96 戦前の正月
南蛮の南国育ちの奴隷漁師ってフィリッピンあたりかな。
「その方達親子がその船を作ったのだな、名はなんと言うのだ、どうして奴隷になったのだ」
「はい、わたしが父のデラクルス~ΛЖμ○○~です、息子のデラクルス~ΛЖμ○○~一郎、弟のデラクルス~ΛЖμ○○~次郎になります、エスパーニョが島を乗っ取り賭け事で騙され奴隷になった、エスパーニョは悪い奴、ずるい奴です」
「誰か判るか? デラクルスと一郎と次郎だけ聞こえたが後はなんであろうか?」
「私から説明します、何度聞いても発音が解らないので、息子の兄は一郎、弟は次郎とし、父親はデラクルスと呼べば良いと思います、それで通じます」
「そうか助かった、育った国が違うゆえそれは仕方無しじゃ、エスパーニョとは南蛮の者だな、悪い奴らだと油屋からも聞いておる、ここでは奴隷ではない安心して暮らすが良い、で、この船はどの様な船であるか?」
「これは私の島で使われている船です、魚を取ったり隣の島に行く時にも使う船です、とても速い船です、この国の船全然ダメね、大きいだけで進まない、牛の様に遅い船、私の船飛魚のようにスイスイ早いね、波に乗れる船よ」
「菅谷殿飛魚とは早い魚であるか?」
「飛魚は泳ぎながら空中を飛ぶ魚です、とても早く、船乗達の身体にあたると大けがをする時があります、それ程早く泳ぎ飛びます」
「それでは確かに日ノ本の船は牛と言われても仕方がないのう、この横にある長い木の棒はなんであるか?」
「こっちに人が乗って、この横にある長い木が沈没を防ぎ、風に強い船となり横風からも横転しない為の棒になります、船を助ける浮きの木です」
「この船を乗って見せてくれぬか、是非見てみたい」
「はい、お安いごようです、では」
三人で乗る親子たち、乗り込み櫂で勢いを付けてから帆に風を受けてスイスイと走り出す、その速度は速く見る見る内に遠ざかり去ってしまった。
この船は南国で使用されている現代のカヤックであり横に付いている棒とはアウトリガーと呼ばれている横転防止の浮きとして浮力を高める役目をしており、斜めからの風にも直進性が高く進める船であり、風が無くても櫂で進める船である、当時の日ノ本には無い船であった、太い木をくり抜いて作られているので頑丈な船でもあった。
「あっという間に見えなくってしまったぞ、どうであるか菅谷殿あの船は?」
「いや~某も驚きました、本当に早いです、和船とは全く違います、和船は櫂を漕いで進みますが、あの団扇の様な櫂だけで早く漕げるなど、帆を張ればあっという間に見えなくなりました、これは驚きです」
「菅谷殿あの帆船を、伝馬船の代わりに載せたらどうであろうか、役立つのではないだろうか?」
「あの船であれば、伝馬船一隻分の大きさで二隻は乗せれますね、検討しても良いかも知れません、帆船と同じ様に帆の向きを変えられますので初心者には練習船としても使えそうですね」
「一体どこまで行ったのであろうか、アウン見えるか?」
「ええ、見えまする、こっちに向かっております」
「菅谷殿あの者達も浦に連れて行って下され、ここに居ては宝の持ち腐れになってしまう」
「分かり申した、何か楽しくなりますな~、新しい帆船とあの様に早い船を浦に連れて行けば皆驚きましょうな、楽しみです」
「幸地よ、あの建物は何の建物なのじゃ、見た処何も無いが?」
「あ~あれは取れた魚を新鮮な状態で烏山城に送る為に沢山の雪を入れておくヒ氷室小屋です、小屋と言うより倉庫になります、さすれば鮮度の良い魚が城でも食せます城下の飯屋でも干物以外の魚も食せます」
「それは良い話であるな雪であれば幾らでもある那須側から冬に運び入れれば簡単じゃ、それは良い話じゃ、流石幸地である」
「そろそろ腹も空いたのう、酒もあるし魚を焼いて頂くか」
「若様あちらに漁村の者がいろいろと準備しております、皆で食しましょう」
「そうであったか、何となくそんな気がしたのじゃ、あそこに人が大勢で何やら焼いておるから気になっておったのじゃ(笑)」
「お~兼松殿済まぬのう、この様に沢山の者達が押しかけてしまい、酒もあるので皆で一緒に頂こうではないか、いい匂いがするのう、これはなんじゃ?」
「これは白身の煮魚になります、魚を発酵させた魚塩汁《魚醤》と砂糖で煮た煮魚であります、それとこれが魚を葉で包み焼いた包み焼きです、鯛の切り身、これは先程の魚塩汁につけて食べます、鯛飯、潮鍋、色々ありますので、ハマグリの磯焼も美味しいです」
「これは堪らん、兼松済まんが頂くぞ、彦太郎殿も一緒に食しましょう、皆も折角じゃ、皆に感謝して頂こうではないか」
浜の者達と野外バーベキューとなる正太郎達、そこへ先程のデラクルス親子がイカを大量に持って来た、沖でイカの大群と遭遇し手あたり次第捕まえて来たとの事である、そのイカを手際よく捌きイカ刺しを持って来た。
「お~なんか生きておるぞ、動いておるぞ、このまま食するのか?」
「この魚塩汁に付けさっと口の中に入れ食して下され」
「彦太郎殿お先にどうぞ・・・いや正太郎殿からどうぞ・・では一緒に行きましょう・・・・」
「むむむ、甘いぞコリコリしててこの食感は魚とは違うぞ、これは美味い、デラクル親子に感謝じゃ」
「焼いたイカも美味しいで御座います、この足がなんとも言えませぬ、足をゲソと言います」
楽しくて美味しい野外バーベキュー、騎馬の者達と一緒に酒を飲む漁民達、一緒に語らい海の事を知らぬ那須の者達は魚をどうやって取るのか、危険はないのか、更に年頃の女子はおらぬかと、良い女子なれば家の侍女に来ないかと勝手にナンパを始める者まで現れ和み、この日は日が暮れるまでその場から離れず名残惜しむ一同で会った。
翌日正太郎達と小田彦太郎達は分かれ帰路についた、彦太郎達は那須の500石船に乗り帰る事に、50石船の帆船も同行し土浦に向けて出港した、カヤックは500石船の甲板に乗せた。
正太郎達は帰りに大子を経由して烏山に帰還した。
── 評定 ──
いよいよ新年を迎え昨年より大勢の国人領主、神社仏閣の神主、僧侶、名主の代表が挨拶に来ていた、その中で初めて他国大名から使者が使わされ名代で挨拶に来た大名が二家来たのである。
一つは奥州の岩城家と伊達家であった、岩城家は隣の常陸領大津が那須の領地となった事で誼を通じる為に挨拶に来たのである、問題はこの時の岩城と伊達は合戦を行っており両者の関係は敵同士であり、伊達が那須に来た理由は岩城を上と下で挟み攻略を行おうという魂胆からの挨拶であった。
両家の挨拶を受けない訳にも行かず名代の使者を歓迎し、那須の重臣達と歓迎の宴を開いた、その席には小田家の菅谷と赤松も参加していた。
「皆の者新しい年が来た、健やかな年になるよう祝おうではないか、嬉しくも此度隣の奥州より岩城殿伊達殿の使者もお越し下された、又、日頃お世話になっておる当家と同盟の小田様より重臣の菅谷殿赤松殿もお越し下された、ありがたい事である、では祝いの一献を共々に頂こうではないか!」
一同に声を掛け舌鼓する方々であった、あちらこちらで楽しい話が弾む中、横にいた正太郎に岩城殿と伊達殿の使者に挨拶する様にと指示を受け、二人の元へ進みより、岩城様のご使者殿、那須家嫡男正太郎で御座います、お見知りおき下されと挨拶し、盃に一献差し上げた、次に横にいる伊達様のご使者殿、那須家嫡男正太郎で御座います、お見知りおき下されと同じく一献差し上げた。
両者とも忝い、態々嫡男様に一献頂くなど申し訳御座らん、嫡男様は飲みませぬのか? と聞かれるも、父上からも飲めと言われるのですが、正直酒はまだ私には早く不味くて飲めませぬ、甘酒で充分です、と笑いながら話す正太郎であった。
すると伊達家の使者がその内に美味しくなります、その時は某が一献差し上げ致します、近くにいた小田家の重臣赤松が話し出した。
「某小田家の者ですが、驚かれるとは思いますが、この澄酒はこちらの嫡男様が手配し作らせております酒ですぞ、酒は飲めずともこの様に素晴らしき酒を造らせるとは、我ら大人の者にしたら嫡男様に足を向けて寝れませんぞ、それ程の良き澄酒です」
「なんとそうでしたか、先程からどの様な所からこの酒を用意したのかと考えておりました、酒精が強く、喉越しが爽やかで苦みが残りません、当主の岩城様に土産に些かお分け頂けないでしょうか? 沢山あるようでしたら買い求めますぞ」
「いやいや私伊達家にもお願い致します、この様に素晴らしき酒は某も飲んだ事がありませぬ、是非伊達家にお願いします」
「先に頼んだのは岩城で御座います、伊達殿はその後にして頂きたい、先ずこの岩城にお願い致します」
「何を言われるか、一緒に飲み始め、偶々そちが速く話しただけであろう、ここは伊達が先である」
二人の会話を聞きながら正太郎と赤松が、この者達は馬鹿なのか、阿保らしくて酒を取り上げた方が良いのではと呆れていた。
「分かりました、ではこうしましょう、この様な楽しい酒の席で酒を取り合うなどお家の当主様がお聞きされたら、さぞ嘆きましょう、そこで嘆かない様に両家には酒をお渡し致しませんのでご安心下され」
真赤になる二人、沈黙の後に申し訳ありませぬ、折角の場をお許し下されと謝る二人であった。
「お判り頂ければ助かります、岩城様と伊達様にて何やら争っているとお聞きしてはおります、武家の意地もあり譲れない事もありましょう、しかし、今は新年の祝いです、せめてこの時を共に人として楽しみましょう、澄酒も当主様へ土産もご用意致します、お二人にもご用意致しますので、御身内の方々と楽しみ下され、ただまだ売る程の量が無いのです、那須の者もこの酒を求めており追い付かないのです、来年あたりになれば些か追い付くかと思います、その時にはお売り致しますのでもう少しお待ち下さい」
「正太郎様忝い、私もどうかしておりました、今は伊達殿の使者と語らい楽しく頂きます、伊達の使者殿お許し下さい」
「こちらこそみっともない真似を致し、若様、岩城の使者殿お許し下さい、お恥ずかしい限りです」
「良かったです、戦で争うは武家として引けない物がおありでしょうが何時かは引く時が訪れます、その時の為にお二人がここで誼を通じておれば、両家に取りまして何かとご都合が良いと思います、共に新年を祝った者同士再会すれば語れる時も御座いましょう、その時の為に、未来の為にお楽しみ下さい」
その後二人は周りの者とも溶け合い過ごしたのであった、この時の二人の使者の縁が遠い未来で生きる事になるとは、今は誰もが知らぬ事であった。
岩城家、伊達家も登場しました、史実では戦国期の主役に躍り出る伊達家です、この時点では伊達政宗はまだ生まれておりません、1567年翌年の9月に誕生します。
次章「烏山評定」になります。