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 古い汚いアパートの二階の、それでもあたしの部屋として与えられたありがたい一室で、寝返りを打つ。

 窓の外には月が高く出ていて、さすがにもうセミは鳴いてなかった。

 こんな夜と朝を繰り返していれば、もうじき一学期が終わる。まあ、その前に期末試験はあるけど。

 やたらきしむベッドの横には、芥川龍之介と島本理央の小説が置いてあった。字の本でも読めばあの優等生の気持ちがちょっとは分かって打ち解けられるかな、と思って中学以来久しぶりに小説を買ったのだった。

 今日がまさにそうだったように、あいつとの距離は全然縮まっていかないけど、まあ二冊とも話は面白かったからよしとしよう。


 学校に行きたくないかって言われれば、そんなことはない。

 でも、学校が好きかって言われれば、はっきり言って嫌いだ。

 クラスの中にはあたしのいる場所がない。いや、正確には自分の席しか居場所がない。窮屈で息苦しい、四角い不安全な安全地帯。学校の席ってそんな感じだ。

 部活にでも入ったらなにか変わるのかもしれないけど、今のとこそんな気はない。

 勉強は嫌いじゃない。やったらやっただけできるようになる。フェアでいいと思う。人と同じだけやっても、意外に差がついたりする。これも、できるやつできないやつにそれぞれフェアで、いいと思う。楽しくはないけど、納得はいく。


 勉強が嫌ってわけじゃないのに、なんで学校が嫌いなのか。

 あたしの場合は、苦手なのが、学校の明るさだった。

 学校は昼間に行く。夜は入れない。採光がよく考えられてて、電気もつく。なるべく薄暗いところをなくしてある。それでも暗いところには、生徒が簡単に入れないようにしてあったりする。

 隠れ場所がない。居場所のなさを実感したやつにとって、こんなにいづらい場所はない。

 特に最悪なのが教室なので、救いがない。


 友達を作るのは、昔から苦手だった。

 あたしが好きなものはたいていみんなが嫌いか、なくなっていもいいと思っているものだった。

 逆に、あたしが嫌いなものは、多くの人たちが喜ばしいものとして受け止めていた。


 小学校では、一人でいればよかった。中学校では、関わると損する不良とみなされれば、誰も寄ってこなかった。

 今の高校に入ると、自分の居場所を見つけていない私のようなやつは、見下していい存在なんだということを学んだやつが多勢になっていた。これは、あの五人以外にもそうだ。


「でも別に、中退までしたいわけじゃないからなあ」


 直接的に追い込まれるようなことがなくても、「私たちはあなたを見下してますよ」という態度をとられ続けるのは、結構こたえる。

 三年間この生活が続くというのも、想像すると気が重かった。

 あたしみたいな無神経なやつでもこうなんだから、似たような思いをしてるはずの郷はなおさらかもしれない。

 こっちから声をかけてみようかとは何度も思った。

 でも、あたしが郷と仲良くしようとすると、それはハブられたやつ同士の傷の舐め合いにしか見えない気がする。 

お互いに落ちこぼれだから仲良くしましょうみたいなのは、受け入れさせれば郷にみじめな思いをさせて、拒否られたら郷が心の狭いやつみたいでまた傷ついてしまいそうで、なかなかできない。そんなこと言ってる間にもう七月なわけだ。


 あたしに今必要なのは、名作小説よりも人間関係の教科書ってことか。

 でもあたしの場合、昔から、教科書通りにしてうまくいったことってないんだよな。小学生の時、道徳の教科書の通りに行動しても、クラスメイトに嘘くせえとか心がこもってないとか言われるから、こいつら道徳が身についてないなと思ったっけ。


 枕元のスマホを見た。


「そろそろ十一時か……」


 学校にいる時間が虚無ってくると、あたしの生活はすぐに夜型になった。

 夜中までやってる本屋やスーパーを、用もないのにぐるぐる回る。さすがに部屋着では外に出ないけど、あんまり服やメイクに気を使わなくていいのも気楽だ。昼間ならこうはいかない。

 買っても買わなくてもいい本や、砂糖の味しかしないお菓子や、見た目だけは派手だけど全然おいしくはない飲み物を買う。補導にだけは気をつける。

 そんなふうだから、昼間の教室での授業時間は、ほぼ私にとっては睡眠時間だった。

 とっくに先生たちからは目をつけられていて、でもやがて授業中に起こされなくなった。人間、こうやってだめになっていくのかもしれない。


「うし、ちょっと出るか」


 夜の散歩は、短い時で三十分、長い時で一二時間。

 適当に髪をまとめて、できればこれ着てる時は鏡見たくないなって感じのピンクのスウェットを着て、外に出た。

 最近半端なく強烈な夏の太陽光線もないから、日焼け止めもいらない。楽で仕方ない。

 母親は朝まで帰って来ないはず。父親はもううちには帰って来ない。


 アパートの階段を下りて、街灯の下を歩く。人工の光が強いせいで星は全然見えないし、月もそれに負けちゃってる、あたしの街の空はそういう空だ。

 狭い町ながら、飲み屋街が近いので、ちょろちょろと人通りはあった。安全なのか危険なのか分からないけど。

 カドミウムイエローに廃油を混ぜたような色の街灯の下を歩いてると、巻いたのが取れかけてるあたしの髪は複雑な影を作って、もとが何色なんだか分からない異様なまだら色になる。

 夜はこういうのがいいのかもしれない。誰にも見られていない空間で、勝手にあたしが別人になっているような感じ。朝が来るまでの、居心地よく限定された自由さ。無限の自由なんて与えられたら、きっとあたしはあたしじゃなくなる。

 あたしは、夜を制御できるような人間じゃない。


 住宅街や、神社や野球場のある道路を、時々酔っ払いとすれ違いながら、郷のことを思い浮かべて歩いた。

 きっと、こんなふうにほかに誰も知り合いのいない場所で、目的地もなくあいつと並んで歩いたら楽しいんだろうな。今日の放課後だって、ただ廊下を歩いただけなのに、振り返ればあれは完全に楽しかった。

 本当にキスしてしまえばよかった。

 たぶん郷は、あたしだけにしか見せたことのない顔で、思いっきりののしってきただろう。

 いや、……


「……いや、もしかしたら泣いたりするのかな。なら、早まったことしなくてよかったか」


 子供のころに読んだ童話を思い出した。

 砂糖でできた魔法のうさぎがいて、孤独な女の子とただ一人――一匹?――の友達になる。

 でも、甘いうさぎを女の子がついついぺろぺろ舐めてたら、やがてうさぎは小さくなって、女の子に恨み言を言いながら溶けて消えてしまう。女の子は謝りも後悔もしないまま、最後のページでどこかへ出かけていった。


 童話ってなんでああも、後味の悪い話が多いんだろう。

 でも、今になって、あの女の子の気持ちがちょっとだけ分かった気がした。

 好きな子に意地悪しちゃうとか、そんなものとは違う。

 もろくてはかないうさぎを舐め取って消してしまうのは、ほかの誰でもなく自分でありたいって思ったんじゃないか、あの子は。


「あたし、郷をどうしたいんだろう」


 仲良くなってみたいのは本当だ。

 でも、その後で、郷が溶けるまで甘く舐めてしまいたいのか。それとも、あたしのほうがうさぎになって、郷に舐めつくされてみたいのか。

 あたしが望んでいる仲の良さは、そういうもののような気がする。にこにこ優しくし合って楽しくて幸せになるようなものじゃなくて、なにかを壊してみたくなるような「大切に仕方」。


 その証拠に、郷があたしにどろどろに甘やかされて依存して、あの目が意志をなくしてとろんとあたしを見つめて、どうしようもなくなっているところを、繰り返し想像してしまう。その逆も、同じくらいに。

 たぶん、ユズ先輩の家で押し倒されかけた時のあたしは、そんな目をしていたんだろう。


「自分て簡単に軽蔑できちゃうなあ」


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