関ヶ原・・・12
関ヶ原での戦闘は混沌とした戦況に変化していた、それはあたかもこの戦国の世に新しい生命が誕生する瞬間を迎えようとした時であり! 夜明け前のカオスと言える場面であった、巨大な生き物と化した関ヶ原から生まれ出るこの刻に立ち会う者達は己の命を捧げ新しい生命に力を与え使命を全うするかの如くであった。
108つに分れた那須軍の蛇行騎馬隊! それに対抗するために関白は自ら兵を率いて円陣を組み傷付いた兵を吸収し巨大な渦となり那須軍本陣より500間の場に出現! 戦場後方の地では島津が立花軍3万と関白軍1万と熾烈な挟撃戦を展開!! 他にも戦場で人知れずに忍び同士による見えぬ戦いも繰り広げられていた。
日が落ちるまでに残された時間は後2刻《4時間》と迫る中、関白秀吉は巨大な渦が出来た事で最後の大勝負に出た、外側には盾兵を幾へにも配置し蛇行突撃で中まで入られぬように指示を出し、盾兵を多く配置した事で五峰弓からの被害も軽減したと判断し一発勝負ではあるが攻守を備えた陣構えで那須本陣を襲う事にした。
陣形には多種目的別あり戦況に応じて編み出され軍勢が一団となりその目的とする隊形を整え行動する、時には攻撃主体であったり防御主体の陣形がある、那須家が得意としているのが鋒矢の陣または鋒矢陣と呼ばれる攻撃特化の陣形であり、敵より少ない兵数であっても機動力と攻撃力を生かす陣形、那須家では蛇行突撃と五峰弓及び石火矢による進化させた陣形で関白軍を圧していた。
関白は倍以上の兵数を持ってしても勝機が見えず那須側の108に分れた騎馬隊による攻撃で徐々に窮地に追いやられ日暮れまでに残り4時間と迫る中散らばっている軍勢を自ら出張る事で最後の勝負に出る事にした、関白が指示した陣形は傍目には方円の陣であった、方円とは大将を中心として円を描くように兵で囲む陣形、全方位からの敵の奇襲に対処できる防御主体の陣形であるが方円の陣に攻撃力を持たせる為にその外周に車掛くるまがかりという上杉謙信が武田信玄と戦う際に用いた戦法を方円と言う防御の陣を中心に据え置き、外周に攻撃に特化した車掛之陣を配置する事で二重の陣形を那須家本陣より僅か500間余りの処に出現させたのである。
関白が馬印を掲げ方円の陣を自ら率いて那須側に移動する事で大筒の榴弾による攻撃を避け散った兵を纏め大きい中心軸を作りその外側に前田利家を初めとする攻撃部隊に車掛りの陣を作らせ共に那須側に攻撃して行くと言う、ある意味壮大な二重の陣構えを行った、戦国史上初の二重の陣構えでの攻撃と言えた、那須本陣に近づかないことには勝利が見いだせないとの判断であり関白だからこそ指示出来た陣形と言えた。
攻守を備えた最適な判断と言えた秀吉の策だが相手は常に一歩二歩と先を読む那須軍、それを率いる那須資晴と軍師は日本の戦国を代表する竹中半兵衛であり、更にはこのような日が来る事を予見し460年先の洋一よりその昔ある研究課題の策を授けられていた、火薬であって火薬とは違う脅威となる仕掛けを既に施しその成果を示す刻が目の前に迫っていた。
「いよいよあの策を試す時が本当に来ようとは、話を聞いた時は意味が解らずに弓之坊に試作させたが洋一殿から伝えられた話は本当であった、だがどうしても解せぬ・・というか儂にはその仕組みが理解出来ぬ、半兵衛は理解出来たのか?」
「弓之坊と何度もその事については話しておりますがどうしてあのようになるのかは不明でありますが仮説だけは出来ております、しかしその仮説を説明しても私にも理解出来ておりませぬ、実に不思議な事柄と言えます」
「・・・本当じゃな、実に不思議と言う言葉しか浮かばぬ、あの粉が火薬となるなどさっぱりじゃ、粉になんども火を点けたが何も変化が起こらぬ・・・普通に考えれば粉に火が付かぬ事など解っているのに火を押し付ける自分に頭が狂ったかと思われるであろうな、実に不思議な火薬よ!!」
「ただし成功させるには幾つかの条件が必要となります、風の治まっている時、粉は何処までも砂塵より細かくなければなりませぬ、それと霧のように粉が広がっていなければなりませぬ、雨の日は使えませぬ、これらがどうしても必要となります」
洋一からその昔に授けた策とは現代では一般用語となっている粉塵爆発という現象を戦争時に応用できると言う話でありその仕組みは簡単な化学反応で起きる爆弾とも言えた、特に密閉された空間に細かい粉塵が舞っている場合に火が灯された場合に粉塵が火薬となり一瞬にして燃えて爆発する現象であった、但しこの仕組みを理解するには空気(酸素)という概念と粉塵(燃える物又は燃焼する物等)の理解が必要であり化学反応という言葉も空気と言う概念も存在しない戦国時代では中々理解出来ない仕組みの爆発現象と言えた、洋一が教えた粉塵爆発となる粉は小麦の粉でありどう考えても火薬とならない品物であり資晴も半兵衛も小麦の粉が爆発する事に頭がついて行かなかった。
関白軍が方円と車掛りという二重の陣を率いて那須本陣へと徐々に移動し始めた、その間も容赦なく108の蛇行突撃部隊は敵兵を削っていくが残り350間と迫る中、那須本陣より銅鑼と大太鼓が連打された
銅鑼と大太鼓の音が響き渡り戦場に変化が・・・あれほど容赦のない攻撃をしていた那須の騎馬隊が一斉に関白軍より離脱し始めたのである、一斉に関白側から離脱した事で両軍に不思議な静寂とも言うべき時間が訪れた、関白側は目の前となる那須本陣が見える距離に、しかし攻撃していた騎馬隊が離脱した事で何かが起きる、さらなる異変が起きるであろうとそれぞれの武将に、関白秀吉の第六感が危機が訪れるやもしれぬと己に知らせていた。
「盾兵は密集し、強固な方円を築け、前田は油断せずに300間を切った処で一気に駆け抜けよ!!」
どのような危機が訪れようとも今更他の策に変更などあり得ぬ、既に那須本陣に向かって攻撃出来る、ここにいる兵数は10万程に減っており那須軍を壊滅させるにはこの軍勢で攻める以外にこの方法しか残されていなかった。
── 北条軍、小田軍 ──
我慢しきれずに関ヶ原に急ぎ駆けつける為に強襲しようとする北条家と小田家は急ぎ伊勢街道をひた走り移動していた、那須が決戦日として戦っいてる日の午後に小田家は途中で別れ左手に流れている藤古川沿いに大回りして西軍側が支配する地の後方に出ようとしていた、要は中山道の後ろ側を抑え関白軍の逃げ道を封鎖した上で翌日の合戦に参加する策に打って出た、移動する北条家にも小田家にも忍びがおりそれぞれが戦況を逐次知らせており関白側が那須側の支配地に移動し始めたと知り小田家が後ろを抑える事が大事てあると考え分かれたのである。
関ヶ原の合戦場はXのように街道が交差し中山道と伊勢街道、そして北国街道が交差しており全ての主要街道を抑えるべく上杉連合軍(上杉家、津軽安東家、蝦夷那須軍)も北国街道から関ヶ原に向かって移動していた、そもそも那須家だけで関白側と戦う事を中々承知せずそれぞれが合戦に出ると執拗に資晴に迫ったが資晴も他家に犠牲を強いる事になる天下取りは回避したいとの理由で強く説明するも上杉家を初めその程度の理由で納得せずに北条家、小田家も最後は頃合をみて参戦すると言って物別れとなった。
北条家が史実とは違って石高を大きく伸ばし小田原を守り改易を回避した経緯は全て那須資晴のお陰でありその恩人である資晴が天下取りする戦に参戦しないなど考えられぬ事であり侍であれば自命を掛けて恩返しするのが武士でありそれがこの時代の哲学であった、小田家も上杉家も皆同じであり資晴が動く以上今この時に動かぬという事はありえなかった、資晴もその事は充分に承知しているが複雑な心境と言えば複雑と言えた。
資晴の中では戦の後も既に眼中に見据えており東国の家々だけが強く映る事は西国の者達にどうのように映るのか、それが災いとならぬのかという先の先を見据えていた、歴史を知る資晴は日本がこの後に辿る史実と今の豊かさを永遠にその礎にする為にはどうすれば良いのかと言う壮大な絵図面を大きい風呂敷を広げ夢想とも言える日本の姿を朧げに描いていた、その出発点とも言える関ヶ原合戦であると・・単に勝てば良いと言う事では無かった、それ故に幾重にも複雑な心境でもあった。
「殿! 忍びより些か面白い話が入りました、昼餉頃より那須家とは違う家が戦場で一部の家が関白軍を相手に戦っているとの事です、もしや返り忠やも知れませぬ!」
「ほほう、返り忠が生じたか、それは面白いがその者達に先を越されていると言う事では無いか、で、その者達は誰であるか? 戦況はどうなのじゃ?」
「島津と言う家だとの事です、恐らく西国の果ての地にある薩摩の家かと、それと鉄砲を多く放ち敵である関白軍を寄せ付けておらぬようです」
「お~島津か!! 島津の事は良く知っておる御屋形様の交易船が琉球と誼を通じる前に何かと強引に琉球と交易していた家よ、戦上手な家とも聞いておる、一度は関白を相手に戦をした家でもあったかと!!」
「では我らは北条と別れてその戦が起きて居る地に向かえば参戦出来るかもしれるな、さすれば御屋形様に進言して来る、この事北条には悟られるでないぞ、儂は戦いたくてうずうずしているのだ、儂の金砕棒が速く敵の頭を砕けと叫んでいるのよ! あっはははー、真田よ待っておれ御屋形様の所に行って来る」
北条軍と共に移動している小田軍ではあるがそれぞれ家は違っておりこの関ケ原の戦いで某の盟約がある訳では無かった、それぞれの責にて那須家に面目を建てるべく動いているだけであり自らの動きに北条家から了解をえる必要は無かった。
関ケ原に向かう途中で小田家が別の道にて戦場に向かう事が伝わり北条氏直も何かを嗅ぎつけたと判断した、小田家の行く先に手柄があるのであろうと、しかし北条家は当初の予定通り伊勢街道から戦場に向かう方が距離も近く参戦するには調度良いと判断していた。
── 昇華雷鳴 ──
三家の動きはともかく、戦場では秀吉率いる関白軍は方円と車懸りという二重の陣にて那須側に徐々に近づき残り350間となり突如銅鑼と大太鼓が連打されそれまで攻撃していた騎馬隊が一斉に離脱し関白軍から離れた、攻撃が一斉に止んだことで次に新たな攻撃が始まると察知し警戒しながら関白軍の集団が徐々に一歩一歩牛歩の如く動く中、那須本陣より一斉に五峰弓、大五峰弓、石火矢が連射された、当然関白側は那須の飛び道具には強烈な威力がある事を知っており盾を多く配置し力押しで犠牲者を出しながらも一歩一歩踏みしめ先頭にいる前田利家を初め他家に攻撃主体の車懸りの陣を築かせ那須側本陣に残り300間となった処で不思議と石火矢が止まり、五峰弓と大五峰弓からの大きい銛のような矢だけの攻撃となった。
攻撃力のある石火矢が止まった事で侵攻速度を上げられる状態になるも関白側は遅々として移動する速度は上がらなかった、それほどに五峰弓の攻撃力も充分にあったという事であり石火矢が放たれなくなった事で余計に警戒しての移動となった、関白側も攻撃が失敗した場合の意味を充分理解しており残り300間《約550m》となった以上最後の攻撃に備え耐える時間であると心得ていた。
徐々に迫りつつ関白軍、10万以上の巨大な塊が圧となって那須本陣に・・・あたかもそれは巨大な山崩れが那須資晴を目掛け押寄せる感であった、鳴り響いていた銅鑼と大太鼓が止み今度は大五峰弓から銛の矢が、弓の先端が鏑矢となった巨大な矢が一斉に関白側に向けて放たれた、鏑矢は風きり音と笛の音を鳴り響かせ無数の巨大な鏑矢が敵陣に!!
秀吉も何事が・・・起こるのか、鳥肌を立て前方の空で鳴り響く鏑矢を見つめていた、関白軍全ての兵が上空で鳴り響く鏑矢を見つめていたと言って良い、鏑矢は戦闘開始の合図であり警告音でもあり攻撃音でもある、それが残り300間を切った処で放たれたのである。
鏑矢が鳴り響き矢が落ち後に今度は200門の大筒から砲弾が一斉に関白軍の上空に向け放たれた、弾が向かった先は攻撃主体の車掛りの陣上空であり、その上空で次々と砲弾が炸裂した、200門の大筒から砲弾が鳴り響いた事で一斉に身を屈め榴弾の被害を受けぬ様に盾を上に向けるも砲弾が炸裂しても鉛玉は一向に飛び散らず代わりに上空では粉煙が舞っていた。
気の利いた指揮官は粉煙を見て毒煙やも知れぬ、口を塞げ、布をあてがえと叫ぶ者も!!
次から付きと砲弾が炸裂し上空では粉煙が濃くなり視界が悪くなる、そこへ一本の石火矢がその上空に放たれた!!
竹中半兵衛が名付けた『昇華雷鳴』というこの時代に無い新兵器とも言える爆弾攻撃を残り300間を切る距離で行ったのである、昇華とは一瞬にして生から死に変化し死すら悟れずに冥府に昇るたとえから名付け、粉煙となった上空は石火矢により点火され一面は一瞬にして瞬く間に雷鳴が轟き火の海となる処から名付けていた、濃い粉煙に火が付き一瞬にして爆発し燃え広がり巨大な熱風が兵に襲い掛かり命を昇華する恐ろしい粉塵爆発。
爆発した場所は車掛りの陣半分、兵の半数にあたる距離にして半径100間程にいる兵達が全て地面に伏して倒れていた、粉塵爆発は強烈な爆発でありその威力は凄まじいの一言である、その周辺にある空気も全て爆発の威力を高める為に一瞬にして消耗され真空の空間が出来るとされている、酸素の無い巨大な空間が生まれ空気の代わりに吸い込む事が出来るのは粉塵で燃えた熱風を肺に吸い込み一瞬にして命が奪われる実に恐ろしい未知の兵器と言えた。
とんでもない事が起きました、那須資晴による大量虐殺でしょうか?
次章「関ケ原・・・13」になります。