295 強訴の行方
京都所司代の前田より山科に向け語られた内容は実に恐ろしい話であった、大内裏への乱入は一部の公家が関白殿下を陥れる揶揄を行っているとの公家からの密告によるものであり既に下手人は捕縛されたの報告が語られる中、本来の目的は別の処にあるとの趣旨が前田より語られ青ざめる山科。
「折角の場ゆえ山科様におかれては内々の事情もご理解頂ける事かと、ここからは私の独り言をおもんばかる事を言いましょう、関白殿下が何故朝鮮への出兵に拘るのか? それは偏に関白としての責任からであり朝廷を、帝を護らんがための身命を賭した責からであろうかと某は考えまする、その理由に朝廷は思い当たる節は無いでありましょうか? 如何でありますか山科殿!!」
「麻呂にはなんの事やら? 何故朝廷と帝を護るために出兵と繋がるのか!???」
「ではここからが肝心となります、その昔この日ノ本が倭国と呼ばれ朝廷の名を大和と呼ばれていた時代に遡り一考してみて下され、時は朝廷と公家による律令の政が行われていた時代であります、当時の武家は朝廷に取って公家衆の下の無辺者として仕えていた時代であります、時の朝廷は帝の命にて我ら武家に朝鮮出兵を命じた事をお忘れでしょうか?」
「この話、山科様にも大いに関係する話でありますぞ! 山科様の家は藤原四家の藤原北家の家柄、その藤原家は元を正せば中臣氏であります、正に先程私が述べた大和の時代における朝廷の中枢であり時の朝鮮出兵を命じたお家であります、まさかお忘れではありますまいに!!」
話を聞く内に何を言わんとしているのかを理解した山科、前田が語る内容はその遥か大昔、大和朝廷と名乗る時代に朝鮮半島は三つの国に別れていた、新羅、百済、高句麗に別れており覇権を争う時代に大和朝廷と親密な関係にあった新羅に援軍の為の度々派兵を行い百済、高句麗との戦いに参戦していた、その新羅ではいつしか大和朝廷から帝の親族が赴くなど中枢に入り込み新羅の国を臣従させるなど特に深い関係へと発展、しかし新羅の歴史は短くして終わる、内乱と不作による飢餓が因となり大和朝廷は助ける事をせずに新羅は滅亡する。
「前田殿、確かに遥か昔に朝廷は朝鮮への出兵を命じた、が、しかしである何故今必要なのか?」
「簡単な事であります、帝より名を豊臣朝臣と賜り関白となりました、帝を支える立場となり、それ故に昔の命を!! 帝の命じた宣旨を正しく実行し朝鮮を従える事こそ時の朝廷の命が正しかったと証明する為であります、これに異議を唱えれば何のために我ら武家の先祖は彼の地で亡くなったのでありましょう、時を経たと言えこの事を放置するは大罪也と某は考えまする、と、私の独り言ではありますが、それにしても関白殿下が度々出兵への宣旨を求める使者を送っているとも聞き及んでおります、これを放置すれば京都所司代として過去の罪を問わねばなりませぬ、帝の御立場は宣旨を行いたい立場でありましょうがそれを邪魔建てする公家衆がいるとの噂も聞こえまする、山科様におかれましては身の振り方ご用心あるべし!!」
「前田殿の意見心より痛み入る忠言として承った、処で出兵に向けて大船を造船しているとの事、一体如何程の兵が出兵するのでありましょうや」
「某の役目は所司代であり詳しい事柄は判りませぬが20万以上の者達が派兵されるでありましょう、流石は関白殿下の御威光と申しましょう、交代する兵なども含めれば30万にもなるやも知れませぬ、朝鮮の兵は弱いと聞いております、それだけの兵がおれば何等問題はありませぬ、心配入り申さずでありましょう、是非に山科様からの帝へのご助言を願えればと思います」
「これよりお伺いの参内を致す、先に捕縛したと言う公家の処罰は勝手に行わぬ様に前田殿頼みましたよ、帝がつむじを曲げぬよう心配りを願う、罪あらば朝廷にて采配を行う、ではご苦労様でした!!」
前田が帰った後でこれは由々しき言いがかりに近い脅しであり脅迫だと理解した山科、その昔の1000年程の前の出来事を持ち出し朝鮮出兵の宣旨を求めるなど、認めぬ場合は罪を問うなど武力による脅迫であると理解した、関白を揶揄した公家を取り締まる此度の大内裏への乱入はその脅しの一環であり見せしめとして捕縛されたのであった、公家には官位という位はあるが兵権を持たず武力に対抗する手段は皆無であった。
「主上 恐れ多くも内裏に乱入したした理由は今申し上げた強迫による強訴によるものです、朝鮮出兵の宣旨を出さぬ事への狼藉に及んだのであります、所司代曰くかの昔の朝廷が律令の時代に発した朝鮮出兵の宣旨を正しいと証明する為の意味もあるとのこじ付けを堂々と述べ、認めぬ場合は罪に問うとの脅しまで語られておりました、次に起こるはこの内裏にも何らかの被害があるやも知れませぬ!」
「かに恐ろしき者を関白にしてしまった、上皇様良き御知恵はありましょうか?」
「秀吉は信長を超える程の恐ろしき怪になりつつある、此度の件は関白の差配で行ったに違いない、那須資晴の言葉を信ずるならば出兵は取りやめる事になる、であれば仮に朝廷が出兵の命令となる宣旨では無く秀吉に勅許という出兵を許可した形式であれば鉾を治めるのでは無いか、山科どう思う?」
「上皇様 勅許でありますか・・・宣旨は出兵の命令、それに対して勅許は出兵を許可した意味・・・上皇様 勅許であれば一段下の軽い意味となりますが出兵は認めた事になりますので関白側もそれで鉾を収めるやも知れませぬ、如何でしょうか主上!!」
「山科には苦労を掛けるが内々に前田なる者と勅許について話を進めて欲しい、それと捕縛した公家衆の返還を・・揶揄した程度で罪を問うには些か罪が重い、それと密告した公家を内々に調べて欲しい此方の方が災いの元になる!!」
「主上!! 勅許という形式で進めて見ます、上皇様御知恵ありがとう御座いました!」
その一ヶ月後に改めて会談が開催された、場所は相変わらず山科邸であった。
「麻呂は前田殿とお話をしておりますが、何故石田殿が同席されておりますか?」
「はっ、所司代に殿下より用事を賜り来た処前田殿が山科様と宣旨について会談が行われるとお聞きし出来ればその内容を関白殿下に報告するには丁度良いと考え同席させて頂きました、不都合がありますでしょうか?」
「そういう事でごじゃりましたか、では成行を静かに見守り下され、では前田殿お話を進めましょう、先般前田殿より伺った宣旨の件を帝と参議にて能々吟味致しました処、関白より奉呈された要望書には不備がごじゃりました、よって不備を改め再度お出し下され、その上で勅許という形式で帝は御認めするとのありがたいお言葉を頂きました」
顔を赤くし怒り顔で話を聞く前田所司代、勅許という言葉に怒りを露わにした、当然と言えば当然である、勅許は単なる許可であり朝廷は知らぬ顔であり基本的に朝鮮出兵は反対の立場を明確にしたと言える、先日の脅しが足りなかったと判断した前田、その横で更に顔をしかめプルプルと震えている石田三成がいた。
「麻呂の説明を聞きそのように顔をいかめては帝に失礼となります、よろしい一つ一つ説明を致しましょう、先ずはここに書かれている関白殿下の宣旨要請の文、これは写しですが、この文言を見てくだしゃれ、ここです」
「判りませぬか? ここには日ノ本を上げて帝の意思を遂行すべくと書かれております、日ノ本を上げてという言い回しは不適切となります、此度の戦には東国は参戦致しませぬ、日ノ本は帝を頂点として西国は関白殿下、東国は自治権を認めた国々であります、此度の派兵は関白が政を行う西国の者達に成ります、故に日ノ本を上げてではありませぬ、お判りかな前田殿!!」
「それは言いがかりではありますまいか!! 納得出来かねます!!」
「ではお聞きする、宣旨を帝が発し、東国が自治権を理由に派兵しない場合は誰が責任を取るのですか? 東国の者は最初から参戦しない旨を正式に公言しておりますぞ、宣旨を発し従わぬ事を知った上で帝が手続きを行えば帝の権威が落ちまする、その事に関白殿下は責任を取れましょうか? 東国からは約定通り費えも朝廷に献上されており関白と劣らず帝へ尽くす忠臣の者達でありますぞ!! 故に吟味した結果勅許という形式で御認めになったのでごじゃる!!」
そもそも朝鮮出兵を強行に行う理由は朝鮮を平らげ後に朝鮮の兵を従えて東国に攻め入るためであり最初から東国には一度も朝鮮出兵の誘いの話を関白はしていなかった、その盲点とも言える部分を山科は強調し、あたかも関白側に落ち度がるとの意味合いを前田に説明した、山科家は父の代より戦国各地の大名と渡り合った朝廷を代表する外交の家でありその手腕は秀でている、如何に優れているとは言え元僧職の前田では相手にならなかった。
そこへ横で聞いていた三成が怒気のこもって言葉で山科に参戦してきた。
「山科様、横で聞いておりましたが、些か関白殿下を朝廷では軽く見ておられるように感じます、文言を変えた上で宣旨は頂けぬという事で間違いありませぬか?」
「そうでありますな・・宣旨なれば勅命を公言する天子様の声となります、であれば他国へ攻め入るという大義が伴います、その大義に東国は大義に値しなとして認めておりませぬ、その点を考慮しての勅許であります、石田殿・・これは私の独り言になりますが、関白殿は派兵するにあたり名誉が欲しいのでは在るまいか? その名誉という誉の派兵であれば関白殿も納得されると思われるが如何であるかな?」
三成は話を聞く内に朝廷側も一段下がって何らかの関白殿下が呑み込める案を考えているのかも知れぬと判断した、それであれば関白殿下の怒りを収める事が出来るかも知れぬと・・・。
「山科様、是非にその独り言を御聞かせ下され!!」
「ではこれは私の独り言でありますぞ!! 帝より派兵の勅許を出し、実際に出兵される際に関白軍を御見送りする壮行に帝の観覧を! ご出席を賜ればこれ以上ない誉となるやも知れぬと勝手に思案しました、帝と関白の仲であります、主上が観覧する壮行となれば宣旨以上の言祝ぎではありますが、どうでありましょうか?」
山科の独り言を聞き喜色を表す三成、関白が一番喜ぶ演出を考えていた事に驚きもありしたり顔となる両人であった。
「流石は藤原家より続く御家柄の山科様、この三成その独り言に感服致しました、是非に喜ばしき独り言であります、出来ましたら実現出来ますよう心配り頂ければ幸いです、叶いますようこの三成に何でも申し付け下され!」
「ほう三成殿が力を貸して下されば願ったも同然である、手を合わせ実現させましょう、実現出来ますれば麻呂の独り言が願いとして成就した言祝ぎを得られる事になります! 是非にお力をお貸し下さい!!」
宣旨の会談を終えて帰還した二人は役目を果たせたと安堵していた、会談で勅許を認めさせるにはもう一手必要と最初から考え、帝出席の観覧については最初から承諾を得ていた山科、公家は一段上より如何にもという言い回しで話す事でなんら変化のない出来事をあたかも変化が生じたように成果を得る話術を身に付けている、位だけで糧を得るには搾取する術を最大限利用した山科の勝ちと言えた。
三成を手の平でコロコロと、山科の勝ちですね。
次章「陣触れ前夜」になります。




