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 夜の一人歩きは、独り言が増える。だからよく自覚できる。あたしはくだらない、屑みたいな女だ。なんて屑みたいな脳みそなんだ。

 ちょっと前までは永遠に思えた十代は、あと四年しか残ってない。こんな脳みそで大人になって、あたしはまともに生きていけるのか?


「……夜って結局、考え事に向いてないんだよな」


 この日はなにも買い物をせずに、家に帰ってきた。

 そのままベッドに寝っころびたいのを我慢して、部屋の電気をつけ、スウェットからパジャマに着替える。どっちも似たようなものだったけど。

 さてと思い電気を消そうとしたら、玄関のほうで物音がした。

 ああ、くそ、今日は帰ってくるのが早いな。……しかも一人じゃない。


「お邪魔しまあす、サキちゃん」

「カヨコさん、夜中だから静かにして」


 酒に酔った二色の女の声。あたしの母親、それに母親と同年代の知らない――顔も声も名前も知ってるけど、それ以上は知りたくないという意味で――中年女。

 下品な色で変な形のスーツを着て仕事に行くあたしの母親が、ここのところよくうちに連れ込んでくる、仕事先の女だ。母親は、なにかの気まぐれで一度男――あたしの父親――と結婚した後は、女としかつき合わない。


「カヨコさん、今お水持ってくるからテーブルんとこ座ってて」

「はあい。そうだサキちゃん、あやねちゃんまだ起きてるかなあ」


 ぎくりとして、電気を消す。


「もう寝てるでしょ、こんな時間だもん。ほらお水」

「でもさあ、さっき外から見たらこの部屋電気ついてるっぽくなかった?」


 酔っぱらいのこういうところが嫌いだ。なにも分からなくなってろくにものも覚えられないのに、見たいものだけは見逃さない。


「……ねえ。カヨコさん、やめてよ。うちの子まだ子供だからさ」


 その母親の声には、本気の心配が感じられた。

 だからこそあたしの胸は、不安で鼓動が早まっていく。心配されるようなことが起きようとしてるのだ。


「それがいいんじゃん。ヤンキーっぽい子好きなんだよね。あたし娘いるんだけど真面目っぽくてさあ、全然つまんないの」


 足音が近づいてきた。母親はこれを止められない。好きな女に嫌われるくらいなら死んだほうがましだし、娘くらい差し出す方がほうがさらにましってタイプの人間だから。

 あたしの部屋のドアが開いた。


「こんばんはあ。あれ、暗い。あやねちゃあん?」


 部屋の中に酒臭い息が流れ込んでくる不愉快さに耐えつつ、あたしはタオルケットをかぶって寝たふりをする。


「まだ起きてるよね、あやねちゃん」


 無視無視。くそ、初めてこいつが家に来た時に、礼儀正しく挨拶なんてするんじゃなかった。あれで舐められたんだ。


「ねえカヨコさん、あやねまだ子供だから」


 母親の声は遠い。部屋の外にいるんだ。その程度で、今更失望なんてしない。期待してないからな。


「あやねちゃんさあ、女の子が好きでしょ。分かるんよ、そういうのすぐ、人見る目で」


 この言葉に、あたしは、びくりと反応してしまった。くそ、酔っ払いのたわごとなんかに。

 でも、なんで。どうして。気づかれないように、そんなこと誰にも言ったことがないのに。

 適当か? そうに決まってる。あたしはそんな目で女を、見たことなんて……


 郷。

 郷に、同じように思われてたら。気づかれてたら。


「あ、びくってなった。おはよう、あやねちゃん。ねえ、あやねちゃんはさ、女の人とこういうこと――」


 むにむにした感触の腕がタオルケットの中に滑り込んできた。

 かと思えば一気にパジャマの裾から手が入ってきて、指が腰骨と脇腹をかすめる。

 足の先から首まで鳥肌が立つ。

 断りどころのタイミングを見定めようとしたあたしをあざ笑うように、あまりにも急激に女は侵略してきた。

 あたしのむき出しの首に、柔らかいものが押しつけられた。レンジでちょっとだけ温めたでかいかたつむりでも乗せられたのかと思ったけど、女の口だった。

 上半身に入ってきたのとは別の手が、パンツのゴムをくぐった時、あたしの我慢が終わる。


 タオルケットを跳ね上げた。

 あたしの腰のあたりに手を伸ばしていた中年女を、不快感に任せて突き飛ばす。ついでにシーツをつまんで首を拭く。漫画とかでたまに見るけど、なんで首を舐めることにエロい意味が生じるのか、いまだに意味分からん。好きなやつとなら違うのか?

 黒いスーツのその女の、化粧と香水と酒とタバコが混じったにおいを一瞬かいで、それを一気に口から吐き出してから、部屋の外に飛び出して息を吸う。


「あやね。ああ、カヨコさん」


 固まっている母親を通り過ぎて玄関に出て、かかとをつぶしてスニーカーを履く。

 あたしは再び夜の中に走り出した。

 家にいるんじゃなかった。ずっとこの暗闇の中にいればよかった。夜の中に溶け込んでしまえば、あたしは誰にも見つからないはずだった。部屋の電気なんてつけるんじゃなかった。明るい場所になんて、家の中でもあたしはいるべきじゃなかった。


 さすがに人通りがほとんどなくなってた深夜の街の中を、履き直したスニーカーで歩く。

 こんな時間にパジャマ姿では、さすがにまずいとは思う。けどお金もスマホも置いてきた。

 帰りたい。でも、どこに帰ればいいのかが分からない。


「なんでだ。これ逃げてんじゃん。なんであたしが逃げてんだ。あいつのほうが……」


 そんなことをつぶやきながら物陰から物陰を移動するようにして、家に帰ってきたのは、夜が明ける少しだけ前だった。

 玄関の鍵は開いてた。

 母親はまだ起きてた。

 玄関には見慣れない靴がなくて、あの女は帰ったのかと胸をなでおろす。


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