関ヶ原・・・懺悔1
663年 白村江の戦い、672年 壬申の乱、764念藤原仲麻呂の乱、793年 蝦夷東征、866年 応天門の変、939年 平将門の乱、1051年 前九年の役、1083年 後三年の役、1156年 保元平治の乱、1180年 治承、寿永の乱(源平合戦始まる)、1185年 壇ノ浦の戦い、1192年 奥州藤原氏討伐の戦い(奥州合戦)、1221年 承久の乱、1274年 元寇 文永の役、1281年 元寇 弘安の役、1335年 延元の乱、1336年 湊川の戦い、1359年 筑後川の戦い、1389年 土岐康行の乱、1428年正長の土一揆、1438年 永享の乱、1441年 嘉吉の徳政一揆、1455年 享徳の乱、1462年 寛正の土一揆、1467年 応仁の乱、1479年 越中一向一揆、1485年 山城国一揆、1487年 長享の乱、1488年 加賀一向一揆、1532年 天文法華の乱、1546年 河越夜戦、1553年 川中島の戦い、1555年 厳島の戦い、1560年 桶狭間の戦い、1563年 三河一向一揆、1565年 永禄の変、1568年 観音寺城の戦い、1570年 姉川の戦い、1570年 金ヶ崎の戦い、1570年 長島一向一揆、1572年 二俣城の戦い、1572年 三方ヶ原の戦い、1573年 一乗谷の戦い、1573年 小谷城の戦い、1574年 高天神城の戦い、1575年 長篠の戦い、1581年 第二次高天神城の戦い、1582年 本能寺の変、1582年 天正壬午の乱、1582年 山崎の戦い、1583年 賤ヶ岳の戦い、1584年 小牧、長久手の戦い、1585年 四国平定、1585年 祖谷山一揆、1587年 九州平定、1592年 朝鮮出兵(文禄の役)、1597年朝鮮出兵(慶長の役)、1600年 関ヶ原合戦、1614年 大阪冬の陣、1615年 大阪夏の陣、1629年 踏み絵によるキリスト教徒弾圧、1637年 島原の乱・・・・・1863年 薩英戦争、1864年 禁門の変、1864年 第一次長州征伐、1866年 第二次長州征伐、1868年 戊辰戦争 鳥羽・伏見の戦い、1867年 明治維新、1887年 西南の役、1894年 日清戦争、1904年 日露戦争、1910年 日韓併合、1914年 第一次世界大戦、1923年 関東大震災、1931年 満州事変、1932年 上海事変、満州国建国、1937年 盧溝橋事件により日中戦争、1939年 第二次世界大戦、1941年 真珠湾攻撃により第二次世界大戦に参戦、1945年 日本敗北により無条件降伏。
南宮山那須本陣で繰り広げられている那須資晴を亡き者にと必殺の襲撃を試みる立花誾千代の女戦士達による強烈な攻撃に危機が連続する最中、肝心の那須資晴は今成玲子の深層意識に眠る知識にリンクしていた、其処には自分の知らない過去に起きた戦の数々とそして玲子の知る先の未来に起きた戦の数々であった、過去数百年前から未来数百年という千年以上に渡る実に愚かな戦の数々の中で戦によって多くの者が命を失い、大切な人の死によって人生全てを失う者、父を亡くし、母を奪われ、子を失い何もかもが失われて行く歴史に微睡の中で全身を硬直させこれ以上ない地獄の知識とリンクする資晴。
自分は何のために、何の為に、誰の為に生きこの世に存在するのか、長い長い永遠の刻の流れ、人の歩みは輪環の輪であり成住壊空という宿業の中で輪廻を繰り返す、この人を殺し生きる、人の命を餌に生き長らう輪廻は誰が断ち切るのか、仏である釈迦も、聖徳太子もこの怨嗟で満たされた輪廻を断ち切るべくして悟りを求め或いは律令を世に広めるべくして一命を捧げた、儂は儂は・・・何をすればよい、何をしなければならないのか・・・微睡の混沌とした闇から微かな光を求め今を生きる自らの使命を掴み取ろうとしていた那須資晴であった。
那須資晴がどのような状態であれ誾千代達との死闘は激烈を極め八葉蓮華の陣で那須資晴を守る鉄壁の布陣で戦うもその場を自由に動けぬ鞍馬達も誰もが傷を負い何とか耐えていた、鞍馬百貫の左耳は薙刀にそげ落とされ、大猿の左の小指も斬り落とされていた、既に手持ちの武器は苦無一つ又は小刀一つの状態であり、振り下ろされる薙刀の刃の切っ先に軌道を合わせギリギリ傷を負わずに回避し、互いの背を守り次から次と繰り出される薙刀を払いのけ敵兵の女兵士の懐にある小刀を奪っては敵を削っていた、時に倒れた女兵士は最後の力で鞍馬達の足にしがみつき、噛みつき態勢を崩そうとする者などまさにグルのテントの中では死闘が演じられていた。
八葉の布陣は男の鞍馬達が、那須資晴のいる中心には梅とくノ一の菊の二名で守るも、得物として薙刀は長く一瞬の隙を突いて梅と菊にも襲い掛かる、小太郎に至って10ヵ所以上の傷を被り血だらけとなっていた、他の者も似た様な状況にまで追い込まれていた、ただ幸いな事に半袖の鎖帷子を仕込んでいる事で重症の傷を負っていないだけであるが、誾千代が攻めて来るときは両側に兵士が付き三位一体で大立ち回りで力強い薙刀が振り落とされる事でどうしても八名の内二名が対処せねばならなくなり、そのちょっとした隙に広がった空間に薙刀が振り落とされる事で傷が広がっていく事に。
誾千代に向かって攻撃すれば両脇にいる女兵士が身代わりとなって守り絶命するもすぐさま後ろの控えの兵がその横に配置し新たな三位一体となり休む事無く攻撃の連続に、まさに危機の連続と言えた、このテントでの死闘は実際には時間にして20分程度であったが攻撃される鞍馬達にしてみれば緊張の連続であり果てしない時間になっていた、しかしついに終結する時がやって来た、それは一豊とアイン、ウインが正面入り口から入って来た事で形勢が一気に逆転した、八葉の陣で動けぬ鞍馬達と違って自由に戦い参戦出来る三名がテントに入った事で女兵士達を薙ぎ倒し削り始めた事で好転する事に。
東側のテントを切り裂いて入って来る兵士達もアインとウインがその入口に立ちはだかった事で兵の補充が中々出来ずに、徐々にテント内の敵兵が少なくなりついに誾千代の三位一体の三名だけに絞られた、最後に一豊が両脇にいる敵兵を薙ぎ払い誾千代との一騎打ちの状態に、小太郎も最後の力を振り絞り後ろに回り動きを封じ込め退路を塞いだ、既に勝負はついたと言って良い、一豊は誾千代に降伏するように一喝するも自らの命は既に亡き命と心得ての襲撃でありここで共に戦った女兵士達と散る覚悟の誾千代に一豊の言葉は届かなかった。
「武士としてこれ以上の戦いは無益である、鉾を収めよ! 今からであれば救える命もそれなりにあろう、そなたは充分に戦った、降伏せよ!!」
「煩い! 妾は立花宗茂が正室、立花家の誾千代である、武士の覚悟を、立花の覚悟を持って更にもう一戦妾の刃を受けよ!! 勝ち負けは別の事よ!!」
誾千代に降伏を求めても無理であると悟る一豊は小太郎に目線を送り、これも仕方無しという合図を送り、誾千代と小太郎に向かって一言。
「立花の誾千代殿! これより那須家の騎馬隊を預かるこの山内一豊がお相手致す、御覚悟あれ、小太郎殿これより手出し無用ぞ!! では参る!! 」
テント内は倒れた者達で埋まり充分な広さが無い中、両者は刃を交わす事に、長槍の一豊、薙刀の誾千代、狭い空間であり両者互角の状況と言えた、正中から腕に誾千代の薙刀が振り下ろされるもそれを薙ぎ払う一豊、すかさず薙ぎ払われた薙刀が一豊の脛に軌道を変え振り下ろされる、それを読んでいた一豊は薙ぎ払った槍で脛を守り攻撃をかわす、今度は一豊が誾千代の胸目掛けて槍を突き出すもそれを交わし二手三手と突き出す槍も見事にかわし、一豊の槍が手元に戻るスピードに合わせて身を一回転させ一豊との距離を一気に狭め薙刀を短く持ち一豊の肩口に振り下ろす誾千代!! やはり狭い空間では薙刀の方が自在に操れる事で有利と見えた瞬間、距離が縮まった瞬間に一豊は肩口に薙刀が振り落とされ斬られる瞬間にさらに距離を縮め誾千代に体当たりして転倒させた、まさに一瞬の出来事であり槍遣いの一豊と言った体躯を活かした攻撃と言えた。
誾千代は倒れて横になるも薙刀で一豊の足を払いに最後の一刀を振り切る、しかし残念な事に一豊はそれも槍で防ぎ、薙刀を足で踏みつけ攻撃出来ぬ様にして倒れた誾千代の心臓を目掛けて槍を突き刺そうと腕を振り下ろす姿勢に、誾千代も覚悟を決め目を閉じた。
「そこまでじゃ!! 一豊!! そこまでじゃ!!」
誾千代に止めを刺す事を制止した声の主は那須資晴であった、皆が両者の勝負を見届ける中、那須資晴は目を覚ましていた、目を覚まし横を見れば女子でありながら武装し一豊と一騎打ちしている場面であり他の者達も声を上げずに見入っていた事でこのグルのテントの中で命のやり取りが行われていると悟る資晴であった。
「御屋形様!! 御目覚めでありますか!! 今ここで敵将と一豊殿が・・・・」
「判っておる、勝負は決した、儂が見届けた! 敵将である其方も目を瞑り覚悟を決めていた、良いな!! 敵将の其方、これ以上行えば其方に命を預けた者達が恥を掻く事になる、敵将たればこそ今は鉾を収めこの合戦の始末を見届けよ!! それが其方の最後の役目であろう!!」
「妾も武士の端くれであります、この立花誾千代に死に場所を与えて下され! 慈悲あるならば死なせて下され!!」
既に薙刀は一豊によって押さえつけられており抵抗できない状態でありこのまま止めを刺す様に懇願した誾千代であったが、那須資晴からの返事は驚きの言葉であった。
「誾千代と申すのだな! 済まぬ!! 許して欲しい、其方と其方を慕う多くの者をこの合戦の場に呼び込んだのは儂の責である、そして多くの者が其方誾千代に命を紬ぎ旅立ってしまった、誠に済まぬ、戦国の世とはこれ程に業の深い断ち切れぬ闇であり、本来であれば其方を慕う者達とこの世の春を謳歌するべき人生を奪う事になった、戦とは悲しきものであり、良い事など何一つ無い、済まぬ誾千代!! 儂が儂が必ずこの宿業から抜け出す世を創る、どうか鉾を収め許して欲しい!!」
那須資晴から発せられた言葉は一人の人間としての叫びであり決意であり人の命を奪う事への哀れみとも言うべき魂の叫びであった、ただの一度もそのような事を考えた事も無く、思慮した事も、世の慟哭を我が身の慟哭として捉え負の連鎖を断ち切ろうと決意する言葉に只々黙るしか無かった。
武士として潔く死ぬ事などどうでもよい低い次元の話をした誾千代は全身から力が抜け全てを那須資晴に託すしか無かった。
その後、資晴の指示で倒れている者を確認し救命出来る者には手当てを行い、傷深く悶え苦しむ者には介錯を行い送った、外にいる女兵士達にも誾千代の事を伝え、武装解除を行い最終的に生き延びた者達は誾千代を初め40名が生き残った、実に壮絶な夜襲であり襲撃であったという事を物語っていた。
鞍馬達も皆傷を負い精魂尽きていた、急ぎ手当てを行い別棟のグルに横たわる事に、絶命した者達はこのグルともう一つのグルに安置した、そして既に夜は明けており関ケ原の戦場でも戦は決着していた。
昨夜の立花宗茂による夜襲が呼び水となり昼間の戦闘により多くの犠牲者を出し意気消沈していた前田利家が立花に続き参戦した事で関白子飼いの武将達にも火が付き関ヶ原に構えた那須本陣に数万者敵兵が押し寄せ一時は窮地に陥った那須家、芦野忠義が那須資晴に代わり本陣を守り支えるも崩壊寸前で機転を利かせた竹中半兵衛による暗闇を照らす焙烙玉を放った事で敵勢の姿が浮かび上がり、更には上杉連合軍、その後に北条軍、小田軍が救援に駆けつけた事で那須側の危機は辛うじて守られた。
そして夜明けと共に今度は立花宗茂軍と前田他関白子飼いの武将達が追いやられる立場へと逃げる立場となり合戦場では逃げる獲物を追う巻狩りの様相となり合戦場から四方に逃げる者多数、そして侍として意識ある者は関白の下に必死に逃げ込んだ。
関白が構える本陣は主に毛利が盾兵を多く配置し所々には那須騎馬隊が入らぬ様に馬防柵が設置されていた、そこに逃げて集まる兵達、いつしか傷を負った者達を含めて8万者一塊が出来上がっていた、その中心には千成瓢箪の纏いがあり関白秀吉がいる事を証明していた。
「如何致す? このまま攻め入るか? 関白殺しの汚名を背負う事になるやも知れぬが、攻め行った方が後々の事を考えれば良いのでは? 汚名の誹りであれば北条家が負っても良いが!?」
「いや、待たれよ! ここは那須資晴の意見を伺った方が良いであろう、此度の戦は資晴殿が先手を打った戦である、汚名の誹りで済むのであれば我が小田家が背負うが相手は関白の位を持つ至極厄介な豊臣である、帝より名を頂いたお家であればそれなりの対処を那須資晴殿であれば一考あるのではあるまいか、今少し攻め入る事を待とうでは無いか!!」
ほぼ決着となった様です。それにしても誾千代!!
次章「関ヶ原・・・懺悔2」になります。




