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那須家の再興 今ここに!  作者: 那須笑楽
304/331

304 関ヶ原・・・4




「え~い! 三成あの口汚い輩に国崩しを打ち込め!! 大筒にて粉微塵と致せ! あの不埒な輩を八つ裂きに致せ!! 馬鹿者どこを狙っているのだ!! 貴様も磔に致すぞ!!」



「関白殿下! 落ち着いて下され、国崩しはあのように的の距離が近ければ狙えませぬ、大筒では狙えませぬ!!」



「え~い、この役立たずが!! こうなったら敵の騎兵に攻め上がるのだ!! 兵数で一気に押しつぶすのじゃ!! 利!! 利はいるか!! この役立たずの代わりに足軽と騎兵を率いて日光弓で攻め入れよ!! 」



「殿下! この前田が敵陣に討ち入るは問題ありませぬが馬防柵はどけねばなりませぬが・・・さすれば那須の騎馬も隙を狙って来ましょう、我らが攻め入っている間は毛利に横陣を急ぎ殿下を守る布陣にして下され!! それと福島をお借りします、宜しいですか?」



「おう、あ奴であれば強力な駒となり敵陣に食い込むであろう、では三成に敵陣に向け大筒の雨を降らせる、頼んだぞ利!!」



「この戦、永福ながとみ、又兵衛《村井長頼》、連龍《長連龍》! 我らの死に場所と心得よ! 前田家の本懐の地と心得よ! 殿下あっての前田家ぞ!! 今こそご恩に報いる時ぞ!! 前田家全軍を持って活路を切り開く、前田家に後退無し偃月の陣形を組め!! 正則は我らの後ろで魚鱗と致せ!! 前田家が敵陣の懐に飛び込む、正則は崩れた敵陣に魚鱗で止めを刺すのだ!! 頼んだぞ正則! 前田家の血を目印に敵陣に入り込み魚鱗で止めを刺すのだ!!」



前田利家は織田信長の下で育ち柴田勝家に次ぐ槍の名手として名を馳せ秀吉の下にあっては第一の戦将であった、小田原成敗では勝家に後れを取ったものの決して弱き武将では無く武勇の優れた将である、本格的な戦になる前に那須側の田村の口上と威武を示す太鼓に関白軍の士気が低下した事に危機感を抱き反転攻勢に持って行くためには決死の部隊が必要であり門をこじ開ける自覚した部隊が那須軍に立ち向かう事が必定と判断した、それは紛れもなく自身でありこの前田利家以外に出来ないと判断していた。


自身が死地を求めずして活路が開かれない、活路を開いてもその活路を生かす強き将が必要であった、秀吉の関白軍に強き武将として際立った将は福島の他に主に以下が上げられる、加藤清正、立花宗茂、小早川 隆景、黒田長政、加藤嘉明、浅野幸長、小西行長、大谷吉継、島津豊久であろう。


ここより私的な意見で申し訳ないが記載させて頂く、大河物の戦国期を描く作品に前田利家は度々登場する、利家の歩みを考察するとその理由が判明する、この戦国時代の終盤に向かう約50年間に登場する三英傑、信長、秀吉、家康が築く天下統一の流れの中である意味利家は三家に仕えた武将であり家康の時には外様でありながら加賀100万石という異例の大家へと成長する、ではその歩みはそれに相応しいと言えるのか? 見方によって相反する評価がある事も理解出来るが、この作品を書いている私は評価と言う点ではそれ程評価はしていない、勿論勝手な意見でありお怒りされる方もいる事は承知している。


前田家は尾張の荒子荘の国人領主であり利家は四男、即ち家を継ぐ立場で無く前田家の家人となる親族衆か或いは独立し別家を立てる又は養子に入り他家を継ぐなどの立場と言えた、四男という事もあり実際は信長の小姓組として槍を持ち伴周りとして野原を駆け回り素行の悪い集団の一味として少年時代を過ごしていたようである、やがて信長が父の後を継ぎ尾張を統一する過程で利家も成長して行く。


利家を可愛がり育てた人物に柴田勝家の存在がある、同じ槍遣いという事もあり勝家をおやじ殿という親しい呼び名で接していた、その後信長の勢力が大きく成り天下統一の仕組みの部隊編成を行い、北陸方面責任者として勝家が就任し前田利家を与力として組み入れ対上杉にあたる事になる、前田利家と同じく不破勝光と金森長近も与力として勝家の陣営に組み入っていた。


さらに時は流れ本能寺の変が起こる、織田家は何時しか秀吉の支配が浸透して行く、それに最後まで抗い抵抗したのが柴田勝家であり最後決戦となる賤ヶ岳の戦いで既に秀吉の調略を受けていた前田利家は決戦時に戦線を離脱する、併せて同時に不破勝光と金森長近も打ち合わせていたように離脱し、勝家の敗北が決定的となる。


命のやり取りである以上調略で勝つ事は最善の策とも言えるし仕方のない事でもあるが、問題はそこでは無い、秀吉に寝返るという行為は織田家を裏切るという事である、その後さらに秀吉が亡くなった後に豊臣家を裏切り家康と手打ちを行った事が私的に評価が低い理由である、秀吉亡き後、家康の天下取りに抗う事が出来る人物は利家だけであり、利家は秀頼の傅役として秀吉亡き後の養父とも言えた、その人物が病も重なり自分の寿命が残り少ない事から前田家を守る選択をした事で利家という人物像が見えて来る。


戦国期の武将達の死様は数々あれど保身に走り主家を二度裏切った前田利家、これは果たしてどうなのかという見方があっても良いであろう、最後秀吉を裏切る形となる豊臣家は家康と手打ちを行った事で命運は尽きたと言える、事実秀吉子飼いの七本槍は武断派と文治派の敵味方に別れてしまう、利家が健在時に家康と手打ちを行うのではなく反三成派の武断派と文治派の三成を大きい一本の軸に纏める事が出来る立場は利家だけであったであろう、仮に言う事を聞かぬ三成を処分してでも纏めるべきであったと、利家が役目を終えても嫡子の前田利長は充分に戦場でも戦の経験を経ており年齢も30を過ぎており後継者としても申し分無い筈である、利家は何故豊臣家を見限り保身に走ったのか、どうしてもこの様に私的に評価してしまうのは私だけであろうか!。 その前田利家と福島正則が那須軍と衝突する。



「軍師殿!! 梅鉢紋と沢瀉紋おもだかの幟多数が陣形を整えております、我らに備えた動きかと思われます」



「前田と福島であるな、構わぬ我らが先に動き馬防の柵を取り払え、他の者は弓にて援護しろ、敵勢を寄せ付けるな!!」



先に攻撃の隊形を整え鋒矢の陣組を終えていた佐竹義重の第一部隊と柴田勝家を将とする南部、最上、伊達が組み込まれた第四部隊が馬防柵に向かって移動を開始した、那須側は当然の如く騎馬隊での編成であるが南部、最上、伊達の半数は長柄足軽であった。



「柴田殿は邪魔なる馬房柵を取り除いて下され、我らは弓にて近ずく敵勢を追い払います!!」



「佐竹殿承知した!!」



勝家の心は歓喜に満ち溢れていた、今再び秀吉と戦える事に天に感謝していた。



「三成砲撃じゃ!! 先に仕掛けられてしまう、砲撃を致せ!!」



「はっ、判り申した」



三成は国崩しの大筒10門を南宮山に、残り50門の小筒を那須側に向けて砲撃を開始した、国崩しも小筒もそうであるが鉄球の砲弾でありそう簡単には当たらない、城の様な大きい的を狙うには効果的な砲撃であるが国崩しは砲弾の飛距離が6キロ近く飛ぶ大砲であり三キロ程度しか離れていない騎馬を狙う事は無理であり南宮山に向けて砲撃するしか方法が無く、小筒は扱い易いが動く騎馬に向かって砲撃しても実際には中々当たらず砲撃音だけが戦場に景気よく鳴り響いていた。


攻撃に着手し動き始めた第一隊の将、佐竹は那須家の海将ではあるが本来は海より陸での戦いを得意としており久々に陸で一万から成る軍勢を率いて戦える事に血沸き踊っていた、そして柴田勝家は那須家の中で戦将として先の小田原成敗で実績を上げ信頼を得ており一軍を率いる将としても認められており今回の戦は己の全生命を懸ける戦であると密かに決意していた。


柴田勝家を評する歴史学者の多くは秀吉より機転が利かず、身分の上下に厳しい古い武将と言うレッテルの評価が見受けられる、封建制度が哲学として武士の矜持として確立されている武家中心の時代の中で育った勝家、己の命は主君の為に使い生涯を終える事こそ理想であり歩む道と頑固なまでに凝り固まった生き方しか出来ない無骨者が柴田勝家である、一言で言えば律儀な武士であり出世を望んで付従っている訳では無い、草履取りから出世した秀吉とは別次元の人でありその生き方は古武士の人と言えよう。


勝家の歩みの中で信長に反目している時期がある、信長が嫡子であるにも関わらずその身だしなみが悪党の荒れた姿でありとてもじゃないが何れ主君となれば織田家に先が無いと、当時は信長の弟の信行に仕えている時期であり素行の良い信行こそ嫡子に相応しいと判断していた時期があった、やがて信長の父である当主の信秀が亡くなり時期当主を決めて行く過程で信行と共に謀反の兵を上げた時があった。


しかしその謀反のクーデターは信長によりあっと言う間に鎮圧されてしまう、素行の悪い大うつけと嘲笑されていた信長の見事な指揮に鎮圧された事で勝家は自分の目が節穴であったと自戒し信長に臣従する事になる、それ以来ただひたすら信長の命に従い生涯を終えた勝家がこの関ヶ原に槍を持ち前田と福島の前に立ち塞がる。



「良し 今の内に柵に縄をかけよ、騎馬にて引き倒せ、引き抜くのじゃ、そうじゃ!」



「柴田様敵が迫っております!!」



「気にするな! 佐竹殿が我らを守っている、我らは柵を倒し引き抜くのじゃ!!」



念入りに設置されている馬防柵は幾重にも連なっており予想より時間を要していた、柵を壊されまいと前田と福島の足軽達も盾で身を防ぎ柴田の兵に徐々に襲い掛かり柵を中心に攻防戦が始まった、しかし実際の馬防柵は関白側から何ヵ所か出入り出来る様に工夫された箇所がありそこから前田、福島の足軽が乱入して来ていた。


乱戦が始まると佐竹の部隊も弓を撃つ事が出来ず一旦兵を引き上げようと指示を出そうとする中、柴田勝家が大声で指示を吠えた!



「敵の乱入箇所が判明した、槍を持っている兵は我に続け!! 残りは柵を取り払え! 佐竹殿は残党を仕留めて下され!!」



柴田勝家を中心に1000名程の槍を持つ兵が敵が出入りして来る柵を見つけ今度は柵の内側に勝家を先頭に雪崩れ込んだ、勝家は得意の得物で敵兵を薙ぎ倒し始めた、兵数がいても足軽程度では勝家を止める事は出来ず今度は前田、福島の足軽達が悲鳴を上げ撤退を初める者も出始めた。



「正則!! 兵を引き上げよ! 足軽ではおやじ殿を柴田殿を止められぬ! 足軽を戻すのだ!!」



「何を弱気な事を! 前田様と敵将柴田との関係を某は関知せぬが!! 敵将に敬称など不要じゃ! 関白殿下に失礼である、ここは儂が出張り柴田を退治致す、丁度良い土産首が向こうからやって来たのだ、前田様はそこで見て居なされ!」



「馬鹿者! 柴田殿を見くびっては成らぬ!! お前は将であるのだ、行ってはならぬ!!・・・あの馬鹿者!」



正則はこの時29歳という若い武将であり秀吉子飼い七本槍の中で一番激情が激しく、気にくわぬ事には秀吉の命であってもそっぽを向くまだまだ我儘な未熟な将と言えた、しかし荒くれの槍遣いではあるがその強さは確かであった、だが勝家の凄さを知る前田は今の正則では太刀打ち出来ぬと即断していた、柴田は前田をも凌駕する凄腕の槍遣いである。


勝家の槍遣いの名手と言う言い方はある意味正確な言葉ではない、個としての戦う覚醒した風格が極に達しており武器を持たせればとてもじゃないが勝てないとの錯覚に陥る凄みを極めた武将こそが勝家である、何故そこまで人として押し上げたのか、それは史実において織田信長の片腕であった森可成の存在こそが勝家に影響を与え押し上げたと言って良い、信長が尾張を統一し美濃を手に入れる過程で最大の功労者である槍の名手、森可成もりよしなりという大きい存在によって勝家が完成したと言える。


前半生の信長の腹心であり支えた男こそ森可成である、勝家と同年代であり織田家では勝家の信長に仕える経緯もあり可成の方が一段上の立場でありそれに見事応えていた重臣中の重臣と言って良い、尾張統一と美濃攻略の過程での幾つもの戦場で共に戦った仲であり勝家は可成の背中を見て追いかけ武将として成長していった、その森可成が信長包囲網で窮地に陥った際に孤軍奮闘の戦で命を失う、1570年宇佐山城の戦いで浅井朝倉連合軍3万に対して僅か1000名で城を死守すべく戦い、一度は敵を退けたがさらに延暦寺の兵も加わり命を失う事になる、48歳で命を失った森可成の主君の為に命を使い果たしたその生涯こそ鏡であると勝家の生き方が確定したと言って良い。

信長亡き後、最後まで主家の為に抵抗した男が勝家であり武神としての柴田勝家である。



「え~い戻るな! 儂に突いて来い、あ奴らを仕留めるぞ! 戻る奴は儂が成敗してくれる!!」



柴田勝家によって柵の内側に入られ瓦解した前田、福島の足軽達は勝家達に恐れおののき陣に戻り始めていた、そこへ福島正則が部隊を率いて現れた、正則は乱暴者であり鉄拳制裁として何名かの狼狽えている足軽を切り捨て5000の兵を従い勝家の前に。



「盾を構えよ、矢が来るぞ! 敵勢の中に入れば矢も来ぬ、敵は少数ぞ! 乱打戦となればあっという間に針圧出来る儂に続け!」



「佐竹様あら方柴田様が足軽達を追い払いましたが新たな敵が柴田様に向かっております!!」



「うむ、見えておる、援護しながら柴田殿に戻るように急ぎ伝令を!! 弓を柴田殿に向かって来る敵兵に矢を放て!! 柴田殿を援護するのじゃ!!」



「え~い、一本、二本程度矢が刺さっても戦えるであろう、下がるな!! 走り抜け、囲め囲め出口を塞ぐのじゃ、敵は少数ぞ!!」



矢が無数に飛び交う中、柴田隊に矢を中てぬように直射ば出来ず天射にて矢が空から降り注ぐように攻撃するも盾の効果で正則の予想通り徐々に柴田隊は囲まれるように出口を失ってしまった。


勝家は隊の背を馬防柵で守らせ正面から来る福島勢と乱打戦に移行し始めたが、勝家の的確な指示で被害は軽減しており福島の敵勢を一人二人十人と徐々に削り始めた、又、乱打戦となった事で佐竹も援軍の指示を出そうとしていたが、勝家より援軍の必要無し、それより陣を組み始めた前田の軍勢を矢にて牽制して欲しいとの伝令が伝わった。



作品の中でこれまで森可成を書く場面が無かったので敢えて作中に入れされて頂きました。

次章「刻と時間」になります。

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