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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
71/331

71 如月

如月という月はとても寒い時期ではあるが、春は目前であり、暗闇から間もなく朝日が昇る夜明け前の時期である。

この月に何を行うのか大切な時期でもある。

 



 洋一夫婦もあっという間に結婚してより八カ月目を迎えていた、最初こそぎこちない新婚家庭であったが、既に一定のリズムが出来上がり、洗濯、掃除は玲子が、平日のごはんのおかずは洋一が、休日は玲子がおかずに挑戦と言う形が自然に出来上がっていた。



 平日に洋一がおかずを用意しないとお互い無口の食卓となり、その日はどんよりとした日となる、翌朝のご飯も無口になってしまい、玲子のこめかみがピクピクし、ピクピクを見る度に洋一の心臓はぎゅっと締め付けられる事となり、危険を感じた洋一が玲子にある提案した、そのお陰で会話が弾む食卓が戻る事に。



「玲子さん、当分は那須の事は放置でいいのか、なにか伝えた方が良い事ありますか?」

 (洋一は玲子に話しかける時に玲子と呼び捨てに呼べない洋一となっていた)



「そうなんだよ、戦国の1565年って大きい出来事があるから、その出来事を利用しようか考えていたんだよね」



「なんですか、その大きい出来事って?」



「ほらあの馬鹿将軍がいるでしょう、あの足利義輝が殺されるの」



「あと甲斐の武田信玄の長男が父親に謀反がばれて、幽閉されて来年には切腹になるの」



「それは大きい出来事ですね、でも余り那須とは関係ない様に思いますが、何を利用しようとしているのですか?」



「将軍家が殺されるのは、自業自得だから、どうしょうもないけど、幕臣の中で優秀な人が一人いるからそれをなんとかしたいかな、武田信玄の息子も切腹になってしまうけど、息子の武田太郎は武将としても立派なのよ、謀反を起こす理由も信義に基づいた行動から計画しているし、ある意味ちゃんとした理由があるし、謀反が露見しなければ、武田家は戦国を残ったと思うの」



「そんな立派な武将が那須にいたら正太郎には心強いですね」





 ── 足利義輝 ──




 1565年5月に『永禄の変』と呼ばれる政変が起こり三好家に殺されてしまう、その原因は義輝自身による自業自得だった政変であったと評している歴史家が多い。



 この大事件は色々な書物などにも詳細に書かれた当時の資料が存在しており、将軍にも大いに原因があったとされている。



 足利幕府も足利義輝将軍にも、力が無く、支える大名が後ろにいるからこそなんとか成り立っていた、特に金銭的に財力が無く、朝廷を支える事が出来ない幕府、その財政面からも支えていたのが三好家であった、三好家にすれば財政を支えてあげているのは、三好であり、三好家を大切にするべきだと、自然に考える。



 しかし、義輝は、将軍を支える為に金を出させて貢献させてあげたのだ、金さえ出せばいいだけである、余計な口出しはするな、俺の都合に三好は合わせればいいのだ、文句を言うなと公言し、面目が無い三好家は、徐々に義輝に反発し始める。



 しかし、空気を読めない義輝、文句を言うなら成敗してやる、と言って、各地の有力大名に三好討伐の命令の文が各地に出される、その事に怒り心頭した事が事件に繋がるという事に。



「それは凄いですね、お金を出してもらって命令を聞け、聞かないなら成敗してやるって発想は、これが今の時代だったら、誰からも相手にされないでしょうね、これが私達の家庭で、私が義輝だったら、玲子さんにあっさり刀でズタズタに刺されているでしょうね」



「私だったら刀で刺すだけじゃ、許さないね、もっと恐ろしい事をすると思うよ、聞きたい?」



「いや、さっきご飯食べたばかりだから・・・・」



 当時の資料によると、前日の5月18日までは京は平穏な状況で、翌日に事件が起きる前兆が無かったと記されている、5月19日三好義重は清水寺参詣を名目に集めた約1万の軍勢を率い、突如として二条御所に押し寄せ、将軍に訴訟《要求》ありと訴え、取次ぎを求めて御所に侵入した、開戦は午前八時、義輝は三好軍が二条御所に侵入したのち、劣勢であることを悟り、死を覚悟し、近臣らに酒を与えて、最後の酒宴を行い、皆で別れの酒を酌み交わした。



 その後、義輝と幕臣は三好軍に立ち向かい、突撃して切り込んだが幕臣達は皆討ち死にし、義輝もついに力尽き、三好の兵に討たれた、享年30才《満29才没》。



 最後に義輝は辞世の句を残し亡くった。



『五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで』



「これが大まかな永禄の変と呼ばれている政変よ、この時に義輝から蟄居の謹慎処分されているあの、将軍の前で資胤達をかばった和田 惟政これまさっていたでしょう、この人は優秀な外交官で、まだ35才の働き盛りだから那須に呼べないかと手を打ちたいの」



「後は、武田太郎だ、こっちは慎重にやらないとこちら側も被害を受けるからちょっと躊躇していたんだよね」





 ── 武田太郎義信 ──





 当時武田家と同盟関係であった今川義元の娘と武田太郎は結婚を行う、ところが今川義元が織田信長に桶狭間の戦いで負け亡くなった事で武田家は弱体していく今川家の領地、駿河を手に入れようと画策、しかし、それに意を唱えたのが息子の太郎であった、同盟を結んでいる今川家が弱体しているのであれば、それを助けるのが同盟をしている武田家が本来する事では無いか。



 弱体した同盟者を攻め領地を得るなど以ての外である、そんな恥ずかしい事を行なおうとしている父信玄に反発し、謀反を計画したのである。



『甲陽軍鑑』に拠れば、永禄7年《1564年》7月に義信の傅役である飯富虎昌、側近・長坂源五郎・曽根周防守らが信玄暗殺を計画、しかし事前に虎昌の実弟である飯富三郎兵衛の密書により露見し、永禄8年《1565年》1月、虎昌以下は謀反の首謀者として処刑され、80騎の家臣団は追放処分となったという、武田義信は同年10月に甲府の東光寺に幽閉され永禄10年《1567年》10月19日には東光寺で死去したとされている。



 武田家は信玄が父親の信虎を追放し、政権を握り、今度は息子から謀反が計画された、3代に渡って親子で争った家である、ただこの太郎が起こした謀反は、今川家に対して裏切る事は信義にかけて出来ないという信念からの事件と受け止められている。



「話を聞くだけで怖い家ですね、親を追放し、今度は息子から見放され、その息子を殺す訳だから、以前玲子さんが言っていた乱取りと容赦なく人を殺す家が武田家なんですね」



「まあーそうだよね、甲斐国が貧しい国という事もあるんだけど、同じ貧しい那須とは、考え方も生き方も全く正反対なんだよね、武田家と那須を比べると那須の凄さが際立っているよ、貧しくても数百年間領国を守り抜いた家という、風格が素晴らしいね、武田家には風格という言葉はどこにも無いよね」



「なんとか出来るか分からないけど、被害が出そうなら中止という感じで太郎を救い出せるか正太郎に伝えてみて、和田さんは、将軍が殺されたら直ぐに確保すればいいだけだから、楽だと思うけど」



「判りました、正太郎も8才になって子供から少年として成長しているのでお互いの意思の通じ合いが最近スムーズなので伝えてみます」



 1565年という年は足利将軍が殺される大事件と、戦国の中でいよいよ表に出て織田、徳川と熾烈な戦いを行っていく武田家が甲斐国から触手を伸ばし始める契機とも言えるお家騒動が起き年であった。





 ── 正太郎 ──




 忠義、一豊、十兵衛、半兵衛、鞍馬小太郎、鞍馬申、数人で館にて諮り事が話されていた。



「この様な事が伝わったのだが、どうすればよいかのう、甲斐国について知識がさっぱり無いのでどうすれば良いであろうか?」



「鞍馬小太郎が甲斐国とは山々が続いておりますので甲斐国に入る事は難しい事ではありませぬが、あの歩き巫女を戦に使っている国となればこちらも相当慎重に運ばねば大事になるかも知れません」



「これは余程念入りに計画しなければなりませぬ、あの武田家という事であれば、関東管領上杉様と熾烈な戦いを何度となく行い、一度も敗北をせず互角の戦いを行っている武田家を、那須家が関与したと判明した場合、武田と敵対する事になるやも知れませぬ」



「十兵衛殿の言われる通りです、それと先程鞍馬小太郎殿が山々が続いているので入る事は難しい事ではないと言いましたが、鞍馬以外の武士は移動出来るのですか?」



「案内役の我らがいれば速度は遅くなりますが、移動出来るかと思います」



「仮に謀が露見した場合に鞍馬の者であれば逃げおおせるのでしょうか?」



「初めての山なれば、事前にその山を知らねばなりません、甲斐までの山なれば、調べるのに2カ月程期間を要するかと、退散する道を、相手が追いかけて来ない道の確保も必要になります、ここにいる申なら戌と同じく山犬を従える事が出来ますので、敵を欺く道も用意出来るかと」



「若様出来るかどうか今ここで決めなくても良いのではないですか? 行うにしろ鞍馬の力が必要になります、先ずは出来そうなのかどうかを調べて頂き、それを基に策を練ってみてはどうでしょうか? 相手が危険を伴う武田家であれば、今から慎重に動いた方が良いかと思います」



「忠義殿が言われたやり方が一番良いかと思います、武田家は危険です、数年先であれば那須家の軍容も整い、新たに得た領地の兵達も那須の戦い方に付いて来れるかと思いますが、今、武田家を相手に戦えば那須の領地が蹂躙されるやも知れません、それ程危険な家で御座います」



「あの佐竹が子供に見える程獰猛な者達です、人を食らう者達です」



「お主たち怖いではないか、やっとおねしょを克服したのに、思い出しておねしょがもどったら武田家を呪ってやる、あの優しい母上がおねしょをすると鬼になるのじゃ、赤鬼になるのじゃ、赤鬼になると父まで逃げるのじゃ、それより怖い者など無い、武田家などいずれ成敗してやる」



大笑いする一同であった。



「そうだのう、申と何名かで先に山々を調べて無理だったら諦めよう、それとその武田太郎は東光寺に幽閉されると言っていたからそこも今からなら調べる事も出来よう、この件は小太郎に一任するので、申と相談して必要な配下を集め動いて欲しい、折角の軍師玲子からの指示であるから大切に扱わねば!」






那須正太郎が武田家に一手を指そうと考える場面が来るとは皆さんどう思いますか?

玲子の考えた手、私はいずれ新たな盤面が来る様な指し手だと期待したいです。

次章「油屋が来た」になります。


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