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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
59/331

59 波紋

勝っても負けても色々と忙しい時代です。


 




 ご参考に・・・那須の国の広さについて、現在の那須烏山市が南の出発点、そこから北に、那須山に約60キロ、一番広い東西は東北自動車道(高速道路)那須ICを中心に左右約60キロ、起点の那須烏山市が幅15キロという扇のイメージです、那須高原と言われている地域は、那須ICから那須山側南北10キロ、東西に30キロと言う感じになります。(直線距離で説明)尚、那須の山々は日光国立公園になります。





 ── 波紋 ──




 佐竹との戦いで近隣諸国には戦で領地を得た事を使者を遣わし説明し、横槍が入らない様にした、最上、南部、伊達、蘆名、北条、武田、織田と言った所でも波紋を広げていた、その理由は、5万石程度の家が一度の合戦で10万石を増やし、15万石となった事に驚いていた。



 戦国の歴史は一万石の領地を得る為に必死で戦い、取っては奪われを繰り返し、何年も繰り返し領地を増えしている国が大半である、その中で一度に、那須と小田が、佐竹という大国からそれぞれ10万石を得るとは、一体どんな戦いであったのかと、忍びを放ち調査を始めた。



 時はやや経過しこの年の9月中旬出発し、資胤は上京、帝に拝謁すべく、朝廷と将軍家に先触れの使者を遣わし、準備に入る、7月に入り、白河結城家より当主の返事を持って使者が烏山に来た。



 棚倉の半分について、白河結城家でどの様に扱うかについて、揉めに揉めていた、那須と合戦をして正々堂々と棚倉を取り戻すという意見もあれば、佐竹を破った那須に勝てるのか、棚倉全てが那須の領地にならないか、銭で解決する方法が一番楽なのでは等々勝手な意見が飛び交い、仕方なしに返事を使わしたのである。



 那須家で提示した条件を全て認める事で那須が得た棚倉の半分を白河結城家の領地とする、代わりに棚倉を通り大津までの通行自由、荷物改め無し、関税は取らない、銭3万貫を3年に分割して支払うという返書であった。



 返書の内容に満足すると共に約定を交わし、8月に返還した。



 これにより、那須家では自質的に通行を確保し、ほぼ影響が無く、銭まで手に入れこの上ない結果となった、銭については本来1万貫と資胤は正太郎に伝えていたが、いざ使者との交渉を聞く内に、返還するのが当たり前の様な口ぶりに腹を立て、つい、3万貫と言った正太郎、3万貫と聞いた時は資胤の方が正直驚いていたが、顔に出す訳には行かず、押し通したのである。



 正太郎には、褒美として、1万貫が渡される事に、椎茸で入る銭も合わせれば、その懐は小国並みの太守と言った感である。



 小田家においては、佐竹との戦いで那須と軍事同盟を結び、合戦における戦略は全て那須の嫡子、正太郎が編み出した戦略で新たに10万石という大領を得た事に感謝の思いを込めて500石船を提供する事にした。



 那須では提供される500石船が停泊する港を大津にすると決め、急ぎ大きい船が停泊できる様に港湾整備を行う事になった、近隣の農民から人夫を500人集め、堤防建設と護岸整備を行い秋には船が着岸出来る様に手配した。



 那須の領地となった大津から高萩までの海岸約18キロには漁村はあるが、500石船の操船を行える者がおらず、至急漁民から船乗りを30名を募集し、那須家にて武士の足軽身分で採用し、500石船の船乗りにする事と決め、操船技術を小田家にて調練してもらう事に。



 那須家で足軽身分として採用され、船乗りになれるという話は瞬く間に広がり100名以上も応募となるが、船長候補を数名、25才以下の健康な者等条件を付けなんとかオーバーしたが40名を採用し、小田家に送り、今後船数も増船するので多めに採用した。



 9月中旬に資胤は上京準備に入り、騎馬隊を中心に300名、荷駄隊50名、正太郎配下より、千本義隆、明智十兵衛、鞍馬天狗他配下複数を付ける事になった。



「父上、此度の上京で那須のお家の名は天下に響き渡る事になりましょう、帝に戦勝のご報告と、数々の献上の品、さらに銭500貫(現代の5000万)をお渡しになれば祖であります与一様もきっとお喜びになるかと思います、ついでとは言え、将軍様にも挨拶となれば那須の名声は天下に響く事で御座いましょう、お留守の間、重臣の皆様としっかりお守りしておりますので、ご安心下さい」



「それにしても偉い程、金がかかるものよのう、行くのを諦めたくなったは、名声はこの際無くてもよいと思うほど、出費がすごい事になった、お主が白河結城家から3万貫も踏んだぐったお陰で安心して行けるが、往復で30日以上不在になるから、これまた儂も初めての事じゃ、戦とは違う意味の戦じゃな」



「そうです父上、これも戦なのです、那須に諸国から矛先が向かわない様にする為の大切な事です、当主にしか出来ない戦です、それに、山師松男からの報告では、あの場所がほぼ判明したと、近くの川底からも砂金が見つかっていてると、近く試し堀りに入るとの事です、銭の事などなんとかなります、騎馬隊中心なので、何かあれば急ぎ帰還も出来ます、沢山都の土産を母上と待っております」



「それよそれ、危ない所であった、藤に土産を買っておかねば、恐ろしい事になるわ、今まで何かと奥の費用に苦労させておったから侍女達にも何かしら買っておかねばならぬな」



「帰りの荷物が多くなる様でしたら、油屋に船を出して頂きましょう、それが良うございます、砂糖もたっぷりとお持ち帰って頂かなければなりません、それが良いです」



「お主は砂糖を買い過ぎだ、最近はあの麦菓子が欲しいと重臣どもよりせがまれて、菓子職人の腕が腱鞘炎になったと聞いたぞ」



「はい、飯之介から助けて欲しいと泣きが入りました、弟子の数も増やし、今では10名態勢で作っております、それだけ好評なのです、あの兵糧丸で皆が味をしめてしまいました」



「困ったもんじゃ、あはははは」



 



 ── 新婚旅行という名の ──





 時間は少し遡り、5月6日、洋一と玲子の結婚式も無事に終わり、翌日早朝から二泊三日の新婚旅行へ出発した、この旅行プランは玲子が計画し、どこに行くのか知らない洋一。



 東京駅から新幹線で一路京都へ向かう。



「玲子さん昨日の疲れ大丈夫ですか? 二次会では、ムーンウォークで盛り上がって、私はびっくりでした、足とか大丈夫ですか?」



「私も少し酔っていて調子に乗ってしまったよ、ちょっと筋肉痛に、ふくらはぎが痛くて、でも今日は、そんなに歩かないから、ホテルに着いて、近くを少し見て終わりだから、明日は歩くと思うけど、まぁー大丈夫かな」



「ところで旅行プラン何も聞いて無かったけど、金閣寺とか、有名な寺院を回る予定ですか?」



「えーとねぇー前から参加したくて、折角の京都だから、それに最近は城巡りとか人気があって、旅行会社で、その道に詳しい人の引率で、『戦国ツアー』というプランがあるの、だからそれを申し込んだの、城と古戦場を巡るプランにしたの、スイーツ巡りじゃないから安心してね」

(えっ、新婚旅行に戦国ツアーって、なにその戦国ツアーって、無口になる洋一)



これがそのチケットだよ、と渡された、そこには『古の魔都を舞台に戦国武将たちの怨念、欲望と裏切り、狂気に走った武士達が繰り広げた殺し合い、戦の跡が生々しく残る戦国時代の魔都京都、戦国時代にまつわる殺された者達の恐怖の闇の怨念が渦巻く負のパワースポットへあなたを道案内します!』と書かれていた。

(書かれた説明文が途中で読めなくなった洋一は既に闇の世界に入ってしまった)

えーと玲子さん・・・・(新婚旅行)・・・だよね?(と、か細い声で一応反抗する洋一)



「なになに聞こえなかった、ね、楽しそうでしょう? 私に任せてね」



 皆さんも是非戦国ツアーを検索してみて下さい、本当にいろいろありますよ。





 ── 常陸佐竹 ──





 戦に完敗した佐竹、領地まで那須と小田に20万石という大領を取られ、国人領主も寄り付かなくなった佐竹は重臣達との評定も中々行う事が出来ず、敗戦後1ヶ月後にやっと開く事が出来た。



此度の敗戦は全て儂の責任である、これより責任を取り隠居する、どうか義重を皆で支えて欲しい、皆からの諫言を肝に銘じる、意見があるならば遠慮なく申す様にと義昭が告げる。



「では某親族衆より先に、此度の負けは大殿だけの責任ではありませぬ、これまで那須、小田、他にも白河結城、宇都宮とも何度も合戦し、我らは領国を大きくして来ました、此度は、我らの動きに那須と小田が合力しており我らに当たった事に我らが読めず、負けたのです、那須と小田が合力しておらねば、勝てた合戦で御座います」



 同じく重臣、和田昭為が、今、佐竹義久殿が言われた事が正しき事かと、勝てた戦いでありましたが、卑怯にも合力し、我らに対して無礼にも挟撃を行うなど。これまで那須と小田に対し、如何に我らが優しく接していたのかと言う事であり、お仕置きが足りませなんだ、我らは領地を失ったとはい言え20万石はあります、もう一戦行うだけの力はありますと焚きつける。



 前当主義昭は、苦笑いで和田昭為の話を聞いていたが、確かにこれまでが手緩かったゆえ、那須と小田が調子に乗り、この様な恥辱を受けたのよ、捲土重来を謀るべきであるな、良い戒めとなったわ、必ず那須と小田に止めを刺し佐竹の膝に屈しさせようぞ、義重には悪い事をしたが、必ずそちの時代に関東の雄として昇り上がるぞ、皆の者義重を頼むぞ、合戦で負けた恨みを晴らすべく、ここに一つの波紋が現れる、その波紋はやがて再び那須と小田に襲い掛かる波紋となるであろう、ただこの時点ではこの波紋は誰の目にも映らない、波紋であった。




私も一度戦国ツアーに参加したいと思います、危険な謳い文句で紹介しているツアーも本当にあります、どんなツアー何でしょうかね。

次章「胎動1」になります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 敵がちゃんと魅力的なのがいいですね。 [一言] 海を得たなら洋一にガレオン船に羅針盤と青銅製の大砲の作り方を伝えてもらって蝦夷地や琉球との交易を得るのも面白そう。
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