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「……なんだ、サトヒジリか。なんか用?」
「どうしてフルネームで呼ぶの。用なんてないよ。その先屋上でしょ? そんなところから降りてきたから、驚いただけ」
郷聖は、うちのクラスの、っていうより学年の、っていうより学校きっての優等生。これ国語の問題じゃないの? って感じの数学の長い問題文をすらすら読んで、問題も解答例も暗号にしか見えないような中間テストの最終問題を、ただ一人正解してた。
なんでフルネームで呼ぶか? そうすれば、お前の下の名前を呼べるからだよ。
「屋上がそんなに特別か?」
「立ち入り禁止でしょう。入れたの?」
ユズ先輩が、なぜか屋上の鍵を持っているのは、学校内での何人かには知られてる。こいつはどうなんだろう? 知らないなら、別に教える必要もないからな。
「あー、どうだったかな」
「なにそのとぼけ方」
いつ、上からユズ先輩が降りてくるかは分からない。こいつ真面目系だから、ユズ先輩が屋上のカギを持ってるって知ったら、先生に言うかもしれないな。
ここは先輩に恩売っとくか。
「入れなかったよ。ちょっと気分転換したかったんだけど、残念」
「変なの。いつもだけど」
この野郎。
「あたしはたまに誤解されるけどな、別に変でもないし不良でもない」
「不良だなんて言ってないよ。ちょっと髪の色がうちの学校にしては明る過ぎるのと、言葉遣いが乱暴かなってくらいで」
「髪の色かわいくして、誰かに迷惑かかるかよ? 中学ん時は、ヤンキー扱いされて注意されるのうざかったなあ」
「不良だと思われたくないなら、授業をちゃんと受けたほうがいいんじゃない? いつも寝てるじゃない」
よく見てるな。あたしを? クラスの全員を?
「眠いからな。いくら真面目でもそれはどうしようもないだろ。人間だもの」
「そんな言い訳する人が、自分を真面目だって評価してるらしいことに驚くけど」
郷は、忘れ物を取りに、四階の端にある教室に戻る途中らしかった。あたしも教室にかばんを置いてあるので、並んで歩くことになる。
特に工夫もない黒髪のセミロング頭を隣に見下ろしながら、あたしはてくてくと進んだ。
郷とは、普段からよくしゃべる仲ってわけじゃないので、なにを話題にしていいのか今一つ分からない。
まあほんの一二分廊下を歩くだけだろうから、無理にしゃべることもないか。
もともとこいつ、堅物扱いされてるから、クラスになじんでるほうじゃないしな。あたしもだけど。
だからしゃべらなくても不自然じゃない。ただ同じ歩幅で横を歩いてる時間を噛みしめてても、変じゃない。むっつりしやがってと思われても、郷が不愉快な話題をうっかり口にしちゃって嫌われるくらいなら、そのほうがましだ。
その時、ふわっとタバコのにおいが鼻の前に漂った。
あたしはとっさに口を押える。
くそ。残るんだよなあ。これだよ。許せん、あのユズ。かばってやるんじゃなかった。
この真性真面目女に、あたしがタバコ吸ってるとでも思われたらたまらない。
「……赤坂さん」
「んっ!? ……ど、どうした?」
郷が、うつむきながら言う。
「……私、お礼言わなきゃいけないとずっと思ってて。前の時、ありがとう」
「え? ……ああ、あれか」
そっけなく言ったけど、忘れるはずがない。それは、あたしと郷の今までで最大の接点だった。
一応進学校っていっても、しょうもないやつはどこにでもいる。勉強ができないやつらの中にはできないなりに、できるやつらの中にもできるなりに、いい人と悪いやつがいる。
あたしたちのクラスには、五人ほどの屑がいた。女子高がどこも常に平和だと思ってる大人が意外に多いと知ったのは、SNSの中でだったけど、できれば認識を改めて欲しい。
その屑たちが、入学式の後早々に目をつけたのが、真面目で堅物で、攻撃されても反撃をためらってしまうおとなしい性格の、そのくせその五人がどんなに勉強しても勝てないくらい頭がいい、郷聖だった。
平たく言えば、入学してからほんの二週間ほどの見定め期間を経て、郷はいじめられっ子になった。
やられてたことは、ノートへの落書きとか、文房具を隠されるとか、その程度。
だけど、事件化するには大したことがなさ過ぎて、そんなことで大人や周りを頼れば逆に責められてしまいそうな「いじめ」は、やめさせるのが難しい。そのくせ、やられるほうの心は大きく傷つけられていく。
誤認はそれを承知でやっていた。
あたしもこれでも義務教育を受けてきた身なので、それくらいは分かった。
「お前のこと助けたのは、ただ、あたしよりも体が小さくて傷つきやすい生き物は、助けるべきだろうと思ったからだよ」
「生き物」
「そうじゃん。たぶん郷があたしよりでかくて強ければ、助けてないね。あたしは聖人でも善人でもないもんな。それに――」
「それに?」




