関ヶ原・・・16
夜襲戦が激しさが増す中、深夜でもあるに関わらずに大阪より輿に乗り中山道を急ぎ駆けつける者がいた、病の身であり輿に乗っているとは言え更に悪化するであろう事を承知しての使者であった、懐には母の命とも言うべき品を懐に抱き輿を急がせていた、病を伏して関ヶ原に向かう者こそカギを握る豊臣秀長であり大納言であった、豊臣家滅亡を防ぐ為に自らの命を使い果たすと覚悟を決めていた。
肝心の秀吉はどうなっているのか? 床に就いていると思いきや床几に座り首を傾げ地面を見ているたげであるがその相貌は変化しておりこれがあの陽気に豊臣秀吉なのかと言う変化しており別人なのかと疑う程変わり果てていた、その変化した相貌とは顔の色が当初肌色から黒に変化し今では死人となった白色になっていた、顔は一気に老け白髪となり、眼は光を失い黒一色と言えた、立花が前田が那須の敵陣に夜襲を行っていると報告されてもほぼ無反応であり、ただ一言『そうか』と小声で反応しただけであった。
失感情症という心理学的な病名がある、理解出来ない事がきっかけとなり感情を失っている状態、人間には喜怒哀楽という感情の起伏が日々の中で常に変化している、一瞬一瞬で喜びから悲しみに変化したり或いは悲しみから喜びや楽しい感情に変化する、誰もが日常的に無意識の内に変化しておりそれが正しい状態であり、その変化する感情が失われた状態こそが失感情症と言えよう、今の秀吉に何を言っても届かず心が仮死してると言えた、秀吉に言葉が届かずとも時間は経過する。
日常的に使用される言葉で説明すれば心神喪失という鬱状態であり秀吉が正気に戻るには昼間での戦闘以上の衝撃を受ける出来事でのショック療法が必要であろう、それが出来なければ静かに心が回復するまで人里を離れ養生するしかないのではないかという程の別人に変化していた。
「間もなく陣が崩壊します、忠義殿は御屋形様の処へ向かって下され、ここは某が守ります!!」
「何を言うか! 儂が動いては御屋形様がおわす南宮山に敵勢を導いてしまう、ここは動いてはならん、何としても崩壊させてはならん!!」
「むむむ・・・然れども忠義殿の身が危のう御座います」
「きっと半兵衛に策がある筈じゃ、時間を稼げと・・好転させると・・きっと間もなくじゃ!! 儂は皆を信じる、御屋形様の身代わりとなれるのであればこれ程の本懐はありなん、我は芦野忠義ぞ!! 十兵衛ヨ!!いざと言う時は共に逝こうぞ!!」
「成程! その御覚悟承りました、某の命これより忠義殿と共にありなん!! 半兵衛の策を・・きっと半兵衛なら策があるでありましょう!!」
深夜の行軍で関ヶ原に向かう北条家、小田家そして上杉連合軍、関ヶ原目前と迫る中、深夜の暗闇が突如天からの星々が降り注ぎ那須家本陣の混乱極まる戦場が昼間の様に照らされた、ズドーンという大砲の音が次から次と天空に向かって大音の咆哮が鳴り響きそれと共に煌びやかな小さき無数の炎が蛍灯が飛び交う様に戦場を照らしたのである。
暗闇で戦い敵味方が判明せずに神経を削り防戦一方であった那須軍に光が射した瞬間と言えた、咆哮が鳴り響きそれに続き数多の灯がゆっくりと地に舞い降りる幻想の空間となる関ヶ原、敵の姿が浮かび上がった事で武器を槍から弓に変え射射が始まった。
暗闇から灯が舞い降りるとは、遠目から見ると漆黒の闇から月光に照らされた天女が地上に舞い降りて来るのであるまいかと錯覚に陥る場面が突如現れた、これは半兵衛による大筒から天空に向かって放たれた焙烙の砲弾が炸裂した効果によって無数の灯が暗闇を照らした事による効果であった、朝方の砲弾は榴弾による無数の礫が兵を襲い、この夜襲戦では不利となる暗闇を照らす為に焙烙玉の砲弾を天空で炸裂させた効果で燃える油が飛び散り地上に落下した、とは言っても照らし出される時間は僅かであり補うために200門ある大筒から次々と焙烙玉の砲弾を放ち始めたのであった。
「お~! これぞこれぞ半兵衛が策ありと申していた事は、敵の姿が浮かび上がった!! 矢を放ち今こそ反撃ぞ!! 銅鑼を鳴らせ!! 反撃の太鼓を打ち鳴らせ!!」
那須側から見て敵勢が浮かび上がるとは立花、前田両軍に取ってもそれは同じであり目視できる敵の姿が、目指すべく敵本陣の姿がはっきりと浮かび上がった事になる、守る方が守りやすく、攻撃する方は攻撃しやすく成ったなったと言えた、ただこの事で今まさに援軍として向かう北条、小田、上杉連合軍に取っては関ヶ原への道標が明確となりその行軍速度は一気に早まった。
戦場が照らし出された事で敵味方の区別と目指すべき那須本陣の姿が目前となった事で立花、前田両軍は俄然攻撃の速度を上げ足軽は縦列を組み突撃を、騎馬の者は果敢に道を開くべく本陣前で円陣を組む十兵衛の兵に騎乗で槍を振り十騎二十騎と入り込んで来た、それを防ぐ為に那須騎馬隊が敵勢に向かって攻撃し対処するも敵勢は塊となっておらずバラバラの個々が磁石に吸い寄せられるように那須本陣に向かってくるため本来の攻撃力が生かせなく敵の勢いを中々止める事が出来なかった。
敵が集団の塊ではなくバラバラの個々という攻め方である以上対処の方法はこちらも個々の状態となり殲滅を計る事にした。
「騎馬隊の隊列をこれより隊列を組まずに個々の力にて敵殲滅を行う、奮闘せよ! 天下を御屋形様へ!! 奮迅の力を発揮せよ!! 者ども行け!!」
戦国史上初となる夜間の激突、夜襲戦の常識を覆し、恰も昼間の戦闘状態となる関ヶ原合戦、関白側は最後の死力を掛け自らの命と引き換えに逆転勝利を呼び込もうとしていた、但しこの戦闘に毛利勢は参加していない、戦闘に参加しているのは立花軍と前田と関白子飼いの者達であった、何故毛利は攻撃に加わらないのか? この夜襲戦が開始される前に毛利のもとに怪しい風聞が伝えられたことで積極的な姿勢を取らず関白を守ると言う名目で夜襲戦に参加していなかった。
毛利が参加しない理由とは、果たしてその根拠となる怪しい風聞とは? 既に九州全域が島津と黒田官兵衛に抑えられたという噂であった、その風聞を広めたのは関ヶ原で反旗を示した島津義久であった、那須を有利に導くには敵勢の一部を釘付けにするだけでは功が弱いと考え毛利軍を動けなくしてしまえと言う事で九州全域が島津家と黒田官兵衛によって既に抑えられた事を密かに広めたのである、その効果は絶大であり戦後の事を考えた場合に毛利がここで戦力を消耗してしまう意味は自国である中国の領地を守れずにお家滅亡の危機が訪れるやも知れぬと言う危機感からであった、関白の為に家まで亡くす程の危険を犯せない、この戦は仮に勝っても東国相手に戦国の世に戻るだけである、負けても家は残るであろうとの判断から参戦していなかった。
「殿!! 上杉殿の忍びが来ております、殿に面会を求めております、如何致しますか?」
夜襲戦が行われている深夜に非常識にも上杉の使者が面会を求めて来た、身分を問いただすと正体を隠さずに忍びであると言うではないかこれまた応対した島津豊久には驚きとか言えなかった。
「ほう~忍びが使者として訪れたと言うのか! 実に面白き日よ相手は名だたる上杉家ぞ会うしかあるまい、床几を用意致せ!!」
「深夜に訪れる事、申し訳御座りません、こちらが上杉様からの文となります」
「ふむ、使者に間違いないという事であるな、で中身が書かれておらぬがお主の口より口上があるという事で良いのか?」
「文を詳しく書く時間が無く某がまかり越しました、間もなくこの地に北国街道にて殿であります上杉様津軽安東様、蝦夷那須家の軍勢が押し寄せます、島津様は関白を相手に戦中でありますが手を打たねば戦闘となるやも知れませぬ、そこで島津様には道を開けて欲しく願い参りました!」
「もう間もなく上杉家と津軽安東家、蝦夷那須家の軍勢が関ヶ原に来ると言うのだな、間違って我らと対治しないようにとの計らいで宜しいかな?」
「如何にもその通りであります、この地にて島津様は西に関白の兵、東に立花の兵に挟まれております、否、両軍を動けぬ様にしております、上杉様はその両軍を一気に蹴散らす筈です、その際に島津様の兵が巻き込まれてはなりませぬ!」
「うむ、上杉殿がここに来るのに後どれ程か?」
「それが四半時も掛からぬ処迄来ております、間もなく地響きが伝わる頃かと、誠に時間なく申し訳ありませぬ!」
「なんと直ぐでは無いか、流石謙信公のお家よ!! お主の意図充分理解した、では我らはその手伝いとして先ず関白側の西にいる兵に鉄砲を射かける、さすれば敵の意識は島津に向かい後ろから来る上杉勢は心置きなく襲えるであろう、後は道を開けておく先に那須資晴殿の下に行くが良い、これで良いな!!」
「忝のう御座います、では此れにて!!」
「豊久! 今の話理解したな、急ぎ鉄砲隊に伝え整い次第関白の兵にお灸を据えてやれ、鞍山である当たらなくても良い、景気良く射やれ!!」
「判り申した!」
いよいよ待ちに待った援軍が上杉連合軍が最初に関ヶ原に着陣即戦闘態勢で押し寄せる事に、上杉景勝は謙信公が身で感じた戦場での匂いと己の直観を即実践し戦略を持たぬまま一気に押し寄せ戦場を支配する山崩れとなって襲い掛かり敵は抗う事も出来ずに勝利する戦物語を此れまでに何度も見聞きしていた、今こそ天下分け目のこの時に戦神謙信の姿をこの戦場に蘇らせるべく顔面を紅潮させ馬上にて激を飛ばしていた。
「敵は目前じゃ!! 全軍にて薙ぎ払え!! 御実城様ご照覧あれ!!!」
怒涛の勢いで北国街道から関ヶ原合戦場に入ろうと関白の兵に襲い掛かる上杉連合軍、関白の兵は本来挟撃で島津兵を攻撃する側であるが島津の鉄砲隊に日中退けられており単に出口を塞ぐ役目へと変化していた、それ程島津兵に痛い目に遭わされていたいたというのが実情である、そしてその深夜明け方に近い時間帯に今度は上杉連合軍に襲い掛かられ島津の鉄砲隊と挟撃される事になってしまった。
上杉の攻撃が始まる直前に蝦夷の那須ナヨロシクは蝦夷軍のアイヌ兵を引き連れて連合軍から離脱した、挟撃に参加せずに三成が率いて壊滅した笹尾山へ登り関ヶ原合戦場に向かっていた、笹尾山は標高200程度であり池寺池の島津軍が布陣している地点の反対側に位置しており笹尾山に上り関白の兵と戦わずに合戦場に入れるルートと言えた、アイヌの戦士は狩猟の戦士であり個々の持っている戦闘力は高いと言えた、特に夜間でも夜目が利き山林等の樹海を移動するのは手慣れている、那須ナヨロシクは一刻も早く参戦したく熱くなっていた。
蝦夷の地よりここに来るまでなんだかんだと時間を要し一ヶ月間も行軍だけに費やしておりやっと戦えることに、弟の那須資晴の顔を思い浮かべて顔を紅潮させ3000者アイヌ兵が笹尾山を抜けようとしていた、そこへ一里半程の前方の天空が眩い程の灯に包まれいる事を目視し闇夜の林を抜けだした、この地に残っている兵は敵兵であり攻撃対象であり何等躊躇する理由は無かった、走りながら敵兵に弓を射かけて突き進む那須ナヨロし軍であった。
腰には小刀、手には弓、背には槍を背負っており基本的には狩猟時と同じであり獲物が敵兵と言う事であり狩猟民族のアイヌ兵、槍は敵に止めを刺す時に使用する、暗闇での戦闘は一枚上手の兵と言えた、そこへ遅れる事僅かの時間で上杉連合軍が北国街道から戦場に乱入して来た、僅かな時間で合戦場に入れた理由は島津の鉄砲隊の活躍と、上杉兵が一気に軍勢を押寄せる事が出来た事で立花の兵を薙ぎ倒し乱入が行えた、これで最初に関ケ原合戦場に最初に上杉連合軍が参戦した事になる。
そして間もなく北条と小田の軍勢が駆けつける事に。
まもなく終盤といった所でしょうか?
次章「関ケ原・・・16」になります。