9
「なんで、あたしの居場所聞き出すくらいでキスされるんだよ。かかってるもんに差がありすぎるだろ」
「だって――」
だってが多いなあ、こいつ。
「――だって、私が持っているものなんて知れてるから。それと引き換えになにかが手に入るなら、ためらわない」
「……お前、絶対援交とかパパ活とかするなよ。本気でこええわ」
こんなに自己評価が低いやつだとは思わなかった。
あたしとは別の形で、危なっかしい。
あたしだって危なっかしくて、弱っちい。
こんなやつら二人では、一体この世のどこにいればいいんだ?
さっきは勢い任せだったけど、郷の母親があたしにちょっかい出したあたしの家に、今更こいつを連れて行きたくない。かといって郷の家も母親がいるならだめだ。
雨がやみかけてた。でも、日が暮れかけてて、もうだいぶ暗い。
あたしは制服を着ている。郷も制服だ。こんな格好で、これから行ける場所。
スカートのポケットを探った。
屋上の鍵が、入りっぱなしになっていた。
■
学校までの間、二人ともびしょ濡れで電車に乗ったけど、同じように雨に降られた人も周りにいたおかげで、大して目立たないみたいだった。
座席を濡らさないよう立ったままで、小さい声で郷に訊く。
「……郷さあ、自分でもタバコ吸ってんの?」
「吸ってない」
「そのほうがいいよ。自分を弱くするもんに、自分から手え出すことない」
「あなたも、吸ったことないの?」
「……………………おう」
「なんだか間が」
「ていうかさっき血の味がしたぞ。なに、ほっぺでも噛んだか」
「……お母さんに叩かれた」
郷が足元を向いてつぶやいた。
「……どうして」
「お母さんが赤坂さんになにしたか聞いたから、お母さんに怒ったの。……そしたら」
電車の中だったけど、あたしは郷の背中に手を回して抱き寄せた。
濡れた布地のせいで一瞬ひやりとして、その後郷の体温が伝わってくる。
「あ、赤坂さん?」
「そんなことしなくていいんだよ。ていうかそれで叩くなんて、めちゃくちゃ過ぎる」
「あ、でも、私も悪くて。結構きつめの言い方で何度も煽ったりしたから」
「……だめじゃないか何度も煽っちゃ」
電車が目的の駅に着いたので、二人で降りた。
学校までの道を歩く。もう日は沈んで、西のほうがちょっとだけ藍色とピンクとオレンジの複雑な色に染まっていたけど、空の九割は濃い紺色に覆われてた。
見慣れない光景だ。いつもの学校とは別の場所みたい。
学校の窓のいくつかには明かりがついてた。
見つからないよう慎重に忍び込んで、屋上を目指す。
通用口と職員室が離れてるおかげで、誰にも見つからずに階段を上がれた。
屋上の鍵を開けると、さっきまで雨が降ってたとは思えないくらいの、晴れた夜空が広がっていた。
街が明るいせいで満天の星空とはいかないものの、学校の近くに高い建物がないせいで、首を上に向ければ空以外が視界に入らない。
「わあ……なんだか、凄いね」
さっきまで熱っぽかったのが嘘のように、頭の中が冷たく澄んでる。雨に濡れたからなのか、見慣れない空を見たからなのか。
空の中に立ってるみたいだ。小さくて取るに足らなくて、単純で、なにともつながってないままぼうっと存在してる。
なんにせよあたしってそんなもんだよな、と思えた。
郷と二人きり。誰も――たぶん――邪魔の入らない、でも無限に開いた空間。
本当は入っちゃいけない、場所と時間。それなのにあたしの家より、郷の家より、昼間の学校より、ずっと自由で、居心地がよくて、まるであたしの本当の居場所のよう。
ここで、この人となら、誰にも遠慮せず本当のあたしでいられる、ような気がする。
「サトヒジリ」
「どうしてフルネームで呼ぶの」
「そうしたら下の名前呼べるだろ」
「……下の名前だけで呼べばいいじゃない。呼んでいいよ」
「聖、素直に答えて欲しいんだけど。お前から見て、あたしって、女が好きそうに見える?」