諸法度・・・1
史実における徳川幕府は政権が発足してより間もなく支配階級それぞに法整備を整え国内の統一基準を諸法度という形で公布している、現代から見れば余りにも未整備な法と言えるがこの時代は人権という概念も個人における権利という概念も権力者による支配階級によって簡単に否定されややもすると悪が正義となる時代でもあった、現代の日本における法律の数は憲法も含めその数は7500程あるとされる、私的には数がありすぎ、やれ人権だ、権利だ、所有権だと様々な理由での訴訟が行われ、そこに犯罪を犯した者達への刑罰などが絡み合い、ある意味法に縛られた生きずらい社会になっている事もどうかとも思う。
法に縛られ生きずらい社会、本来は生きやすく個々の生活が守られる社会の為の法が次々と作られた結果である、一方で弁護士ですら訴訟時には得意分野しか扱えない弁護士が増えているという、他にも本来訴訟は最終手段であり訴訟に至る前になんとかならないのかと思う節もある、又、弁護士と言う役割の責任にも敢えて苦言を呈したい、犯罪者を弁護する側の弁護士も明らかに犯罪や罪が明らかになっている被告に対して、無罪を主張する弁護は犯罪者に加担しているのではと疑いたくなるケースが多々あるように思われる。
※ 個人的な経験であるが2011.3.11の東日本大震災時に東京電力の原発事故の現場より80キロ圏内で生活しており観光業に関連した仕事を生業としているが、事故による放射能汚染の風評被害により甚大な影響を受け、緊急を要する救済措置として当時国で設置した裁判に代わるシステムとして原子力損害賠償紛争解決センターに損害の請求申し立てを行った際に東電側の弁護士は堂々と放射能による風評被害は存在しないと反論し被害弁済を拒否された時には東電側の弁護士が悪に加担している悪人としか見えなかった経験がある。
幸いにもこの時は原子力損害賠償紛争解決センターが用意した弁護士3名が東電側の弁護士にそれを証明せよとの事で、風評被害が無いという証明が出来ずに多少なりとも弁済を受ける事が出来ましたが、本来弁護士と言う仕事は依頼者の意見だけを採用し争えば良いと言うものでは無い、悪に加担する弁護士はどうかと思う、個人的な経験を記載して申し訳ない。
── 諸法度 ──
鎌倉時代から明治維新前の日本における封建時代は大きく四つの支配階級に分かれており、それぞれ四つが独自の権力機構が存在していた、一つが天皇を頂点とする公家による貴族社会、二つ目が寺社仏閣という宗教勢力、三つ目が侍を中心とした武家社会、四つ目が民百姓という町人を含めた最下級の社会と言える、鎌倉以降は武家が支配階級の頂点となり度々朝廷とぶつかり会うも力を持つ武家が日本に幕府を作り政をしたと言って良い、その武家社会で最初に作られた法律、1232年に北条泰時が定めた五十一カ条からなる御成敗式目は武家を中心とした法律であり神社、仏事、守護職、地頭の権限、又は所領、刑罰等が規定されてた内容の式目、しかし違反した場合の罰則も、その全体的な特色は、道理を重んじていることとなっているが、あくまでも武家が中心の道理となっており、裁く者は当然武家側の権力者である。
しかしこの御成敗式目の誕生により一定の基準が全国の武家社会に示された意味は大変に大きいと言える、その後、戦国時代は終焉し徳川幕府となり階級別に諸法度が発布される事になる。
── 武家諸法度 ──
資晴は最初に武家が見本を示す為に武家諸法度を発布した、その内容は史実で徳川秀忠が1615年に発布した内容と似ているが各大名への締め付けは緩くしその分責任を負わせる内容であり政に専念できる諸法度と言えた、徳川政権では幕藩体制の維持、要は徳川政権維持の為に諸法度を利用する意図が色濃く出ている法と言えた、それに対して資晴の武家諸法度は武家である侍達が民の見本となるようにとの責任を持たせる法度であった、徳川秀忠が発布した内容の武家諸法度は以下の通りである。
文武弓馬ノ道、専ラ相嗜ムヘキ事。 武士は、文武両道、つまり学問と武芸を専ら心がけるべきである。
群飲佚游ヲ制スヘキ事。 武士は、酒宴や遊興を慎み、節度ある生活を送るべきである。
法度ヲ背ク輩、国々ニ隠シ置クヘカラサル事。 法度に背く者は、どこであっても隠匿してはならない。
国々ノ大名、小名并ヒニ諸給人ハ、各々相抱ウルノ士卒、反逆ヲナシ殺害ノ告有ラバ、速ヤカニ追出スヘキ事。
各藩の大名、小名、および家臣たちは、もし雇った家臣が主君に反逆し、殺害したという訴えがあれば、直ちにその家臣を追放しなければならない。
自今以後、国人ノ外、他国ノ者ヲ交置スヘカラサル事。 今後は、自国の者以外を雇用してはならない。
諸国ノ居城、修補ヲナスト雖、必ス言上スヘシ。況ンヤ新儀ノ構営堅ク停止セシムル事。
各藩の居城は、修理を行う場合であっても、必ず幕府に報告しなければならない。ましてや、新規に城を築くことは厳しく禁止する。
隣国ノ於テ新儀ヲ企テ徒党ヲ結フ者之バ、早速ニ言上致スヘキ事。
隣国で新しい企てや徒党を組む者がいれば、すぐに報告しなければならない。
私ニ婚姻を締フヘカラサル事。 大名同士は、幕府の許可なしに婚姻を結んではならない。
諸大名参勤作法ノ事。 諸大名の江戸参勤交代に関する規定。
衣装ノ品、混雑スヘカラサル事。 衣服の装飾は、派手にしすぎてはいけない。
雑人、恣ニ乗輿スヘカラサル事。 身分の低い人が、勝手に乗り物に乗ることは許されない。
諸国ノ諸侍、倹約ヲ用イラルヘキ事。 全国の侍は、倹約を心掛けるべきである。
国主ハ政務ノ器用ヲ撰フヘキ事。 国主は、政務を遂行するのに適した人材を選ぶべきである。
資晴の法度は、上記にある法度ヲ背ク輩、国々ニ隠シ置クヘカラサル事。
法度に背く者は、どこであっても隠匿してはならない。という内容に対して当主であれ誰であれ法度に背く事は成らず賞罰を明確にしなければならないと言う法の厳格を明記した。
他にも、諸国ノ居城、修補ヲナスト雖、必ス言上スヘシ。況ンヤ新儀ノ構営堅ク停止セシムル事。
各藩の居城は、修理を行う場合であっても、必ず幕府に報告しなければならない。ましてや、新規に城を築くことは厳しく禁止する。
これに対して、新規の城を築城する場合だけ幕府に報告するという柔軟性のある内容に。
戦争が無くなれば多くの城が無用となる事は目に見えており厳しい規制は必要ないとの考え。
諸大名参勤作法ノ事。諸大名の江戸参勤交代に関する規定。
これについても三年毎に江戸に登城すれば良い程度へと変更。
雑人、恣ニ乗輿スヘカラサル事。 身分の低い人が、勝手に乗り物に乗ることは許されない。
これについても身分を問わず一定の税を収めれば乗馬すら許される内容へ。
要は身分が低くても仕事に精進し稼ぐ事で高価な馬にも乗れると言う夢を与える内容に。
更に、自今以後、国人ノ外、他国ノ者ヲ交置スヘカラサル事。
今後は、自国の者以外を雇用してはならない。
無意味な規制より人の往来を自由にした事で、この内容は廃止。
それと大きな違いの一つにキリシタン信徒の追放は無くなった点が最も大きい、奴隷などは以ての外であるが信仰を民から取り上げる事は禁じ、それよりも多数ある宗派が活発に論争出来るように信仰の自由度を確保した政策を取り入れた、何故自由度を取り入れたのか?
徳川幕府では宗教を政治利用する目的で僧侶の妻帯を許可し、檀家制度を作り寺院に民を縛り付けた、民の自由度を奪い管理する為に宗教を利用し、五戒を守らずに女性と交わえる一番してはならない戒を僧侶に許し、檀家制度を取り入れた事で本来の仏教は布教も消極的となり檀家(信者)が確保された事で各寺院は葬式中心の葬式仏教となっていく、仏教がアジアを中心に広まった国々の中で僧侶が妻帯を堂々としている国は日本以外例を見ない、付け加えるならば肉食と酒も許可している、もはや出家の戒律である五戒そのものが存在しない、寺院を持つ僧侶はやがて子供に受継がれ代々坊主が誕生し仏教が荒廃し世俗化した原因は民を特定の寺院に縛り、民から信仰の自由度を取り上げ、五戒を崩壊させた徳川幕府の責任は相当重いと言えよう。
そこで那須資晴は公家諸法度の次に諸宗寺院諸法度を発布する事を事前に予告の公布を行った。
東国では既に四家の協力の元、五戒を守る事が僧侶になる最低限の資格であるとされていたが仏教寺院の本山となる中心地の場所は京都であり、東国ですら五戒の徹底には時間を要していた。
本来僧侶になる為の資格となる五戒とは仏との誓いであり自身の生命を仏の道に捧げると言う法華経比喩品で説かれている、不惜身命の精神、仏道を修めるためにはみずからの身命をもかえりみない覚悟を必要とする厳粛な誓いである、実際に仏である釈迦は出家する者には次の文を3回暗唱することにより、僧侶に戒律を提示するよう要請する。
『尊者よ、私は三帰依と共に五戒を求めます。尊者よ、私の為に三帰依と共に五戒を授けて下さい』と誓いを立てる、三帰依とは仏法僧であり三宝とも言われており、仏と仏の教え、比丘比丘尼の男性の僧と女性の尼に帰依する、即ち命を捧げ自身の身命を持って誓いを起てて、五戒を守る事を請願させたうえで仏門に入る事が出来るとされている。
要は俗世間である娑婆世界を離れ仏の道を歩むと言う事は余程の覚悟を持って僧侶となる訳であり人に仏の道を説く資格は安易に得られないと事前に通告を行ったのである、公家よりも厄介な信徒を持つ宗教勢力に対してある一定の猶予期間を設け反発を和らげる事にした。
── 公家諸法度 ──
武家諸法度を交付し発布した事で次に資晴は公家諸法度を朝廷と協議し発布した。
史実においても徳川幕府は乱れた公家社会をある意味成敗する為に以外と厳しい公家諸法度を発布する、所謂、禁中並公家諸法度と呼ばれており禁中竝公家諸法度、禁中方御条目、略して公家諸法度である。
天皇と公家の役割などを明記した諸法度と言える、その内容ではこれまでの天皇の落ち度まで態々明記され完全に武家に従えと言う暗黙の圧を強いる文言と言える。
禁中並公家諸法度
最初の第一番目には天皇の仕事に付いて書かれている。
天子諸藝能之事、第一御學問也。不學則不明古道、而能政致太平者末之有也。貞觀政要明文也。寛平遺誡、雖不窮經史、可誦習群書治要云々。和歌自光孝天皇未絶、雖爲綺語、我國習俗也。不可棄置云々。所載禁秘抄御習學専要候事。
(天子が身に付けなければならない学問・芸術の中で、第一は御学問である。学ばなければ昔からの古来の道義・学問・文化にくらくなり、それで政治を手落ちなく行い太平をもたらした事は、いまだかつてない。このことは『貞観政要』に明確に書かれている。『寛平遺誡』に、古典儒学の書や歴史書は窮めずとも、『群書治要』を読み習うべきだと記されている。和歌は、光孝天皇からいまだ絶えていない。美しく飾った言葉に過ぎないとはいえ、わが国の習俗であり捨て置いてはならないと書いてある。『禁秘抄』に書き載せられていることを学ばなければならない。)
要は学問と芸術に励めと、励まなかったから太平の世が一度も来なかったのであると厳しい口調とも言え、本当に天皇に対して蔑視した見下した驚きの文言と言える。
他にも三公(太政大臣、左大臣、右大臣)・摂政・関白に才能が無い者を任命してはならない。勝手に辞任してもならない。
養子は父親の同姓からしか取っては成らない、女縁の養子に家督を継がせてはならない。
武家の官位は公家の官位とは別の物とする。
關白、傳奏、并奉行職事等申渡儀、堂上地下輩、於相背者、可爲流罪事。
関白・武家伝奏・奉行職が申し渡した命令に堂上家・地下家の公家が従わないことがあれば流罪にするべきである。
僧衣の最高の勲章とも言える僧衣について、紫衣の寺住持職と呼ばれている紫衣を与える権限も幕府許可制になる。
紫衣之寺住持職、先規希有之事也。近年猥勅許之事、且亂臈次、且汚官寺、甚不可然。於向後者、撰其器用、戒臈相積、有智者聞者、入院之儀可有申沙汰事。
紫衣を許される住職は以前は少なかった。しかし、近年はみだりに勅許が行われて(紫衣の)席次を乱しており、ひいては寺院の名を汚すこととなり、大変よろしくない。今後は(当人の能力をもって)紫衣を与えるべきかどうかを良く選別し、その住職が紫衣を与えるに相応しい住職であることを確かめた上で、紫衣を与えるべきである。)
要は完全に朝廷と公家は幕府の支配下となる諸法度と言え実に危険な文言で構成されている。
個人的な意見として弁護士の印象を記載して申し訳ありません、流して読んで頂ければと思います。
次章「諸法度・・・2」になります。




