関ヶ原・・・14
関ヶ原合戦が那須家の完全勝利と思われ安堵し夜明けを待つ中で突如立花宗茂による夜襲が開始された、その為副将の芦野忠義は念の為に当主である那須資晴を空本陣となっている南宮山に避難させる事に、自らはその場に残り陣頭指揮を執り那須資晴がここにいると言う影武者を演じる事に。
夜襲が目指す地点は忠義がいる場所であり蘆名資宗、明智、佐竹、武田、柴田等の武将達は本陣を守るべく忠義を中心に方円の陣を半兵衛の指示の下展開する事に、だが暗闇の中で方円の陣を展開するには昼間の倍以上の時間を要してしまい夜襲乱入による乱打戦が徐々に始まり収集が付かなくなりつつあった。
援軍として駆け付けていた北条家、小田家及び上杉連合軍は那須が夜襲で襲われていると知らずに翌日の関ヶ原合戦に参戦すべく各街道筋沿いの合戦場から1里程離れた位置で留まり翌日に備えていた、その深夜に激震とも言うべき信じられない話が各家に忍びより火急の報告が入った。
その報告とは完勝と思われた那須軍は隙を突かれ夜襲によって本陣が襲われている、敵の数は不明であるが万を超える軍勢であろう、更に関白軍本陣からも夜襲参戦の部隊が続々と送られている模様、当主の那須資晴は行方不明というあってはならない報告が持たらされた、那須資晴に対する信頼は絶大なものであり東国の盟主、次の天下人たるに相応しい那須資晴が危機に陥っているという知らせに各家は怒髪天の形相に、何に対して怒り憤りしているのか、此れ迄数十年に渡り築いてきた全ての出来事であり資晴と共に歩み崩れぬ牙城が目前となるこの時に那須資晴を危機にさらしている己に対しての不甲斐なさであった。
この夜の夜襲は那須軍の想像を超える展開へと進んでいった、その因は立花軍の夜襲に参加した兵数が2万を超えており身軽な兵装で次々と篝火が焚かれている熾火台が薙ぎ倒された事で戦場が暗闇に支配される中で立花の兵は忠義がいる本陣の中心地に雪崩れ込む結果となった。
更にこの夜襲を立花が仕掛けた事を察知した関白軍が息を吹き返し前田利家が動ける兵全軍で立花に続き那須本陣に夜襲参戦をした事で収集の着かない暗闇の乱打戦へと発展して行った。
── 本陣崩壊 ──
「忠義殿!! 敵兵が予想より多くこの本陣であるここを目指しております、篝火を消すしかありませぬ!!」
「消すのは良いがその後この暗闇ではどう致すのじゃ! このままでは我が軍は崩壊するぞ!! 半兵衛!! 策はあるのか?」
「篝火を目指して来る以上襲われまする、消すしか方法はありませぬが、今しばらく忠義殿はここで耐えて下され、我に時間を下され! 今少し時間を某にお願い申す!!」
「反転出来ると言うのだな! 儂の命其方に預ける!! 那須を御屋形様をお救いするのじゃ!!」
次々と那須側が支配していた東側に雪崩れ込む敵兵、刃が交差する火花が暗闇で飛び交い光った後にどちらかの命が奪われる悲鳴が四方の草原で響き渡る、那須軍も懸命に本陣を中心に方円の陣を展開するも暗闇の中では無数の穴が開き自分のいる場所が解らずに彷徨う兵も沢山いた、明らかに攻撃する方が有利な状況と言えた、逆に時間が経過すればするほど那須軍は手当出来ずに崩壊が近づく状況と言えた。
一方兵2千に守られ無事に南宮山に備えていた空本陣に那須資晴は到着した、陣には梅を初め鞍馬の忍び達が静かに忙しく動いていた、暗闇の世界は忍び達の世界でありなにをどの様にすれば良いのか判り切っていた、夜襲を仕掛ける方は光を目指して突き進めば自ずと那須資晴の命という灯が見えて来る、襲われる方は暗闇という闇を払えば敵の姿を捕える事になり反転攻勢への転機となる。
鞍馬達は熾火台を利用する篝火は最小限にして、代わりに樹の上り枝から吊り下げた御焚玉を次々と仕掛けていた、地面から熾火台を設置して篝火で照明しても倒されれば消えてしまう、それを防ぐ為に油を浸み込ませた蔓で蹴鞠のような玉を作り樹木の枝に吊り下げていたのである、油が浸み込んでおり落下しても暫くは燃えており暗闇を防ぐ事で敵を確認し対処出来る、那須家は弓の名手揃いであり的となる敵が目視できれば夜であっても関係無く的を射やる事が出来る。
一豊は1千の兵で陣幕を囲み残り1千の兵で敵勢が来た場合に備え兵を配置した、関ヶ原で襲撃されている陣が偽物と露見した場合は必ずここまで追って来るであろうと、忠義殿もそれは承知の筈であり陣が敗れた場合はこの地を目指して来る事は一目瞭然であった、幸いな事に合戦の野原よりこの南宮山に来るには一本道であり撤退戦に移ったとしても敵勢も簡単にはこの場に来れないと予想していたが、只一人敵勢に恐ろしく戦場を俯瞰の眼で捕える事が出来る者が既に南宮山に隠れ潜んでいた。
── 混沌 ──
立花による夜襲が始まった事で念の為に当主の資晴は南宮山の陣地に移動する事になり山内一豊が部隊を率いてた行軍中に那須資晴の様態に異変が起きて居た、深夜の移動という事もあり何時しか疲れ果てて馬上で寝入っていると思われていた資晴の姿勢がぐったりと馬の背に倒れ込み危険な状態となった事からと供の者が資晴の様子を確認すると半眼となり白目で倒れている事に気づき急ぎ馬から降ろし様態を確認する事に。
「如何した! 何故に御屋形様を降ろしているのじゃ?」
「それが気を失っているご様子なのです!!」
「なんだと・・・医師は・・医師はどうなっている?」
「今呼びに言っております」
馬上で気を失う等普通の事でなく明らかに異常な事と言えた、確かにこの数日間は緊張の連続であり疲れはピークに達している状態ではあるが白目となり気を失う事はあり得ない状態と言えた。
駆け付けた医師の見立ては呼吸が弱く脈が静かであり力が無い危険な状態である、急ぎ安静に出来る場所に移動させ気付けの薬湯が必要との話であった為にその場に留まり先に薬湯を飲ませ戸板で運ぶことになった、この事は南宮山にいる梅にも伝えられ、安静出来る床を用意する等の手配となり落ち着かぬ中到着を待っていた。
資晴の様子は本当に危険な状態なのか? 実際はそうとも言えぬ不思議な現象の中に資晴の意識は飛んでいた、関ヶ原の合戦と言う戦の最中の勝利目前の深夜南宮山に移動中に馬上でありながら意識が違う世界に飛んでいたというのが本当の処である、自らそうした訳では無く何時しか勝手に飛んだと言うのが本当の処と言えた。
(米じゃ・・米じゃ!! 沢山取れた豊作じゃ!!・・・母上・・これが甘い麦菓子です・・・父上これが椎茸です・・・忠義!・・塩じゃ塩じゃ・・・梅・・梅・・これが卵から作ったプリンという甘い菓子じゃ・・・資晴の意識は幼少時の世界に飛んでいた・・・数々の想いでとも言うべき得た体験が脳裏に思い出されていた・・・さらに不思議な事に資晴の意識は原点とも言うべき鞍馬の里を初めて訪れた場面が登場していた、鞍馬と初めて会ったあの時の、この蒙古の弓を調べて欲しい・・・さらに場面は進み洋一から意味の分からぬ・・国が危ない・・那須の国を救えとの、危険信号を受けた話まで意識は飛んでいた)
南宮山に運び込まれた資晴の様子は馬上と変わらず半眼となり白目を剝いており時々その白目が僅かに揺れていた、床に運び再度医師が一通り確認するも状態は危険と判断された、陣中央に天幕付きのグルの中で医師と梅数名が残り看病する事に、静かに回復するのを待つしか無い状態でありグルの外側は幾重にも厳重に兵を配置し、鞍馬達は夜襲に対応する為に篝火の球を忙しく設置していた。
時間の経過かと共に資晴の意識は本人の知らぬ世界に足を踏み入れていた。
(あれは・・・与一様か?・・船上にある扇の的に矢を向けて構えているお人はご先祖様の与一様か?・・・なんであろか?・・・九尾の狐?・・・修験者が沢山おる?・・・大天狗様?・・・これは神話の世界か?)
次から次とあっという間に場面が変化し本来が知る筈の無い昔々にあったであろう出来事や神話として聞いた国造りの場面と思われる絵姿まで資晴の飛んだ意識の中で登場していた、その飛んだ意識は最後にこれまでリンクした事が無かった玲子の意識の中まで入り込んでいた。
意識がリンクしたと言うよりは玲子の意識の中に資晴の意識が勝手に飛び込んだという説明の方が正しいと言えた、玲子の意識の中に入り玲子達夫婦が知る戦国時代を経て現代に至る過程の知識を漁り無意識の中で知識を吸収する資晴、本人が希望してそうしている訳では無く知らなければならない又は知るべき知識を求めて玲子の深層に資晴の意識が入り込だという説明の方が正しいと言えた。
何故に資晴の意識が飛び過去の知識として得ていた過去世における神話の物語を辿り今度は玲子の意識に入り込み先の未来の知識を漁り貪るという行為に意識が飛んでいるのか、勿論資晴が意識しての行為では無く無意識の中で忙しく何かを求めて動き回っていた、そしてその直前まで関ケ原の戦場では僅かな時間で1万を優に超える侍達の命が失われていた、資晴の意識が無意識の中で突如混濁し気を失い別次元に飛んだ理由は正に一瞬にして僅かな時間で数多くの命が失われた事が引き金となり生命が混沌の世界に入り込んだと言えよう。
カオスという言葉で例えるならば破壊された無秩序な世界に到達した事で資晴の意識が秩序を求めて過去から未来へと秩序のある世界に到達する為の出口を求めての無意識に理とも言うべきコスモスを求めての苦しみの生命が行っている行為と言えた。
一言で言えば闇が一番深い処にこそ出口も存在し夜明け前の明星を目指しての那須資晴の意識は解答を求めていた、その解答に到達しなければ永遠に闇の中に彷徨う事も・・・果たして資晴が無意識で求めている法理に辿り着くのかこの日の深夜夜襲に襲われている最中に別次元の世界で戦う無意識の魂となる資晴であった。
資晴が気を失って床に就く中、南宮山の陣幕グル近くに戦闘支度を整え突撃の刻を今か今かと待つ200名の者達がいた、立花宗茂の正室 誾千代が率いる女性だけで構成された戦闘部隊である、誾千代は女性ではあるが男子として育てられ立花家の当主として幼少時より鋭才教育を受け文武に長けた歴戦の女武将として立花家を護り開いて来た、戦場では何度も先頭に立ち竜造寺又は島津の兵と対峙し押しのけていた、宗茂は婿養子であり当主は誾千代が正しいと言っても不思議では無い、その誾千代が突撃態勢の隊形を整え煌々と篝火で照らされている資晴が眠る陣幕に向かって飛び出そうとしていた。
「良いか我らは此れより死地に向かう、生きては帰らぬと覚悟致せ!! 死中にこそ活はあるのだ!! 振り返ってならぬ、あの陣幕の中に答えはあるのだ、敵将の資晴はあの中にいる、お前達50名は正面に回って陣を目指せ、その方達50名は北側から時を同じくして飛び掛かれ、我ら100名はこの東より時を同じくして飛び掛かる、陣幕を打ち破り中に入るのだ、捕縛されても暴れよ、討取られても敵の首を引きちぎれ、戦は敗れても我ら立花の者は勝つのだ!!」
大河ドラマなどでは女性の兵士はほぼ登場しないが史実における戦国時代の合戦では足軽という農民から構成された農兵の二割程が女性であったと言うレポートが存在する、戦場で亡くなる割合が多いのが前線に配置される足軽であり亡くなった者達の骨を調べた所二割程が女性であったと言う、歴史の表舞台に登場人物として女性兵士の姿は中々描かれていないが女性の兵が多く存在した事は事実であろう、尚、誾千代の様に女性の武将や当主はそれなりに存在した証拠は史実として残って居る。
※ 余談となるが戊辰戦争で会津が主戦場となる中、女性からなる婦人決死隊、女隊、娘子軍が結成され薙刀、大小、火縄銃を携えて長州兵と戦った女性達の物語は有名である、迫る長州に対して武家の婦人や未婚の女性達が自ら決死の部隊を結成した、それぞれ色の違う義経袴と着物、白木綿の鉢巻、二重の襷をかけ、大小の刀に白足袋に草鞋をはき、薙刀を掻い込んで出陣したとされる、その際、死地に赴く帰って来ないであろう女性兵に近所の老婦女子も大勢来て、涙を流したとされる。
戦場では鬼神となり戦う姿が、女性の兵と見た長州兵は生け捕りを命ずるが『生け捕られるな、恥辱を受くるな!』と、大音声にお互いを呼ばわりつつ、必死に相手方に向け薙刀・刀を振るったと、娘が銃弾に倒れ母か駆け付け苦しむ娘を介錯したと、その壮絶な物語が史実として残っている。
一体全体この後に及んで資晴が意識を失うとは考えられ無い展開に発展したと作者の私もそんな感想です。
最後の戊辰戦争での会津の女性からなる決死隊の話になんだか心が重くなりました。
次章「関ケ原・・・15」になります。




