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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
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関ヶ原・・・17



苦戦を強いられていた那須軍は上杉連合軍が参戦した事で好転するかと思いきやそれでもまだ不利な状況と言えた、半兵衛による大筒での砲撃で夜空を明るくし戦場での敵を目視できるようにしても押され気味であった、その理由は幾つかあるが夜襲は攻める側が圧倒的に有利である事、一度劣勢に追い込まれると防戦に専念する事になり反撃に出る機会が読みずらい事も影響していた、さらに敵側の立花軍が夜襲でありながら死兵となり後続に道を開き次から次と雪崩のように本陣に向かって来る事でそれを防ぐ事で手一杯であった。


隊列で攻めてこない以上武田の蛇行も意味を成さず目前にいる敵を蹴散らして行くしか無く時間を要していた、立花の活躍が後続の前田を旗頭とする関白子飼いの武将達にも火が付き昼間の敗北を忘れたかの如く続いていた、正に一進一退の夜襲戦となり互角の戦に発展していた、そこへ遅れる事四半時、待ちに待った北条軍、小田軍が乱入して来た事で防戦から攻撃への反転となった。


同じ頃、那須資晴が微睡となり横たわる南宮山本陣でも異変とも言うべき夜襲が起きていた、夜襲で襲う者は立花宗茂が正室誾千代の女兵士200名であった、誾千代は正室ではあるがこの戦国切手の女武将であり幼少時より女の身でありながら当主として育った経緯がある、武勇に優れ並みの男性ではその威圧の前では震え上がる眼光を持ち薙刀を持たせれば右に出る者はいない程の剣士である、智勇備えた戦国を代表する女武将である。


那須資晴の本陣が夜襲に襲われる中、配下の者達が身を守るために南宮山にある空となっていた本陣に移動していた資晴である、その動きをいち早く察知し警戒態勢が引かれる前に誾千代の女戦闘部隊200名が闇に潜んでいた、本来であれば忍びを多数抱えている那須家であり200名もの多数の者達が忍び込んでいれば容易く発見出来る筈であるが、敵将は誾千代でありこれまでに何度も部隊を率いて武勇を示していた歴戦の女戦士、秀吉子飼いの温室で育った武将とは訳が違っていた、その誾千代が微睡の那須資晴に襲い掛かる。


誾千代に付いて数々の逸話が残っている、武勇を示すものとして、九州成敗の折、加藤清正が宗茂に開城を説得すべく、柳河に進軍した際に『街道を進むと、宮永という地を通ることになりますが、ここは立花宗茂夫人の御座所です、柳川の領民は立花家を大変に慕っており、宮永館に軍勢が接近したとあれば、みな武装して攻め寄せてくるでしょう』と聞かされたため、宮永村を迂回して行軍したとされている、立花宗茂の後には誾千代という守護神の名が広く伝わっておりその武勇を示す逸話の一つである。


他に有名な逸話として、関白となった秀吉の軍門に下っていた立花家は秀吉の命で朝鮮出兵の際に誾千代も名護屋城に呼び出されます、その理由は誾千代があまりにも美しい女性であった事で宗茂の正室であるにも関わらず愚かにも好色な秀吉は誾千代を寝屋に誘おうとしたのです、その事を悟った誾千代は鉢巻き、襷がけの軍装、そして手には長刀を持ちいざ出陣という武装での出で立ちであっため武将達の前で『戦時である。戦支度で馳せ参じるとは立派な心構え』と褒めるしか無く寝屋は回避されたと言う話である。


そしてもう一つ、時々時代物や異世界物語などでも登場する雷切という言葉を成す名刀『雷切丸』の所持者が誾千代である、後に婿養子となった宗茂に下賜され、所持者としては立花宗茂の名で通っている名刀。


この名刀の名となる『雷切丸』柄に鳥の飾りがあったことから最初は千鳥と呼ばれた、大友興廃記によると、立花道雪(誾千代の父親)は35歳で半身不随になったとされる、道雪が炎天下、大木の下で涼んで昼寝をしていたが、その時に急な夕立で雷が落ちた、枕元に立てかけていた刀千鳥でその落ちて来た雷を切ったとされる、実際に切ったかどうかははっきりしていないが、これより以降、道雪の左足は不具になる、勇力に勝っていたので、常の者・達者な人より優れて、馬を乗って敵陣に突撃する事もある、人々は道雪が雷もしくは雷神を斬ったなどと噂したという、道雪は千鳥の名を改め雷切丸とし、常に傍らに置いたといわれている。


そして道雪の死後雷切丸は誾千代が所持する事になる、誾千代の武装は雷切丸を脇に差し、手には薙刀の戦闘スタイルである。


長ものとしての武器、槍と薙刀を比較する時、平安時代~戦国初期では薙刀を用いて戦うスタイルは普通の事であり男性であっても主な武器として薙刀は使用されていた、武蔵坊弁慶の武器は薙刀であり長槍では無い、長槍が主流となったのは戦国時代に入ってから徐々に主流へ、その理由は軍勢が一塊となり長柄足軽が先頭で戦う集団戦法が主流となったからと言われている、薙刀は2~2.5m程、長槍は3~6m程の種類がある、戦う際にも技に若干の違いがある。


長槍の基本的な攻撃は叩きと突き、それに対して薙刀の動きは刀の様に切るという動作が主流になる、勿論突きという攻撃も難なく出来るが長槍に対しての突きは不利と言えよう、切るという攻撃が主流の薙刀には敵の脛を切るという足切りの技がある、一瞬にして上段、中団から足の脛に刃が切りかかる攻撃力のある薙刀独自の技と言える、槍の長さも2m~2.5m程であり刀と対治した場合はやや有利であり狭い空間でも自在に操れる武器であろう。 (但し天井が低い場合は動作に不自由が生じる)




── 蓮華 ──



南宮山に構える那須本陣はグルを多数配置し陣幕で仕切りを作り最奥に位置する場所に当主のグルが設置されていた、本陣に辿り着くには関ヶ原合戦場から東に戻り中山道から入るしか無くその道々には山内一豊の部隊の兵が厳重に配置されており本陣周辺には屈強の者達300名が守っていた、他には忍び達が周辺に散らばり警戒していた。


グルのテントの中では八葉蓮華という手練れの鞍馬一党が陣形を組み中心に横たわる当主 那須資晴を守り静かに見守っていた、蓮華とは沼に咲く花であり世間の宿業と煩悩に染まるありとあらゆる負を和らげる仏の姿に例えらる、中心に仏、その葉となる八葉に菩薩が配置される、鞍馬一党はグルの中で主である資晴を守る布陣『八葉蓮華』を組み静かに目覚めるのを見守っていた。



「足音多数! 何者のかがここに近づいている御屋形様を中心に配置せよ!」



小太郎の指示のもと八葉蓮華の陣を組む鞍馬一党、そこへ南側正面入り口へ誾千代の陽動部隊が襲い掛かった、さらに時を同じくして西側からも陽動部隊が陣幕を切りつけてきた事で夜明け前の夜襲戦とも言える資晴襲撃戦が始まった、誾千代の部隊は女兵士であり手には薙刀を持つ、工夫されている点は時には1人から三人への三位一体となりさらには五人一組の隊伍という離合集散となる隊形を取り男性より力が劣る分を充分に補い互角以上に戦える兵士達であった。


ある程度限られた空間であったり広場で戦うには敵勢もその場に多くの兵が一度に参入出来ず先に僅かな広場を抑える事で少数であっても有利となる点を充分に知り尽くしており誾千代に鍛えられた熟練の女兵士達である。


那須資晴が横たわるグルの大きさは30人程が充分に入れる事が出来る、時には主だった者を集めて軍議を開くなど多目的に利用出来る大型のテントと言える、原形は遊牧民族が放牧の移動にあわせて解体と組立てが容易にできる居宅でありテント内でも煮炊きが出来る天井が高い仕様のため解放感があり最適な移動式のテント、外壁となる部分は布の生地と獣の皮を繋ぎ合わせた物で覆われている事で防寒にも強く現代でもモンゴルの遊牧民では利用されている。


出入り口は一ヵ所であるが外壁部分の布生地と獣の皮を切り崩せば何処からでも侵入出来ると言って良い、誾千代はその弱点とも言うべき入り口からではなく反対側の外側から侵入を試みようとして真後ろから外壁部分に攻撃を開始した、誾千代の本隊は100名の女戦士達である。


本陣周辺に配備されていた警備兵達は突如女兵士達が現れた事で入口と西側に現れた女兵士達を敵勢と見なし攻撃と排除を行う為に声を上げ兵達を呼び集めるとともに排除攻撃をすぐさま開始した、徐々に女性の金切り声と兵達の怒声が大きく騒がしくなる、正面と西側の女兵士達の役目は誾千代本隊がグル内に入れる時間を作る事と騒ぎを大きくし敵兵をこの場に釘付けする役目と言えた、その役目と引換えに自らの命を差し出す死兵でもあった、那須の兵が徐々に増える事で三位一体から隊伍に編成を組み攻撃より防御に専念する事で時間稼ぎを行う、しかし一人、二人、五人と徐々に削られて行く女兵士の別動隊は三割程削られた時点で西側で陽動していた残り30名となった者達が正面にいる部隊と合流した。


女兵士達は背をテントの幕側にし後側からの攻撃を無くし、正面と両横からの攻撃に対処専念する事で時間稼ぎ出来る態勢に、この誾千代に率いられている女兵士達は一人一人が兵士に相応しい猛者と言えた、テントを背にすることで那須家の弓を防ぐ事に、万が一矢がテント内に突き刺さり入れば御屋形様へ攻撃した事となり場合によっては中にいる味方に傷を追いやる事で弓矢での攻撃は出来なかった、それを見越した上での女兵士達である。


正面と西側での攻撃が始まった事で藪に潜んでいた誾千代本隊100名も両側を各30名で防御させ残り40名でグルのテントを破る攻撃に移った、誾千代本隊は声を上げずにただひたすらにグルの陣幕へ薙刀を切り付け人が入れる穴をこじ開けて行った、その間もグルテント内からは飛び苦無が投げつけられ誾千代本隊の女兵士達も一人、二人と削られていく、しかし、薙刀で切り裂かられる事であっという間に人が入れる穴が出来上がり20名の女兵士がグル内に流れ込んだ、もちろんその中に誾千代の姿もあった。


鞍馬達は8名、その中心には那須資晴が横たわる、グル内は流石に人も多く薙刀を短く持ち次々と切り付けて来る誾千代達、狭い空間でのさながら激戦が突如はじまった、鞍馬達の主な武器は小刀と苦無であり比較的狭い空間でも攻撃は行えるが、相手の刃が大きい薙刀という点でその切り下ろす刃を防ぐには得物の長さが短い分不利と言えた、それと那須資晴が動けぬことで鞍馬達もグル内での自由な移動は出来ずにやや押され気味と言えた、隙を見ては苦無を投げ誾千代の女兵士を一人二人と削るも削られれば外に控えていた兵が押し入り補充される、正直なところ苦戦を強いられていると言えた。



「そこをどけーい!! どかぬか!!」



グル本陣の那須資晴が横たわるテントが襲われていると知った山内一豊とアイン、ウインの三名は急ぎ駆け付けた事で状況が一変する、やや手をこまねいていた那須側の兵士達は三名が来た事で道を開けテント正面側のテントが大きく揺れ動く、テントの構造を良く知る一豊である、少々の衝撃にも強く十人二十人程が倒れテント側に圧を掛けても崩壊しない事を理解しており、力押しで正面にいた女兵士達をテント側に押しのけ出した事で三位一体であろうが隊伍であろうが関係なく隊形を崩し一気に三名で薙ぎ払った事で正面の女兵士達は崩れてしまった、体格の違いと常に戦場では先頭に立ち敵軍を薙ぎ払い崩す三名であればこその力押しである、だからと言って資晴が横たわる本陣内では飛び苦無はほぼ消耗し小刀を手に薙刀と渡り合う鞍馬達の苦戦が続いていた。



次章「関ケ原・・・懺悔」になります。

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