時から十二時までグラウンドにて傭兵訓練。午後一時三十分からは覚醒矯正プログラム。以上だ」


石宮に促され、宇治が強い口調で本日のスケジュールを告げた。宇治は生徒の前だけは傲慢な態度をとる。


「この寒いのに傭兵訓練キツい」


康二が天を仰いで愚痴を吐く。康二はすぐに弱音を吐く。

今日は十二月二十七日、年末だ。冬のグラウンドでの傭兵訓練。ただ、炎天下の夏場よりはマシだ。


「僕は歴史の授業の方が嫌だ」


今度はキムがぼ~っと愚痴を返す。


「僕も歴史の授業の方が嫌だ」


そうも相槌を打つ。歴史の授業はもう飽きたのが本音だ。過去の非覚醒者の時代から現代の覚醒者の時代を勉強する。同じような内容だ。

デイルームでの朝礼が終わり、各自自室に帰り筆記用具と教科書の準備をする。そして、九時に再びデイルームへと戻り授業が開始された。講師は宇治だ。


また退屈な時間が始まる───


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